浮世絵学01/落款(勝以)またべい_又兵衛/総目録 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]
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浮世絵学01/落款(勝以)またべい_又兵衛/総目録 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]

2016-6-29現在

酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]

◯岩佐又兵衛(1578-1650)(73)は、浮世絵の開祖と云われているが、総て肉筆で、しかも落款がない。

「又兵衛」単独の落款は無い。又兵衛尉…が一点だけある。

落款は無いが、印章(碧勝宮圖_道_勝以_道蘊)がある。印章の無いものは、無款、無印章として扱うべきで、ただちに又兵衛に結び付けることは控えねばならない。

IMG_0018 - バージョン 2*当時、人麿像は、かなり酷い扱いを受けていたように見受けられる。

◯「又兵衛」名は画号ではなく、単なる名前である。従って画号また雅号として採用できない。

勝以(かつもち)は、画号である。正確な読み方は分からないので、音読みで「ショウイ」として置く。

「以」の訓読みは、シゲ、ノリ、モチ、ユキなどあり、又兵衛の場合、特定できる記録がない。

又兵衛と勝以を結び付ける唯一の根拠は、板扁額「又兵衛尉勝以圖」(寛永十七年)と銘記されている作品の他、見当たらない。

◯年譜 詳細な年譜はない。詳細な年譜は、いわば作品毎の列記を追加する必要があるが…

2016又兵衛_勝以/年譜

1578 天正6 又兵衛(本名か)は、摂津・伊丹城主、荒木村重の子として生まれた。

*1579翌年、天正7、父・村重は、信長に反逆を企て失敗し、城を逃れる。又兵衛も乳母に伴われ、城から脱出。

残った荒木一族は、幼児に至るまで総て処刑された(信長公記、シンチョウコウキ)。

1590s-1610s慶長期 30歳代ころまで、京都にいた。ここで、いわゆる工房などに勤めていて絵画修行をした。

◯絵巻群

いわゆる又兵衛風(本来は勝以)の絵巻群は、関与していないとは云えないが、又兵衛の作品とは異質過ぎる。*昭和初期、又兵衛論争があった。私見であるが、勝以は、古浄瑠璃、説経節など歌舞音曲、藝能の流行に乗じた大衆向けの血みどろ、返り討ちなど残虐な浄瑠璃作品群に直接関与していない。

◯屏風群(洛中洛外、花下遊楽図など)

無款であるが、工房の一人の絵職人として関与している。しかし主宰ではないので、落款はない。また、又兵衛が指導していたと考えられる非凡な構図、詳細な描写の「洛中洛外」(滋賀・舟木家)もある。

勝以の作品は大衆向けではない。従って、和漢の古典故事が外題、内題として想定される。原画に外題、内題が書かれていないため学者により外題、内題が恣意的となり、不統一となる。

*地方大名の要請に応じて、その趣味に沿って、勝以らの工房が制作したと考えたい。地方大名は都の洛中洛外、また歌舞音曲、特に説経節、浄瑠璃に強い憧憬を持ち、それらの屏風また絵巻を持つことが、いわばステータスであった。その工房の一員として、勝以は修行を積み、習得したと考えるのが自然である。屏風は都の大名向け、絵巻は地方大名向けと考えると分かり易い。

1616-1617 39-40歳、福井へ移り、いわゆる金谷屏風など、多くの押絵貼屏風(和漢古典文学)を描いている。

*墨画、淡彩などの作品の静謐さ、また着色作品の気品は特筆すべきものであり、大衆向けの派手な浄瑠璃作品群と区別する必要がある。勝以の指向は、歌舞音曲、藝能の大衆ではなく、むしろ貴族好みの文学作品であったろう。

*豊頬長頤(ほうきょうちょうい)、豊かな頬、長い頤(あご)。貴族の顔の典型。

1630s 50歳代 福井在。いわゆる樽屋屏風

1637寛永14 60歳、江戸へ移り、73歳で没する1650まで江戸にいた。

◯1675延宝3黒川道祐/遠碧軒記

憂世又兵衛は荒木様別子にて有。あり越前一白殿御目かけられ候よし。江戸に住し候。福富立憲この事をよく覚候。

*憂世より、むしろ近世は浮世、つまり浮き浮きした楽しい世の中の意である。一白は、松平忠直のこと。又兵衛は荒木様別子にてとあり、記録として、又兵衛を荒木村重と関連づける唯一の記録である。

◯落款+印章

又兵衛(またべい)岩佐〜    1578-1650(73) 勝以(ショウイ)

*京都在 又兵衛という画工職人。荒木村重の子であるため、表立って、絵画の師弟関係を結ぶことが出来なかった。止むを得ず、工房の下請けで、あらゆる画法を学び、習得していった。だから、画号が無い。しかし、工房の皆は、又兵衛と呼び、一目置いていた。従って、浮世、憂き世の風俗を巧みに描く又兵衛として、浮世又兵衛と世間で云われていたことは、充分な裏付けがあると考えている。ただ、又兵衛は、地方大名向けの派手な浄瑠璃絵巻に直接、関与していなかった。和漢の故事、文学作品、和歌など、古典的な教養を踏まえて、又兵衛は、大衆の趣味とは別の格調、品格を有している。
*碧勝宮圖(へきしょうぐうづ)    白文方印
*道(「勝以」の円印と併用)     朱文 小方印 道蘊(どううん)の道か

*道蘊(どううん)          村重の道号は道薫
*勝以(ショウイ)         楷文二重円印
*勝以(ショウイ)         篆文(一)二重円印、二重円印の外側を削除したか

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◯和漢雑種の外題、そして内題であり、それぞれ特定するのが難しい。

人によって、外題また内題が違っていたりするのは、止むを得ない。

特定するために、判型形態、げだい、ないだい、法量、出典とソート(配列)するのが一番、便利である。

法量により、同一の外題また内題であることを確認できる。この法量は今回、初めて採用した手法である。

◯浮世絵学に沿って、又兵衛、道(道蘊の画号か)、勝以(かつもち?)、碧勝宮圖(へきしょうぐう)および無款の作品を入力した。2004伝説の浮世絵の開祖・岩佐又兵衛/千葉市美術館 この図録は、稲垣進一大人から、御借りして、数日で、入力した。付して感謝する。長谷川巳之吉氏所蔵の貴重な絵葉書も拝見した。

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IMG_20160607_0006 - バージョン 2この貫之は、いわゆる人麿、貫之の掛軸とは全く別。勝似の筆致と、かなり異質である。

 

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長谷川氏の家蔵岩佐又兵衛の図録は、浮世絵博物館の書庫にあるが、現在、手元にないので、入力できなかった。

2016又兵衛・勝以/総目録 

 *参考、年譜などを含むが580項目を入力してある。

最近、辻惟雄、佐藤康宏両先生が編纂された岩佐又兵衛(図録、研究)豪華本があるというが、まだ入手していない。

徐々に、増補訂正していきたい。

何か御存知の方は御教示いただきたい。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator
浮世絵・酒井好古堂   [HP: ukiyo-e.co.jp]
[浮世絵学]文化藝術懇話会    浮世絵鑑定家
100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14
電話03-3591-4678 Fax03-3591-4678

 

 



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