浮世絵学14/西洋古典文学 M. de Cervantes Saavedra(1547-1616): El ingenioso hidalgo don quixote ドン・キホーテ
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浮世絵学14/西洋古典文学 M. de Cervantes Saavedra(1547-1616): El ingenioso hidalgo don quixote ドン・キホーテ

2016-11-30現在

酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]

◯セルヴァンテス・サーヴェドラ(1547-1616)のドン・キホーテ

第1編*は1605、第2編は1615に刊行されている。*評判が良く、世の喝采を浴びた。

第1編は、1612イギリス語に、1614フランス語に翻訳され、世界に広まった。

◯ドン・キホーテ
1605第1編、1615第2編が発刊された。

この物語の作者によると、本名はアロンソ・ケハーナ。これでは騎士に相応しくないので、生地ラマンチャを付けて、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ。キホーテの意味は不明。一説に、脚の太腿を守る防具と説明。

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◯本書は、1605年の原本の影印である。
DON QUIXOHOTE  現代スペイン語正書法により、X→J DON QUIJOTE
EL INGENIOSO … これは英語の「Witty」、「機知に富んだ」という意味であるが、訳者により
奇想驚くべき、才智あふるる、奇想天外などの訳になっている。
著者の名前はCERUANTES と綴られている。U →V
扉の鳥の絵、奥に獅子。これは何を意味しているのだろう。
POST TENEEBRAS X SEPERO LVCEM
Ano1605

当時のラテン語文の巻頭(イニシアル)の一文字は、大文字で囲み枠内に印刷されている。
一頁の末尾は、単語が記されて、次の頁(ページ、実際は丁数)と丁合(ちょうあわせ)をしてある。
SONETO が、随所に書かれている。

第1編は全4部で、全52章である。しかし他の諸本は少ない章数。これは直接、本文に関連のない短編を削除したからであろうか。

Fol. 1 *これは頁(ページ)でなく、丁数。裏には数字なし
PRIMERA A PARTE DEL INGENIOSO hidalgo don Quixote de la Mancha

第1 1-8 Capitulo章   (Fol.1-30)

Fol.31
SEGVNDA PARTE DEL INGENIOSO hidalgo don Quixote de la Mancha

第2 9-14  Capitulo章  (Fol. 31-58)

Fol.58裏
TERCERA PARTE DEL INGENIOSO hidalgo don Quixote de la Mancha

第3 15-27  Capiulo章   (Fol.59-148)

Fol.148裏
QVARTA PARTE DEL INGENIOSO hidalgo don Quixote de la Mancha

第4 28-52  Capitulo章   (Fol.148-316)

Fol.312 丁数は、ここまで刻記されている。以後は無し

Fol.316裏
FINIS アラベスクの唐草文様

Fol.317 いわゆる目次、当時のラテン文書物は、巻末に目次(索引)が付いている。

Capituloは、章の意。1-51まで。
TABLA DE LOS Capitulos que contiene esta famosa Historia del valeroso cauallero don don Quixote de la Mancha.
Capitulo primero …cincuenta y vno

Fol.320
Fin de la Tabla アラベスク唐草文様(逆三角形)*Tablaは、一覧表の意。

なお、第2編の影印も探したが、見当たらなかった。
実ハ後編が断然、面白いという方もいる。

◯スペインのドンキホーテは、アラビア数字を使っているので、ano 1605と分かり易い。イベリア半島は、古来からアラビア(ムア人)、中近東のユダヤ系が多く流入している。セファルディはユダヤ系スペイン人の称。IMG_3896 第1篇の扉 1605  これが最初の挿絵である。鎗も、極端に長くない。

身長よりも多少、長い程度。1863、Doretの挿絵は誇張して極端に長く、身長もヒョロ長い。

太腿を守る鉄製防具がキホーテか。

Qvixoteと繋げず、次の行に送っている。

なぜだろうか。

DON QVI-

xote de la Mancha

 

◯1615、第2編の表紙。

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CON PRIVILEGIO, En Madrid, Por Iuan de la Cuesta.

vendese en casa de Francisco de Robles, librero del Rey N.S.

後編の扉 Ano 1615 *この扉、多少文字が違っているが、前編になっている影印もある。

何故、鳥が止まり木にいて、向こうに獅子がいるのか不明。

◯1603日葡辞書 VOCABVLARIO DA LINGO A DE IAPAM

IHS は、ラテン語でコンスタンチン皇帝の「この標(十字)のもと、征服しろ」。ギリシャ語のイエズスというのは間違い。

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ポルトガルの日葡辞書はANNO M.D.CIII. ローマ数字で分かり難い。

1603-1604、32,000語の日本語とポルトガル語の本格的な辞書で、イエズス会が長崎で発行した。

 

 

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ドレ(1832-1883)の挿絵では、とても背の高いヒョロリとした人物に描かれているが、何か根拠があるのだろうか。1860sであるが、既に銅版画 はオリジナルでなく、亜鉛整版である。ドレのオリジナル銅板画と比較して、その差異を調べてみたいと思っているが、オリジナルの銅板画、また画像は入手できない。オリジナルの銅板画(grabados en cobre)は、画面が強く圧されているので、凹んでいる。通常の亜鉛板印刷は、全く平らで、凹凸がない。当時の色々な挿絵画家の銅板画、木版画などを見てみたい。

IMG_0036                                  この図版は、天馬(羽根のある馬)に乗っているドンキホーテの姿。

 

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この挿絵が、もっとも有名である。ドンキホーテが、左廻りの風車に突進して、跳ね飛ばされた場面である。

このドン・キホーテ、西洋古典文学で重要な位置を締めている理由は、聖書を除くと出版部数が最大のものだという。

2002.5.8にノーベル研究所と愛書家団体が発表した、世界54か国の著名な文学者100人の投票による「史上最高の文学百選」で、第一位に撰ばれた。

◯ドンキホーテの銅像

マドリードのスペイン広場にドンキホーテの巨大な銅像があり、ホテルの前だったので、父に連れらてスペイン広場へ行った。

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ドンキホーテの銅像はあるが、セルヴァンテス自身の銅像はなかったように思う。また、色々と調べたがセルヴァンテスが、どのような身体付なかのか分からない。顔は下記のようである。

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セルバンテスは、マドリードの近郊で生まれた。父親は外科医であった。しかし貧しかったので、セルヴァンテスは殆ど学校教育を受けていない。1569年、イタリアへ趣き、枢機卿の侍僕となり、イタリア文藝に接した。1570-1575年、兵役に服し、1571年、トルコとの戦争レパントの海戦で左手を失った。1575年、帰国の途中、海賊に襲われ、アルジェで奴隷となったが、1580年身請けされ帰国した。1585年、ラ・ガラテアを処女出版。いわゆる、スペイン「黄金の世紀」の作家である。

近代的な意味で、小説の原点である。セルヴァンテスは、騎士道の偽善、社会の不条理な現実に対して、自分自身を騎士道を信じて疑わない主人公として登場させて、その言動の数多くを理想、風刺、喜劇仕立てで描いた。同時に、主人公ドンキホーテは、年老いてからも、希望、正義を胸に遍歴の旅を続ける。その姿が多くの人に感動を与えた。それらの原点は、セルバンテスの波瀾万丈の人生が反映している。また、イタリアの枢機卿の侍僕となり、デカメロン*などイタリア文藝に直接、間接に触れたことが大いに関係があるに違いない。

*1348-1353ボッカチオの短編小説集。10人が一人づつ10日間、物語り、100編所収。あらゆる階層の人物が登場し、当時の社会を活写した。

◯ドン・キホーテ 牛島信明(編訳)

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牛島信明(訳)は名訳である。従者サンチョは、騎士に仕える僕の言葉になっている。一般には、文字を読めない、書けない人々が殆どであった人々の騎士に

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ホセ・セグレーリェス(画)と記されているが、生没年は不明である。

訳者・牛島信明は、永田寛定・高橋正武(岩波書店)、会田由(筑摩書房)、堀口大学(新潮社)らの先達の訳を参考にしたと「あとがき」に記している。サンチョなど田舎の人びとの言葉、訳者が田舎の人でないので、「…でがす」とか妙な田舎言葉になっている。方言は狭い地域毎に全く違っているので、なかなか良い訳語がないのでがす。

翻訳に際して、

1 前篇と後篇を一緒にした。後篇の方が遥かに面白く、重要である。長い表題は短くした。

2 本筋から脱線した挿話は省略した。

3 ギリシャ・ローマ神話、古典などの説明は省略した。

4 形容詞の同義語句が煩わしいので、短縮した。

セルバンテスは、当時流行していた騎士道物語を打倒するためと書いている。セルバンテスは、主人公ドンキホーテを借りて、以下のように云っている。「拙者の天職が弱きを助け、非道に泣く人びとの恨みを晴らし、不義をこらしめること」。まるで日本の任侠ものと同じである。官僚組織など巨大な組織は、多くの既得権を獲得すると、次第に硬直化して行く。本来の趣旨と全く違った方向へと形骸化して行く。その矛盾、不平等、不公平を本来の姿に戻す必要がある。ドンキホーテは、将に現代こそ必要な人材である。

ドンキホーテが書かれた1600s、七つの海を支配し、ポルトガルと世界を二分して勢力を争った太陽の沈むことなき大帝国・スペインは、急速に衰退している時であった。

◯1916DON QUIJOTE  デンマークで出版された2冊本。Goya, Daumier, Marstrandの挿絵が面白い。

IMG_0006巻頭にカラーで、Daumierの油絵で、ドーミエの機知は見られない。

IMG_00071916 Vol.1 Denmarkで出版された Cammermeyers forlag lars swanstrom kristiania

 

 

IMG_0008Daumier  本来のドーミエの諧謔さは全くない。

IMG_00091918  Vol.2

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IMG_0003Goyaの挿絵をBraquemondが銅版画にした。

 

IMG_0004Marstrandの挿絵、1864頃。デンマークの画家、挿絵画家。

Nicolai Wilhelm Marstrand (1810 –1873)

IMG_0005殆ど、このマールストランドが挿絵を担当している。ドンキホーテが、これから巨人と錯覚した水車、目掛けて突進する。

何か御存知の方は、御教示ねがいます。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator
浮世絵・酒井好古堂   [HP: ukiyo-e.co.jp]
[浮世絵学]文化藝術懇話会    浮世絵鑑定家
100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14
電話03-3591-4678 Fax03-3591-4678

 



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