浮世絵学02/刊年(吉原*)(年表) 1912朝倉無聲/武江年表ほか 412項目 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]
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2015-11-17現在

酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]

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◯吉原年表 (2014.01.22現在、酒井雁高・識)

吉原年表永禄12 己巳1569

吉原年表元亀1(04.23) 庚午1570

吉原年表元亀2 辛未1571

吉原年表元亀3 壬辰1572

吉原年表天正1(07.28)癸酉1573

吉原年表天正2 甲戌1574

吉原年表天正3 乙亥1575

吉原年表天正4 丙子1576

吉原年表天正5 丙子1577

吉原年表天正6 丁丑1578

吉原年表天正7 戊寅1579

吉原年表天正8 己卯1580

吉原年表天正9 庚辰1581

吉原年表天正10 辛巳1582

吉原年表天正11 壬午1583

吉原年表天正12 癸未1584

吉原年表天正13 甲申1585

吉原年表天正14 乙酉1586

吉原年表天正15 丙戌1587

吉原年表天正16 丁亥1588

吉原年表天正17 戊子1589

吉原年表天正18 己丑1590

吉原年表天正19 辛卯1591

吉原年表文禄1(12.08) 壬辰 1592

吉原年表文禄2 癸巳1593

吉原年表文禄3 甲午1594

吉原年表文禄4 乙未1595

吉原年表慶長1(10.27) 丙申1596

吉原年表慶長2 戊戌1597

吉原年表慶長3 戊戌1598

吉原年表慶長4 己亥1599

吉原年表慶長5 庚子1600

吉原年表慶長6 辛丑1601

吉原年表慶長7 壬寅1602

吉原年表慶長8 癸卯1603

吉原年表慶長8 癸卯1603

吉原年表慶長9 甲辰1604

吉原年表慶長10 乙巳1605

吉原年表慶長10 乙巳1605

吉原年表 慶長10 乙巳 1605

1912無聲/武江年表007 ○大城御普請に付、柳町の馬場御用地になり,この邊の遊女屋ども元誓願寺前へ移る.

吉原年表慶長11 丙午1606

吉原年表慶長12 丁未1607

吉原年表慶長13 戊申1608

吉原年表慶長14 己酉1609

吉原年表慶長15 庚戌1610

吉原年表慶長16 辛亥1611

吉原年表慶長17 壬子1612

吉原年表慶長18 癸丑1613

吉原年表慶長18 癸丑1613

吉原年表慶長19 甲寅1614

吉原年表 慶長年間 1614s

1984小森隆吉/江戸学事典546 ○慶長年間、1 太夫、6 端女郎 ○寛永期、2 格子女郎 ○正保、慶安 3 局女郎と4 切見世女郎 ○寛文期、5 散茶女郎。○元禄、享保期 1 太夫、格2 子、3 散茶、4 梅茶(局)、5切見世。

吉原年表 慶長年間 1614s

1912無聲/武江年表011 ○この頃傾城屋、定りたる廓はなく所々に散在す、麹町八丁目に十六七軒,京六條より来る.鎌倉河岸に十四軒、駿河彌勒増しより来る。大橋の内柳町に二十餘軒,慶長十年に元誓願寺前へ引越す、大橋は今の常盤橋にて、柳町は今の道三河岸の事なりと云、醒世翁の「奇跡考」にも、前の説を挙て後に云、是普通の説なれど「事跡合考」、今の京橋具足町の東,葦沼の汐入を築立て傾城町とす,其地取、丸くして一方口にして,南の片側をすみ町,北の片側を柳町と名づけ、中一筋の通りを中の町と名づくと云々,この説によれば、慶長の頃の傾城町は京橋の柳橋にや、今猶柳町すみ町ありと云々(割書)道のほとりのふたもと柳,風にふかれてどちらへなびこ云々といふ小うた、この頃はやりしなり。○この時世,風呂屋湯女はやり出す(割書)「見聞集」に、天正の頃の銭湯の事を云て後に云、その頃は風呂不たんれんの人あまたありて,あゝあつの湯の雫や、息が詰りて物もいはれず、烟にて目もあかれぬなどゝ云て,小風呂の口に立ふさがり,ぬるき風呂を好みしが,今は町毎に風呂あり,びた十五銭二十銭づゝにて入るなり、湯女といひてなまめける女は、廿人卅人ならび居て、あかをかき髪をすゝぐ,扨又其外にようしよくたぐひなく、心ざまいうにやさしき女房ども、湯よ茶よといひて持来り戯れ、浮世がたりをなす云々とあり,「落穂集」に云、風呂屋江戸所々にあり,朝よりわかし晩は七時に仕舞晝のうち風呂入人の垢を流し候湯女も,七つ切に仕舞、夫よりは身の支度を調べ,暮時に至り候へば、風呂の上り塲を用たる格子の間を座敷にかまへ、金の屏風などを引廻し、火を燈し,件の湯女は衣服をあらため,さみせんをならし小歌やうのものをうたひ,客集めをせしなり、右の風呂や木挽町邊にも一二軒ありしと云々。

吉原年表元和1(7.13) 乙卯1615

吉原年表元和2 丙辰1616

吉原年表元和3 丁巳1617

吉原年表元和4 戊午1618

吉原年表元和4 戊午1618

吉原年表元和5 己未1619

吉原年表元和6 庚申1620

吉原年表元和7 辛酉1621

吉原年表元和8 壬戌1622

吉原年表元和9 癸亥1623

吉原年表寛永1(2.30)甲子1624

吉原年表寛永2 乙丑1625

吉原年表寛永3 丙寅1626

吉原年表寛永3 丙寅1626

吉原年表寛永4 丁卯1627

吉原年表寛永5 戊辰1628

吉原年表寛永6 己巳1629

吉原年表寛永7 庚午1630

吉原年表寛永8 辛未1631

吉原年表寛永9 壬申1632

吉原年表寛永10 癸酉1633

吉原年表寛永11 甲戌1634

吉原年表寛永12 乙亥1635

吉原年表寛永13 丙子1636

吉原年表寛永14 丁丑1637

吉原年表寛永14 丁丑1637

吉原年表 寛永14 丁丑 1637

1912無聲/武江年表023 ○江戸中風呂屋女,三人限りに命じ給ふ(割書)此掟を破りしものを、吉原大門の外にて刑せらる。

吉原年表寛永15 戊寅1638

吉原年表寛永16 己卯1639

吉原年表寛永17 庚辰1640

吉原年表寛永18 辛巳1641

吉原年表寛永19 壬午1642

吉原年表寛永20 癸未1643

吉原年表 寛永20 癸未 1643

1912無聲/武江年表026 ○寛永の頃まで神田佐柄木町、雉子町の續きに、堀丹後守度殿御屋敷あり、丹後殿前といふを略して丹前といふ,此邊風呂屋多く、美麗なる湯女もありて、こゝに遊びける若人等のさまを、 歌舞妓に學びて丹前風といひし事,諸書に見えたれば爰に略しつ(割書)堀家の御やしき、鐘井の末、正保の頃,下谷へ引移りたり,承応の江戸圖には、既に戸田侯の御屋敷に改りたり。

吉原年表 正保1(12.16) 甲申 1644 ○寛永21.11.18 庄司甚右衛門歿(69).

吉原年表正保2 乙酉1645

吉原年表正保3 丙戌1646

吉原年表正保4 丁亥1647

吉原年表慶安1(2.15) 戊子1648

吉原年表 慶安1(2.15) 戊子 1648

1912無聲/武江年表033 ○江戸中,風呂屋の遊女御制禁あり(割書)聲云、此令二月廿八日に出でたり。

吉原年表慶安2 己丑1649

吉原年表慶安3 庚寅1650

吉原年表慶安4 辛卯1651

吉原年表承応1(9.18) 壬辰1652

吉原年表承応2 癸巳1653

吉原年表承応3 甲午1654

吉原年表明暦1(4.13) 乙未1655

吉原年表明暦2 丙申1656

吉原年表 明暦3 丁酉 1657 ○酉の大火

吉原年表万治1(7.22)戊戌1658.07.22

吉原年表万治2 己亥1659

吉原年表万治3 庚子1660

吉原年表寛文1(4.25) 辛丑1661

吉原年表 寛文1(4.25) 辛丑 1661

1912無聲/武江年表046 ○八月,三ン谷傾城買に趣く者,馬,駕籠に乘る事を停らる。

吉原年表寛文2 壬寅1662

吉原年表寛文3 癸卯1663

吉原年表寛文4 甲辰1664

吉原年表寛文5 乙巳1665

吉原年表寛文6 丙午1666

吉原年表寛文7 丁未1667

吉原年表寛文8 戊申1668

吉原年表寛文9 己酉1669

吉原年表寛文10 庚戌1670

吉原年表寛文11 辛亥1671

吉原年表寛文12 壬子1672

吉原年表延寶1(9.21) 癸丑1673

吉原年表延寶2 甲寅1674

吉原年表延寶3 乙卯1675

吉原年表延寶4 丙辰1676

吉原年表延寶5 丁巳1677

吉原年表 延寶6 戊午 1678 ○色道大鑑に「遊廓、総じて傾城町の事也」。「遊廓」の語の初見。

吉原年表延寶6 戊午1678

吉原年表延寶7 己未1679

吉原年表延寶8 庚申1680

吉原年表天和1(9.29) 辛酉1681.09

吉原年表天和2 壬戌1682

吉原年表天和3 癸亥1683

吉原年表 天和年間 1683

1912無聲/武江年表060 ○此頃はやりし唄比丘尼の内,神田めつた町(割書)多町なり(割書終)より出る、永玄,お姫,おまつ,長傳といふが名とりにてありしとぞ,しゆすか、羽二重の投頭巾をかぶるによって,これを繻子鬢と名づけたり,又寶永の頃までありし、綿摘といひしも土妓にてありし.

吉原年表寛政5.0316831976三田村鳶魚/未刊随筆百種11-073

吉原年表貞享1(2.21)甲子1684

吉原年表貞享2 乙丑1685

吉原年表貞享3 丙寅1686

吉原年表貞享4 丁卯1687

吉原年表元禄1(9.30) 戊辰1688

吉原年表元禄2 己巳1689

吉原年表元禄3 庚午1690

吉原年表元禄4 辛未1691

吉原年表元禄5 壬申1692

吉原年表元禄6 癸酉1693

吉原年表元禄7 庚戌1694

吉原年表元禄8 乙亥1695

吉原年表元禄9 丙子1696

吉原年表元禄10 丁丑1697

吉原年表元禄11 戊寅1698

吉原年表元禄12 己卯1699

吉原年表元禄13 庚辰1700

吉原年表元禄14 辛巳1701

吉原年表元禄15 壬午1702

吉原年表元禄16 癸未1703

吉原年表 元禄  1703s

1912無聲/武江年表073 ○吉原の遊女,八朔に白無垢を着する事,元禄中江戸町壹丁目巴屋源右衛門が抱へ高橋といへる太夫その頃、瘧(おこり)をわずらひ居けるが、馴染の客来りし時,臥居ける白むくの壗にして、揚屋入しける容の艶なりしより、是を真似て八朔には一般に白むくを着る事になりし由,花街大全にいへり(割書)思ふに昔の遊女に,米島丹後守出来島長門守抔名のりしもの有、是抔のともがら武家の例に事よせ、八朔に白き衣装を着したるか尚可考。

吉原年表寶永1(3.13) 甲申1704

吉原年表寶永2 乙酉1705

吉原年表寶永3 丙戌1706

吉原年表寶永4 丁亥1707

吉原年表寶永5 戊子1708

吉原年表寶永6 己丑1709

吉原年表寶永7 庚寅1710

吉原年表正徳1(4.25) 辛卯1711

吉原年表正徳2 壬辰1712

吉原年表正徳3 癸巳1713

吉原年表正徳4 甲午1714

吉原年表正徳5 乙未1715

吉原年表 正徳5 乙未 1715

1912無聲/武江年表082 ○(只補)此頃より根津門前町遊女屋出来す。

吉原年表享保1(6.22) 丙申1716.06

吉原年表享保2 丁酉1717

吉原年表享保3 戊戌1718

吉原年表享保4 己亥1719

吉原年表享保5 庚子1720

吉原年表 享保5 庚子 1720

1912無聲/武江年表085 ○洞房語園成、寫本(割書)庄司道恕齋編,板本は元文三年也○吉原丸鏡六冊成(割書)眞大山隠士蝶師作と有。

吉原年表享保6 辛丑1721

吉原年表享保7 壬寅1722

吉原年表享保8 癸卯 1723

吉原年表享保9 甲辰 1724

吉原年表享保10 乙巳 1725

吉原年表享保11 丙午 1726

吉原年表享保12 丁未 1727

吉原年表享保13 戊申 1728

吉原年表 享保13 戊申 1728

1912無聲/武江年表089 ○七月吉原仲之町に燈籠を出す(割書)角町中萬字屋の名妓玉菊といへるもの、享保十一年午三月二十九日死せり、今年三回忌にいたり,盆中例をまつるとて,仲之町俵や虎文、揚屋町松屋八兵衛などいへる者此事をはじむ,始は切子どうろうにてありしが、小川破笠が奇功より次第にたくみになりしといへり,ことし玉菊追善袖さうしといへる河東節の上るり、竹婦人作にて行れたり。

吉原年表享保14 己酉 1729

吉原年表享保15 庚戌 1730

吉原年表享保16 辛亥 1731

吉原年表 享保16 辛亥 1731

1912無聲/武江年表092 ○(無補)十月,吉原萬字屋又右衛門、京島原より遊女を下して大に流行す,是より吉原にて京坂の女を抱る家多くなれり。

吉原年表享保17 壬子 1732

吉原年表享保18 癸丑 1733

吉原年表享保19 甲寅 1734

吉原年表享保20 乙卯 1735

吉原年表元文1(4.28) 丙辰 1736

吉原年表元文2 丁巳 1737

吉原年表元文3 戊午 1738

吉原年表元文4 癸未 1739

吉原年表元文5 庚申 1740

吉原年表寛保1(2.27) 辛酉 1741

吉原年表 寛保1(2.27) 辛酉 1741.02.27

1912無聲/武江年表099 ○三月,吉原仲の町へ櫻を栽はじむ(割書)其後、寛延二年の頃より栽て年例とはなれり○筠庭云、吉原町櫻を植ること,こゝは徒流が説によりたりと見ゆ,こは誤りなり,寛延二年己巳のとし、これ始めなり,其時堺町中村座芝居にて,助六狂言に其體をうつし,殊更賑はしかりしと也,其淨るりを廓の夜櫻といへり。○(補)我衣-曳尾庵著云、是年踊子停止せらる、ころび藝者の鼻祖なりとあり.

吉原年表寛保2 壬戌 1742

吉原年表寛保3 癸亥 1743

吉原年表 寛保3 癸亥 1743

1912無聲/武江年表101 ○閏四月、勧進比丘尼中宿を停らる(割書)寛保元年の頃,ある比丘尼、八官町にて、櫻田邊の武士と倶に情死せり,しかりしより比丘尼、町中へ出る事を止給ひし由也,江戸眞砂六十帖に云、神田より出るを上とし、早稲田、下谷、竹町、本所、あだけを下とす,宿は新和泉町を上とし,八官町を中とし,其餘浅草門跡前,京橋太田やしき、同心町所々へ出る,頭巾は黒縮緬加賀笠なり,正徳二年より俄に浅黄木綿の頭巾になる、上の比丘尼は子びく尼二人つれる,全盛、目をおどろかしけると云ふ,筠庭云、比丘尼の事御觸は,是より先寶永三亥年にもありしなり、比丘尼情死の事,猶ふるくは吉原徒然草に、源太郎といふ比丘尼,米屋のむすこと情死したる由見ゆ.

吉原年表 寛保年間 1743s

1912無聲/武江年表101 ○宮寺の地に、山猫となづけし茶屋女所々に多かりし。

吉原年表延享1(2.21) 甲子 1744

吉原年表延享2 乙丑1745

吉原年表延享2 乙丑 1745

吉原年表延享3 丙寅1746

吉原年表延享3 丙寅 1746

吉原年表延享4 丁卯1747

吉原年表延享4 丁卯 1747

吉原年表寛延1748-1750

1976三田村鳶魚/未刊随筆百種05-399

吉原年表寛延1(7.12)戊辰1748.07.12

吉原年表寛延1(7.12)戊辰1748.07.12

吉原年表寛延2 己巳1749

吉原年表寛延2 己巳1749

吉原年表寛延2

1749-1979燕石十種5-111

吉原年表寛延3 庚午1750

吉原年表寛延3 庚午1750

吉原年表寶暦1(10.27)辛未1751

吉原年表寶暦1(10.27) 辛未1751

吉原年表 寶暦1(10.27)辛未 1751

1912無聲/武江年表110 ○吉原に女藝者といふもの今年より始る(割書)扇屋の歌仙といへるもの始なり、夫より追々に出来たりしよし、「後は昔物語」に出たり。

吉原年表寶暦2 壬申1752

吉原年表寶暦2 壬申1752

吉原年表寶暦3 癸酉1753

吉原年表寶暦3 癸酉1753

吉原年表寶暦4 甲戌1754

吉原年表寶暦4 甲戌1754

吉原年表寶暦5 乙亥1755

吉原年表寶暦5 乙亥1755

吉原年表寶暦6 丙子1756

吉原年表寶暦6 丙子1756

吉原年表 寶暦6 丙子 1756

1912無聲/武江年表114 ○本郷新町家,此頃迄圃にして、萌しものと唱へたる菜蔬を專らに作りたりしが、町屋に改り、後には料理茶屋を出し,女を抱へて酌を取らせける,世人,大根畠とよびならはせり。

吉原年表寶暦7 丁丑1757

吉原年表寶暦7 丁丑1757

吉原年表寶暦8 戊寅1758

吉原年表寶暦8 戊寅1758

吉原年表寶暦9 己卯1759

吉原年表寶暦9 己卯1759

吉原年表寶暦10 庚申1760

吉原年表寶暦10 庚辰1760

吉原年表寶暦11 辛巳1761

吉原年表寶暦12(7.24)壬午1762

吉原年表寶暦13 癸未1763

吉原年表 寶暦13 癸未 1763

1912無聲/武江年表121 ○芝三田(割書)俗稱三角(割書終)賤妓まつと云者,歌を詠(割書)ちりづかの塵にまじはる松蟲もこゑはすゞしきものと知らずや○筠庭云、三田のはきだめお松が事は,馬文耕が武野俗談に出たり,此女こゝろざしやしさいきものにて、よき人うけ出して伴ひぬといへり.

吉原年表明和1(6.2)甲申1764.06.02

吉原年表明和2 乙酉1765

吉原年表明和3 丙戌1766

吉原年表明和4 丁亥1767

吉原年表明和5 戊子1768

吉原年表明和6 己丑1769

吉原年表明和7 庚寅1770

吉原年表明和8 辛卯1771

吉原年表 安永1(11.16)壬辰 1772

1912無聲/武江年表135 ○四月,四谷内藤新宿驛舎再興御免あり,甲州道中人馬継立の所となりて繁昌せり,筠庭云う、内藤新宿の事,御免の仰下りしは、二月二十四日なり,四月十四日、新宿遊女町見世開なり,新宿は享保五年故あって癈せられたり,其事くだくだしければ言はず,夫れより五十三年を経て,明和九年願出るもの有て、又古来の通りハタゴヤ五十二軒,飯盛女百五十人出来たりとぞ。

吉原年表安永1(11.16)壬辰1772a

吉原年表安永2 癸巳1773

吉原年表安永3 甲午1774

吉原年表安永4 乙未1775

吉原年表安永5 丙申1776

吉原年表安永5 丙申1776

吉原年表安永6 丁酉1777

吉原年表安永7 戊戌1778

吉原年表安永8 己亥1779

吉原年表安永9 庚子1780

吉原年表天明1(4.2)辛丑 1781

吉原年表天明2 壬寅 1782

吉原年表天明3 癸卯 1783

吉原年表天明4 甲辰 1784

吉原年表天明5 乙巳 1785

吉原年表天明6 丙午 1786

吉原年表天明7 丁未 1787

吉原年表天明8 戊申 1788

吉原年表 天明8 戊申  1788

1912無聲/武江年表160 ○此時カゲマ屋 芳町,木挽町、湯島天神内,麹町ぬし町代地、神田花房町,芝神明前,市ケ谷八幡宮○勧進比丘尼 芝八官町,神田横大工町より出る、是い續て浅草田原町、同三角門前、新大橋河岸等なり○ケコロといへり茶屋女 下谷廣小路、御数寄屋町、同提灯店,佛店,廣徳寺前、堀田原邊,其外諸所にありしが寛政以来これなし。

吉原年表寛政1(1.25)己酉1789

吉原年表寛政2 庚戌1790

吉原年表寛政-天保1790s-1830s1979燕石十種5-317

吉原年表寛政3 辛亥1791

吉原年表寛政4 壬子1792

吉原年表寛政5 癸丑1793

吉原年表寛政6 甲寅1794

吉原年表寛政7 乙卯1795

吉原年表寛政8 丙辰1796

吉原年表寛政9 丁巳1797

吉原年表寛政10 戊午1798

吉原年表寛政11 己未1799

吉原年表寛政12 庚申1800

吉原年表享和1(2.5)辛酉 1801

吉原年表享和2 壬戌 1802

吉原年表享和3 癸亥 1803

吉原年表文化1(2.11)甲子 1804

吉原年表文化2 乙丑 1805

吉原年表文化3 丙寅 1806

吉原年表文化4 丁卯 1807

吉原年表文化5 戊辰1808

吉原年表文化6 己巳1809

吉原年表文化7 庚午1810

吉原年表文化8 辛未1811

吉原年表文化9 壬申1812

吉原年表文化10 癸酉1813

吉原年表文化11 甲戌1814

吉原年表文化12 乙亥1815

吉原年表文化13 丙子1816

吉原年表文化14 丁丑1817

吉原年表文政1(4.22)戊寅1818

吉原年表文政2 己卯1819

吉原年表文政3 庚辰1820

吉原年表文政3 庚辰1820

吉原年表文政4 辛巳1821

吉原年表 文政4 辛巳 1821

1912無聲/武江年表212 ○(筠補)此頃の事とかや、大橋邊に依田某といふ幕府の士あり,其召遣の中間,近所なるあたけといふ所の切みせにて口論し,其所の者の爲めに一人うち殺されたり,其事内済せずして、遂に此切見世取拂となる。

吉原年表文政5 壬午1822

吉原年表文政6 癸未1823

吉原年表文政7 甲申1824

吉原年表文政8 乙酉1825

吉原年表文政9 丙戌1826

吉原年表文政10 丁亥1827

吉原年表文政11 戊子1828

吉原年表文政12 己丑1829

吉原年表天保1(12.10)庚寅1830

吉原年表天保2 辛卯1831

吉原年表天保3 壬辰1832

吉原年表天保4 癸巳1833

吉原年表天保5 甲午1834

吉原年表天保6 乙未1835

吉原年表天保7 丙申1836

吉原年表天保8 丁酉1837

吉原年表天保9 戊戌1838

吉原年表天保10 己亥1839

吉原年表天保11 庚子1840

吉原年表天保12 辛丑1841

吉原年表天保13 壬寅1842

吉原年表 天保13 壬寅 1842

1912無聲/武江年表234 ○三月十八日、官符より命ぜられて,江戸端々の料理茶屋二十餘箇所取拂、酌取女は吉原町へ入る(割書)八月迄次第に引拂ひ,吉原へ一家引移りて娼家となれるもあり,所謂二十ヶ所餘の柏戸は△深川仲町(割書)仲町と稱すれども山本町なり△新地(割書)つきだし新地△古石場(割書)越中島町(割書終)新石場(割書)同所續定浚やしき(割書終)裾繼(割書)山本町横通り(割書終)櫓下(割書)山本町通の方也(割書終)網打塲(割書)松村町(割書終)あひる(割書)又海といふ、本名佃町也あひるといふ事は、昔房州畦韮郡の船頭この所へ移る、 帆洗ひ女といへる名目にて賣女始といふ△本所辨天(割書)八郎兵衛やしきをいふ(割書終)松井町おたび(割書)深川八幡宮旅所門前也(割書終)吉岡町、吉田町,鐘撞堂(割書)入江町△浅草堂前(割書)龍光寺門前△三田三角(割書)壽命院上り屋敷△麻布市兵衛町(割書)麻布宮村町、薮下といへるはこれより前に癈れたり△市谷じく谷(割書)谷町△根津門前△谷中いろは茶や(割書)天王寺門前也△音羽町△鮫ケ橋△赤坂麥めし(割書)田町也、遊女の事を昔よりよねといふ,よねの劣りたるをいふ意にてなづけしにやあらんいぶかし。

吉原年表天保14 癸卯1843

吉原年表弘化1(12.2)甲辰1844

吉原年表 弘化2 乙巳 1845

1912無聲/武江年表241 ○(筠庭)吉原燈籠、近年珍敷趣向,藝州宮島回廊出来たり。

吉原年表弘化3 丙午1846

吉原年表弘化4 丁未1847

吉原年表嘉永1(2.28)戊申1848

吉原年表嘉永2 己酉1849

吉原年表嘉永3 庚戌1850

吉原年表嘉永4 辛亥1851

吉原年表 嘉永4 辛亥 1851

1912無聲/武江年表255 ○三月,吉原角町萬字屋茂吉、江戸中へ遊女大安賣の報帖を配る(割書)これにならひし家二軒あり。

吉原年表嘉永5 壬子1852

吉原年表嘉永6 癸丑1853

吉原年表 嘉永6 癸丑 1853

1912無聲/武江年表262 ○(無補)三月十五日、本所にて夜鷹四十餘人召捕られ入牢,是時市中の女髪結も召捕へられしといふ.

吉原年表安政1(11.27)甲寅 1854

吉原年表 安政1(11.27)甲寅  1854

1912無聲/武江年表269 ○夏より新吉原江戸町一丁目大黒屋文四郎が娼樓にて、遊女をして伊勢音頭の踊を始む,程なく止。

吉原年表安政2 乙卯1855

吉原年表安政4 丁巳1857

吉原年表安政5 戊午1858

吉原年表 安政5 戊午 1858

1912無聲/武江年表290 ○吉原仲之町往還へ花菖蒲を栽る(割書)花あやめうつしうゝれば里なれてゆるしの色の紐やとくらむ 六朶園。

吉原年表安政6 己未1859

吉原年表文久1(02-19)辛酉1861

吉原年表 文久1(02-19)辛酉 1861

1912無聲/武江年表306 ○(無補)是月,神田邊に於て、地獄と呼べる淫賣女數百人召捕へられ入牢。

吉原年表文久2 壬戌1862

吉原年表文久3 癸亥1863

吉原年表元治1(02.20)甲子1864.02.20

吉原年表慶應1(04.08)乙丑1865

吉原年表慶應2 丙寅1866

吉原年表慶應3 丁卯1867

吉原年表 慶應3 丁卯 1867

1912無聲/武江年表334 ○十二月十三日、歩兵の輩、吉原町に於て喧嘩に及び、十二月十四日多勢ここに集まり来り、銃砲を放ち家屋を鉤□する事甚し、廓中の男女周章恐懼して他所へ連れたりしが、官吏来り漸くに鎮られたり。

吉原年表明治1(09.08)戊辰1868

吉原年表明治2 己巳1869

吉原年表明治3 庚午1870

吉原年表明治4 辛未1871

吉原年表明治5 壬申1872

吉原年表明治9.0618731984随筆百花苑12-227

吉原年表明治7 甲戌1874

吉原年表明治9 丙子1876

吉原年表明治10 丁丑1877

吉原年表明治12 己卯1879

吉原年表明治13 庚辰1880

吉原年表明治14 辛巳1881

吉原年表明治15 壬午1882

吉原年表明治16 癸未1883

吉原年表明治17 甲申1884

吉原年表明治18 乙酉1885

吉原年表明治19 丙戌1886

吉原年表明治20 丁亥1887

吉原年表明治21 戊子1888

吉原年表明治21 戊子1888

吉原年表明治22 己丑1889

吉原年表明治23 庚寅1890

吉原年表明治25 壬辰1892

吉原年表明治26 癸巳1893

吉原年表明治27 甲午1894

吉原年表明治28 乙未1895

吉原年表 明治28 1895

1959桜川忠七/たいこもち267 娼妓揚代、定価20銭、25銭、30銭,35銭,40銭,50銭,60銭,90銭、1円20銭の9段階。 引き手茶屋は97軒。貸座敷は大見世6軒,中見世2軒,小見世151軒,合計160軒。 娼妓の數は、合計2782人。大見世の大文字楼18名、万華楼17名,品川楼30名,稲本22名,角海老26名、野村楼15名,中米楼37名、中見世の宝来楼22名,相泉楼14名,あとは小見世の2564名。 幇間は桜川善孝,松廼屋露八ほか19名。 芸妓は一等46名,二等55名,三等49名で合計150名。 売春禁止令前、貸座敷264軒。一年後、旅館に転向99軒、貸間業40軒,バ−14軒、残り110軒は何もやっていない。

吉原年表明治29 丙申1896

吉原年表明治31 戊戌1898

吉原年表明治32 己亥1899

吉原年表明治33 庚子1900

吉原年表明治34 辛丑1901

吉原年表明治35 壬寅1902

吉原年表明治36 癸卯1903

吉原年表明治37 甲辰1904

吉原年表明治38 己巳1905

吉原年表明治39 丙午1906

吉原年表明治40 丁未1907

吉原年表明治41 戊申1908

吉原年表明治42 己酉1909

吉原年表明治43 庚戌1910

吉原年表明治44 辛亥1911

吉原年表大正1 壬子(07.30)1912

吉原年表大正2 癸丑1913

吉原年表大正3 甲寅1914

吉原年表大正4 乙卯1915

吉原年表大正5 丙辰1916

吉原年表大正6 丁巳1917

吉原年表大正7 戊午1918

吉原年表大正8 己未1919

吉原年表大正9 庚申1920

吉原年表大正10 辛酉1921

吉原年表大正11 壬戌1922

吉原年表大正12 癸亥1923

吉原年表大正13 甲子1924

吉原年表大正14 乙丑1925

吉原年表昭和1 丙寅(12.25)1926



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