浮世絵学04/外題(富嶽百景1.2.3)富嶽嶽百景* デジタル *影印で全頁掲載 1835、1836、1849前北齋爲一(ゐいつ)筆 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) http://www.ukiyo-e.co.jp/19978
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1982-04-29現在(2022-10-15更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) Copy and Handmade reproduction 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,213項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
 
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前北齋(さきのほくさゐ)爲一(ゐいつ)は、

1830-1833(天保2-天保5)(4年間で)、「冨嶽三十六景」(一枚絵、全46)を完成した。江戸・永壽堂より刊行。その直後、

1835(天保6)、1836(天保7)、1849(嘉永2)、「富嶽百景」(半紙本の挿絵、3冊)を編集し、名古屋・永楽堂より刊行した。一枚絵の冨嶽三十六景を補充するもので、面白い構図が見受けられる。

*なお、「冨嶽三十六景」の「冨」嶽は、ワ冠。「富嶽百景」の「富」は、ウ冠の表記。   ***

これまで富嶽百景の全画像を掲載していなかった。ほぼ初摺に近い本書を掲載した。 各編の序文、跋なども全文を掲載する。また天保四年 書名不明であるが、富嶽百景の広告文も末尾に掲載する。 1860s-1890sフランス、ドイツ・オーストリア、イギリス、アメリカなど多くの藝術家が、北齋を頂点とした浮世絵、殊に挿絵を衝撃として捕らえたことが分かる。非宗教画、非貴族王族、つまり庶民の絵画、人物、動物、植物など森羅万象を描いた、これが浮世絵であった。

◯しばしば、浮世絵(一枚絵)が西欧に輸出された陶磁器の包み紙に使われたとあるのは誤りである。西欧の博物館、美術館で、そのような包み紙を見たことがない。陶磁器のパッキングに使われた材料は、墨一色の版本また草双紙であった。一枚絵の浮世絵は、パッキングに使われていない。草双紙また合巻(ごうかん)などであった。雑誌がパッキングに使われたのと同義である。地厚の奉書、つまり楮(こうぞ)の浮世絵では有り得ない。

◯富嶽百景/初編(1835)、二編(1836)、三編(1849)

・三編全部、江川仙太郎の彫である。三編/廿五ウラに「江川仙太郎刻」とある。

・なお、この版本は、ほぼ初版と称して良く、充分、爲一(ゐいつ)落款の醍醐味を堪能することが出来る。

・彫、摺が念入りに施され、立体感が表現されている。

・絵師と同様、絵師以上に彫師の力量が試されている。

・爲一落款の富嶽百景は、あらゆる絵本の代表作と云えるかも知れない。

・狂歌絵本に匹敵する繊細な彫である。

・西欧の藝術家が、挙って本書から暗示を受けて、彫刻、建築、絵画、工芸などに応用しているのも頷ける。

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◯富嶽百景  1 2 3

1/初編  http://www.ukiyo-e.co.jp/19978 *1835(天保6) 題簽「違い鷹の羽(たかのは)」

2/二編  http://www.ukiyo-e.co.jp/19978 *1836(天保7) 題簽「違い鷹の羽(たかのは)」

3/三編  http://www.ukiyo-e.co.jp/19978 *三編は最晩年、1849(嘉永2)に刊行 –

(雁註)跋文「己六才…」は、初編、二編にあり。初編にも「己六才…」があるので驚いた。

⚪1986鈴木重三/富嶽百景 解説は従来の著者の誤認を訂正した最も首肯すべき解釈である。

 ぜひ、参照してください。

1986鈴木重三/富嶽百景_17項目

1835富嶽百景1(初編) 1834天保5

            (雁註)初版の表紙、「鷹の羽」(たかのは)の題簽。「富嶽百景」  

以下、下記を参照。

1972(昭和47)鈴木重三/富嶽百景*、岩崎美術社  *原寸複製

1986(昭和61)鈴木重三/富嶽百景、岩崎美術社  

1)初摺本  初編跋 己六才より…   初編の紙袋 *1931(昭和6)小島烏水/江戸末期の浮世絵

2)再摺本  表紙を替えている          

3)後版本  丹表紙

4)後版本 色板を変更

5)後版本 a  黄色表紙 b 黒表紙本 c 淡黄表紙 

 

1序           

(雁註)[初版]の扉、「丹青之妙」(朱印)、富嶽百景、成鄰堂[發兌之印]

(雁註)[後版]の扉は「東壁堂製本畫譜目録」。後代の版本が刻記されている。

(雁註)序と本文の丁数は別々、扉の裏に東壁堂製本畫譜目録がある。  

 

(初編、種彦の序文)

契沖が富士百首は突兀として顕れ、

東潮が不二百句は綵雲にかくれて見えず。

今、新に百嶽を圖するハ前北齋(さきのほくさゐ)翁也。此山や

独立して衆峯の□を出つ。翁の畫も又独立

して其名高き事一千五百丈に過なむ。

畫帖、諸國にわたり□藏する者、最多し。豈

十五州の壮観而已ならむや。不二の十名を秘藏抄

に載たり。先生、屢々、名を改む。かぞへなば、十名にも満へし。

それかれ因あれバにや。此の岳を愛すること

年あり、近く田子の浦に見あげ三保ヶ崎に

(雁註)初版の木花開耶姫命、着物は薄墨。本書は濃墨で、後版である。枠と墨摺面にズレがある、

望む。隈なき月盛なる花のここちし天風情

薄とてか、遠く富士見原に杖をひき、汐見坂に

駕をとどめ、柳の絲に…透し稲葉の戦き

に高根を仰ぎ、逆浪巌の砕くの大洋、白雲を谷に

埋る羊腸嶮岨に上り危に下り眞原を寫され

たれば、翁の精神、此巻に止り端山しけ山

世にしけき 畫本の峯□突兀と出む事、

阿闍梨の百首に劣らめやと

天保甲午緑秀             柳亭種彦敬白(印)

座齋盛義 書(印)

1.二  

(雁註)枠線と墨摺面のズレがあり、後版。

1.三  

1.四  

1.五  

1.六    

1.七  

1.八  

1.九  

1.十  

1.十一  

1.十二  

1.十三  

1.十四  

1.十五  

1.十六    

  1.十七  

1.十八  

1.十九  (雁註)名古屋城の金の鯱を思わせるが、これは江戸である。  

  1.二十         (雁註)北齋漫画、富嶽百景ほか、多くの絵手本から肉筆偽筆が作られている。この橋だけの肉筆も散見している。 その肉筆が何年何月に展覧、また掲載されたかの経歴(プロブナンス)が重要である。新しいものは、偽筆と見て間違いない。   1.廿一   1.廿二  

1.廿三  

1.廿四 (雁註)櫻が満開である。やはり、墨一色でなく、錦絵のような鮮やかさが欲しい。  

1.廿五

1.廿五ウ             

(雁註)俵を富士山のように積み上げた構図、その間に富士を配置している。  

(初編跋) 七十五齢 前北齋爲一改 画狂老人卍筆[印(富士山)]

己六才より物の形状を写の癖ありて 半百の比より数々画図を顕すといへども 七十年前画く所は実に

取に足ものなす七十三才にして 稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり 故に八十才にして益々進ミ

九十才にして猶其奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん歟 百有十歳にしてハ一点一格にして生るがごとく

ならん 願くハ長壽の君子 予が言の妄ならざるを見たまふべし。 

剞■(厥+立刀)                       江川留吉 

富嶽百景 初編既行 二編 近刻 三編 同

異草百花撰             近刻 

        狂画草筆百眼             同

        名橋百景              近刻

        百家奇術              同

        百壽百福              同    

跋ウラ)

               漁家百景          近刻 

               月下百景          同

               農家百景          同

               圓方長短・一百自在圖會   近刻

               百馬百牛          同

               百禽百獣          同

天保六乙未年春三月發行

書林             尾州名古屋 永樂屋東四郎

               江戸麹町四丁目 角丸屋甚助

               仝馬喰町二丁目 西村與八  

               同       西村祐藏 

(雁註)本書は後摺本で、跋(オモテ、ウラ)を欠く。

 

  ◯1836富嶽百景2(二編1835天保6

(雁註)初版の表紙裏 「丹青之妙」「富嶽百景二編」「成鄰堂[發兌之印]」

(雁註)初版の題簽「違い鷹の羽(は)」

 

2.序

(二編表紙ウラ)後版は「東壁堂製本畫譜目録」となっている。

(雁註)初版は扉がある。本書は扉が無い。

「丹青之妙」「富嶽百景 二編」「成鄰堂(發兌之印)

富士之爲山也 其形若削玉其色若

磨銀無前無後不峙 不傾八面玲

瓏如芙蓉之出水 而高跨衆嶽之

嶺 是其所以冠天下也 若夫紅暾

映而 皎潔夕陽落 而蒼翠朝暮

變 其色遠近異 其望賦於春烟

秋風雲霞明滅 則其景百變矣

北齋翁甞図百景 其精工真遍

百變之妙 観此畫可見矣

 

天保六乙未正月       

            廬山孝

               [守静庵] [里井] 

2.一  

(雁註)二編序文 「七十六齢」(柱刻「富嶽百景 初編)

 天保六乙未年春三月發行

2.二  

2.三  (雁註)手前に樹木などを配置して、その奥に景色を描く。これは爲一(ゐいつ)の常套手段。  

2.四    

2.五    (雁註)これは冨嶽三十六景の山下白雨を思わせる構図である。  

2.六  

2.七  

2.八  

2.九  

2.十          (雁註)団扇絵に、似たような構図がある。  

2.十一    

2.十二    

      2.十三    

2.十四    

2.十五  

2.十六    

2.十七   

2.十八    

2.十九      (雁註)面白い構図である。これほど危険な作業はない。

    2.二十    

2.廿一  

2.廿二         (雁註)墨一色であるが、薄墨により、雪の質感を上手く捕らえている。  

2.廿三          (雁註)この人物は、柿本人麿であろうか。

    2.廿四  

2.廿五    

  2.廿五ウ

(初版)二編、跋がある。

己六才より物の形状を写の癖ありて、半百の比より数々画図を顕すといへども、七十年前、画く所は実に取に足ものなし。

七十三才にして、稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり。故に八十六才にしては益々進み、九十才にして猶、

其應意を極め、一百歳にして正に神妙ならん□。百有十歳にしてゃ、一点一格にして生るがごとくならん。願くは、

長壽の君子、予が言の妄ならざるを見たまふべし。画狂老人卍述。

(雁註)後表紙見返、藍摺、竹幹模様の枠

はねこみ薄彩色 初編

 柳草筆   二編

 人物鈍筆  三編

   前北齋爲一改

       画狂人卍筆

 

 

   ◯1849富嶽百景(三編) *序文に翁九十歳云々

(雁註)初版でも、三編の題簽「鷹の羽」は無し。

 

3.序一

(雁註)表紙ウラ 尾張東壁堂藏板画譜畫手本目録

福善齋画譜

金氏画譜

一筆画譜

英勇画譜

浮世画譜

同 弐編

北齋画譜

同 中編

同 下編

(二段目)

文鳳麁画

蕙齋麁画

同 弐編

同 三編

同 四編

同 五編

神事行燈

同 弐編

北齋女今川

(三段目)

武勇魁図會

同 弐編

光琳漫画

北溪漫画

北雲漫画

北齋漫画

繪本庭訓

同 中編

同 下編

 

(三編序文) 小笠序 天保六(1835)七寶山下老人小笠

君錫子の百富士は畫の正なるものなり。北齋翁の富嶽百景ハ、畫の奇なる者なり。翁、雄健之筆を以て、

一富峯をよく楮墨の間に鼓舞す。八面向背、寫し得て、きはめて妙絶なり。聞、翁の齢、今九十を□て視聴、

なほ少年に比すと。豈嘗て仙旦を此名山に求得たる□。三篇刻成に及て、東壁主人五蝶子、序を予に需、一閲三歎して之を記。

(雁註)七寶山下老人小笠、何者か分からない。翁は九十歳とある。

3.一    

3.二  

3.三    

3.四    

3.五    

3.六     

3.七      

3.八      

3.九         

      3.十      

3.十一      

3.十二      

3.十三      

3.十四      

3.十五      

3.十六    

3.十七      

3.十八      

3.十九    

3.二十      

3.廿一        

    3.廿二         (雁註)丸い顔、これは北齋の自画像である。三十六景を初め、あちこちの版本に出て来る。北齋74、75、76歳の肖像画。  

3.廿三  

3.廿四         (雁註)岩窟など、刳り貫いた構図から遠近を強調する手法。これは爲一(ゐいつ)の常套手段。 近代彫刻なども、この手法を取り入れている。  

3.廿五      

3.廿五ウ      

大尾 一筆の不「二」 *何故か、「二」が欠けている。

ノド(版本の内側)「江川仙太郎刻」とある。彫師の名人である。

富嶽百景の広告

富嶽百景 前北齋爲一老翁筆(割書)来午(天保五年)二月、賣出し申候。

前北齋爲一翁、嘗て畫本若干巻を著し、四方に行はるる事盛也と□も、其印行する所、一鱗一爪にして意に協ハず、

常に是を憾す。此編ハ、翁、諸州を遊歴せる比、普く勝概を探り佳景を索め、山川原野閭巷僻陋幽邃の地といへども、

遺漏なく其眞趣を模写し、筺筒に秘藏する縮圖なり。翁、僕に語りて、我眞面目の畫訣、この譜に尽せりと。愛玩して措ず。

僕、展覧するに些々たる片楮の中、千万萬水の妙境を収め丹青の奇絶、所謂、全龍の顕然たる者也。

故に切に切に乞得て上梓し、世に公にせんと欲す。誠に稀世の珍書というべし。文人墨客、幸ひに閲し給はば、

畫學の益あるのみにあらず、駕を枉(まげ)ずして直に山水に對するが如く、臥遊の清興一樂事ならずや。

雲顧の 君子必座右に備へ給ハん事を冀(こいねが)ふ而已         板元敬白

 

富嶽百景以前の北齋漫画、下記でご覧になれます。

http://www.ukiyo-e.co.jp/31956       無版元   北齋漫画N01…N10と表記する

http://www.ukiyo-e.co.jp/21976       吉川弘文館 東壁堂 北齋漫画Y01…Y15 と表記

何か御気付きの点がございましたら、御連絡ください。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂  http://www.ukiyo-e.co.jp [浮世絵学]文化藝術懇話会  浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14 電話03-3591-4678 

 



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