浮世絵学02/年号 九州年号 酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂主人 http://www.ukiyo-e.co.jp/26571
ホーム > 浮世絵学02/年号 九州年号 酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂主人 http://www.ukiyo-e.co.jp/26571

浮世絵学02/年号 九州年号 酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂主人 http://www.ukiyo-e.co.jp/26571

1982-05-25現在(2018-09-25更新) 浮世絵学 検索  http://www.ukiyo-e.co.jp/26575

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂   

文化藝術懇話会    浮世絵鑑定家


*古田武彦 論文、著書を御確認ください。 http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosak40/zisyokai.html http://www.furutasigaku.jp/ *奈良王朝以前(645大化、タイクワ)に、既存の九州王朝の年号があった。 662年(朝鮮、白村江)以降、奈良王朝は、九州王朝を簒奪し、年号の「大いなる和(倭)(クワ)」を原音に合わせ、大化(たいか、大和)と称した。 いわゆる大化改新であるが、最近では大化を示す木簡ほか、考古資料がなく、疑念が持たれている。 和(魏は倭と宛て字)、「ワ」ではなく当時の発音は「クワ」か。九州王朝の大和は、大いなる和(倭)の意である。 これ以前に、九州王朝では年号が定められている。諸書により、年号、継続年数なども違っているが、奈良王朝でも使っている。  

◇九州年号、九州王朝について

1)57志賀島(しかのしま)金印 *漢委奴國王 いどのこくおう 1784(天明4)上田秋成は、この金印が発見された当時、これが漢印の篆書で、地名委奴(伊都)の解析により、真印(漢委奴國王)であることを書き記している。 *博多湾の残(のこん)の島、これが古事記のオノコロ島。ただし、後代の卑弥呼については無論、言及がない。200年ほど経て、伊都国の背後、背振山連峰の南に強大な邪馬壹国(紹煕本)が擡頭してくる。 参照 http://www.ukiyo-e.co.jp/21593  

2)280-297陳壽(233-297)/魏志東夷倭人傳  *卑弥呼の時代 *親魏倭王の金印は発見されていない。

・投馬 これは殺馬(さつま)の文字「殺」を「投」と誤認、誤記したものであろうか。方角から考えて、北方ではない。南方でなければならない。

・巻30 烏丸 鮮卑 東夷傳/烏丸 鮮卑 夫餘 高句麗 東沃沮 婁  韓 

 倭は魏志の最後尾、巻30。その最後にある。

・倭まで12,000里、朝鮮半島は方4,000里と書かれている。 これは朝鮮の南から、あと残り4,000里。つまり北九州になる。この事実を最初に気が付いたのは古田武彦氏である。 これは卓見である。この当時、奈良王朝などは存在しない。 ・奴(ぬ、ど)の音は、「な」に近い音であろうか。すると、那(な)の津、ということになる。 ・好古都、古代朝鮮語また中国音に詳しい人は、「はかた」と発音していた。一字、一音であるから、かなり当時の音韻に忠実である。那の津、博多(はかた)、ともに、同じ地域である。 (古田)、持統天皇が9年間に吉野へ13回も出掛けている。つまり、九州王朝の吉野ヶ里の吉野を意味している。ここは、南の海から敵が攻めてくるのを見張る、軍事的基地であった。だから十九回も出掛けている。これを無理矢理、奈良王朝に盗用したため、辻褄が会わなくなっている。馬の専門家が、奈良と吉野山間では距離的に無理と指摘している。 (古田)、福岡の高祖山(たかすやま)が、聖なる地域であり、宮崎県の高千穂ではない。 *http://www.ukiyo-e.co.jp/3009   3)倭の五王 これは奈良王朝ではなく、すべて九州王朝。  

4)596伊予道後湯岡碑(いよどうごとうこうひ)

* 法興六年十月、歳在丙辰、我法王大王与恵慈法師 596 *法興という年号は書紀には無い。

 

5)1318二中歴  *1444-1448(最終成立)

*http://www.ukiyo-e.co.jp/1155 *古田説、この暦法の書き方は、中国崇拝、つまり中国人が書いたか。  

6)1401聖冏(しょうげい)(13411420)/麗気記私抄(れいきき ししょう)

 

7)1471申   叔舟(1417-1475)/海東諸国記

    *1471申 叔舟(-1471-)/海東諸國記(岩波文庫)(朝鮮資料叢刊) 海東は朝鮮から見た日本のこと。645大化以前に年号があったことを記録している。 九州がもっとも詳しく記されている。年号があるということは王朝があったことを意味する。 岩戸山古墳−古墳で唯一、埋葬者が判明しているもの−磐井君(528a.d.)。 592(崇峻)以前、奈良に王朝はなかった。 593(推古)以後、白村江(663)で奈良王朝が実権を掌握。崇神、応神、継体は奈良王朝よりも古い王朝で、奈良とは全く関係がなかった。 つまり、ある地域を統括する支配者(王朝)が彼方此方、多元的に存在していた。 *璽至(応神)、善化、正和、常色、教倒(継体)、僧聴(宣化)、明要、貴楽、法靖、兄弟…(欽明)、法興(崇峻)、貴楽(推古)、聖徳(舒明)、僧要、白鳳(大化5)、白雉(白雉3)、中元(662)、朱鳥(672)、大化(686)、大和(690)。 *古田説、奈良王朝は九州王朝の禁書、一書を盗用して、日本書紀に竄入させている。白雉、朱鳥などの年号、飛び飛びであり、これは不可解。 *継体は応神の五世の孫と称しているが、大阪府高槻市の今城塚(いましろつか)古墳内部の壁面、これは幾何学模様で、日本のものではない(上條耿之介説)。 つまり大陸から侵入した強大な勢力。 *(33)推古天皇(554-628)(75)以前は、周以来の倍歴を採用していた。(1)神武(127歳は63歳ほど)、(10)崇神(119歳は60歳ほど)、(15)応神(111歳は55歳ほど)、(16)仁徳(143歳は71歳ほど)。 *(1)神武、(10)崇神、二人とも幼名はハツクニシラス、最初に國に作った意。つまり(10)崇神が最初で、これ以前は捏造した。(学生時代、国史の先生の話) *http://www.ukiyo-e.co.jp/4907

8)1570c如是院年代記  群書類従460 *ポルトガル宣教師も、大日本文典で引用している。

9)1798高安蘆屋/和漢年契

10)1820鶴峯 戊申(つるみね しげのぶ)(1788-1859) 1888襲国偽僣考 活字

鶴峯は、九州年号が熊襲によって偽僣されたと考えた。これらの年号は、熊襲でなく、佐賀の吉野ヶ里、岩戸山の王朝が使っていた。

11)1830茅原定/茅窓満録 

*これらの仮設を構築し、精密な解析を行い、古田武彦氏(1026-2015)は下記の三部作を執筆した。 1 1971邪馬台国はかった(解読された倭人傳の謎) 朝日新聞社 2 1973失われた九州王朝(天皇家以前の古代史) 朝日新聞社 3 1975盗まれた神話(記・紀の秘密)      朝日新聞社 これまでの妙な日本史、天孫降臨の皇国史観とは全く違う、コペルニクス的展開の歴史科学であった。

何か御気付きの点があれば御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator 

浮世絵・酒井好古堂 浮世絵鑑定家 [浮世絵学] 検索 http://www.ukiyo-e.co.jp/  

SAKAI_gankow,  curator,  professional adviser of ukiyo-e

文化藝術懇話会 

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14

電話03-3591-4678 Fax03-3591-4678



アーカイブ

コレクション

新着情報・新着コレクション