浮世絵学04/外題(支那學・法隆寺金堂薬師如来像光背銘 釈迦三尊光背銘・)九州王朝 酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂  http://www.ukiyo-e.co.jp/27382 
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1982-04-29現在(2023-01-03更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/88211

 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,239項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
 

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◯浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会)支那學・研究一覧(邪馬台国、帰結)三國志(魏志)と隋書 古田武彦 九州王朝* 帰結、ずばり九州(阿蘇山と書かれている)(古田武彦/九州王朝*)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/37595

◎九州王朝の提唱者、古田武彦先生の論文、著書を直接、熟読ください。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosak40/zisyokai.html

古田武彦 http://www.furutasigaku.jp/

◎607*(丁卯)法隆寺金堂薬師如来像光背銘

*作風から、680s−690s後代の新しい像 (雁註)刻字(丁卯)と鋳造は別。推古朝のものではない。と云われても、分かり難い。後代に、古い推古朝の干支、丁卯を刻字したということか。

 

像高63.8cm

池邊大宮治天下天皇[14]。大御身。勞賜時。歳 次丙午[15]。召於大王天皇[16]與太子[17]而誓願賜我大 御病太平欲坐故。将造寺[18]薬師像作仕奉詔。然 當時。崩賜造不堪。小治田大宮治天下大王天 皇[19]及東宮聖王[20]。大命受賜而歳次丁卯[21]仕奉

 

607丁卯年は推古天皇15年(607年)(矢島恭介)

釈迦三尊像(推古天皇31年 = 623年)より遅れるものとみなされている(#造像・刻字の年代を参照)

 

1979年、奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所)は『飛鳥・白鳳の在銘金銅仏』を刊行し、その中で、「薬師如来像は金銅製であるが、その金鍍金が刻字の内に及んでいないことから、鋳造と刻字は同時ではなく、鍍金後の刻字であることが判別された。(趣意)」[41]と発表した。これを受けて沖森卓也は、「(本銘文は)推古朝の製作とは判断できないものであることが明らかになった。」[41]と述べている。

以上のことから、薬師如来像の造像・刻字の年代は7世紀後半、つまり法隆寺の再建時に新たに造像され、その後、追刻されたとの説が有力である。また、大山誠一は本銘文の成立時期を、上限が持統朝、下限は天平19年(747年)としている(1996年)。上限の根拠は持統朝が初めて天皇号を採用したこと、下限は『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747年成立)に薬師如来像の記録

◎623釈迦三尊光背銘 銘文の四六駢儷文

司馬鞍首止利仏師作

像高87.5cm

法興元丗一年歳次辛巳十二月、鬼 前太后崩。明年正月廿二日、上宮法 皇枕病弗悆。干食王后仍以労疾、並 著於床。時王后王子等、及與諸臣、深 懐愁毒、共相發願。仰依三寳、當造釋 像、尺寸王身。蒙此願力、轉病延壽、安 住世間。若是定業、以背世者、往登浄 土、早昇妙果。二月廿一日癸酉、王后 即世。翌日法皇登遐。癸未年三月中、 如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴 具竟。乗斯微福、信道知識、現在安隠、 出生入死、随奉三主、紹隆三寳、遂共 彼岸、普遍六道、法界含識、得脱苦縁、 同趣菩提。使司馬鞍首止利佛師造。

法興元丗一年 *法興年号は、九州王朝 

(雁註)元 卅一 年号が重複していて理解し難い

(雁註)確か、「法興」年号は朝鮮にあったが…

613癸酉

623癸未

推古天皇29年(621年)12月、聖徳太子の生母・穴穂部間人皇女が亡くなった。翌年正月、太子と太子の膳部菩岐々美郎女(膳夫人)がともに病気になったため、膳夫人・王子・諸臣は、太子等身の釈迦像の造像を発願し、病気平癒を願った。しかし、同年2月21日に膳夫人が、翌22日には太子が亡くなり、推古天皇31年(623年)に釈迦三尊像を仏師鞍作止利に造らせた。」

621.12 穴穂部間人皇女(聖徳太子の生母)亡くなる

622.01 聖徳太子、膳部菩岐々美郎女(太子の妃) 二人とも病気になる

622.02.21 膳夫人 亡くなる

622.02.22 太子 亡くなる

623 鞍作止利が命により、釈迦三尊を造る

(雁註)656隋書に、王の母、王、王の妃が亡くなったことが記録されている。このような重大な事件について、日本書紀は全く記録していない。つまり、隋書の記述は、九州王朝の状況を書いている。奈良王朝ではない。

(雁註)倭(九州王朝)と百済は親しく交誼を結んでいた。確か、法興の年号が百済だか朝鮮にあれば、この仏像も百済から舶載され、九州王朝の然るべき寺院に安置されていた。その後、奈良王朝が九州(小郡に宝物庫があった)を侵略、略奪をして、宝物を奈良へ運搬した。

何か御気付きの点があれば御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator 

浮世絵・酒井好古堂 浮世絵鑑定家 [浮世絵学] 検索 http://www.ukiyo-e.co.jp 

SAKAI_gankow,  curator,  professional adviser of ukiyo-e

文化藝術懇話会 

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14

電話03-3591-4678 



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