浮世絵学(文化藝術懇話会*)(63)古田武彦 古代史の十字路 万葉批判 九州王朝 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/35809
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文化藝術懇話会(63)
時: 2019-2-28(木)18.00-20.00
所: 淡路町ワテラス・レジデンス2011号(パーティR)
人: 古田武彦 古代史の十字路 万葉批判
・古田武彦(1926-2015)先生は、日本の古代史に疑問を持ち、実証的、科学的に分析を行ってきた。ネット上に活字になっているものも多く、誰でも御覧になれます。古書で、検索して、邪馬台国は無かった、失われた九州王朝、盗まれた神話、など是非、お読み下さい。今まで学校で習っていた古代史は、為政者が造作した虚偽の歴史ですね。

酒井雁高

浮世絵・酒井好古堂 http://www.ukiyo-e.co.jp
文化藝術懇話会 [浮世絵学]Mobile: 090-8171-7668
100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14
電話03-3591-4678 Fax03-3591-4678

これらを踏まえて、いよいよ万葉集を解明します。
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1988小野寛/新潮日本文学辞典
万葉集 20巻(巻一、巻二)*原万葉集(げんまんようしゅう)
成立:奈良時代後期、300年間にわたっている。万葉集の材料となった歌集があった。
(前期) 推古天皇の伝誦歌 記紀歌謡の引用、異伝 準備期間
第1期: 629-672舒明天皇から壬申の乱 *和歌生誕の時代
662:白村江の戦い(九州王朝)
701:大宝律令(奈良王朝)
第2期: 673-710(和銅三年)奈良遷都まで *柿本人麿 前期と後期の分水嶺
(後期)
第3期: 711-733 奈良遷都から733(天平5)*山部赤人、大伴旅人 山上憶良
第4期: 734-759(天平宝字3) *大伴家持
(天平16-17) 巻1-16:
(天平宝字3以降)巻17-20:大伴家持日記

最後の歌:759(天平宝字三年)
編纂者:数人の編集者、最後の編集者・大伴家持(やかもち)(718c-785)
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古田先生、悪戦苦闘の結果、いろいろな方々(生徒、一般の方々、研究会の人々)から教えられて、
実証的な見解、仮設を出しています。

真淵、宣長の解釈は、酷い非科学的な方法。
万葉集は、もともと誤認、誤写が多いから、原文改定をすれば良いと。
魏使倭人伝と同様(奈良の大和に結びつくよう、「南を東へ」)原文改定。

2001古田武彦/古代史の十字路 万葉批判 364ページの大著

文化藝術懇話会(63)

時: 2019-02-28(木)18.00-20.00

所: 淡路町ワテラス・レジデンス2011号(パーティR)

人: 古田武彦 九州王朝ほか

 

書名:古田武彦 古代史の十字路 万葉批判

(1971邪馬台国は無かった、1973失われた九州王朝、1975盗まれた神話など)

701奈良王朝以前に、57-700九州王朝があったと。

57-700年まで:九州王朝

701以降:奈良王朝(大宝律令)

 

2001古代史の十字路 万葉批判

第一章 疑いの扉「天の原」の歌 阿倍仲麻呂(698-770)作 717遣唐使

・万葉集も古事記、日本書紀と同じく、701以降(大宝律令)の奈良王朝から生み出された一連の文献。人(作者)、時、所。これらを其々、取り替えて、奈良王朝、天皇ほかの和歌としている。

万葉集も聖域ではない。

・天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 古今集9-406

294mの低い三笠山から月が出るとは言い難い

福岡県の春日市にある三笠山 かすがなる三笠やま(宝満山) 869m

前書き、後書きは、いったん保留する。そして、和歌そのものを感じ取る

 

第二章 失われた「籠(こ)もよ」の歌 (21)雄略天皇の御製?

籠(こ)もよ み籠持ち掘串もよ み掘串持ち この岳(をか)に菜摘ます児 家聞かな 告(の)らさね(巻1-1)

・告(原本)→吉(江戸時代の版本、宣長/玉の小琴)

・真淵/万葉考 万葉集は誤字が多い。意味の通じない箇所(写し間違い)を正すとの大義名分で、原文を勝手に改定

・(21)雄略天皇ではない。次の(34)舒明天皇まで十二代が欠落。

(22)(23)…(33)歌を作らなかった?

雄略天皇だけが作った? 変だ?

関連地名 京都府宮津市の籠(この)神社

 

第三章 豊後なる「天の香具山」の歌 (34)舒明天皇の御製? 場所飛鳥でなく別府

・大和には 群山あれど とりよろふ 天の香久山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ

海原は 鴎立ち立つ うまし国そ 蜻蛉(あきづ)島 大和(八間跡)の国は(巻1-2)

大和盆地で海が見えるか? 香具山の脇、埴安池は34m四方の池で、海ではない

大和の天香久山、低い山で、周囲の山に対して「とりよろって」いない。

大分(豊後)鶴見岳、1375m、別府市内に天間(あま)区。海人(あま)

「かぐ」は、「か」(神聖な)+「く」(奇(く)し) 鶴見岳の古名が「かぐ山」

869大爆発 山頂に三つの温泉地があった「火のかぐつちの命」

蜻嶋(あきづしま):安岐津島、国東(くにさき)半島、別府湾の北端部。

八間跡(はまと):浜跡。別府湾岸の右隅に浜脇温泉。この奥(山沿い)に「登り立て」字地名

 

第四章 いずこなる「春すぎて」の歌 (41)持統天皇御製

春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣乾したり 天香久山(巻1-28)

藤原宮か天香久山まで1km、 春が終わって夏が来た 驚き

天香久山 雨乞いの丘 小さな祠で、宮司や巫女の生活の場ではない

別府(大分)の鶴見岳 火男(ほお)社、火売(ひめ)社の二社がある 天(海人)の香具山

*山中に入って、初夏の到来を発見した名歌だったのではないか。

 

第五章 あやまれる「高山」の歌

香具*山は畝傍雄々しと 耳梨と 相争ひき 神代より 斯くあるらし 古昔(いにしへ)も

然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらあしき(巻1-14)

*原文は高山 仙覚、契沖,真淵らの万葉学者は低い香具山を高山にあててきた。

高山を「かぐ(香具)やま」と読めない

全万葉集中、「高」字の全20例すべて「たか」の訓。

*一部から、全部を類推すると、単なる確率となる

*全部の類例を検証(帰納する)れば、推論の正当率は100%

 

第六章 天国(あまくに)の「香具山」をさかのぼる

別府湾の鶴見岳、本来、火(ほ)の香具山

古事記の「大倭」、「おほやまと」でなく「おほちくし」。倭=委、志賀島の金印(委奴、いど)

盗まれた神話で触れることが出来なかった場所

1 高天原

2 天安河

3 天の香山 別府の鶴見岳(1374m) 火山、鉱山、爆発と飛散、三日三晩の噴火

・古事記そのものが、後代の手になる改竄(かいざん)

・万葉集の和歌(朔、ツイタチ)は、古事記に別の形(月経)で転用されている。月経は誤り。

・古事記の神話世界は対馬海流と別府湾の近辺

 

第七章 太宰府の「中皇命」の歌 なかつ すめら みこと

・倭、「やまと」でなく、本来「ちくし」

大國主神、胸形(むなかた)の興津宮…

出雲から筑紫へ、対馬海流を溯(さかのぼ)る他はない。

名太子為利歌弥多弗(カミタフ)利  福岡市箱崎に上塔(カミタフ)字地名

隋書(ずいしょ)俀傳(たいでん) 多利思北孤(たりしほこ) 636(55巻)、656(30巻)

評(ひょう)と郡(ぐん) 木簡から「評」「郡」共に出土。公的書類は評→郡に書き直している

白村江(はくすきのえ) 唐は北朝系で、南朝を偽王朝とした

 

金印:漢委奴(イド)国王 *伊都<古代の怡土(イト)、糸島>

出雲から筑紫へ上る(海流)

倭国=筑紫

短里(77m)、三国志

関門海峡近辺、先進文明圏

隋書、俀(タイ)伝

 

失われた九州王朝 *古田、まとめ、訂正

1 日出(い)する処の天子 多利思北孤(たりしほこ)は男。推古天皇ではありえない

2 多利思北孤は天子であるから、ナンバー2の聖徳太子ではありえない

3 タイ国の祭祀、火山の活写、阿蘇山は九州で、近畿ではない

4 隋使が飛鳥へ向かったなら、瀬戸内海、三輪山、大和三山、琵琶湖の描写があるはず

5 日本書紀の推古紀は唐(大唐と呼ぶ)に対する遣唐使だけで、遣隋使は存在しない

6 推古天皇、聖徳太子に多利思北孤の称号はない

7 太子を名づけて利と為す。歌弥多弗(かみたふ)、九州大学の福岡市箱崎に上塔(かみたふ)の字ある。

8 太宰府の地、「字、紫宸殿」、「字、大内裏跡」、中央奥に「大裏岡」がある。

9 都府楼跡、都督府樓跡の略。南朝・劉宋*の天子から任命された倭の五王の中心都城である。

*劉宋 東晋の武将・劉裕 南北朝420-479 都は建康(南京)

10 博多に鴻臚館(こうろかん)

11 王の妻は、雞弥(きみ)と号す。後宮に女、六、七百人。福岡に女原(みょうばる)、筑後に女山(ぞやま)

12 邪靡堆(ヤヒタイ)、宮殿

13 俀(タイ) 奈良の飛鳥に、この国名はない。

 

旧唐書(くとうじょ)57(金印)-662(白村江)すべて、倭国

702以降、すべて日本国

 

1 中皇命(なかつ すめらみこと) 多利思北孤(たりしほこ)(-600-608-)の次代あたり

2 地名 中(那珂川の那珂)皇命 中珥(なか、方式の矢筈<やはづ>)

3 内野(題材府の奥にある地名)狩場として相応しい

4 朝廷(みかど)夕庭(きさき)

5 我が大王(舒明天皇)のお仕えする、筑紫の天子におかれてはの意

舒明天皇は、はるばる大和から、この太宰府に来て、筑紫の天子の好きな狩場へ行を共にされた

*九州王朝の天子に対する讃歌であった。*驚天動地

 

天子の長期航海(巻1-10、1-11、1-12、1-12続)

・表記の訓(よみ) 中皇命(夫)と妻で、違っている。

・無敬語

・地名 阿胡根の浦(和歌山の野島付近?)小島(不明?) 英虞(あご)湾、真珠の名産地 白玉(真珠)

(古田)中皇命(九州王朝の天子)の出発地は九州、長期航路として妥当 野島(淡路島北端)

小島(吉備の児島)、野島(明石海峡)(巻3-250、250続、251)、紀の温泉(和歌山、白浜か)

明石大門(巻3-254)阿胡の浦(巻15-3610)

 

第八章 雷山(いかづちやま)の絶唱

1) 天雲の歌 (人麿) 天皇、雷岳(いかづちのをか)に御遊(いでま)し時、柿本人麿…

前書き、後書き、第二次史料 皇(すめろぎ) 死せる王者 雷山(前原市、千如寺大悲王院、清賀上人*)

*清賀上人:寺伝によれば、成務天皇48年(148年)にインドの僧清賀上人によって開創

神が社に祀られている。 白村江の戦いで敗れ、民のいほりは、荒れ果ててしまった(人麿の感慨)

右、或本云、献忍壁皇子也、其歌曰

王(きみ)神座者 雲隠 伊加土山□ 宮敷座(巻3雑歌、3-235)

・もうお亡くなりになって、死者となっていらっしゃいますから、この雲多き、雷山の山中に

葬られていらっしゃいます。雷山(いかづちやま)、筑前

2) 海鳴り*の歌

皇(おほきみ)は神にし坐(ま)せば真木の立つ荒山中に海を成すかも(巻3-241)

*海鳴り(福永晋三・伸子) 海鳴りがしたら、津波がくる 海鳴りとして死者の声を轟かす

*王朝、滅亡の予告

 

第九章 万葉集成立論

1) 評(ひょう)なき万葉集 *1951-1968群評論争

1 日本書紀は700以前の行政単位「評」を隠蔽した

中国の史書は、700以前:倭(ちくし)国(九州王朝)

701以降:日本国(奈良王朝)

2 万葉集でも、評を郡へ書き換えている

3 662(旧唐書、新唐書)白村江の歌、削除されている 663(日本書紀)

4 序文の欠落

2)貫之(870c945c)-(つらゆき)の万葉論 古今集序文

1 905.04-15漢文序 *本来破棄されるべきものであったが保存されていた

905.04-18仮名序

2 人麿(660c-724c-)、赤人(?-736?)比較論

三吉野の御船(みふね)の山に立つ雲は…(巻3-244) 奈良の吉野山でなく、肥前の三つの吉野

*吉野ケ里、吉野川(高瀬川)、武雄の吉野。

3 赤人が人麿より上。実ハ逆

4 スサノオノミコト 歌謡発生の祖

5 新仮名序 男女のあるところに歌あり… 歌謡淵源論

6 スサノオノミコト→シタテルヒメ 時代順

貫之は雑型(シタテルヒメ)→定型スサノオノミコト *定型は後代

7 皇(すめろぎ) 大王(おおきみ) 王(きみ) 吟詠、朗唱で七五調になる

8 新仮名序 ならの御時(文武天皇)よりぞ… 文武天皇(673-686)

これより「さき」の哥をあつめてなむ  文武天皇よりさき、の意

万えうしふと、なづけられたりける

9   *全万葉集でなく、巻一、巻二(196首)*の天皇を治世別に分類、編成 *正規の万葉集

ならのみかど、(51)平城天皇*(806-809)ではなく、(42)文武天皇(683-707)在位397-707

*平城(へいぜい)天皇は、薬子(くすこ)の乱、悪名高い天皇 平安から平城(奈良)へ戻そうとした

720日本書紀、797続日本紀、延々と繋がっているように見せてきた。

しかし、683「万葉集撰進」記事、712「古事記撰進」記事は削除されている

10 紫式部:日本紀、片はし論

中皇命(なかつ すめらの みこと)(-650s-)

若き醍醐天皇(885-930)は、貫之(870c-945c)の本音を書き切ることを許した

*あま(海人)、出雲の沖合、隠岐島に海人村(あまむら)

 

第十章 万葉集の深淵

特論1 

1 692朱鳥(あかみ とり)六壬申 日本紀*の証言 臣下冠位を脱ぎて、諫めた。

*現在の日本書紀ではない。九州年号の朱鳥と一致。

*日本書紀では、686朱鳥元(天武丙戌)。明らかに別本。

中皇命(なかすめらみこと) 九州王朝の天子 (巻1-3、1-4、1-10、1-12、頭注歌)

*万葉集は九州王朝の存在なしに正解できない。

2 臣下は、農作の前に行幸すべきではないと諫言した。三月六日、出発して、五月六日、伊勢の阿胡に到着。

持統天皇など近畿の天皇では矛盾。二ヶ月も掛からない。10日ほどで行けるはず。

持統天皇(645-702)の十二回も吉野行幸。

3 *筑紫の太宰府から吉備の小島(児島)、野島(明石海峡)、紀の温泉(白浜)、阿胡根(英虞湾)

これは662また663白村江、以前

4 持統六年、日本書紀 三月六日出発した。到着の日時を削除。

5 九州王朝の史料が引用され、本文化されている。

人物:中皇命(九州王朝の天子)を近畿の持統天皇に掏り替えている。

時代:白村江以前から白村江以後

部分的手直し。日本書紀も、天武・持統紀あたりは信用できる? 神功皇后紀、景行紀と同様、危ない

6 五月六日、到着。これを賞美に掏り替えている。

 

特論2 甘木(あまき)の人麿挽歌(巻3-239、3-240

1 人麿の歌 動物が這いつくばる これはオカシイ

2 天(あま)ゆく月… 原文:「天帰」月乎… 帰(る)→行(い)く 天帰(あまぎ) 天に帰る(挽歌)

3 天木(あまぎ)の月 紋章で天空の月ではない 貴人の哀れな惨状を思い浮かべ見ている。

麻氐良布(までらふ)神社の祭神、月夜見尊

雷山(いかずち)が舞台 糸島郡雷山(いかづちやま)

・皇(すめらお)は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも(3-235)

・皇(すめらお)は神にしませば真木の立つ荒山道に海鳴りせすかも(3-241)

 

九州王朝の王者に対する追悼歌

1)甘木の王者は狩りの途次、不慮の死をとげた。

2)その葬列は雷山へと向かった。九州王朝の神聖な墓域に葬られる

3)人麿は、その葬列に加わっていて、天帰歌を作った。

4)人麿は、天雲歌、海鳴り歌。白村江の後の惨たる民衆の姿を歌った。天子の責任を問う

 

特論3 倭国別離の歌 阿部仲麻呂

1 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも(古今集9-406)

2 天の原 壱岐北端 巻2-147 倭大后の歌?ではない

3 白村江の戦いへ出征する 吉武高木の陵墓に参拝し…博多湾の長垂(ながたれ)山(室見川河口)

4 百済は壊滅していた。陵墓の死せる王者の命は永遠である。仲麻呂は、この歌を知っていた。

5 716(霊亀2)、仲麻呂は遣唐使の一員に加わっていた。仲麻呂は九州近辺の出身か。

宝満山(三笠山)の西麓、太宰府近傍

 

特論4 菅原道眞「新撰万葉集」序文の秘密 

1 冒頭 夫れ万葉集は古歌の流なり… 万葉集の淵源(えんげん)は古歌。つまり万葉集は古歌ではない

2 道眞の古歌は701以前の倭国(筑紫)時代の歌

3 万葉集の成立は、701以降、日本国における成立

倭国時代の歌 古歌(勅撰集) 数十巻

日本国時代  万葉集     二十巻

4 其の要妙を装い…

5 ハコに韜(つつ)みて價を待つ。数十巻本を二十巻本に外装転換(書き換え)。

後代の評価を待ちたい

6 今人/錦を剪る  古人/素を織る

7 文武天皇(683-707)の時代における、万葉集巻1、巻2 の変修(へんしゅう)

8 倭歌/数首 漢詩/一首 古様式の定型

和歌/一首 漢詩/一首 新撰万葉集

9 893寛平五載 前世の美を書き、而して後世の顎(おとがい)を解(と)かんと云うのみ

解(カイ):文体の名。論弁類に属し、疑惑を弁じ、紛難を解くもの。論・説・議・弁

10 解顎(かいい):お笑い草

11 筑紫 神社の門前、両石柱に五字、七字の漢字造文の歴史

 

補考 新万葉学の本質(第七章の論理性について) 

1 701以降/日本国

2 史料批判の分析

3 天皇、宇智の野に遊猟(みかり)したまふ時、中皇命(なかすめらのみこと)の…(巻1-3)

中皇命の歌(巻1-10、1-11、1-12、或頭云)

太宰府を出発し、吉備の児島、明石海峡、紀の温泉、英虞湾まで長期旅行→朱鳥二本紀(九州王朝、太宰府)

4 朝/みかど

5 夕/きさき

6 仮説の系 仮説は、検証を行う必要。

7 大王(おおきみ) 大王は天子ではない

8 宇智郡の野に当ててきた 太宰府に内野(うちの)狩場に相応しい

「中」皇命(なかすめらみこと)/なか、地名

9 とり撫でたまひ/中皇命(なかすめらみこと)(男)、 い倚(よ)り立たしし/妻(つま)(女)

10 論理の進行

11 朝庭 夕庭 前書きは原則として第二史料。しかし、信用できるものもある。

13 相手の趣旨を矮小化、短絡化してはならない

相手の事実認識、事実調査以上の事実確認を用意する

 

後書きに代えて

「籠(こ)もよ」の歌(巻1-1) 宣長は玉の小琴で、告→吉 改竄

坐(いま)すを用いた人物、「押奈(あふな)戸手*」  *戸手(とて)

・「あふな」と呼ばれる土地の戸口の領域 地名表示 神自身 籠(この)神社

豊宇賀能賣(とようかのめ)、縄文以来の料理の女神

・不定形(下照姫)は、古い原初歌謡 五世紀以前

・定型(スサノオ)は、新しい、五七五定型。雄略天皇の御製とした

万葉集編者は疑わしい。

・押奈(あふな)戸手に坐(いま)すという神が、籠(こ)の丘の野辺で呼びかけた相手の女神

は、他でもない、この「とようかめの神」自身だったのではないか。

すなわち、菜摘みは、膳厨の用意、職掌としての料理そのもののため

・殷・周の古代中国と古代出雲の関連。弥生の土笛(陶塤、とうけん)は殷周の古楽器を継承。

 

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂   http://www.ukiyo-e.co.jp

[浮世絵学]文化藝術懇話会    浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14

電話03-3591-4678 Fax03-3591-4678

 

次回より日本古代史(古田武彦の実証、帰納100%証明による代表作著作)

1)1971邪馬台国は無かった、

2)1973失われた九州王朝、

3)1975盗まれた神話

*合わせて魏志倭人傳(三国志)ほか倭人傳集成 下記の国書刊行会本が最適

文庫本でも良いが、出来れば単行本を入手すると良い。古書で簡単に買うことができます。

訳註中国正史日本伝 石原博道 国書刊行会

 



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