浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会66)1975古田武彦/盗まれた神話 九州王朝* 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/36655
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◯浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会)支那學・研究一覧(邪馬台国、帰結)三國志(魏志)と隋書 古田武彦 九州王朝* 帰結、ずばり九州(阿蘇山と書かれている)(古田武彦/九州王朝*)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/37595

◯1975古田武彦/盗まれた神話、朝日新聞社。

時:2019-05-30(木) 予約完了。

所:淡路町ワテラス2011号室(パーティルーム)

人:1975古田武彦/盗まれた神話、朝日新聞社。

朝鮮の神話を引用(盗用)し、古事記、日本書紀を書いている。

その論理の組み立て、精緻な分析、理解が日本列島の古代を明らかにした。

つまり奈良王朝は662白村江の前後から、九州王朝(倭)を壊滅させ、その全業績を簒奪した。

それ以前は、すべて九州王朝(倭)の歴史である。もっとも、大陸から、数万年前、この日本列島に渡来した人々は、DNAで16以上の民族が混じりあっているという。奈良の王朝が古い訳ではなく、他にも、多くの王朝があったに違いない。

◯1975盗まれた神話
(まとめ)僭越ですが
はじめに
神名、天皇名は簡略化にしたがい、「記・紀」原文の読み下しも原表記に立脚した。

第一章 謎にみちた二書
前二世紀より七世紀まで一貫して、近畿天皇家に先在し、筑紫を中心とする九州王朝が存在していた。

第二章 いわゆる戦後史学への批判
宋書 倭の五王 これらの記事、記紀に存在しない。仁徳~雄略に共通部分ない。
倭王武の上表文、悲痛な調子で高句麗と交戦を述べている。書紀に、その圧迫の非常事態など無い。
好太王碑文 記紀に朝鮮半島中域へ大挙出兵した記事なし。(神宮皇后の三韓征伐に代置)

第三章 「記・紀」にみる九州王朝
熊襲の国はどこか 日本書紀にあり、古事記にない。その政治地図の素性
歴史の変転の中で、北から南に移動している。
仲哀天皇の敗死 古事記は神がかりの死。書紀は敵の矢に当たって戦死。
二つのフィルター
1)記紀は天皇家中心の大義名文
2)古来の伝承に対して、天皇家に有利に改削、新加(付加)する。

第四章 蔽(おお)われた王朝発展史
◯景行遠征、五つの謎
・書紀にあり、古事記にない。
・地名が詳細に書かれている。古い日本武尊、仲哀・神功皇后に地名一つだけ。

第五章 「盗作」の史書
◯「一書」の真相 総計58もの「一書」
書紀だけにあって古事記にない。これらは天皇家内伝承になかった。他から取ってきて挿入した。
◯接ぎ木の史書
◯日本旧紀は、古記録の集成書 五世紀段階に成立していた記録類を今(六世紀中葉)(550s)の時点で集大成。
◯上表文の語るもの
・(倭王讃)、又司馬曹達を遣わして表を奉り方物を献ず。(宋書、元嘉2)(425)
・(倭王武)、封国は偏遠にして、藩を外に作(な)す。昔より祖禰(そでい)躬(みずか)ら甲冑を擐(つらぬ)き、山川を 跋渉(ばっしょう)し、寧(ねい)処に遑(いとま)あらず。(宋書、478)(昇明2)
・貴倭の女王、重訳を遣わして貢献す。(晋の起居注)(泰初2.10)(266)
重訳、倭語→韓語→中国語
◯「帰化」とは何か 帰化は王化に帰するの意。中国の天子に帰順して治下に入り来る周辺の夷蛮 差別用語
◯「書紀」編者の手法
◯「帝王本紀」の存在 書紀の伝える神話の方が古い。古事記の方が新しい。
日本旧紀→古事記(天皇家内伝承)

(要約)
1)日本旧記の神代紀から切り取り、本文、一書として使用。
2)帝王本紀に付した注記は、現書紀本では、本文の形で書かれている。
小伝承や古記録を現在時点(七、八世紀)の名称を等号で結ぶ。帝王本紀を用い、書紀が展開した手法。
(まとめ)
1)神代の天皇家内伝承は、古事記のかたちであった。
2)日本旧紀(九州王朝)は、各種の神代記事を内蔵していた。
3)外二種の神代伝承を総合、取捨した記録が帝王本紀。それは天武十年(682)に成立
4)さらに拡大発展したのが養老4(720)に成立した日本書紀であった。
すなわち、九州王朝の史書内容を盗用する伝統は、帝王本紀より日本書紀へと世襲されていた。

第六章 蜻蛉島[あきつしま]とは何処か
七つの大八洲 書紀と古事記で違いがある。越洲→こしのくに シマ→クニ 隠岐の三子洲(三つのクニ)

第七章 天孫降臨地の解明
その後輪の地は何処か ニニギノ命 「日向」は何処か。筑紫の日向
筑前の中の日向 福岡県に日向と処があるか。ある。
日向峠(筑前、高祖山タカスの南) 日向山(筑後、八女郡) *しかし本来の筑紫は筑前。筑後は筑後後国
クシフル 博多湾岸と糸島郡との間、高祖山を中心とする連山が天孫降臨の地である。

第八章 傍流が本流を制した
降臨神話は、どの王朝のものか 九州王朝の史書「日本旧記」を切り取り、近畿王朝の神話に接合した。
(まとめ)
1)神武らは、九州辺域の日向にいた傍流者
2)東方の新天地に進出の決意
3)宇佐を中心とする九州東岸、東北岸の豪族の支援を固め、瀬戸内北岸の豪族と連係
時間の霧 神武はニニギの子孫
・天照–ニニギ–ヒコホホデミ–ウガヤフキアヘズ–神武 五代でなく何世代もの時間の列

第九章 皇系造作説への疑い
神武は虚構の王者か:定説は第一代から第十代までの間、八代の天皇も架空である。

第十章 神武東征は果たして架空か
二人の彦火火出見ヒコホホデミ:神武は傍系中の不幸なる偏流

第十一章 侵略の大義名文 那珂通世(1851-1908
那珂理論の探求:辛酉(しんゆう)革命、中国の讖緯(しんい)説 二十一度目、一蔀(ぼう)
推古9(601)から遡り、1260年目、BC660が神武即位。第一代が始まることを革命とはいわない。

第十二章 「記」と「紀」のあいだ
削偽定実の命題:古事記序文 天武の詔の中で、稗田阿礼の誦習(しょうしゅう)と安万侶の上表文
梅沢伊勢三・平田俊春の論争:日本書紀が古い(梅沢)
平田:天寿国繡帳の固有名詞表記、音表記から訓表記、日本書紀の使用した原資料(帝紀)の中に、古事記以前に遡(さかの)るものが多い。繡帳は近畿天皇家内のもので、日本旧記と無関係。新しいのは当然。
(古田)書紀の神代巻は日本旧記の盗用。

第十三章 天照大神は何処にいたか
天国(あまくに)とは何処か 天照は卑弥呼(3世紀)より、はるかに悠遠、古えの存在。
地上の天国は何処か。天国から天降る途中の経過地が書かれていなければならない。
天の岩屋の中の聖地、それが沖ノ島
オノゴロ島も、つきとめる: ノコの島
仁徳の歌:創作対象は説話であって、地名ではない。現存地名をもとに、それと音の似た、ゴロあわせの説話。

第十四章 最古王朝の政治地図
天国(あまくに)の周辺:九州王朝の原域
九州王朝に先在した、出雲王朝。日本最古の王朝が出雲王朝。

結び 真実の面前にて

あとがき


◯1975盗まれた神話
(まとめ)僭越ですが
はじめに
神名、天皇名は簡略化にしたがい、「記・紀」原文の読み下しも原表記に立脚した。

第一章 謎にみちた二書
 前二世紀より七世紀まで一貫して、近畿天皇家に先在し、筑紫を中心とする九州王朝が存在していた。
 私の疑い
1 国生み神話 古代の国々は矛から生まれた二大青銅器圏 
 A 銅剣・銅矛・銅戈 B 銅鐸圏 
 神話に銅鐸の片鱗すら出てこない
2 神代紀の「一書」総計58 日本書紀以前に、11個の日本神話の記録が成立していた。
 「巻一、二(神代)」と「巻三(神武天皇)」の間で一変 史料の性格、成り立ち
3 景行、九州大遠征の疑問 巻七に特筆されている。
 1)現地(九州)の地名が出現しない。より早い景行説話は具体的地名が20個も書かれている。
 2)日向(宮崎県)は神武東征発信の聖地。しかし、一切、感激の文がない。
 3)景行の九州遠征説話、古事記に全く姿を見せない。太安万侶が勝手に削除できはしない。
4 韓国の謎 ニニギノ命が、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降ったとき、
  韓国に向ひ、笠沙の御前に真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
  これまで宮崎県の日向が定説。

第二章 いわゆる戦後史学への批判
 宋書 倭の五王 これらの記事、記紀に存在しない。仁徳~雄略に共通部分ない。 
 倭王武の上表文、悲痛な調子で高句麗と交戦を述べている。書紀に、その圧迫の非常事態など無い。
 好太王碑文 記紀に朝鮮半島中域へ大挙出兵した記事なし。(神宮皇后の三韓征伐に代置)
 最終の里程 古事記は全くのお話で、歴史事実ではない。(川副武胤)
 記紀に史実の反映はない。記紀の造作(津田左右吉)
 宋書の夷蛮伝、王名は一字だけで表さない。 
 倭王「武」の名は中国式一字。「臣」と二回も記して、中国の天子の大義名分として書かれている。
 記紀は権力(天皇家)の強い影響下に成立している。
 銅鐸神話は全くない。記紀は天皇家の利害、大義名分による削除、追加がなされている。
 記紀の検証:1)八世紀で、早い時期に記録化された 2)中国の記録文化 漢書、三国志、後漢書、宋書、
 隋書、旧唐書 同時代史料 筑紫を中心とする九州王朝

第三章 「記・紀」にみる九州王朝
 熊襲の国はどこか 日本書紀にあり、古事記にない。その政治地図の素性
 歴史の変転の中で、北から南に移動している。
 仲哀天皇の敗死 古事記は神がかりの死。書紀は敵の矢に当たって戦死。
 二つのフィルター
 1)記紀は天皇家中心の大義名文
 2)古来の伝承に対して、天皇家に有利に改削、新加(付加)する。
 死の伝承は変貌する
 熊襲と新羅との間
 博多湾岸の熊襲は新羅が軍需、物資を供給していた。熊襲=北九州(博多)
 授号の公式 上位者が下位者に渡す。熊襲の川上梟帥(たける)が暗殺者・小碓命(おすすのみこ)に倭建命
(日本武尊)という名を贈った。これは変だ。
 (古田)熊襲が上位、倭建命が下位。
 237、魏の明帝は毌丘倹(かんきゅうけん)に遼東の公孫淵の討伐を命じた。
 淵は、これを破り、燕王と称して百官を置き、年号を紹漢と定めた。
 238、魏は大尉・司馬懿(い)に4万の兵を率いて、淵の父子を惨殺。首は落葉に送られた。
 熊襲は兄弟で統治していた。
 地理的位置(北博多湾岸)、大義名文(授号権)、統治形態(兄弟)
 暗殺の公理は、征伐できないので、暗殺

第四章 蔽(おお)われた王朝発展史
◯景行遠征、五つの謎
 ・書紀にあり、古事記にない。
 ・地名が詳細に書かれている。古い日本武尊、仲哀・神功皇后に、地名一つだけ。
 1)筑紫の空白 全く立ち入っていない
 2)筑紫に立ち寄らず、また戻ってもいない
 3)浮羽から日向、距離が遠く、阿蘇山に遮られている。
 4)討伐と巡行 逆だ。近畿から、最初、巡行して、討伐の順序
 5)日向、非聖地。
  神武東征の地のはずだが、津田左右吉のように、思い浮かばなかったと逃避する
◯巡狩(じゅんしゅ):天子が辺境を巡行すること。筑紫の南辺りだけ、筑紫国巡狩にならない。何か変だ。
 筑紫の中央部(太宰府近辺)を原点とすれば筑紫の辺境の南を巡狩している。
◯五つの疑いを解く
 1)筑紫の空白、出発地は筑紫。周芳の娑麼(山口県西部)海峡をおさえる。
 2)遠征の目的は、未征服地、東岸、南岸を討伐
 3)浮羽が終着点になっているのも当然。
 4)異質の地名群の詳述。筑紫の王者の九州東・南岸平定譚。
 5)景行天皇の熊襲遠征説話は、あとから嵌め込んだ。古事記に出現しない。
  本来、近畿天皇家の伝承に存在しなかった。九州王朝の説話。
◯神功紀の謎
 書紀にあり、古事記にない説話、重大な疑いを向ける必要がある。
 仲哀の戦死で、いきなり熊襲自服するのは唐突。筑前を原点とした、筑後討伐譚
 御笠(みかさ)–松峡(まつお)を原点とする筑紫一円および九州一円平定譚
◯タイムマシンの逆転
 九州王朝と百済との歴史 百済系三史料(百済記、百済新撰、百済本紀)を書紀の本文に接合
 天皇家内伝承の書たる古事記に、それらの記事は一切、存在しない。
◯日本旧記(雄略21、九州王朝の史書):被贈与者は末多王、大義名文の被贈与者は汶洲王。領土割譲事件
◯日本という国号 「貴倭・倭・日本」、「天王、日本の天皇」の名称は九州王朝のこと。
 近畿王朝が日本の名称を使い始めたのは670(三国史記)または700s(則天武后)
◯九州王朝史書の成立と性格
 日本旧記の成立 漢城の落城(476)直後また以降 日本旧記は、この50年後。530ころ
 531磐井が敗死(「日本の天皇」と書いている))(百済本記)
 欽明紀の七割の記事は、百済本紀から接合している。
 筑紫平定説話、九州一円平定説話の真の出典は「日本旧記」
◯真理の断崖 
◯三種の神器圏: 岡県主(遠賀川付近)伊覩(いと)県主(糸島郡)
 書紀の記事に出てくるが、古事記に出ていない。
◯熊の論理 異域、討伐の対象に熊を付して呼ぶ、熊襲、熊鷲、熊鰐
◯花咲ける二国連合 花垂らしは花のいっぱい咲き満ちた意。耳垂らしは、尊称ミミ。
◯血縁の伊都国 統属 血筋を引く
◯始原の王者 卑弥呼、田油津姫は女王、このため、書紀に特設した神功皇后紀を挿入した
◯橿日宮の女王 神話的女王
◯九州統一王 百寮(百官、百僚) 朝廷のすべての官僚群 行宮(あんぐう)は仮宮
◯その名は「前つ君」 魔弊菟耆□(マヘツキミ)  氵+彌
◯「前つ君」の本拠 前原(現糸島郡)
◯一大率
◯鹿文(かや)の盗用 古事記になくて、書紀だけに出てくる。日本旧紀から切り取って転用。
◯とっておきのカード 古事記の国生み神話 大隈半島・国分市の領域こそ、熊襲国。
◯九州内進展のあと 古事記は二気、五行で整理されている。

第五章 「盗作」の史書
◯「一書」の真相 総計58もの「一書」 
 書紀だけにあって古事記にない。これらは天皇家内伝承になかった。他から取ってきて挿入した。
◯接ぎ木の史書 
 1)神代紀は九州を中心した物語
 2)九州を舞台とする部分(神代紀)は、「一書」群が叢のように群立。神武以降、一切、姿を消す。
 3)神代紀の「一書」群は、天皇家内の歴史書ではない。
◯日本旧紀は、古記録の集成書 五世紀段階に成立していた記録類を今(六世紀中葉)(550s)の時点で集大成。
◯上表文の語るもの
 ・(倭王讃)、又司馬曹達を遣わして表を奉り方物を献ず。(宋書、元嘉2)(425)
 ・(倭王武)、封国は偏遠にして、藩を外に作(な)す。昔より祖禰(そでい)躬(みずか)ら甲冑を擐(つらぬ)き、山川を 跋渉(ばっしょう)し、寧(ねい)処に遑(いとま)あらず。(宋書、478)(昇明2)
 ・貴倭の女王、重訳を遣わして貢献す。(晋の起居注)(泰初2.10)(266)
   重訳、倭語→韓語→中国語 
◯「帰化」とは何か 帰化は王化に帰するの意。中国の天子に帰順して治下に入り来る周辺の夷蛮 差別用語
◯「書紀」編者の手法 
◯「帝王本紀」の存在 書紀の伝える神話の方が古い。古事記の方が新しい。
 日本旧紀→古事記(天皇家内伝承)
◯宙に浮いた史書 
◯天皇紀・国記の運命 
 壬申の乱による散亡 大友皇子側(弘文天皇)が大津の近江王朝の記録類すべてを焼失させた
 天武後継王朝は書紀に引用書の実名を出していない。書紀の編者に手元に、既に天皇記や国記はなかった
 口誦伝承をもとに、誦習(しょうしゅう)させて、記定せぬばならぬ、必要の一つがあった。
◯譜第(ふだい)A’ 
(整理)
 書紀=A+B
   A(天皇家内史書)[帝王本紀] 682(天武10)成立
   B(天皇家外史書)[日本旧記+百済系三史料+九州王朝史書]
◯モタラスの論理性 齎(もたら)す 天皇家意外の史書(帝紀、本辞)が別在し、正系としていた事実を示す。
 或る本に云う。天皇、廿八年歳次甲寅に崩ず、と。而して此に廿五年歳次辛亥に崩ず、と云ふは、百済本紀を取りて文を為す。…又聞く、日本の天皇及び太子・皇子、倶に崩薨す、と。此に由りて言へば、
 辛亥の歳は、当に廿五年なるべし。後に勘校(かむが)へむ者、知らむ。(継体25)
 *奈良王朝の検定教科書・日本書紀は諸外国の史書(九州王朝の記録)から盗用して、編纂している。国内では、都合の悪い事実を隠蔽できるが、外国で既刊されたものを削除、訂正は出来ない。このため、辻褄を合わせるため、神功皇后、景行天皇などを新たに付け加えた。編述方針は、(40)天武王朝(?-686)の編纂方針の継承と完成にあった。
(要約)
 1)日本旧記の神代紀から切り取り、本文、一書として使用。
 2)帝王本紀に付した注記は、現書紀本では、本文の形で書かれている。
 小伝承や古記録を現在時点(七、八世紀)の名称を等号で結ぶ。帝王本紀を用い、書紀が展開した手法。
(まとめ)
 1)神代の天皇家内伝承は、古事記のかたちであった。
 2)日本旧紀(九州王朝)は、各種の神代記事を内蔵していた。
 3)外二種の神代伝承を総合、取捨した記録が帝王本紀。それは天武十年(682)に成立
 4)さらに拡大発展したのが養老4(720)に成立した日本書紀であった。
  すなわち、九州王朝の史書内容を盗用する伝統は、帝王本紀より日本書紀へと世襲されていた。

第六章 蜻蛉島[あきつしま]とは何処か
 七つの大八洲 書紀と古事記で違いがある。越洲→こしのくに シマ→クニ 隠岐の三子洲(三つのクニ)
  伊予の二名洲 双海(ふたミ) 二名(ふたナ) 四国全土ではなく、海岸の一拠点
 1)洲→クニ
 2)筑紫洲→クニ
 3)大日本豊秋津洲 大日本は後から付けた。
(地名説話)
 1)津は港や湾形を示す。
 2)矛(ほこ)、銅鐸圏
 3)大八洲の中心は近畿ではない。西方にばかり広がっている。
 豊の秋津のクニ 豊國の中にアキの地名があるか。ある。別府湾の入り口、安岐(あき)、安岐川、安岐郷
 大八洲の中心は、筑紫洲→大洲(出雲)→越洲
 トンボの交尾が左右した あきつのとなめ 
 メスのトンボが、オスのトンボの尻にくっついて飛んでいく「おつながり」
 湯布院(ゆふいん)一望譚の出生
 もう一つの秋津島 雄略命名説話 
  筑紫中心の大八洲国説話(日本旧記)→近畿中心の大八洲国(古事記、帝王本紀)

第七章 天孫降臨地の解明
 その後輪の地は何処か ニニギノ命 「日向」は何処か。筑紫の日向 
 筑前の中の日向 福岡県に日向と処があるか。ある。
  日向峠(筑前、高祖山タカスの南) 日向山(筑後、八女郡) *しかし本来の筑紫は筑前。筑後は筑後後国
  クシフル 博多湾岸と糸島郡との間、高祖山を中心とする連山が天孫降臨の地である。
 1)高千穂 高くそそり立つ連山
 2)クシフル 筑紫=千串 
 3)襲(そ) 曾と同じ。一定の地形。曾根原(そねばる)、原(ばる)は村落の意。
 4)日向峠(ひなた峠)老人の日向ぼっこのイメージ、しかし彼方(かなた)。日の方角の意。神聖な字面
 天照誕生の聖地 竺紫の日向の橘の小門(おど)あるか。ある。博多の姪の浜に小門(おど)神社。
 北は能古島に相対し、西南は高祖山連峰を望む、この博多湾岸の姪の浜海岸こそ、天照大神誕生の聖地 
 槵触山 クシフル山(糸島字高祖) 日向山 (怡土志摩郡地理全誌)
 此の地 久士布流多気(くしふるたけ) 韓国に向かい *高祖山の連山の麓、大陸への交通の要地 
  向韓国真来通
  笠沙之御前而 かささのみまえ
  朝日之直刺国
  夕日之日照国
 *六字四行の対句 しかも四至 
  大(おほ) 大国、大田市、大原川、大平、大森、大浦、大崎ケ崎 (石見国・邇摩郡、島根県
 *此の地 博多湾岸でなく糸島郡 此の地(前原)は博多にとっての聖地。朝夕、太陽のふりそそぐ聖地
 太陽信仰の聖地
 三つの事実
 1)糸島郡 三雲遺跡 御大、御笠、三井 三(み)は地名接頭語
 2)前つ君 一大率の駐留
 3)平原(ひらばる)遺跡(前原町内、三雲の近隣)日本最大の鏡(径46.5cm)日本製 太陽信仰、祭祀の鏡
 超能力の無理 
 類似せる地名群 
 神話地名の表記法 
 脚光を浴びる空国(むなくに) 高祖山(前原)→御笠(博多)→宗像 
 猛烈な隣地性 木花之佐久夜毘売 きのはな 木の花(基肄の意か)
 降臨神話の時層

第八章 傍流が本流を制した
 降臨神話は、どの王朝のものか 九州王朝の史書「日本旧記」を切り取り、近畿王朝の神話に接合した。
  景行天皇の熊襲征伐、神功皇后の筑後討伐
 1)先在の九州王朝と後在の奈良王朝は、共通の始祖神話(天孫降臨)をもっている。後、二つに分かれた。
 2)始祖神話の原域は、博多湾岸と糸島群。神話の本来の姿は九州王朝の神話。
 3)奈良王朝は、九州の一端(日向)から近畿へ来た。九州王朝の分流。
 数奇の運命の子 
 神武の誕生
 神武と日向(宮崎県) 神武東征の発信地は日向(宮崎県)、天孫降臨の筑紫の日向(ひなた)(福岡県)
 九州東岸の地名 
 高千穂宮の合議 
 その宮殿は何処に 神武と兄が話しあったのは、筑前(糸島郡また博多湾岸)の宮殿
 惑いと野望 原文面の表記のルール
 1)高千穂の宮 他の新天地を求めようとしている。
 2)豪族の一人(九州、瀬戸内西域)
 3)九州を離れ、東方の新天地へ 失意の青年の惑い
 4)出発地は日向(宮崎県)
(まとめ)
 1)神武らは、九州辺域の日向にいた傍流者
 2)東方の新天地に進出の決意
 3)宇佐を中心とする九州東岸、東北岸の豪族の支援を固め、瀬戸内北岸の豪族と連係
 時間の霧 神武はニニギの子孫 
 ・天照–ニニギ–ヒコホホデミ–ウガヤフキアヘズ–神武 五代でなく、何世代もの時間の列 
 
第九章 皇系造作説への疑い
 神武は虚構の王者か:定説は第一代から第十代までの間、八代の天皇も架空である。
 1)新しい認識は、高祖山の連山への天孫降臨。銅矛、銅戈の最多出土地、甕棺(かめかん)の大海、漢鏡の最多   出土地。日本最大の仿製鏡(日本製)の出土地。未開地でなく、祭祀と軍事と政治と文化の最先端の地域。
 2)天(あま)の瓊矛(ぬぼこ)の政治領域の地図。近畿天皇家の史官(古事記、日本書紀、帝王本紀)は改削の 斧をふるった。別府湾のトヨアキツを都として、支配権力の中枢として転用しようとした。
 錯誤版「アキツ島」説話:宣長(のりなが)は、「予(かね)て古(いにしえ)より」と解釈して、記紀に辻褄をあわせた。本筋は、原初の国生み神話は筑紫中心で、淡路島以西のもの。大和中心に切り替えた。
 神話と青銅器圏:二大青銅器圏 銅剣・銅矛・銅戈圏は淡路島以西(神武東征)。以東は銅鐸圏。
 二大青銅器圏の再吟味:瀬戸内領域は銅鐸圏に属していたが、やがて異質の武器型祭祀圏に属するようになった 
 神話と分布圏の対応:神武東征における淡路島以西、不戦。
 3)壮大な虚像:記紀は神武の都、宮殿の所在もない。日向(宮崎)を基点として統治の文辞も全くない。
 万世一系の毒:時の新興勢力が必要とした政治野心の概念(万世一系の皇統)
 4)造作の動機:大量の伝承を削除すれば、空疎にならざるをえない。
 5)なぜ、内容のない神武東征物語を必要としたか。
 津田の誤認、
 天孫降臨は日向(宮崎)ではない。最初の都は幻影。景行天皇の日向で聖地の感激が示されていない。景行天皇の熊襲征伐は架空であった。津田は盗用を盗用と知らず論理を進めてしまった。
 二つのハツクニシラス論への疑い:訓注は奈良朝に存在せず、平安朝に付けられた。
 初国(はつくに)と本国(もとくに):本国なる大和に対して、東方十二道を新制服地が初国なのである。
 新しい制服地を統治する天皇の意で、建国第一代の意ではない。
 「初」と「肇」を見つめる:新規の活動開始が「初」。肇国は初国を漢語的表現で現したもの。
 「誤読」の系譜:神武の「始馭天下之天皇」、始めて天の下に馭しし天皇 
 架上(付け加えられた)の系譜:(15)応神第一代説→(10)崇神第一代説→(1)神武第一代説
 コロンブスの卵:
 和風諡号(しごう)論をめぐって:二人のハツクニシラス論と「神武から開化天皇」架空説に和風諡号
 ワケを利用して実在していた天皇の名前の下に新たに追加した。中国の史書・宋書の倭の五王に一致し実在した。
 裸の論理:α遠い古えの天皇名(実在したと信じられた)にあやかった現存の天皇名をつけた。
  しかし、αの否定論証は出来なかった
 権力の尚古主義:ヤマトネコ、タラシ、ワケなどの単語が現代(7-8世紀)にとって違和感があれば良い。
 神秘めかして飾ろうとした紀元節の創案は、歴史の常道。
 使い分けの背理:
 肌着と礼装:(25)武烈(?-?)で、それまでの正系が絶えた。北陸の(15)応神五世の孫と称する(26)継体(?-531)が招かれた。長たらしい修辞をふくむ名前の天皇は、あやしい。後代の造作。

第十章 神武東征は果たして架空か
 二人の彦火火出見ヒコホホデミ:神武は傍系中の不幸なる偏流
 神縁とホメロス経験:神武天皇 神のような意味。神ではない。
 神異譚とシュリーマン以後:神異譚を理由として、史実でないとの論証は危険。
 検証の探訪:そのまま史実とはいえない。しかし、フィクションでなく、歴史的事実もある。
 建国伝説の比較:神武架空、東征虚構 
 キリスト神話の教訓:
 1)一定の説話は周辺の説話と似ているのが当たり前。
 2)二つの類似地域があるとき、どちらからどちらへという影響は慎重に実証
 3)一般に類似から架空性への論壇は絶対時間の先後あど、必要十分な論証が必要。神武架空説は成立しない 
 乱立する反映説:神武東征は架空であることを前提としている。
 タギシミミの説話:神武の長男 
  タギシミミが神武を継いだ。本来の伝承。己が母を犯せる罪。7-8世紀、忌むべきこととされた。
  タギシミミの義母結婚説話の古さは、神武東征説話そのものの古さを示している。

第十一章 侵略の大義名文 那珂通世(1851-1908
 那珂理論の探求:辛酉(しんゆう)革命、中国の讖緯(しんい)説 二十一度目、一蔀(ぼう)
  推古9(601)から遡り、1260年目、BC660が神武即位。第一代が始まることを革命とはいわない。
  書紀の編者は、前王朝を武力で妥当した者として、神武を見ていた。
 見ようとしなかったもの:神武以前、ヤマトは無人ではなかった。ナガスネヒコが統治。神武は簒奪者。
 最深の秘密:ナガスネヒコは、銅鐸を祭器とする人々だったか。
 神武らは武力で、矛と矢で殺した。和親を求めてきた人々を、宴の膳夫らが惨殺した。
 記紀成立の真相:新しい支配の正当性を宣伝活動によって、植え付けた。
 免責の思想:神勅によって、神武らは侵入と殺戮を犯し、支配し始めた。(記紀全篇を一言で要約する)
 記紀の根本思想、20世紀にも、神聖なる天皇の名のもと、皇軍による東アジアの殺戮の猛威を尽くした。

第十二章 「記」と「紀」のあいだ
 削偽定実の命題:古事記序文 天武の詔の中で、稗田阿礼の誦習(しょうしゅう)と安万侶の上表文
 梅沢伊勢三・平田俊春の論争:日本書紀が古い(梅沢)
 平田:天寿国繡帳の固有名詞表記、音表記から訓表記、日本書紀の使用した原資料(帝紀)の中に、古事記以前に遡(さかの)るものが多い。繡帳は近畿天皇家内のもので、日本旧記と無関係。新しいのは当然。
 (古田)書紀の神代巻は日本旧記の盗用。
 ・神武以降にも、景行の熊襲討伐説話、神功皇后の筑後討伐、神武のあきつのたなめ
 ・日本旧記は5世紀前後に記録化された旧記の集積書。
 ・日本書紀の原資料は漢文のものもあり、古事記以前に成立していた。(梅沢)
 古事記の素朴性:梅沢の欠点 
  1)天武の詔を古事記だけと結びつけた 
  2)古い漢文資料(帝紀)が実は他王朝(九州王朝)の所産だった。構想外の認識。
 古事記の偽作説:尚書(書経)伝来の経緯。五経正義(孔潁達、くようだつ)
  90有歳の伏生が尚書を習誦(しゅうしょう)していると。
  晁錯が伏生の家に出かけ、口授してもらい、尚書が出来た。
  阿礼と安万侶の話は、伝誦者・伏生と筆録者・晁錯からヒントを得て、作られたのではないか。
 偽書説の原因:
 1)続日本紀の和銅5項、古事記撰進の記事がない。
 2)古事記の写本は、南北朝(14世紀)になって出現(真福寺本)。
  古事記は大体において天皇家内伝誦に依拠して、それを記録化している。変造前の姿。公認されていない。
  古事記は、正史として正面に出ることを拒否された。太安万侶の家に秘蔵されていて、流れでた。
  書紀は日本旧紀(九州王朝)、百済系三史料(百済記、百済新撰、百済本記)を切り取り、新作した。

第十三章 天照大神は何処にいたか
 天国(あまくに)とは何処か 天照は卑弥呼(3世紀)より、はるかに悠遠、古えの存在。
 地上の天国は何処か。天国から天降る途中の経過地が書かれていなければならない。
 肥の国の長い名前:建日向日豊久士比泥別 建日別(熊襲国)に向かう不知火の燃える、豊國の分国
 筑紫(向日別)から見て作られている。亦の名、これは古形。
 海域の島々:天国からの行動範囲は、筑紫、出雲、韓地(新羅)の三地域。途中の経過地がない。つまり、
 天国は、この三地域に共に接していて、内部にある。高天原の原は、バル、筑紫一帯の用語、集落の意。
 両児島は一対の島:イザナギ、イザナミにとって、出発点に還ってきた最後の島。
 その島の名は:沖ノ島は「沖ノ島」と「小屋島」、天の両屋島。宗像神社の神域。沖ノ島の岩かげ、岩のほとりに置かれていた縄文、弥生の土器、鏡、珠、紡織具、金指輪、金銅製馬具、金銅製龍頭など。祭祀遺跡。
 天の岩屋は、ここだ:沖ノ島と小屋島。島は全山、岩で覆われている。東北側は垂直に150mの岸壁が屹立(きつりつ)している。天の両屋、小さい小屋島と全山岩の大屋敷。天の岩屋と呼ばれるに相応しい。
 天の岩屋の中の聖地、それが沖ノ島
 オノゴロ島も、つきとめる: ノコの島
 仁徳の歌:創作対象は説話であって、地名ではない。現存地名をもとに、それと音の似た、ゴロあわせの説話。
 島を訪れる:1974.11、訪れた。土地の小学校の高田茂広さんのご案内。周囲8.8km、南北3.24km、東西1.52km。高さ100m。
 二つの用法:阿麻氐留(あまてる)神社(対馬)。後にアマテラスオオカミとして転移した。
 二つの高天原:記紀説話の内実が原初と後代と、二つの異質の観念の時代を内蔵している。_

第十四章 最古王朝の政治地図
 天国(あまくに)の周辺:九州王朝の原域 
 1)大国御魂神 大国主神→出雲
 2)韓神:釜山付近の加羅を中心とする狭域→韓国(からくに)
 3)曾富理神:添山(そほり)◯◯触(ふれ)は、壱岐の地名。村落の意。→南の博多湾岸
 4)白日神(しらひ):筑紫、亦の名は白日別。
 5)聖神(ひじり):日後(ひじり)、井尻
  中央の天国(あまくに)部分が抜けている。中心は大国(おおくに)。筑紫の大八洲国より古い性格。
 出雲神話の性格:五神系譜の史料性格
 挿入の手口:世代の違う九神を横に並べる形で挿入。
 二人の大国主神:三つの系譜を他の系譜から引き抜いて、スサノオ以下に嵌め込んだ。
 記紀では、高木神・天照の時期が始原期であるのに対して、大国では既に六代目頃に当たっていた。
 先在した出雲古事記:
 1)出雲古事記は、神統譜と神々の説話と政治地図を持っていた。天地開闢(かいぎゃく)神話は削除された。
 2)出雲神統譜は「数字区分け」を行っている。九州王朝の神統譜よりも古い。古事記は出雲神統譜を模倣した。
 日本版イソップ物語:出雲古事記の八つの説話は、原初的な素朴さがある。木国(木伊)は紀伊でない。白日神と聖神の間にある基山だ。
 天孫降臨以前の政治地図:
 ・大国中心の政治地図、出雲以外に、釜山の韓国(加羅)と博多湾岸と山地の三点(糸島郡、白木原、太宰府、基山、久留米)をその勢力下におさめていた。
 ・天国は海上の島々、東は隠岐、南は姫島、西は五島列島のかなりの海上領域を占有。陸地部分は支配下でなかった。天孫降臨以前の政治地図だ。天孫降臨の時、大国主神に博多湾岸とその山地周辺を割譲しろと迫った。
 九州王朝に先在した、出雲王朝。日本最古の王朝が出雲王朝。

結び 真実の面前にて

あとがき


浮世絵学(支那學・金印「漢委奴國王」)2019酒井雁高/「委奴」の新解釈(真解明) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/39091

浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会64a)1971古田武彦/「邪馬台国」はなかった 魏志(影印)九州王朝* 帰結、ずばり「邪馬台國」は九州(阿蘇山があるので確定) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
http://www.ukiyo-e.co.jp/36642

浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会65)1971古田武彦/失われた九州王朝* 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
http://www.ukiyo-e.co.jp/37294

世絵学(支那學・文化藝術懇話会66)1975古田武彦/盗まれた神話 九州王朝* 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

http://www.ukiyo-e.co.jp/36655

浮世絵学(支那學・九州年号:卑弥呼、応神王朝、仁徳王朝、筑紫磐井君、継体王朝、欽明王朝、多利思北孤)酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂主人 
http://www.ukiyo-e.co.jp/26571

浮世絵学(支那學・九州年号:九州王朝の系譜)酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂主人 
http://www.ukiyo-e.co.jp/39816

浮世絵学(支那學・經籍籑詁)1798阮元/經籍籑詁ケイセキセンコ 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)
http://www.ukiyo-e.co.jp/37727

浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会)280s陳寿(233-297)/三国志 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
http://www.ukiyo-e.co.jp/38052

浮世絵学(支那學・漢文研究法)1913狩野直喜/漢文研究法 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)
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浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会64b)280s陳寿(233-297)/魏志(三國志) 656魏徴(580-643)/隋書 邪馬台国 帰結、ずばり九州(阿蘇山と書かれている)(古田武彦/九州王朝*)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
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浮世絵学(支那學・原字)(げんじ)、甲骨文、金文、石鼓文の原文字の意 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)
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浮世絵学13/中国古典文学(金文)青銅器_酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)
http://www.ukiyo-e.co.jp/11374

何か御気付きの点があれば御教示ください。
酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator
浮世絵・酒井好古堂 浮世絵鑑定家 [浮世絵学] 検索 http://www.ukiyo-e.co.jp
SAKAI_gankow,  curator,  professional adviser of ukiyo-e
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