浮世絵学04/1931濱田青陵(1881-1936)/天正遣欧使節記  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/42573
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1982-04-29現在(2023-01-02更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/88211

 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,239項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
 

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◯1931濱田青陵/天正遣欧使節記   *アップロード、順序が不揃いで、修正した。原本を点検しながら、ページを確認している。

*青陵先生の大著。キリシタン宣教師は、日本にキリスト教を布教し、土地を寄進させ、資金を得て、当初から、軍事計画(火薬、銃器、大砲など)を目論んでいたと結論づけている。

村上直次郎(1868-1966)日欧交渉史

  • 1911(明治44)異国日記抄 校註、三秀舎
  • 1927(昭和2)耶蘇会士日本通信 異国叢書、聚芳閣、 -1928(昭和3)、のち異国叢書、雄松堂
  • 1929(昭和4)異国往復書翰集・増訂異国日記抄、異国叢書 駿南社、のち異国叢書、雄松堂
  • 1936(昭和11)耶蘇会士日本通信 豊後篇、帝国教育会出版部

1929木下杢太郎/えすぱにあ ぽるつがる記  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) 浮世絵学04/外題(えすぱにあ ぽるつがる記)http://www.ukiyo-e.co.jp/42227

1931濱田青陵/天正遣欧使節記  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) 浮世絵学04/外題(天正遣欧使節記) http://www.ukiyo-e.co.jp/42573

1933木下杢太郎(訳)(1885-1945)/日本遣欧使者記

*原著 1586グワルチェ(1560-1636)、岩波書店  浮世絵学01/落款(グワルチェリ) http://www.ukiyo-e.co.jp/42038     8年余にわたる遣欧使節の記録、特に伊太利亜各地での歓迎

*翌年、1587、秀吉によるバテレン禁止令が発令

1942岡本良知(訳)(1900-1972)フロイス(1532-1597)・九州三侯遣欧使節記、東洋堂

1959大日本史料(11)別巻 天正遣欧使節関係史料、東京大学史料編纂所

1969泉井久之助ほか(訳)デ・サンデ天正遣欧使節記、新異国叢書5、雄松堂

(原著1590 Duarte de Sande(1531-1600)/DE MISSIONE LEGATORVM IAPONEN …)

1977松田毅一(1921-1997)/史譚・天正遣欧使節、講談社

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(ポルトガル、スペインの日本交渉経過)

1543(天文12)三人のポルトガル人が種子島に漂着

1582.02(天正10.01)長崎発 天正遣欧使節

1583ゴア着。ヴァリアーニはゴアに留まる。替わってディエゴ・デ・メスキータが指導

1584.08リスボン着。

1585.03.23ローマ。法王グレゴリウス13世が引見

1590.07(天正18.06)長崎着。秀吉のバテレン追放令のため、インド副王の資格で入国。

1590 Duarte de Sande(1531-1600)/DE MISSIONE LEGATORVM IAPONEN …)

(訳)1969デ・サンデ天正遣欧使節記、新異国叢書5

1591.03(天正19.閏01)京都、聚楽第にて秀吉が引見。

(雁註)青陵先生、伊藤マンショの署名を表紙に刷り込んでいる。

 

例言

 

目次

 

 

第一 日本から葡國まで

 

四少年の署名

大村純忠耶蘇會總長充書状

馬刺加(マラッカ)

臥亜(ゴア)全景

アルブケルク

飛び魚

 

第二 葡西両國の旅

       (雁高)ベレンの塔

リスボア古圖

 

第三 羅馬への旅

 

 

 

 

 

 

 

 

DANTE (1265-1321)

第四 中伊太利(なかイタリー)の旅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二三 ボローニャ市

 

 

 

 

第五 北伊太利の旅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二七 ヴィチェンツア市

 

 

 

 

二八 ヴェロナ

 

 

二九 マントヴァ城

 

三〇 クレモナ

 

 

三一 ミラーノ市

PAVIA

 

パヴィア市チュルトーサ僧院

 

TICINO

 

 

 

 

 

三五 モンソンからサラゴサ、マドリーへ

 

 

三七 モザムビックから臥亜(ゴア)へ

 

 

 

1590De Sande

 

使節後記

一 関白秀吉への謁見

 

 

 

葡萄牙太守、豊臣秀吉宛、書状

 

二 ワリニャーニ師の三侯家訪問

(雁註)IHS、In Hoc Signo, Vinches

 

三 四使節などの後半生

 

 

 

 

第一 日本から葡國まで

一 長崎出立

 

二 媽港(マカオ)の滞在

三 馬刺加(マラッカ)から臥亜(ゴア)へ

 

四 葡萄牙への航海

第二 葡萄牙、西班牙の旅

五 リスボア到着

六 エヴォラ訪問

七 ヴィラヴィソーサの山荘

 

八 グッグルーペからトレード

 

九 マドリー府、國王謁見

一〇 エスコリアル僧院

 

一一 アルカラ大學とベルモンテ

 

一二 ムルシヤからアリカンテの船出

 

第三 羅馬への旅

一三 リヴェルノとピサ、トスカナ大公

 

 

一四 花の都、フィオレンツア

 

一五 シェナからヴィテルポ

一六 羅馬入浴、教王謁見

 

一七 羅馬滞在、新教王の歓待

 

第四 中伊太利の旅

 

一八 羅馬からウムブリアの旅

 一九 アシジ、聖者の跡

二〇 ペルーヂヤ

 

二一 ロレートの御寺へ

二二 アンコナ、ペサロからイモラへ

二三 ボローニヤ市

二四 フェラーラ城

第五 ヴェネチア共和国

二五 ヴェネチア共和国

 

二六 パドヴァへ

二七 ヴィチェンツア市

二八 ヴェロナ市

二九 マントヴァ城

 

三〇 クレモナとローヂ

三一 ミラーノ市

三二 パヴィアの僧院

三三 トルトーナからゼノヴァへ

第六 歸路、葡國から日本へ

三四 バルセロナとモンセラート僧院

三五 モンソンからサラゴサ、マドリーへ

三六 葡萄牙巡覧、歸朝の途に上る

三七 モサンムビクから臥亜(ゴア)へ

 

三八 瑪港(マカオ)の一年有年、長崎へ歸着

追補

使節後記

一 関白秀吉への謁見

二 ワリニャーニ師の三侯家訪問

三 四使節の後半生

 

史料文書

 

 

一 大村純忠、耶蘇會總長宛、書状

 

二 大友宗麟、羅馬教皇宛、書状(伊譯文)

三 大村純忠、羅馬教皇宛、書状

四 有馬晴信、羅馬教皇宛、書状(伊譯文)

五 耶蘇會尊師父ゴンザルエス演説(限拉丁文、邦譯)

 

六 ボッカバルーリ代讀、教皇答辞(原拉丁文伊譯)

七 羅馬教皇シスト五世、有馬晴信宛答書(伊太利文邦譯)

 

八 羅馬教皇シスト五世、大友宗麟宛、答書(伊譯文)

九 羅馬教皇シスト五世、大村純忠宛答書(伊譯文)

 

一〇 中浦ジュリアノ羅馬市民権燈証

 

一一 千々石ミカエル羅馬市民権燈証

一二 使節一行イモラ市宛、感謝状

一四 伊藤マンショ伊邦フェラーラ公宛書状(前書伊文)

一五 伊藤マンショ伊國フェラーラ公宛書状

一六 使節一行、ヴェネチア市宛感謝状

十七 伊藤マンショ葡國リスボア發ヴェネチア大統領宛書状

一八 伊藤マンショ印度臥亜發ヴェネチア大統領宛書状

 

一九 ヴェネチア聖マリア・デルラ・カリタ慈恵院碑銘

 

二〇 伊藤マンショ伊國マントヴァ公宛書状

二一 伊藤マンショ伊國マントヴァ公宛書翰(前書伊文)

二二 伊國マントヴァ附近ポリローネ聖ベネディット僧院碑銘

二三 大友宗麟、羅馬教皇宛書状

 

二四 有馬晴信「カルヂアル」カラフ宛書状

二五 有馬晴信、羅馬教皇シスト五世宛書状(原伊文邦譯)

二六 大村喜善、教皇シスト五世宛書状

二七 ヴェネチア大使、同大統領宛報告(原伊文邦譯)

 

二八 ヴェネチア大使、同大統領宛報告

二九 伊藤マンショ、臥亜發羅馬教皇宛書状(原拉丁邦譯文)

三〇 伊藤マンショ瑪港發、羅馬教皇宛状(原拉丁邦譯文)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何か御気付きの点があれば御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 

学芸員 curator 浮世絵・酒井好古堂 浮世絵鑑定家 [浮世絵学] 検索 http://www.ukiyo-e.co.jp

SAKAI_gankow,  curator,  professional adviser of ukiyo-e 文化藝術懇話会

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14

電話03-3591-4678 



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