浮世絵学04/外題(日欧のかけはし)1990松田毅一(1921-1997)/日欧のかけはし_南蛮学の窓から 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/51698
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1982-04-29現在(2020-07-01更新) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定:judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員  *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員        *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 日本最古の浮世絵専門店

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints   

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#1990松田毅一(1921-1997)/日欧のかけはし_南蛮学の窓から、思文閣出版

これまでの論文の幾つかを集めた書籍であるが、一般向きに分かり易く、興味深く書かれている。学術を踏まえて、正確に語り掛けているので、他にない興味深い話題が書かれている。画像は、あまりない。しかし、膨大な史料を引用し、原文の信憑性を判断している。松田毅一は、ポルトガル語の先達・村上直次郎(1868-1966)に師事している。南蛮学、つまりポルトガル、スペイン、イタリア、ラテン語の第一人者である。特にフロイスの日本史(松田毅一、川崎桃太(訳)、全12、中央公論社)は、ポルトガル側から見て、宗教的な意図が強いが、生の記録である。

没後、蔵書は大村市図書館に収められている。

各論文、初出の年月が書かれていない。執筆日時が異なる場合、必ず年月を記述することが学術としての基本である。

全体として著者の専門家として知り得た史実を広く紹介している。残念なことに年表がないので、年月日で、流れを把握し難い。

(雁註)恐らく、モザンビークの切手を表紙にしたのだろう。

モザンビークは切手でも有名である。

なお、船は船尾を後ろに、風を帆に受けて前方へ進んでいる。

多少、帆の向きが妙である。

(雁註)1965(昭和40)ローマ法王により宣言された。

「信教の自由に関する宣言」

「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」

「普遍なる教会は、これら(ヒンズー教、仏教等)の諸宗教の中に見出される真実で尊いものを何も退けない。

これはの諸宗教の行動と生活の様式、戒律と教義を、まじめな尊厳の念を以て考察する。…他の諸宗教の信奉者のもとに

見出せる精神的・道徳的冨並びに社会的・文化的価値を認め、保存し、さらに推進するよう勧告する。

教会は民族や人種、身分や宗教の違いのために行われたいかなる差別や圧迫をも、

キリストの精神に反するものとして退ける。」と宣言

(松田)もし、この宣言がフランシスコ・ザビエル師の渡日以前になされていたならば、

日本におけるキリシタンの殉教史は、あり得なかったのであり、二十世紀も半ばを過ぎてようやく、

未解決の問題を遺していたキリシタン殉教史は決着したと言い得よう。(p.61)

京都のキリシタンと史跡(p.62)

・本能寺の変(p.68) *講釈師、見てきたような嘘をいい。*フロイスは近くの南蛮寺から、すぐ正確な情報を得て、記録。

わが教会は、信長のところから、わずか一街を隔ったのみであったから、キリシタンたちは、ただちにやって来た。早朝のミサを行うために服を着替えていた私に向かい、本能寺の前で騒ぎが起こり重大事件と思われるから、しばらく待つようにと云った。その後、銃声が聞こえ、火があがった。つぎに喧嘩でなく、光秀(1540*-1582)が信長(1534-1582)に叛いて、彼を囲んだという報せがきた。

本能寺では、このような謀叛を夢にも考えず、誰も抵抗するものがなかった。明智の兵は、さらに内部に入り、信長が手と顔を洗い終わって、手拭いで清めているのを見た。そして、背に矢を放った。信長は、この矢を抜いて、薙刀で暫く戦ったが、腕に銃創を受け、その室に入り、戸を閉じた。

ある人は、彼は切腹したと云い、他の人たちは火を放って死んだという。しかし、われらが知り得たところは、諸人が、その声でなく、その名を聞いただけで戦慄した人が、毛髪も残らず、灰燼に帰したということである。

(雁註)本能寺、ここは火薬庫があった。このため、爆発して、毛髪も残らず、灰燼に帰したか。石山本願寺と同様、寺というより要塞。濠を巡らした、120m四方の城壁。

(雁註)明治に林若吉が入手した手紙に、明智軍団*の信長に対する怒りが書かれていた。この手紙は失われたが、林が活字にしてあるので、読むことが出来る。光秀の領地、丹波、近江は、「皆から明智さま」と慕われて築かれた領地であった。にも拘わらず、いきなり信長は、その領地を召し上げ、毛利の所領である出雲・石見を与えると命令した。これに対して、信長配下の最強の光秀軍団は即、「信長、何するものぞ」と、軍事行動を行った。西へ行かず、東へ向かったのである。軍団の殆どの人は、何処へ行くのは知らされていなかった。*明智軍団、齋藤利三(1534-1582) 明智秀光(1536-1582)

(雁註)明智郎党は、信長の四長老の一人、青山与三によって伝えられた信長の命令を聞いた後、「光秀并家子・郎等共闇夜ニ迷フ心地シケリ。其故ハ、出雲・石見ノ敵国ニ相向ヒ、軍ニ取結中ニ、旧領丹波、近江ヲ召上レンニ付テハ、妻子眷属少時モ身ヲ置ク可キ所ナシ」(明智軍記)と。これで明智軍団の怒りが爆発し、一気に信長を討つこととなった。信長討ちの最大の理由は、明智家および一族郎党が築き上げてきた明智の所領を奪われたからであり、信長を討つことは当然の成り行きであった。信長の誤算であった。

(雁註)天皇の側近、勧修寺晴豊の日記に、「ノブナガウチ」と書かれている。信長(1534-1582)がいたのでは、天皇家はもちろん、自分たち公家、危ないと考え、信長抹殺を計画していた。そのため、茶会と称して、信長を油断させ、あっという間に、鎧兜で固めた戦闘集団が信長を襲った。茶会を催したのは家康とも、云われている。つまり、信長を亡き者にしたい勢力は、一人ではなく、天皇家(正親町)(1517-1593)、および軍団、天皇側近の近衛前久(1536-1612)、秀吉(1537-1598)、明智光秀(1540-1582)、家康(1542-1616)、勧修寺晴豊(1544-1603)、など多くが絡んだいた。

(雁註)光秀の生没年が正しければ、光秀(1528*-1582)は信長(1534-1582)より6歳、年上。足利義昭(1537-1567)より、9歳、年上である。光秀は、信長と義昭の間、武家と公家の双方を取り持っていた。

また別の説では光秀(1528-1582)で、信長より6歳、年上。光秀の生年が分からないことは不思議なことだ。信長より年上だった可能性も否定できない。

南蛮寺の鐘、十字とIHSと三本の釘の組み合わせ(浮き彫り)1577

(雁註)IHSはラテン語で、In Hoc Signo Vinces この十字で征服せよ

松田毅一先生、どうしたことか。IHS イエズス(ギリシャ語)の意だけではない。

(雁註)1590cラングレン原図/東インド図 *つまり日本列島

1596リンスホーテン/東方案内記

発表された当時、日本では列島が骸骨の頭のようだと驚いた。

宣教師が実測して描いた日本地図である。まだ東北まで実測できなかった。

その後、青森まで天測を行った。蝦夷は大陸と陸続きと思われていた。

確か、地図の第一人者・中村拓(ひろし)が最初に紹介した。

南蛮人が作成した地図のDBを作成したが、操作ミスにより破壊されてしまった。

何か御気付きの点があれば御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator 

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