◎浮世絵学01/落款(北齋改爲一)ゐいつ_爲一/冨嶽三十六景 ふがくさんじゅうろっけい 全46 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/7173
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2016-07-01現在(2018-09-05更新)

酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)    http://www.ukiyo-e.co.jp/7173

1)爲一(ゐいつ)

1820(文政3)、北齋(1760-1849)は還暦の時、爲一(ゐいつ)と名乗る。これは「わ行」の「ゐ」、つまり「爲」の崩し字である。この「爲一」画号は、俳諧の師匠・谷素外(1734-1823)が還暦を祝って命名したものである。

2)冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)

冨嶽三十六景(1830-1833)、通常、「フガク」と呼び慣わしているが、当時の記録に「ふじさんじゅうろっけい」とある。他の絵師の外題に、「富士三十六景」の同音があるので、北齋爲一(ゐいつ)の場合、「ふがくさんじゅうろっけい」と呼んで区別している。

1991酒井雁高/北齋、秋田市立千秋美術館、岐阜市歴史博物館

資料集成、年表ほか

 

当時の平均余命は60歳。なかなか還暦を迎えることが出来ずに亡くなる方が多かった。これらの世界的な作品は、もし北齋が平均寿命で死んでいれば、これらの作品は生まれなかったことになる。

3)落款、冨嶽三十六景一覧表

A 北齋改爲一筆 文政13(天保1)  1830   10枚  ゐいつ

B 前北齋爲一筆* 天保2     1831   10枚   さきのほくさゐ  *藍摺、筆の止めが「右」に曲がっている。

C 前北齋ゐ一筆 天保3       1832   16枚 輪郭線は藍線 *Dで需要に応じて、墨線で増刷している

D 前北齋ゐ一筆 天保4      1833    10枚  輪郭線は墨線 ABCは藍線

*Dの時期、BCなどを墨線で摺増しているものもある。これは需要があったからである。

*さて、ここで廣重の東海道との関連で私見を述べてみる。

A  1830.01以前(文政13)、最初の作品10枚は刊行されている。いわゆる大波など、これら10枚は、極印また版元印が無い。富士講(ふじこう)など、私家版で制作されたものであろうか。後考に俟つ。

B  1831.01(天保2年正月)、藍摺が発刊されているので、その前年、1830末年(文政13末)までに画稿が出来ていたことになる。

B  1831(天保2)廣重の東海道に関して、御馬献上の確かな記録があれば、1831(天保2)年正月に刊行されたことが判明するが、未だ分からない。

B   1831(天保2)、北齋爲一/冨嶽三十六景の内題に「東海道」とある作品があり、これらは、1831(天保2)廣重/東海道五拾三次の刊行直後に発刊された可能性が高い。

当時の確実な記録に、何か無いか調べているが、未だ判明しない。

・1834(天保5)、廣重/東海道五拾三次之内は、1834(天保5)年、全作品が保永堂だけで刊行されているが、当初は僊鶴堂が指導して、一枚、一枚、出版されたことが分かっている。恐らく1831.01(天保2)正月に発刊されたものであろう。

1830爲一/冨嶽三十六景    1830-1833

1982北齋爲一/冨嶽三十六景

*1991北齋図録(資料集成、年表)。秋田市立千秋美術館ほか

2015北齋改名一覧 *春朗、宗理、辰政、北齋、戴斗、爲一、卍と七つの画号を持っていた。

何か御気付きになった方は、御知らせ願いたい。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂     http://www.ukiyo-e.co.jp

文化藝術懇話会    浮世絵鑑定家

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