浮世絵学01/落款(北齋改爲一)ゐいつ_爲一/冨嶽三十六景 全46 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]
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浮世絵学01/落款(北齋改爲一)ゐいつ_爲一/冨嶽三十六景 全46 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]

2016-07-01現在

酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]

◯北齋は還暦の時、爲一(ゐいつ)と名乗る。これは「わ行」の「ゐ」、つまり「爲」の崩し字である。

冨嶽三十六景(1830-1833)、通常、「フガク」と呼び慣わしているが、当時の記録に「ふじさんじゅうろっけい」とある。他の絵師の外題に、「富士三十六景」の同音があるので、北齋爲一(ゐいつ)の場合、「ふがくさんじゅうろっけい」と呼んで区別している。

1830爲一/冨嶽三十六景    1830-1833

1982北齋爲一/冨嶽三十六景

*1831に藍摺が発刊(天保2年正月)されているので、これらは、その前年、1830末年(文政13末)までに画稿が出来ていたことになる。最初の作品10枚は、これ以前、1830(文政13)初年に刊行されている。いわゆる大波など、これら10枚は、極印また版元印が無い。当初、私家版で制作されたものであろうか。後考に俟つ。

全作品の刊行は1830-1833、四年間にわたり発刊されている。71-73歳の作品である。当時、50歳-60歳が平均寿命であるから、もし北齋が平均寿命で死んでいれば、これらの世界的作品は生まれなかったことになる。

A 北齋改爲一筆 文政13(天保1)  1830   10枚  ゐいつ

B 前北齋爲一筆* 天保2     1831   10枚   さきのほくさゐ  *藍摺、筆の止めが「右」に曲がっている。

C 前北齋ゐ一筆 天保3       1832   16枚 輪郭線は藍線

D 前北齋ゐ一筆 天保4      1833    10枚  輪郭線は墨線 ABCは藍線

◯北齋爲一/冨嶽三十六景の内題に「東海道」とある作品があり、これらは、1831(天保2)廣重/東海道五拾三次の刊行直後に発刊されたと考えられる。

◯廣重/東海道五拾三次之内は、1834(天保5)年、全作品が保永堂だけで刊行されているが、当初は僊鶴堂が指導して、一枚、一枚、出版されたことが分かっている。恐らく1831(天保2)正月に発刊されたものであろう。

◯御馬献上の確かな記録があれば、判明するが、未だ分からない。つまり、献上の際、行列と一緒に東海道を旅した。それらの素描をもとに、発刊した。1831(天保2)年正月と考えるると、北齋爲一/冨嶽三十六景と廣重/東海道五拾三次之内は、ある時期、同時に発刊されたことが、北齋爲一の冨嶽三十六景の内題で判明する。

当時の確実な記録に、何か無いか調べているが、未だ判明しない。

*1991北齋図録(資料集成、年表)。秋田市立千秋美術館ほか

2015北齋改名一覧 *春朗、宗理、辰政、北齋、戴斗、爲一、卍と七つの画号を持っていた。

何か御気付きになった方は、御知らせ願いたい。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂   [HP: ukiyo-e.co.jp]

文化藝術懇話会    浮世絵鑑定家

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