2014-10-17  人:酒井 雁高 文化藝術懇話会会員 時:2014-10-17 所:ワテラス2011(パーティルーム)号室 題:モンゴル、シナ、チベット探検紀行(ウランバートル→南、蘭州、ココノール青海湖→西、ツダイダム→西、タクラマカン砂漠→西、カシュガル→南、パミール、スリナガル) *主要な大著は、東洋文庫(国会図書館分館)のアーカイブで公開しているので、ブラウズできる。 探検の歴史的推移 1500s 海のシルクロード:ポルトガル、スペイン、イギリス、オランダ、フランスの新天地の奴隷貿易、略奪、寇掠  *鉄砲を(鉄の精錬技術)造れない地域の人々は総て奴隷になる(アフリカ、アジア、南北アメリカ) 1850s 陸のシルクロード 中国はアヘンにより、列強が植民地化を画策。北のロシア、西のイギリス、東の日本 1900s 中央アジア奥地 ドンフラン(敦煌)、トルファンなど。 *文書、壁画、塑像がイギリス、フランスに売られた。 *個人単独の探検(紀行、日記)と国家の威信を掛けた大集団の探検(公式報告記録)、この二つがある。 1910s アムンゼン、スコット 南極点に到達、ビンソン(4,897m) 1950s ヒマラヤ、13の8,000m級の未踏の高山を初登頂。 1960s 宇宙へ飛び出す。 探検の種類 個人単独、国家団体 *公式記録、公式報告より、自由に書いた随筆、紀行が生身の人間を伝えていて面白い。 探検というより、個人として一緒に生活して得た、愛着が滲み出ている文章が素晴らしい。 多くの人は、団体の時も同様、都会の喧噪から逃れて、自然と共に生きたいという思いが強い。 自然の厳しく、生命の全くない沙漠地帯を歩かなければならない。 (現在は、幹線道路が整備され、高層ビルが立ち並んでいる。また原爆の実験場になっている) 個人の意見、批評と吐露した文章は、公式文書にない、面白みがある。 公式文書は、事実を伝えているが、無味乾燥の文章が多く、感動するものは少ない。 文章の表現の仕方 比較しながら、「…のような」と演劇、文学などから引用することは原則として避けた方が良い。 これらは一種の固定観念、価値観を意味して、事実と違うことがある。 むろん、原則として文章を書く時、天地人を明確に記すことが肝要である。 天:天名(天候、温度、湿度)、年月日 地:地名、位置、高度 人:人名、誰が何人、何族について述べているのか 人柄、人物 探検に必要な装備があれば事足りるものではない。 その人物の的確な判断力、行動力がなければ、成立しない。 どのような未知の場所で、最後は人間の誠意がなければ通らない。 多くの人によって助けられて生きていることが分かる。 ーーー ◯リヒトホーフェン、フェルディナント(1833-1905) 初めて、Seidenstraßen(絹の道、「道」は幾つもあるので、複数形)と名付けて、東西交流史を提唱。 *スウエン・ヘディン(1865-1952)の師匠。 1868-1872中国の調査 1877-1912China, Ergebnisse eigener Reisen, 5 Bande mit Atlas シナ 全5  1942支那(1)支那と中央アジア 1943支那旅行日記・上(海老原正雄・訳) 1944支那旅行日記・中(海老原正雄・訳)  1942支那(1)支那と中央アジア 東亜研究叢書(14)(望月勝海、佐藤晴生・訳)岩波書店 1)中央アジア 中央アジアの定義および分割、中心的・周縁的地域の一般的対立、中央アジアの地表の性質、水平的・垂直的区画の概要、中央アジアの民族移動の地形に関する関係 2)北シナの黄土地方とその中央アジアに対する関係 支那の黄土の性質、黄土の起源 3)中央アジアの塩類ステップの成立と変化 中央アジアの地文学的状態と地質的作用、中央アジアの塩類ステップの歴史、中央アジアに於ける海の嘗ての分布範囲、盆地の成因、塩類ステップの改造 4)中央アジアの周囲の遷移地帯 5)世界の他地方に於ける内陸水系地域・黄土被覆地域の分布 ヨーロッパの黄土、イラン高原、北アメリカ、南アメリカ 6)中央アジアの山岳構造 1 天山 2 崑崙とその南の山地 ◯プルジェワルスキー(1839-1888)ソ連 1966-西域探検紀行全集 全15別1  ◯那珂通世(1851-1908)*モンゴル語など、大胡真人・学兄より教示 1888-1890支那通史(未刊)。 1905-1906清国、満州、韓国を視察。 --成吉思汗実録(元朝秘史) *元史の大家となる --満州語、モンゴル語を習得。 ◯グリュンヴェーデル、アルベルト(1856-1935)ベルリン 1902-1903第一回トルファン探検隊 1905-0907第三回トルファン探検隊 *キジル石窟の壁画スケッチは、細部まで正確で、図像研究の重要な資料 *3-8世紀 ◯ル・コック(1860-1930)ドイツ、ベルリン 1940中央アジア探検(グリュンヴェーデルが指揮) トルファン(ベゼクリク) ◯スタイン、オーレル(1862-1943) ハンガリー、イギリス  1907敦煌文書を買い取り、イギリスへ持ち帰る。 *4-14世紀の壁画、彫塑。 ◯コズロフ、ピョートル(1863-1935)ソ連 スモレンスク県スロボータ村の酒造工場に就職。プルジェワルスキーに師事。 モンゴルとカム 全5 エツィン・ゴル下流域で発見した西夏のカラホト(黒い城)遺跡 ◯スウエン・ヘディン(1865-1952) 1964-ヘディン中央アジア探検紀行全集 全11 ◯ペリオ、ポール(1878-1945) 1908敦煌文書を買い取り、フランスに持ち帰る。 *北京政府は慌てるが、当時のシナ情勢では文化財を保管する力量はなかった。 ◯エリノア・ラティモア(Eleanor Holgate Lattimore、1895年 - 1970年) 1927-1928新疆紀行 はしがき、序文 1 夫に出會ふために出發する、西比利亜横断鐵道と支線、セミパラチンスクでは夫に會へず、コズロフ夫妻を探す、キタイスキーと十四臺のマッチの荷と共に十七日の橇(そり)旅行に出る 2 強風と悪道路と雪に埋もれたカザク人小屋の生活、吹雪の中を橇を馭す、キタイスキーがマッチ隊商の連れから救ひ出す、六日後れに楚古査克[チュクチャク]に着く、髯をのばした夫に會ふ 3 楚古査克[チュクチャク]における生活、モーゼスについて、覆馬車で出發する、老風口越え、遊牧蒙古人とカザク人の早春移動隊に出會ふ 4 覆馬車に乗って楽しい冒険、天津人と天津旅宿、烏魯木斉[ウルムチ]の春 5 馬で吐魯蕃[トルファン]へ、海面舌の土地で廃墟になった町が無数にある、我々は考古學者ではなかつた、トルキスタンの最も古い都市の一つの忙しい生活と交易を見る、葡萄の谷へピクニック 6 首都烏魯木斉[ウルムチ]、どうして支那商館の客となつたか、トルキスタンの馬、どうして買ったか 7 克里雅[クルジャ]までの天山北路、イスカンダーとミーンダー、樹にのぼつてゐ盗賊、月光下の砂漠の羊と揺れる砂海の奇怪な物の形と影 8 四十の旅宿と天候が起る湖、綏定[スヰチン]にて旅券を輿へられる、帯刀の護衛を得る 9 克里雅、ロシア貴族とドイツ人牧師と支那官僚の響宴、芝居のための支払、蒙古の王女との邂逅 10 天山山脈の中へ、フィドーとサヂーと小馬、遊牧カザクと馬酒を汲み羊肉を分つ 11 危険な徒渉と製革所での滞在、阿片常用者シボー、カザク人の歓待と支那帝國主義 12 最後の包(パオ)を離れて哥克蘇[コクス]河に沿って行く、夫の遭難、カザク人、夫の狩猟を妨ぐ 13 イスカンダーの悲しい死、馬大仁[マタージン]と彼の贈物の小馬、シーボーとバルドロフを善い案内者にかへられて喜ぶ、サヂーの妻、物凄い麻札他[マツアルト]を越えて狂人に會ふ、阿克蘇[アクス]から客什噶爾[カシュガル]までの旅行、再び月光下の砂漠と泥小屋の旅宿、巫女踊りと逃亡の人妻と美しい道連れ 15 歴史に名高い客什噶爾[カシュガル]の町とイギリス領事館の快適、サヒブにメム・サヒブ、アクサカルとの折衝、世界で最も高く最も困難な通商ルート、タシと彼の小馬を連れて五つの峠に出発する 16 一層、物凄い山々、犛(やく)牛と海抜一萬八千三百呎にある感動 17 パナミクの殺人、白人としての夫の行動、レーにて旅行家に會ふ、旅行家となる悲しみ ◯スミグノフ、ステファン(1898-1924) 1919-1924 アルタイ紀行、コンロン紀行、新疆紀行 *日記を訳した(須田正継)*息も継がせぬ面白さ アルタイ紀行(天山紀行) *ボルシェヴィキと戦うためにでなく、トルキスタン、アルタイ地方を旅行したかった  二度と母国へ戻れなくなった。 待望のイリ市へ:南京虫が襲来。 ・イリ市、ロシア人、シナ人、サルト人、タランチ人、キルギス人、シベ人、ソロン人、モンゴル人、トルグート人、トウンガン人、タタール人。羊肉にハエがたかる。 喧噪と悪臭の町:ムアジン(時報僧)が礼拝の時、大声で信徒に知らせる。 靴泥棒を捕らえる:住民の多くが図々しい。金のためなら人殺しなど朝飯前。サルト人 鍛冶屋を開業:絵の看板を拵え、一目で分かるようにした 再び綏定(すいねい)へ逆戻り:いよいよ仕事開始、 ドウトフ頭目倒る:去りゆく仲間、日曜日には狩猟、 イリ川の漁猟へ:コミュニスト! それはペストと同様の恐怖と脅威を与える。 襲撃者を生け捕る:三人を捕まえる。ボルシェヴィキの密偵。亡命ロシア人を多数、殺した。 ついに魚の餌食:発砲して脅すと、シャツの襟に縫い付けたあったボルシェビキの証明書を取り出した。 イリ川の性質:半日に漁獲3000尾、氷を三カ所、割ると、魚が口を空けて集まってきた。 ダツウクの悲哀:ダツウクの死、イノシシに噛み付かれ、血だらけで人事不省。故人の遺志で、イリ河畔に葬る。 ・ものすごいネズミの来襲、長靴を食い荒らされた。ラスカ(小さな黄色の動物)がネズミの天敵。 マラリアにかかる:ハマダラ蚊に食われ、三ヶ月間、悪寒の苦しみ。トウンガン人が細い青い薬草をくれる。 ・薬草の御蔭で、マラリアの発作は起きなかった。サルト人の薬屋で売っている。 ・ドイツに送って分析して貰う。 山中の別荘へ:千仏廟の会式、 洞窟の仏像見物:華奢な梯子で110メールも登る。いたずら心、信仰心が厚い。四時間も掛かる。 メロンで酒造り、貧乏なサルト人、タランチ人に木の葉の茶を売っていた。 別荘から工場へ: 1923単調を破る三事件、 クリコフと仲たがい:一緒にキジ、カモを撃ちに行く。俺を撃ったな!と、聞き入れなかった。 ローマへの旅立ち:宣教師から依頼されて、ユルト(遊牧民のテント)を運搬。官費で行けると喜ぶ。 いよいよ万里の旅へ:当時の旅行日記を見ると…イスラム教徒の御者はイノシシの薫製は汚れているから捨てろと。 ・仕方ないので、私たちの御者に渡して捨てるようなふりをして、私たちの手元に。 砂漠を超えて:シホ、アニヅイハイイ、ウラン・ウス。汚らしい感じ。 マナスからウルムチ:排水溝を設置していないので、泥濘。 再びウルムチを後に:蚊の群れが猛烈に襲撃してくる。 1924いよいよ砂漠地帯へ:キルギスが多数居住し、羽毛を飾った耳おおいのある毛皮帽を被っている。 いよいよ純砂漠地へ:斑色の毒トカゲ オアシス・ハミ:アラビア式、金の礼拝堂。 ハミを後に:笞刑(ちけい)、太さ4.5cmで重量があり、打たれると不具者となる。 ・ハミ人はサルト人と異なる。モンゴル化したらしい。 砂漠中に滞留:蜃気楼をながめる。 甘粛省に入る:山犬(赤いオオカミ)が附近に多くいる。 砂漠地を終わって:ユー・メン・シャンの町、タングート族。 ・シナ人と顔貌が全く違う。顔は青銅色、頬骨が高く、鼻が大きく、眼が澄んでいる。 万里の長城に接す:4000キロの長城。世紀前4世紀から16世紀末に建設された。 ローマ行きを断念:亡命ロシア人のため、宣教師が便宜を与えなかった。 粛州を後にして:121年に建設された古い町。汚水、汚物が混じり、悪臭。 ・宣教師の態度にバカバカしくなった。荷物を守り続けて持ってきたのに、運送を止める。 ついに匪賊にあう:タングート族は夜間に略奪するから警戒するようにと。 甘州の町に入る:通訳のワンは、匪賊捕縛に参加して武勇を誇ったように云うので、マケーエフと見合って笑った。 トウンガン族のリンチ:トウンガン族は自分の子供を売らない。シナ人は平気で売る。シナ農民の家は乞食の住処。 野生馬の調教失敗:馬が果樹園に飛び込み、樹木に衝突。18時間も人事不省。涼州はトウンガン族の勢力地。 ・シナ農民はアヘンで奴隷になり、乞食のようであった。乞食の連続が20キロに及ぶ。 目前に黄河の流れ:桃、スイカが美味。 蘭州での奇遇:旧部隊長のアンネンコフに再会。 ・宣教師がローマ行きの荷物を運搬してくれと。少し考えさせてくれと応える。二日経って、拒絶。 蘭州を後に:医師のヤンコフスキーは、蘭州に滞在して、白系ロシア人の動きを探査していた。 北京、天津へ:包頭を立ち、天津へ。トマトと思ったら、カキ。 コンロン紀行(ツアイダム) *冒険的な探検を好む 1927発端:出発(スミグノフ、マケーエフ、キルギス人のムカシバイ)*ラサ・ウイグル(トルコ系)の生活調査 *雪道を馬車で通過するのに、馬車に太い丸太を付けて橇(そり)のようにした。 無人境へ:マイナス25度、クマの皮を敷いて寝た。カザックが通行者から略奪する。ウルムチからハミまで16日かかる。 山犬の襲撃:猟銃で三匹を倒す。仲間を呼び、山犬が二十五、二十六匹ほど突進。二時間以上の死闘。火を焚き、撃退。 *全身、びっしょり汗をかく。山犬が一方から攻撃したので撃退できた。 敦煌:アヘンの集散地。ラクダを雇う。テイジ・ノールまで10日間の予定が、26日もかかる。 ツアイダム、豪雨、そして雹(ひょう)が降り出す。ラクダが狂気のように鳴き続ける。 砂漠の強風:散乱する空き缶などから、ソ連邦の調査隊と。 ・馬の舌をコニャックで拭いてやる(アルタイ処方) モンゴル人はキジを撃つな。天に属している。 テイジ・ノール:ツアイダムの塩沼地帯は多量の硝石が含有。ラクダや馬は直ぐ、10分ほどで倒れて死ぬ。火薬の原料。 ・ツアイダム人の印象、愚劣で、狡猾、不作法。モンゴル帽は四方に四個の耳たれ。護符の小箱(金、銀製)を首から下げる。 商売がたき:羊毛とラクダは4-5月、羊牛馬は5-6月、皮革、毛皮は冬。獣毛が豊富。キツネ、オオカミ。 ・モンゴルの習慣で、地を掘ることを禁じられ、工場用建物が建てられない。 不幸な旅人:パテー商会のマルト氏の暴行が激昂を買って、チベット族の居住地ゴロで鏖殺(おうさつ)された> 気候・風土・野獣:高山病に効く薬、チベットのイギ(樟脳のような香り)を貰った。 ・クラン(野驢)の肉を食べる。ヤクの肉、チベット人は好んで食す。オロンゴ(野生の羊)は60センチの角。 新疆との連絡:王公にハタック(進呈する白絹) ポカリック;モンゴル人がチェトケールザム(鬼の道路)と呼ぶ危険な道。 毛皮の収集:クラン、オロンゴを射止めても、皮や肉は処分できない。 ・プルジェワルスキーが、この山をシャプPカモノアフと命名。古武士の帽子のような感じ。 イシク・パクテ:狩猟するトルコ人。カモシカ、クラン、ヤクを捕獲。獣皮が目的で、肉は食べない。 ・ヤクは撃ち損じると猛然と反撃してくる。命が危ないと、案内人が制止。風下から近づく、耳が発達して、物音に敏感。 地獄の金山:チェルチェンは賭博の巣窟。サルト人は賭博好き。 ・イスラム教のアホン(教長)が借金のサルト人を金鉱採掘人に仕立てる。 テイジ・ノール帰着:ムカアバシーがラクダの傷口を洗い、針と糸で他の皮を縫い付けた。 旅の王公たち:1928高原での新年、 遅過ぎる帰り:希薄な空気で呼吸が困難となる。 マケーエフの訃報:3月7日、タシ・ダワン峡谷(チャルクリク)で、大雪が二日降り続き、凍死(ムカバシーも一緒に)。 ・12メートルの雪の下から死体を発見。「マケーエフよ、なぜ死んだ!」 ・ツアイダム(モンゴル人)と新疆(サルト人) ・サルトはペルシャ、ロシア語で、中央アジアに定住民で、特定の民族でない。商人の意。他の土人は穴居生活。 遭難の模様:ロプP・ノールの人々は無知文盲、外人は、お医者?  ロプ・ノール:海抜790メートル 魚族が豊富に住む。野禽で埋まるほど。 ・人々は背丈が高く、1.8m、亜麻色、赤色の髪。湖は淡水、岸近くの水は塩辛い。 ・魚油を使う(灯火用)、その臭気でロプノール人と分かる。馬アブ、蚊が多い。 ・一説にスカンジナビアから。言語はイスラム、モンゴル、ロシアの何れでもない。特有の言語。 ・サルト語のチャカ(車輪)からチャクリク。チャルクリクでなく、チャクリクが正しい。 湖に沿って、夜道に迷う、不思議な道行:コルラ、カラシャール モンゴル馬 驟雨(しゅうう)を逃れて:南京虫に一晩中、悩まされた。トルファン産のマクワウリを食べる。 1925ウルムチへ:トクスン、坎井(かんせい、西アジアのイラン、カナート) ・上等の果物が安い、ブドウ、ナシ、リンゴ、イチゴ、メロン、 民族の博物館:カシュガル市場(絨毯)コータン市場(絹製品)、トルファン、クチャール市場(乾かした果物) ・イスラム教徒 ムアジンが奇異な声を発して叫ぶ。 ・サルト族、タランチ(国境地帯で農業)、トウンガン(シナ人、イスラム教徒、精悍)、マンシュウ(烏蘇ウス、索倫族ソロン)、ロシア・タタール、キルギス(遊牧)、モンゴル(トルグート) ・馬乳(クミーズ)、シャシリック(羊肉の串焼き)、ピラーフ(羊肉入りの焼き飯)、マンティン(大型饅頭)ハエが集る 楊省長暗殺、帰路への旅だち、 路上の珍事:止痛にナーシャ(アヘンに似た麻薬)サルト人が悪習に耽る。 砂漠の中の廃墟、行く手をこばむ石門:ヘディン隊は北方からのみ、ロプノール地方を調査 ロバの忍耐強さ 略奪者の洞窟、ロバも疲れて:動けなくなったロバはオオカミの餌。ロバの舌が乾いているのでウオッカを拭く。 懐かしの包(パオ)に帰る:猟師を募集 32名の猟師 1928二度目の正月:ヤク、クマを撃つ時の弾丸は炸裂するもの 猟師たちに会う:マイナス20-25度 高層地帯で寒さ元気がない。カラ・ノール湖 海抜3,800メートル 素晴らしい獲物:ヤマネコ、キツネ、ヒョウ、テン、オオカミ、コルサク(ダッタンキツネ)。コルサクを除いて730枚 ・猟師は御礼(17頭のラクダに満載した麦粉、米、衣類などをあげた)に、罠で取れた毛皮をくれる。断崖にアルガリ(野生羊) チベット人の襲撃:セエク・スウィギル族(性質が悪いチベット族) 敦煌に向かう、廃墟を見る:野生の大きいラクダがいる。モンゴル人は平和な動物を殺す必要はないとラクダを撃たない 長物語を聞く、敦煌へ着く:古墳に興味があったが、道具もない。 ・モンゴルの先祖がクウラスタイの南20キロに落ち着いた。聖なる地。 ・ラクダが脱毛すると、アブ、蚊の襲撃を防げない。 凶悪な道連れ、ラマの祭典:アラキ(モンゴル酒) またも出猟、クマと一夜を:猟師アリムは、洞窟の中で、クマと一緒になり、砂を掴み投げる。 ・猟師一人に馬2-3頭、天幕、寝具、罠など30余人で7-80頭の馬、あとから17頭のラクダ。 烈風の襲来:オオカミのため、馬2頭が犠牲になる。獲物は47頭のオオカミ。寒さが厳しい。血液が頭部に充満、それを瀉血。 ヒョウを仕止む:長い尾を捕らえて引き寄せる。猟師はヒョウを嫌がる。手を掛ける。断崖の方へ逃げる。 西寧に向かう:青海湖の付近、土匪(どひ)が多い。小銃2丁、機関銃1丁。12名、ラクダ50頭。 チベット人の襲撃:夜営している時、襲う。馬を撃て! 危機を脱す:一行5名の内、3名は棒を持ち、鉄砲と思わせた。ラクダは駆け足はしないが、大股に歩くので揺れが激しい。 ・塩の沼沢地で、至るところアシが生えている。 憧れの青海湖(ココノール):3180メートル。竜巻が伝説、神が怒って湖水の水を天に吹き上げたと。 クムブム廟:ラクダが苦しんでいる。ホルウン・オウエセンという毒草。開いた口を塞がないよう、酸乳を口に注ぎ込む。 ・ラマ僧は裸足。古代ローマ人を思わせる。磚茶(せんちゃ、丸い瓦のように固めた茶)。 金で葺いた屋根: ・廟の土地を取り上げ、シナの管轄下にしようとした。反対した八人の活仏がシナ人により殺された。八個の記念塔を建てた。 ラマ廟の花祭り:祭りは夜間 バターで造られた仏像 修道僧は、この期間、好む婦人を選び出せる。 ・青海、甘粛の民族 トウンガン族(アラビアの後裔と称す)が多い。サラル族(ロシア領、トルコ語と似ている) ・ドジャ・シファン シナとチベットの混血、独特の暦 ・フウム・モオ族(チベットの別派、青海湖の南方で牧畜) ・他のチベット族、アムチョフ、カンジャ、ミシュウ、ドオウ、ナワ、ヌウラ、チェクウ チベット天幕を訪う:小銃、二、三丁 ツアイダムへ同行する募集。64名が集まる。 *モンゴル人から詰問。採ったり、食べたりしてはいけない。鳥(の卵)は天からの使い。魚は水の神に奉仕。 *チベット人、神聖な湖(ココノール)へ舟を浮かべてはいけない。クマのようなチベット犬。 チベット人の奇習:顔や手を洗う事をしない。水は飲むもので、洗うことに使わない。 *馬、背は低いが、耐久力がある。険阻な場所でも平気。 *死体は馬かヤクに載せて、捨てる。馬やヤクは、自由になり、一生、この家畜に手をつけない。 *ツアイダムの南のチベット人、死体を細かく切って湖に投げ込む。 チベット人の襲撃:15人のタングート ついに略奪さる:猛犬八頭、不寝番で警戒 無事に帰る:山羊の皮で浮袋を造る。空気を抜いて折り畳める。 とつぜん襲撃さる: チベット族の女王:遊牧民は、すぐに用件を切り出さない習慣がある。 チベット人の習俗:拳銃を撃つ、ヤクの頭を撃つと、初めて拳銃の威力を知った。見せるとチベット人は欲しくなる。 *隣人から、ものを盗むことを教える。盗賊、略奪者になる。長靴は赤い色。他人をみるに正視せず、うかがう感じ。 今度はコータンへ:チベット人の肚の中が分からず、うす気味悪いものを感じた。 またも狩猟へ、略奪にあう:女公と交渉して、馬や品物が戻されていた。猟師たちは略奪されたものが全部、戻ってきたので吃驚。 痛快なクマ狩り:クマは、ハラ・ムウクの実を食べにやってくる。 道に迷う:クマ狩りの名人になる。九日間で、23頭しとめた。 *オロンゴ(野生山羊)は、撃ち損じて手負いにすると、最後、必ず人を目がけて襲ってくる。命取りになる。 旅行中の発病:イスカンデルの峠(4511メートル)、発熱し、顔が赤くなる。人事不省になる。 *モンゴル人の医者が急性肺炎と診断。粉末をくれる。三日目に、熱も下がる。しかし、また悪くなると看病。今度は大丈夫、峠を越した。 ウルムチへ移住、イスラム教徒の動乱:ロシア人は新疆のウイグル人をサルト人と呼んでいる。サルト人とシナ人の争い。 *トウンガン族の馬仲英はウルムチ政府の軍隊を破る。 *ソ連に抑留すると脅し、総てのロシア人を政府軍に仕立て(乗馬隊、歩兵隊、機関銃隊)、馬と交戦。馬軍は甘粛へ退却。 *蒋介石は馬仲英を粛州駐屯第三十六師の師長に任命。(ある目的) 馬仲英の蹶起(けつき):イスラム戦争  1934ウルムチのクーデター、馬仲英軍退却、ダワンチェンの戦闘:ロシア軍が活躍 またもウルムチ襲撃:張培元の軍隊はロシア騎兵隊のために撃破された。ボルシェビキの秘密派兵が出没。 馬仲英軍敗退:ロシア人部隊は、アルタイ支隊(赤軍)が来ては困る。馬仲中軍に機関銃を浴びせた。 赤軍部隊出現:コミンテルンの網にかかる 馬仲英の敗走:赤軍幹部、政治部員は変名。赤軍のクジミッチ(全赤軍を支配)は誰であったか分からない。共産党の手がのびていた。 ようやく平穏になる:ソ連空軍が目標を間違えて爆撃。イスラム教徒もソ連の巧妙な画策に載せられ壊滅。 *赤色ソ連の勢力増大、監獄も五棟増築。監獄へ入れられたものは、二度と戻ってこなかった。 1936新疆省の赤化:ソ連は新疆省へ乗り出す。ゲ・ペ‥ウ(政治監察本部)。工場設備(コンビナート)で働かす。完全な諜報網。 *1934-1935、白系ロシア人が多数、捕縛された。ソ連の憲兵隊に睨まれたら最後、すべては終わり。秘密警察、密告制度。 失われた新疆省:反日、抗日。親ソの大宣伝。 1933ウルムチで結婚:長いあいだ、遊牧民のような自由本邦な生活 トルファンの町、トルファン出発:地下のゴムラと呼ぶ避難所、日中は暑さを避けている。トルファンではカレーズの地下水を利用 楽しい新婚の旅、イスラム教徒の狼藉:イスラム教徒のラマザン(断食)。イスラム教徒は異教徒と結婚できない。 *イスラム教徒は賄賂をとることは禁じられているが、土産物は差し支えない。 危機は迫る、ついに捕縛さる:直接、シナ語で話したところ、副官は非常に驚いた。 *ロシアの騎兵刀は勇敢と剛毅の精神の籠ったものとして大切にされていたが…サルト人が無造作に腰に下げていた。 命は旦夕に、イスラム教徒になる:イスラムに改宗。 ようやく危機を脱す:拳銃を修理してあげた。また時計も修理してあげた。 逃走を企つ:民衆がモスクで祈祷している時、逃げろ。 トウンガン兵の追つ手、追跡者を撃退、テイジ・ノール、 悪疫の流行:ツアイダムのモンゴル人は、守銭奴に近く、旅行者から掠(かす)め取る。ジフテリア?流行る。 聡明な新王公:イスラム教徒の乱で、ロシア人がシナ人側に立ったので、敵意を剥き出しにした。 危険な宣誓式:モンゴル式宣誓は点火した火縄銃の銃口に接吻する。煮えた油の中に手を入れる。(近づけば、罪がないとして、ボタンを押すと油は別の容器に移る。水は沸騰して熱いが、すぐ出せば火傷もしない) ノーリン博士救援、活仏の捺印(金の指輪):ラクダの踵(かかと)が磨り減ってしまった。王公、王公夫人に献杯してアラクを飲む。 競馬に参加大勝、ココ・ノール目ざして:自転車の車輪で測量しながら進んだ。 クマに出会う:カラ・ムクという木の実を食べに山から降りてくる。砂掘機で井戸を掘っても、湧水しない。 *クマと対峙した場合、逃げ出したら、追い掛けられる。 天幕に毒虫:毒虫を駆除するため、灰を撒く。モンゴル人は、吉日と凶日を区別する。 みごと猟銃の腕前:タマリスクの茂み、サクサウルの砂地。土匪に襲われないよう武装して応戦できる状態。四方を展望できる場所。 タングート族、それ土匪(どひ)の襲来、盆地に遊ぶカモシカ、チベット人の結婚、王公との別れ、 1932-1938タンガルの町へ:大多数はトウンガン族であるが、商取引の実権は漢民族の掌中に握られている。 米宣教師の招待、西寧市に入る:アヘンを吸うランプがあり、大人だけでなく子供も吸っていた。 *イスラム教徒のトウンガン人はアヘンを口にしない。 さようなら西寧:ツイガン(ジプシー)の言い伝えに「馬を売るものは、他の馬も買う事ができない」 激流を下る筏:西寧から20キロの地点に白馬寺(ペイ・マ・ス) 1 新疆省イリのマナス近くのダ・シェ・グウル。ムウイン・ブウド・ハン(1000個の仏像を集める意) 2 甘粛省敦煌付近の千仏洞。 3 甘粛省粛州 4 陝西、甘粛の境、平涼付近の大仏寺。  特に1、2が大規模な寺院 蘭州で隊列解散、悪路を衝いて、自動車の難行: 平涼に入る、目指した西安入り:南京虫が飢えたオオカミのように襲いかかってきた。 新疆紀行 出版されなかった ◯ラティモア、オーウエン(1900-1989)アメリカ、天津で育つ、エレノアは妻 1926蒙古旅行 単身 1928砂漠の蒙疆路 1929-1930砂漠の蒙疆路 大陸叢書 1930高原の韃靼國 1932紛擾の揺籃・満州 1934満州の蒙古人 1937内亜細亜の支那邉疆 1942イギリス王立地理学会より金メダル(中央アジアの探検) 1928砂漠の蒙疆路 目次 1 内亜細亜への交通 2 國境を出づ 3 雲雀寺へ 4 隊商の大牧原 5 降魔の不安境 6 繞路を語る 7 阿拉善(アラシャン)領に入る 8 隊商の世界 9 阿拉善(アラシャン)の砂丘地帯 10 長槍の由来 11 沙漠の沼地帯 12 阿拉善(アラシャン)領を越ゆ 13 額済納郭勒(エヂンゴル) 14 黒ゴビ沙漠 15 贋法主の古館 16 隊商の死体送りと幽霊 17 死の天嶮蒙古峠 18 再びゴビ沙漠へ 19 抑留の二週日 20 氷雪の大苦難 旅程日誌 ◯キニ。エラ・マイヤール(1903-1996 )Geneveで生まれた 1932Parmi la jeunes russe, De Moscou au Caucase. 1934Des monts célestes aux sables rouges. 1934Turkestan Solo. Eng. ed. 1937Oasis interdites, De Pekin au Cachemire. 婦人記者の大陸潜行記(多賀善彦・訳) ----Forbidden Journey. From Peking to Kashmire. Eng. ed. 新疆で何が起こっているかを見定める。 1942Gipsy Afloat. 船に乗ったジプシー 1942Cruises and Caravans. 航海とキャラバン 1947TheCruel Way. 残虐な道 1951Himalayan Journal. ゴザインクンドの山地。 *二週間の費用140ルピー 身軽な旅の仕方 1955The Land of Sherpas. シェルパの国 ◯フレミング、P (1907-1971) P. FLEMING Oxford Univ. Times 傅勒銘(中国の表記) *Ian Flemingの兄 James Bond 1933Brazilian Adventure 1934One's Company 1936News from Tartary。 1939-1945 戦争に従軍 1940Invasion 1940. 1941Travels in Tartary 1952Forgotten Journey 1959The Siege at Peking. 北京の包囲攻撃  北清事変について 1961Bayonettes to Lhasa. ラサへ向けた銃剣   *1904ヤングハズバンドがラサへ進駐した時の経緯 ----The Fate of admiral Kolchak. コルチャック提督の運命  1935フレミング/韃靼通信(川上芳信・訳) 1)苦難への道 1 予定行動開始時間 2 キニ登場 3 二人旅はうまくいく? 4 禁じられた地方 5 スミグノフ夫妻と武器の調達 6 悪夢のような列車 7 鉄道終点駅 8 行くも止まるもトラックまかせ 9 六盤山をトラックで 10 身柄、不拘束の逮捕 2)命からがら 11 山越え 12 敗北か? 13 禁足 14 大ラマ廟 15 お役所仕事よ、さらば 16 よきサマリアびと 3)未知の世界へ 17 身軽な旅 18 ズンの王様 19 悪魔の湖 20 隊商は進む 21 風とロバと 22 地の果てへと夜を行く 4)無人地帯 23 消え失せた町 24 ひとり占い 25 むなしい日々 26 もちつもたれつ 27 お先まっくり 28 ボドティシインの案内で 5)なまやさしい旅ではない 29 ボBロン・コルの渓谷 30 道に迷う 31 ターバンを巻いた人たち 32 誕生日 33 被害甚大 34 スラロムとの別れ 35 区差・人間・情報 36 海だ、海だ 37 すばらしい新世界 38 英国万歳 6)砂漠の道 39 閑話休題 40 赤軍の援助 41 ロシアの脅迫 42 新しい帝国主義者たち 43 チェルチェン 44 渇き 45 砂また砂 46 ケリヤのハトと景 47 反乱地域も無事に 48 コータン 49 消えた首領 50 トウンガン軍の領土を去る 51 馬に乗った渡り者 7)世界の屋根 52 カシュガル保養地 53 血清の空輸 54 パミール高原 55 シナ領最後の町 56 ロシヤの手先 57 野ヤギの峠 58 故郷のたより 59 歓迎攻め 60 サーヒブ(貴人)たち ◯西川一三(1918-2008)かずみ *ロブサン・サンボー 山口県阿武郡地福村(現山口市)に生まれる。1936年、福岡県中学修猷館を卒業後、南満州鉄道(満鉄)大連本社に入社する。1941年、「西北」への憧れから満鉄を退社し、駐蒙古大使館が主宰する情報部員養成機関である興亜義塾に入塾する。 1943年、同塾を卒業後、駐蒙古大使館調査部情報部員となるや、東條英機首相より、「西北支那(中国)に潜入し、支那辺境民族の友となり、永住せよ」との特命を受ける。背景には、満州、モンゴル、トルキスタン、チベットと手を結び、中国を背後から包囲する「ツラン民族圏」構想があったとされる。そのため、チベットに潜入を計るが、当時チベットは外国人の入国を禁じていたため、チベットに巡礼に行くモンゴル僧「ロブサン・サンボー」(チベット語で「美しい心」の意、誠意を忘れぬよう自戒の念を込め西川自らが命名した)と身を偽って内蒙古を発ち、寧夏、甘粛、青海を巡って、1年10ヶ月に及ぶ単独行の後、1945年にチベットの都ラサに潜入することに成功する。この潜行の間、外務省への報告は、当初現地の協力者に靴に縫い込むなどして運ばせていたが、現地人に迷惑を掛けたくないとの思いからこの方法を途中で止め、その後は、日本に帰国するまでの膨大な地理情報・見聞・行動記録を、全て自分の頭に記憶していった。 その後、日本の敗戦を知るも、地誌と地図を作成する任務を放棄せず、外務省からは送金も援助も無い孤立無援のまま続行する。モンゴル僧としてデプン寺に入り、1年間にわたって本格的な仏教修行と、猛烈な語学の学習を行い、蒙古人ラマとしての信頼を獲得し、ようやく平穏な時を持つ。しかし、興亜義塾の先輩である情報部員木村肥佐生と、秘境西康省踏査の協力を約し、ラサを発ち、再び修行僧や商人と身を偽って、ブータン、西康、シッキム、インド、ネパール各地を潜行する。その後、ビルマに潜入する計画であったが、1949年、インドで日本人の密告により逮捕され、翌年帰国する。その頃、西川は潜行を始めた1943年の時点で、行方不明者として戸籍から抹消されていたため、生家では既に死んだものと諦めていたという。 帰国して1ヶ月も経たない頃、西川はGHQから不意の出頭命令を受ける。しかし、東京に到着した西川は、GHQに向かわず、先に外務省を訪れた。各地域の調査報告を求められたら協力するつもりであったからである。ところが、外務省は情報の宝庫のような西川に無関心で相手にしなかった。それに対し、GHQは西川からの情報収集のために一部屋をあてがい、1年間にわたって、西川から西域潜行での情報を詳細に聴取している。その聴取は凄まじいもので、日曜以外毎日午前9時から午後4時まで、日系通訳と部屋にこもり、質疑応答が繰り返され記録されていった。昼食も部屋で食べ、用便以外はここから出ることも、通訳とむだ口を交わすこともなかった。この見返りとして、GHQは当時の金額で一日当り千円を支払っている(この年の大卒初任給は5千円程である)。 また、登山家西堀栄三郎は、1952年に初めてネパールに入国するにあたり、数度に渡って西川を自宅に招き、チベットやネパールなどの現地情報を収集している。その後、盛岡市で理美容材卸業を営み、亡くなるまで元旦以外は休まず働き続けたという。 2008年2月7日、肺炎のため盛岡市内の病院において死去。享年89。この日は奇しくもチベット暦の元日であった。 1973秘境西域八年の潜行 上巻。芙蓉書房 *秘境域八年の潜行。秘境に賭けた青春。砂漠とヒマラヤに挑む。未知への憧れに、ゴビ砂漠を越え、峻嶺ヒマラヤ連峰へ、幾多の死線をさ迷い、たどりつく、チベットへの長い道程。 1973秘境西域八年の潜行 下巻。芙蓉書房 *秘境西域八年の潜行。チベット紀行決定版。神秘なラマ教のベールを剥ぐ。内陸アジアの自然と文化に没入した日本人ラマ僧が克明に綴る、秘境アジア民族の赤裸々な生活の記録。 1973秘境西域八年の潜行 別巻。芙蓉書房 *チベットのすべて。民族風習、芸能、信仰、風土を詳細に描く。冒険談に終らぬ興味と学術的価値をもつ。生命の危険と自然とのたたかいの西域記録。アジアの歴史と文化を考える世界的な資料。 1943秘境西域八年の潜行(別巻)チベットのすべて 1)チベットの山河と人々 1 はじめに 2 チベットの下宿(ラサ9 3 ラマ教徒のメッカ、ラサ 4 ラマ廟を中心として商都 ラサ 5 ラサ環状路の寸影 6 千差万別 人種の展覧会 7 ラサの一日 8 支那とチベットの抗争 9 レポン寺から巡礼 10 チベット人の生態 11 眼を楽しませる街道風景   西川一三の西康 チベット行程図 12 傍若無人の巡礼者の群れ 13 水郷の街 チュシュー(曲水) 14 絶景哉 ヤンタク湖(ツオ) 15 平和な麦打ちの音 16 ホロ族 17 ラッシルンプ寺の六霊堂 18 シガゼの産物 19 ジョエ(灯明会)の供養会 20 蒙古ラマの生計 21 通用しない百円紙幣 22 チベットの貨幣 23 チベットの大家族主義 24 ナルタン寺 25 シラミを食う女達 26 一夜の宿は馬小屋 27 織機の音に暮れる街 28 サチャ寺の階段 29 物乞いの練習 30 托鉢しながらインドへ 31 隠者の苦業 32 巡礼仲間 33 英国とチベット 34 鈴の音、長閑なチベットーヒマラヤ街道 35 チベット人の手習いと計算法 36 霊峰ヒマラヤ迫る 37 高原の街 パリー 38 ヒマラヤが街道の花形 39 ブータン人の生態   レポン寺の組織 付票(1-3) 2) レポン寺のラマ僧 1 レポン寺の内幕 2 倉参与(シャンゼット)と会計層(ネルバー) 3 初年坊主の一日 4 トンビに油揚をさらわれる 5 司法僧の就任式 6 ラマ一年の生計 7 ザンバーつくりと安吾(あんご)の行事(チベットの演劇) 8 新参者(サロワー)はつらいー初討論 9 ラマ僧の男色 10 チベットの夏(リンカ、ラ、ログ、イン) 11 チベット人と蒙古人 12 チベットの神々 13 モンラムの権力者 *国家的大祭典 14 モンラムを飾る悪魔払いの儀式 15 チベット政府秘話 3)寧夏、甘粛、青海風俗こぼれ話 1 アラシャン(寧夏)の横顔 2 黄教の開祖宗喀巴(ツオンカパ) 3 タール寺の組織 4 パンチェンラマとタール寺 5 ラマ分かの粋 大本堂 6 宗喀巴(ツオンカパ)堂と性の殿堂 7 奇怪な巫僧 8 八つのラマ塔に秘められた伝説 9 タール寺の食生活 10 ラマ僧の服装と趣味 11 学位を受ける「メンドク」式 12 四千人を賄う大釜 13 忘れられぬ「ドンゴー」味   西川一三の行程図(蒙古ーチベット) 14 青海省のボルハンブダ山脈 15 ツアイダム(柴達木)の夏 16 滅びゆく青海蒙古族 17 どこへ去ったジンギス汗の血 18 温順、善良な青海蒙古族 19 日本人に似たタングート族 20 バナクと泥の家屋 21 切っても切りはなせないヤク 22 精悍無比なタングートの民族意識 23 タングート族の風俗習慣あれこれ 24 天下一品のバター茶 25 荒野でつくる臓物料理 ◯木村肥佐生(1922-1989) チベット名、ダワ・サンポ 亜細亜大学アジア研究所教授 1940年: 興亜院モンゴル語研修生 1942年: 大東亜省内蒙古張家口大使館調査課 1943年: チベットに潜行し諜報活動に従事 1950年: インド経由で日本に帰国 1951年: 駐日アメリカ大使館勤務 1977年: 亜細亜大学アジア研究所教授 1958チベット潜行十年、毎日新聞社 全1 1 テンゲリ砂漠  昭和14- 四年間、蒙古生活 その遊牧生活に愛着をもつ  トルゴート蒙古人(ボルガ川下流、新疆天山、ツアイダム蒙古)  昭和18-12-15 旗ホショー、蒙古語の行政単位  張家口 内蒙古西  風葬(ふうそう)仏壇も墓もない。死者を草原に捨てる。前世からの運命(ラマ教)  チベットのラサ、青海省のクムブム(塔爾) 一個の木椀を懐(ふところ)  ムチをパオ(包)の屋根の上において厚いフェルトを撥ね除けて入る(ムチを持ったまま入ると、家人を家畜とみなし侮辱)  フーログ(嗅ぎタバコ入れの陶器)  洞窟に観音像、ネズミの死骸は病気に効く?高く売れる  回教徒は、異教徒と同じ井戸の水を飲まない。  ハエの一種で、動物の眼に卵を生む。眼球、失明。牛、馬、羊。馬のシッポで小さな輪を作り、ウジをつり上げる。  山の名前を口にしない。山の神を怒らせ、良くないことがおこる。  ラクダ、白いアブクを吹きながら、噛みつき、足で蹴倒し、巨大な胸で押し潰す。  丸い穴、家畜入れの倉庫。貧しい人も住む。  ラクダがポロポロと糞をする。子供が争って拾っていく。乾かして燃料。  ラクダは水が苦手。浅い川、人間の後からなら、だくだくと付いて行く。  ラクダに蹴られたら、人間の大腿骨など簡単に折れる。  雌ラクダは、子供が亡くなった場所を覚えていて、悲しそうな声で鳴く。  王侯の墓で、毎年、子ラクダを殺した。母ラクダが覚えていて、その場所を教える。  タンガット人(チベット系アムド人)。女性は美人。  回教徒、赤茶色のアゴヒゲ、白い帽子。トルコ系。  お寺では、金の力が露骨にものをいう。  クムブム寺  僧房に便所がない。無数の野犬が排泄物を直ぐ食べる。  男女共に、右肩肌を脱ぐ習慣。女は豊満な右胸を出して歩く  蒙古、シナ、トルコ(回教徒)、チベット(タンガット、ゴロク族)  コサック(回教徒) 2 遊牧の民と共に  青海湖、塩辛くて飲めない。下痢をする。  内外蒙古のラマが、ツアイダム娘に引っかかる。  蒙古人、タンガット人は、魚や魚を食わない(ラマ教で禁止)  蒙古人は、羊の肩甲骨を焼いて、占う。  蒙古人の主食、ザンバ(大麦こがし)  山中のチャガン・オス川。岩ハナに、注連縄のようなものが張ってある。  馬乳の酒が最高級品。牛、羊は少し落ちる。  性生活はルーズ。貞操観念は薄い。私生児。制帽。淋病、梅毒(テンポー)、水銀と硫黄の丸薬。  ラマ僧は男色。内股を使う。蒙古式は稚児を仰向け、チベット式は俯(うつむ)け。  焦らず、当分バカになって暮らしていた。  赤ん坊、産湯を使わず、羊毛やボロ布で拭く。  冠婚葬祭、すべてラマに搾取されるような仕組みになっている。 3 ラサへの旅  見渡す限り、家畜(馬、ヤク、ラバ、ラクダ、羊)  キャラバンがチベットへ持って行く商品。馬およびラバ。  ジョロー・モリ(蒙古人)、走馬(中国人)、ドウマ(チベット人)。  *走る時、同じ側の前後肢が同時に動く馬のこと。上下動はあるが、水平動  キャラバンは三つのグループ。1 御用商人、2 寺院商人など馬やラバ群、ヤク軍。3 蒙古人のラクダ群。  ラクダは高度が高い(5,000メートル)ので、口からアワを吹いて喉をガラガラ鳴らして登らなくなる。   乾燥した牛糞に火を付け、煙を鼻に入るようにすると、少し元気になる。  キャラバンの連中。オボに上がり、香を焚き、供物をそなえ、鉄砲を一斉に発射。  日中は暑いが、夜は凄く冷える。  チョムチン峠(5,000メートル)。山酔いする。卵の腐ったガスの臭い。火山ガス。  ドンブレ峠。ボホ・シャラガ、非常に硬い草。  マッチが湿気を帯びると、火打道具に頼る。   馬糞の上に艾(もぐさ)に火を付け、消し炭で囲み、ホーログ(チベット語でプパ、ふいご)で火を熾(おこ)す。  一晩中、動物をつないだ場所に見張りを付ける。  ヤク群を追う連中は、ドウグル(蒙古語、石投げ用ひも)  蒙古人、チベット人は、泳ぐことを知らず、水を恐れる。  南無阿弥陀仏(オムマニペメフム)  ディ・チュウ川(亡霊の川の意)。実質的な国境(シナ青海省とチベット)  タンラ峠(5,500メートル)  ヤクなど遺棄された動物が多い。ヤクの尾は高く売れる。ワシ、タカが舞い降りて、ヤクの目玉を突く。鳥の餌食。  リムボBチェ(レティン)。周囲の人々は帽子をとり、胸にあて、顔をうつむき、舌を出し、小腰をかがめる。   舌を出すことが最上の敬意。レティンは謀略により、ポタラ宮殿の牢獄で毒殺された。  カシミール系のチベット人回教徒(黒いアゴヒゲ、ワシ鼻、赤いトルコ帽)  パゴルの道路の真中を、叩頭礼拝。  レポン寺(蒙古人)、セラ寺(日本人)、ガンデン寺(誰でも入れる)。  夏は屋上で寝る。  蚊帳の出入り口はコイの吹き流しのようになって、紐で縛る。  戦時中、チベット人の日本びいきは大変なものだった。  日本は負けました。 4 最初のヒマラヤ越え  チベット人は魚、卵、にわとりを食わない。魚を食う地域は限られていた。  喉(のど)が大きく膨れる病気(チベット人はバーホ、バーと呼ぶ)人が多い。水が原因か。  ゴワ舟(楊柳の枝の骨組み、縫い合わせたヤクの皮を貼る、種油を塗ってある)   船頭(ゴボ)、鍛冶屋(ガラ)、屠殺屋、最下級の階級。  カロラ峠のオボ、日本の注連縄  チベット軍がイギリス軍に抵抗。その後、中国軍に惨敗。国土を奪われる。  ジャンゼ。ラサ、シガゼに次ぐ、都会。  タンラ峠。雪眼になる。チョモラリ(7300メートル)。パーリ(豚の丘の意)  ブータン人は刀を一本、腰に手挟んでいて、凶暴。東チベット人も相手にしたがらない。  ブータンはインドの影響で、赤い汁の出る物を噛んで、ペッペッと吐く。  チュムビー渓谷。温暖な気候。色白で、美人が多い。  ゼラブ峠(チベット人は、ザリーラ峠)4800メートル。インド、チベットの分水嶺。  凍傷の恐れがあるから、火の傍に寄るな! 熱い御茶を飲んで、手足、頬を摩擦する。  カンチェンジュンガ。  ヒマラヤ越え。馬に予備の蹄鉄、釘、金槌を携行する。蛭(ひる)が多い。馬は眼球を吸われると失明。  主食は米で、陸稲。建物は廂(ひさし)が長く突き出ていて、縁側が広い。  日本が負けたことを知り、一週間ほど、ぼんやりして、腑抜けのようになった。  ツレンツオー、ダンザンハイロブ夫婦をインドの仏跡参拝(ブッダガヤ)に連れて行く。   ツ「つまらない蒙古人の女である私が、こんな有り難いお釈迦様の遺跡にお参りできたのも、あなたの御蔭です。    もう何時、どこでしんでも思い残すことはありません」と感謝され、何と応えてよいか戸惑った。  お守り箱(仏像)を見ると笑いかけてくる。  チベット人は博打と酒が大好き。  シッキム。もともとチベット人。中国人に対する制限を厳しくしている。  白系ロシア人、コサック(ロシア語のカザク、放浪者の意)、ウズベク人、  5 東チベットを探る  大型の針を買い込む。東チベットの偵察。中国側がチベット国境に軍隊を集結させている。  象牙の粉、止血剤として役に立つ。  カムバ(東チベットをカムといい、その住民をカムバという)  ラバの一列縦隊。ラバの首に、チャク(糧秣用大豆)の袋を吊るす。午前中だけ動く、午後は強い風が吹き、不可。  旅なれるほど、荷物が少なくなる。巡礼用の背負子(しょいこ)。  金目のものは見せてはいけない。お守り箱を下げる。左手首に数珠。  東チベット出身のカムバは恐い。  ・野宿して眠っている巡礼に、大きな石を抱えてきて頭の上の落とす。  ・蒙古人は一心不乱脇目も振らず念仏を唱える。  ・ラサのチベット人は、念仏を唱えながら、盗みを働く。  ・タンガット人(青海甘粛のチベット人、アムド人)は、念仏を唱えながら、盗みを働く。  ・カムバは念仏を唱えながら、人を子として物を盗る。  ナムツオクラ峠(おだやかなれ!)全く険しい山岳地帯。  チャムドオは、東チベットの政治、貿易、交通の中心地。異常なし。   チベット政府の兵隊が威張り、踏ん反り返っていた。  1951、中共軍がチベットへ進撃。  ジェクンドオ(玉樹)  チベットとシナ、両方の官憲が諜報活動。  チベットの僧兵は、護符を持っていて弾丸が当たっても死なないと信じていた。バタバタと倒れた。  チベット政府の役人、兵隊はカム地方で、神様みたいなものだ。酒と女に日夜、溺れる。  カムバの服装をしているが、中国人。(便衣兵)  チベットの封建制度の腐敗、末期的症状。チベット政府は無闇に税金を取り立てる。  ダライラマの名において…命令する。   6 チベット・インド商売往来  堕落しきったチベットの貴族特権階級の専横、貧し過ぎるチベット民衆。  試験。作文、算数、馬術、弓術。  厳しい国際情勢下で、チベット社会が今後、現状を維持できるとは、とうてい考えられなかった。  銀塊の中に鉄を入れている 7 政治・宗教・酒・女  ダライラマは成人に達する前後に毒殺された。九世(10歳)、十世(21歳)、十一世(17歳)、十二世(19歳)  チベット領土。1 政府直轄の国領 2 貴族および寺院の私有地 3 一般人の私有地  税金は物納。  ボン教(シャーマン教の一種)。オボ(山頂、岐路、河畔)、注連縄、ダルチョク(経文を書いた旗を屋上、道路に)   ラマ教以前から民俗信仰としてあった。天、地、山、川、火、水、草、木、土、金、石。  モンゴルの風葬、  チベットのチャトル(鳥葬)ラサの西北。隠亡部落(ドンドンバ)   ガンダン(人間の大腿骨で作った笛) 頭蓋骨の頭頂部の盃(仏教儀式で使用)  黄色は聖なる色。ラマだけが使用できる。  カムバ、アムド、ホル族のチベット人は身体についたシラミを食べる。  婦人は前掛け(バンデン、だんだら模様。垢、白、黄、黒、緑)  チベット語 単音 人(ミ)、火(メ)、水(チュウ)、石(ド)、土(サ)、父(パ)、母(マ)、男(ボ)、女(モ)  チベットの数字、チク、ニ、スム、シ、ンア、ルク、ドウン、ギエ、グ、チュウ  熱い飯にバター、白黒佐藤をかけて食べる。  ハラホト(黒い都)ダンズンというラマ崩れのモンゴル人。   8 追放・刑務所・帰国  中国人全部のチベット退去を命じた  チュムビのチベット人は、日本人そっくり。屋根の形も日本式、板葺きで石塊を置く。  カルカッタのプレトリア街。英国植民地