浮世絵学04/1640s(寛永末)左縄から1916 (大正5)新よし原細見 外題(吉原細見)(諸書より引用)  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/1536
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浮世絵学04/1640s(寛永末)左縄から1916 (大正5)新よし原細見 外題(吉原細見)(諸書より引用)  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/1536

1982-04-29現在(2022-10-02更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) Copy and Handmade reproduction 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,211項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
 
 
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吉原細見 諸書より、引用、入力した。(2014.01.22現在、酒井雁高・識)

吉原細見 正保年間 1644-1647 左縄[未見] ひだりなわ 1984野間/遊女評判記087-01 (野間)原本未見。「まさぐりぐさ」(明暦二年刊)序に、「去正保年中に左縄と號して、此道の事を書きたる物あり」と見え、また「色道大鏡」(延寶六年成)凡例に、「此書より以前、世間に落ちる當道の書目」の中にも、その名を見る。同じ「まさぐりぐさ」の序によれば、「

吉原細見 万治元年(疑問) 1658.00 芳原細見之圖 一鋪 よしわらさいけんのづ 2000宮本/台東区史通史2-152 (宮本由紀子)「讃茶六百六十九人」の記事があり疑問。散茶女郎は「異本洞房語園」に寛文五年(1665)三月に府内の茶屋、遊女が江戸町二丁目の左右の地尻に新道をつけ堺町、伏見町を作って移転した折り、そこに収容された遊女を散茶女郎と名付けたのが始まり。 (雁註)寛文(1660s)まで下ルか.

吉原細見 萬治元年 1658.00 芳原細見之圖 一鋪 よしわらさいけんのづ 1936澁井/吉原本003 (澁井)正本は岡本橘仙氏所蔵。京都「ほんや」一ノ二所載「遊女風俗展覧会陳列目録」(大正四年五月)に見ゆ。図中に「江戸吉原万治元年戊戌 此新好原移ス方四丁」、板本表具屋市兵衛、本や三郎兵衛とある。芳原細見図目録太夫三人、格子六十七人、局三百六十五人、讃茶六

吉原細見 萬治元年 1658.00 芳原細見之圖 一鋪 よしわらさいけんのづ 1936澁井/吉原本004 (澁井)帝国図書館(わ、82)に貴重本として所蔵す。板本するかや市兵衛、本や三郎兵衛、太夫三人、格子六十七人、局三百六十五人、讃茶六百六十九人、次女郎千百四人、女郎数二千八百六十八人、轡屋二百五十三軒、揚屋十九軒茶屋町方 十八軒、巻末に「毎月相違吟味仕候御

吉原細見万治元戊戌年1658.07.22吉原細見の図(異版)よしわらさいけんのづ1963澁井[国文学331-048-2]

吉原細見万治元戊戌年1658.07.22吉原細見の図よしわらさいけんのづ1963澁井[国文学331-048-1]

吉原細見万治元年1658.07.22新好原細見図しんよしわらさいけんづ1963澁井[国文学331-048-3]

吉原細見 万治-安永[天保] 1660s-1770s[1830s] 加藤 雀庵 新吉原細見記考 しんよしわらさいけんきこう 1936澁井/吉原本282 鼠璞十種(澁井)翻刻して国書刊行会本「鼠璞十種」一に収む。加藤雀庵の著にして、巻頭の例言に「きさらぎ二日といふ日、春日のつれづれに年頃集めたる新吉原細見記を取でて見れば、万治より安永に至りて六十三冊に及びぬ」云々とある。

吉原細見 万治-安永[天保] 1660s-1770s[1830s] 加藤 雀庵 新吉原細見記考 しんよしわらさいけんこう 2003石崎芳男/よしわら吉原353-18b 鼠璞十種1

吉原細見万治-安永[天保]1660s-1770s[1830s]新吉原細見記考しんよしわらさいけんきこう1978三田村鳶魚・鼠璞十種1-051

吉原細見 延寶三年 1675 (細見) さいけん 1936澁井/吉原本032 (澁井)正本は著者所蔵。

吉原細見 延寶三年頃 1675c あすか川 あすかがわ1675c 1984野間/遊女評判記101-06 (野間) 以上、「やぶれ笠」に見ゆ。「さん茶時花集」は「大ざつしよ」以前、「あすか川」は「大ざつしよ」と前後するか。「色道大鏡」凡例に「葭原飛鳥川」(別本カ)・「八助」の名を擧ぐ。後者は元禄の書目に「八助あすか川」二冊と見えたり。また達磨屋の書目に、「呑舟

吉原細見 貞享初期 1680s 芳原細見図 よしわらさいけんづ 1843加藤雀庵/新吉原細見53-1 (雀庵)六十三冊。万治、享保七年は一枚図。 [1916三田村鳶魚/鼠璞十種 全2、国書刊行会] [1978朝倉/鼠璞十種53]  きさらぎ二日といふ日、春雨のつれづれに、年頃集めたる新吉原細見記を取出て見れば、万治より安永に至りて六三冊に及びぬ。(割書)内万治と享保七年のものは一枚図なり。(一行)うち見るまゝに、例のやくなしごとひとつ二つかいつく。 ○万治元年新好原(割書)好の字如此あり(一行)細見図。こは明暦三年正月、かぐつちの神のあらびし後、同じ年の八月に、専属お竜泉村へ移されて新吉原と呼ぶ。その翌年の発版なり。天保十四年に至りて、百八十六年を経たり。△揚屋十九軒(割書)揚屋町にあり△茶屋十八軒(割書)同所にあり。(一行)中ノ町は左右ともに商人居住して、今とは異なり。△三浦屋四郎佐衛門内の所に太夫高雄、同花紫、同薄雲と見ゆ。此高尾は数代のうち、すぐれて名高き万治高尾といひしは是なり。此翌年十二月五日終る。(割書)イに、三年十二月廿五日。(一行)寛文七年印本讃嘲記犬枕、手のよきものゝ部に、「たかをあたんしうが手跡」、又過にし方恋しきものゝ部に「でんよみやうしんがはか」、又高きものゝ部に、「みうら高をが名」など見えしは、此二代目高尾が事也。さて又かの書に見えたる高尾は、三代目にして、万治三年印本総まくりに見えたるたかをと、同人なるべし。さて上の同書に、おそろしきものゝ部に、「たかをがめざし」といへるは、三代目をいへるなるべし。△同二本堤の所に、「日本堤八町あり。(割書)但し、しやうでん町より四町半、みのわの方より四町半。(一行)みのわ村原宿へ出る」とあり。みのわ村は今の箕輪村、原宿は今の小塚原なるべし。さてこの日本堤の事は、異本同房語園に、「箕輪村に柴崎与兵衛とて数代の百姓有。是に日本堤の年数を尋ねしに、右与兵衛が云。祖父の時より申伝へ候は、此百年前庚申の年、始て出来候由承候と申。然れば年号は元和七年に当る也」。(割書)一説に、元和六年庚申、台命に依て築くと。(一行)按るに、七年は辛酉にて、庚申は元和六年に当る也。天保十四年より逆算すれば、二百二十四年に及べり。(割書)今みのわ村に、柴崎藤兵衛、同金藏といふものあり。是等が祖ならむ。  (雁註)万治は誤認で貞享初期(1680s)と見られる

吉原細見貞享初期1680s芳原細見圖よしわらさいけんづ1970s花咲/古地図研究100

吉原細見 貞享初期 1680s 芳原細見図 よしわらさいけんづ 1843加藤雀庵/新吉原細見53-1

吉原細見貞享1680s芳原細見圖よしわらさいけんづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-001

吉原細見 天和三年以前 1683 山郭公 やまほととぎす 1936澁井/吉原本055 (澁井)「吉原鏡ケ池」に「跡より山郭公と云ふ書に」云々と見ゆ。

吉原細見 天和三年 1683 都鳥昔語 みやこどりむかしがたり 1984野間/遊女評判記115-07 (野間)以上、「大豆俵評判」に豫告。

吉原細見 天和三年 1683 山郭公 やまほととぎす 1984野間/遊女評判記116-01 (野間)「鏡ケ池」に豫告。

吉原細見 貞享初年 1684-1687 吉原細見絵図* よしわらさいけんえづ 1999花咲/古地図研究100(解説) (花咲)雑誌古地図研究100号記念

吉原細見 元禄二年 1689.05 繪入・大畫圖 えいりおおえづ 1999花咲(解説) (雁註)木村捨三/吉原大繪圖(解説)/稀書解説第七編上89-100。 (宮本)最古のもの。

吉原細見 元禄 1689.05 繪入・大畫圖 えいりおおえづ 1999花咲(複写製本) (花咲)吉原細見繪圖四種/天理圖書館・善本叢書

吉原細見 元禄二巳の五月 1689.05 繪入・大畫圖 よしわらおおえづ 1936澁井/吉原本060 (澁井)正本は林若樹氏所蔵及び伊勢の小津文庫旧蔵と見る。「稀書複製会」第六期配本に複製さる。吉原一廓の惣図、町名竝に茶屋、挙屋、女郎屋の位置、女郎屋の各区劃には太夫、格子、局、散郎等抱遊女の名を記して後世の細見を兼ねたものである。板木江戸通り油町さがみや

吉原細見 元禄二年 1689.05 新板細見増補・大繪圖 しんぱんさいけんぞうほおおえづ 1984野間/遊女評判記120-02 (野間)石川流宣畫。江戸さがみや太兵衛板。袋外題「吉原大繪圖」、上邊に「新板細見増補」と注す。

吉原細見 元禄二年巳ノ五月日 1689.05 繪入・大畫圖 えいりおおえづ 1995向井/江戸文藝叢話332

吉原細見元禄21689.05繪入・大畫圖えいりおおえづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-002

吉原細見 元禄二年巳ノ五月日 1689.05 繪入・大畫圖 えいりおおえづ 1963澁井[国文学331-048-4]

吉原細見 元禄三年 1690 (無外題)(女郎の名よせ) 無外題 1984野間/遊女評判記120-03 (野間)元禄參/千万万千/庚午初春吉辰、江戸日本橋南貳丁目村上源兵衛・大坂大手先谷町西へ入町菊屋勘四郎・同高麗端壹丁目藤屋彌兵衛板。外題を缺く。「京嶋原女郎の名よせ」亥か、伏見鐘木町[しゅもくまち]・大津柴屋町・大坂新町・江戸吉原の女郎の名よせ。

吉原細見 元禄三年 1690.00 新改さいけん・名寄評判 しんかいさいけんなよせひょうばん 1984野間/遊女評判記121-01 (野間)「元禄三歳午六月中旬」、作者東都下久富長可榮軒自跋。板本通油町佐藤四郎右衛門。

吉原細見元禄31690.00新改さいけん・名寄評判しんかいさいけんなよせひょうばん1996八木・丹羽/吉原細見年表005-003

吉原細見 元禄3 1690.00 新改さいけん・名寄評判 しんかいさいけんなよせひょうばん 2003石崎芳男/よしわら吉原349-13b 近世文学資料類従・上34

吉原細見 貞享 1690s 新改・吉原細見花車 しんぱんよしわらさいけんはなぐるま 1936澁井/吉原本050 (澁井)正本は東京高嶋屋第五回三都連合古書即売展に細川開益堂(京都)出陳す。刊記なきも伏見町開発以後なること明記あり。

吉原細見元禄 1690s新改・吉原細見花車しんかいよしわらさいけんはなぐるま1999花咲(複写製本)

吉原細見 元禄 1691 新吉原細見之圖 しんよしわらさいけんのづ 1999花咲(複写製本) 吉原細見繪圖四種/天理圖書館・善本叢書

吉原細見 元禄 1691 新吉原細見之圖 しんよしわらさいけんのづ 1999花咲(複写製本)

吉原細見元禄41691新吉原細見之圖しんよしわらさいけんのづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-004

吉原細見元禄1691新吉原細見之圖しんよしわらさいけんのづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-006

吉原細見 元禄四年 1691 新吉原細見圖 しんよしわらさいけんのづ 1984野間/遊女評判記122-03 (野間)-

吉原細見 元禄六年 1693 新吉原細見圖 しんよしわらさいけんのづ 1984野間/遊女評判記123-02 (野間)作者いそうら(磯貝捨若)。通油町四郎右衛門板。「元禄六」の三字を削りたる後摺もあり。

吉原細見元禄61693新吉原細見圖しんよしわらさいけんのづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-005

吉原細見 元禄十年 1697 改正新町之圖 かいせい しんまちのづ 1984野間/遊女評判記124-03 (野間)「攝陽奇観」巻廿三、太夫名よせを引く。

吉原細見 元禄14 1701 吾妻里 あづまのさと 1936澁井/吉原本283 (澁井)−。 (雁註)国書総目録になし

吉原細見元禄141701吾妻里あづまのさと1996八木・丹羽/吉原細見年表005-007

吉原細見元禄141701けいせい色三味線けいせいいろじゃみせん1996八木・丹羽/吉原細見年表005-008

吉原細見元禄151702女郎なよせじょろうなよせ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-009

吉原細見寶永2乙酉春1705図工石川流宣武江新吉原町図ぶこうしんよしわらまちづ1963澁井[国文学331-048-5]

吉原細見 寶永二年 1705 圖工石川流宣 武江新吉原町圖 ぶこうしんよしわらまちづ 1984野間/遊女評判記126-01 (野間)圖工石川流宣。書林江戸日本橋南詰本屋市兵衛。寶永四年春再版。

吉原細見 宝永四丁亥春 1707.01 武江新吉原町圖[二版] ぶこうしんよしわらまちづ 1999花咲(複写製本) 吉原細見繪圖四種/天理圖書館・善本叢書 (宮本)合印の初見のもの-2000宮本/台東区史通史2-161

吉原細見 寶永四年 1707.01 武江新吉原町図[二版] ぶこうしんよしわらまちづ 1936澁井/吉原本067 (澁井)昭和四年十二月「タツミヤ書店」古書目録第六号所見。

吉原細見 宝永四年 1707.01 武江新吉原町図[二版] ぶこうしんよしわらまちづ 1995向井/江戸文藝叢話332 (向井)内題

吉原細見 宝永四丁亥春 1707.01 武江新吉原町圖[二版] ぶこうしんよしわらまちづ 1999花咲(複写製本)

吉原細見寶永4春1707.01武江新吉原町圖[二版]ぶこうしんよしわらまちづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-010

吉原細見 寶永四年 1707.01 武江新吉原図 ぶこうしんよしわらのづ 1963澁井[国文学331-048-6] (澁井)昭和四年十二月「タツミヤ書店」古書目録第六号所見。

吉原細見 寶永五年 1708.04 吉原細見一切鏡 よしわらさいけんいっさいきょう 1984野間/遊女評判記126-03 (野間) 内題「武江新吉原町圖」。淺草砂利場林堂辻村五兵衛。集手中之町某。

吉原細見宝永51708.04吉原細見一切鏡よしわらさいけんいっさいきょう 1995向井/江戸文藝叢話332

吉原細見寶永5夏1708.04吉原細見一切鏡よしわらさいけんいっさいきょう1996八木・丹羽/吉原細見年表005-011

吉原細見 宝永六年頃 1709c 遊君女郎花 ゆうくんおみなえし 1999花咲(複写製本)

吉原細見 正徳 1710s (吉原細見)[未見] よしわらさいけん 1995向井/江戸文藝叢話332

吉原細見 正徳二年 1712 吉原七福神 よしわらしちふくじん 1936澁井/吉原本071 (澁井)正本は帝国図書館(特五、ろ、六六)所蔵及び千葉鉱蔵氏旧蔵本あり。後者は大田南畝氏の旧蔵本にて正徳二年板、明治三十九年三月第二回珍書研究会に出品あり。「奇書珍籍」吉原号に挿画一葉写真版を添えて解説す。「吉原書籍目録」刊記不明の部及び「高尾年代記」に

吉原細見 正徳二年 1712 眞土山之住鶯踊軒(石川流宣) 吉原七福神 よしわらしちふくじん 1984野間/遊女評判記127-03 (野間)眞土山之住鶯踊軒(石川流宣)序。翌三年春再版。

吉原細見 正徳3 1713 吉原七福神 よしわらしちふくじん 2003石崎芳男/よしわら吉原349-13c 近世文学資料類従34・上

吉原細見正徳61716.05吉原細見之圖よしわらさいけんのづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-012

吉原細見正徳61716.05吉原細見大鑑よしわらさいけんおおかがみ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-014

吉原細見 正徳6 1716.05 新改・吉原細見花車 しんかいよしわらさいけんはなぐるま 1996八木・丹羽/吉原細見年表005-013 (雁註)正徳6=享保1

吉原細見享保元年1716.05a(一枚摺細見圖)よしわらさいけんのづ1916東華樓/浮世絵14

吉原細見享保元年1716.06(吉原細見)よしわらさいけん1914東華樓/細見記考8-17-01

吉原細見 享保元年 1716.06 吉原細見[寛文八年は誤認] よしわらさいけん 1999花咲(複写製本) (花咲)享保元年(二年頃)、表記の寛文八年(1668)は誤認

吉原細見 享保元年 1716.06 新改・吉原細見花車 しんかいよしわらさいけんはなぐるま 2000宮本/台東区史通史2-156 (宮本)「吉原細見」という名称の初見の一枚摺。

吉原細見 享保元年 1716.06 新改・吉原細見花車 しんかいよしわらさいけんはなぐるま 1984野間/遊女評判記128-03 (野間) –

吉原細見享保元年1716.06吉原細見[寛文八年は誤認] よしわらさいけん1999花咲(複写製本)

吉原細見 享保二年 1717.00 手管三味線 五の巻 てくだじゃみせん 1843加藤雀庵/新吉原細見65-1 [1916三田村鳶魚/鼠璞十種 全2、国書刊行会] [1978朝倉治彦/鼠璞十種65、中央公論社]    細見考の拾遺  享保二年印本「手管三味線」五の巻、江戸吉原女郎総名よせの部に、三浦屋高尾あり。是上に載たる享保七年細見記に出たるものと同人にて、九代目也。酢三梃中万字屋内に玉菊見えず。かゝれば享保二年の後に出たる妓なるべし。又揚屋数十一軒あり、その中尾張屋清十郎見えず。此頃は揚屋を休みしにや。 (雁註)本書は手管三味線、傾城手管三味線とは別。

吉原細見享保31718吉原細見圖よしわらさいけんづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-015

吉原細見享保三年頃1718c.00(吉原細見)よしわらさいけん1995平木/江戸…吉原細見110-05

吉原細見享保41719吉原大細見よしわらおおさいけん1996八木・丹羽/吉原細見年表005-016

吉原細見 享保四年 1719a 新吉原細見圖 しんよしわらさいけんのづ 1984野間/遊女評判記128-04 (野間)淺草森田町岡伊八郎板。

吉原細見享保41719a吉原細見圖よしわらさいけんづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-017

吉原細見享保五年1720.00吉原丸鑑よしわらまるかがみ1916東華樓/浮世絵14

吉原細見 享保五年 1720.01 吉原丸鑑 よしわらまるかがみ 1916東華樓/浮世絵14

吉原細見 享保七年正月 1722.01 (吉原細見) よしわらさいけん 1843加藤雀庵/新吉原細見53-2 [1916三田村鳶魚/鼠璞十種 全2、国書刊行会] [1978朝倉/鼠璞十種53]  △享保七年正月発兌細見記(割書)今かりに露の玉菊と号く。(一行)此細見記中、角町中万字屋勘兵衛の所に見えたる玉菊は、新吉原の燈籠に名をかゞやかしたる元祖玉菊なり。吉原大全に、此妓、正徳年中七月のはじめ身まかりたるよし記すは、大なる誤也。かの書には、此他誤れる事なほ多し。さて奇跡考に、是を正して云、「享保十三年印本袖草紙(割書)玉菊追善句集(一行)といふものを按るに、享保十一年三月廿九日身まかりぬ。光感寺といふに葬るよし云々。始て燈籠をともせしも、享保元年といふは妄説也。(割書)雀庵云、此細見記にあるを一證とすべし。(一行)玉菊死せし享保十一年七月新盆の節、新霊を祭る為、中ノ町俵屋虎文、揚屋町松屋八兵衛等発起せし事也。故に七月死せしと思ふ人多し。竹婦人玉菊追善の浄瑠璃水調子を作りしは、享保十三年三回忌の時也。故に二をり三をり年をへてと云文あり。玉菊曾河東曲の三絃をよくひきし故に、十寸見蘭洲催にて、かの浄瑠璃を作らしむ。同時乾什、かの袖草紙を著す。玉菊日頃大酒を好み、ついひに酒にやぶられ、廿五歳にて死せしと云。かの句集に酒のことをいひたる句多ければ、さもあるべし。水調子の文に、その酔ざめの夢の世にと書るも、その故也。禿を、しげみ、しのぶといふ。鏡のいへに摘の葉を入るゝ事、玉菊が始むといふ。是らの事は、水調子の文を證とすべし」とあり。是にて玉菊が考明らけし。又同書に、玉菊が拳まはしといふものゝ事見えたり。さて右の説によれば、玉菊は元禄十五年の生にして、此細見記の年は廿一歳也。(割書)文政八年、百回忌の句集出来たり。(一行)燈籠始りてより、今年天保十四年に至り、百十八年に及。乾什は淺草竹門に住し俳諧師也。よりて竹婦人とかくし名せる也。(割書)◎水調子ノ作者竹婦人ハ、竹島正朔ナルコト、武江年表ニイヘリ。(一行)此細見記、江戸町二丁目の所に見えたるつた屋庄二郎といへるは、右にいへる水調子の催種十寸見蘭洲也。つるつた屋といへり。又右にいへる、燈籠を発起せしと云中ノ町俵屋虎文といへるは、此細見記に見えた流俵屋佐右衛門なるべし。同揚屋町松屋八兵衛とあるは、揚屋町の所いある松屋新兵衛とある人の改名にや、又その子なるにや。享保十三年細見記にも、同じく新兵衛と見え、又十七年より後の細見記には八兵衛と見ゆ。是なるべし。上の説々によりて当時を思ふに、此玉菊は殊に諸人にめではやsれし娼妓なりけん。今に至りて燈籠の華美に盛んなる、かの玉菊の余光といはまし。  △同京町一丁目三浦四郎左衛門所に見えたる太夫高尾は、元祖より九代目也。享保五年印本丸鏡に、奥州がかぶろしのぶといへるが、正徳五年太夫となる。是先祖より九代目の高尾といへるは是なり。といへる高尾なるべし。  △同揚屋町あげ屋の内和泉屋半四郎とあるは、かの紀の国や文左衛門、節分の夜小粒金を蒔しと云伝ふる紀文大尽が揚屋、和泉屋半四郎なるべし。又二朱判吉兵衛が大尽舞の文句に、あげや半四におくらるゝ、と作りしも是なり。今の印本に半治とある。誤れるものなり。  △同揚屋尾張屋清六とあるは、尾張屋清十郎なるべし。此頃清六といひしにや。此家、万治元年細見記、十九軒の中に見えて、寶暦六年細見記に至りて、此家只一軒あり。此人の名、洞房語園にも見ゆ。上にいへる寛文七年の犬枕に、ふかきものゝ部に「あげや清十郎」と見ゆ。その住家の大なるも思ふべし。

吉原細見享保七年1722.01(吉原細見)よしわらさいけん1914東華樓/細見記考8-17-02

吉原細見享保七年正月1722.01(一枚摺細見圖)よしわらさいけんづ1916東華樓/浮世絵14

吉原細見 享保七年正月 1722.01 (吉原細見) よしわらさいけん 1843加藤雀庵/新吉原細見53-2

吉原細見享保七年正月 1722.01(一枚摺細見圖)よしわらさいけんづ1916東華樓/浮世絵14

吉原細見享保7春1722.01吉原細見記よしわらさいけんき1996八木・丹羽/吉原細見年表005-018

吉原細見享保81723新吉原細見記之圖しんよしわらさいけんきのづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-019

吉原細見 享保八年頃 1723c.00 新吉原細見之図 しんよしわらさいけんのづ 2000宮本/台東区史通史2-156 (宮本)「吉原細見」という名称の早いもの。

吉原細見 享保10 1725 吉原細見圖 よしわらさいけんづ 1996八木・丹羽/吉原細見年表005-022 伊賀屋勘右衛門+小松屋傳四郎

吉原細見 享保十年 1725 近藤助五郎清春畫 吉原細見圖 よしわらさいけんづ 1984野間/遊女評判記129-03 (野間)近藤助五郎清春畫。江戸相模屋與兵衛・伊賀屋勘右衛門・小松屋傳四良相板。細見花車

吉原細見 享保十年 1725.05 (細見) よしわらさいけん 1976花咲/享保末期細見解題07 (花咲)「ほりぬきいど/巳五月出来」とあるから五月以降刊行の細見。

吉原細見 享保十一年 1726.00 傾城手管三味線 けいせいてくだじゃみせん 1916東華樓/浮世絵14 (雁註)傾城手管三味線の[誤記]、刊年も享保十一年(1726)。

吉原細見 享保十二年 1727 (吉原細見) よしわらさいけん 1995向井/江戸文藝叢話333

吉原細見享保101727新吉原細見圖しんよしわらさいけんづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-020

吉原細見享保101727新吉原細見圖しんよしわらさいけんづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-021

吉原細見享保121727新吉原細見しんよしわらさいけん1996八木・丹羽/吉原細見年表005-023

吉原細見享保121727近藤清春(助五郎)新吉原細見しんよしわらさいけん1996八木・丹羽/吉原細見年表005-024

吉原細見享保12-131727-28東都烟華圖とうとえんかづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-026

吉原細見 享保十二年* 1727* (吉原細見) よしわらさいけん 1995向井/江戸文藝叢話333

吉原細見 享保十三年 1728 袖さうし そでそうし 1936澁井/吉原本083 (澁井)正本は帝国図書館(特、辰三一)に所蔵さる。翻刻本としては、再版外題替玉菊追善百年忌文政九年刊「百羽掻」酒井抱一の序、心牛の跋などを加えたものが、岡野知十著「玉菊と其三味線」の附録に全文収録されている。又「奇書珍籍」吉原号に、本文一頁、水調子一頁、

吉原細見 享保十三年 1728.00 艶詞・史林殘花 えんししりんざんか 1914東華樓/細見記考8-17-03     享保十三年 1728+ 艶詞/史林殘花 しりんざんか 1932洒落本大系1-09 享保十三年 1728+ 艶詞/史林殘花 しりんざんか 1978洒落本大成1-33

吉原細見 享保十三年 1728.00a 鳥居清信画 艶詞・両巴巵言(竪本) えんしりょうはしげん 1843加藤雀庵/新吉原細見55-1 [1916三田村鳶魚/鼠璞十種 全2、国書刊行会] [1978朝倉/鼠璞十種55]  △両巴巵言(割書)享保十三年細見記。天保十四年に至て、百十六年に及。(一行)此巻中、三浦屋四郎左衛門所に見えたる高尾は、元祖より十代目の高尾なり。奇跡考に、享保十三、十四両年の間に出廓なるべしといへるもの、是なり。神田なる紺屋某うけ出す。だぞめ高尾といへる是なり。   ○角町中万字屋に玉菊と見えしは二代目なり。元祖は此書より二年前に身まかる。○巻中、四妓女の像を画きし鳥居清信は、鳥居家の祖にして、元禄より出て、世に行はれしものなり。此頃は清信晩年の筆なるべし。  ○地図のうち(割書)○ひがし通り、青のふれんと云。○江戸町がし、本町がし、京町がし、此通り京町迄、西がし通り、かきのふれんといふ。○さかいまち。○らせう門がし。○道鉄。○金杉通り、金杉橋。(一行)此図によりて按るに、今金杉ひかげの石橋、百年の昔は板橋なりしや。 (宮本)合印あり。

吉原細見 享保十三年 1728.00a 鳥居清信画 艶詞・両巴巵言 えんしりょうはしげん 1916東華樓/浮世絵12 (十五年)

吉原細見 享保十三年 1728.00a 鳥居清信画 艶詞・両巴巵言 えんしりょうはしげん 1916東華樓/浮世絵14 (東華樓)二部あり

吉原細見享保131728.00a艶詞・兩巴巵言えんしりょうはしげん1996八木・丹羽/吉原細見年表005-027

吉原細見享保十三年1728.03(一枚摺細見圖)しんぱんしんよしわらさいけんのづ1916東華樓/浮世絵14

吉原細見享保十三年1728.03(吉原細見)しんぱんしんよしわらさいけんのづ1990古典籍総合目録2-919

吉原細見享保十三年頃1728.03新板・新吉原細見之圖しんぱんしんよしわらさいけんのづ1995平木/江戸…吉原細見110-07

吉原細見享保拾参年三月1728.03新板・新吉原細見之圖しんぱんしんよしわらさいけんのづ1999花咲(複写製本)

吉原細見 享保十三年 1728.03 新板・新吉原細見之圖 しんよしわらさいけんのづ 1936澁井/吉原本080 (澁井)−。

吉原細見 享保十三年頃 1728.03 新板・新吉原細見之圖 しんぱんしんよしわらさいけんのづ 1995平木/江戸…吉原細見110-07

吉原細見 享保拾参年三月 1728.03 新板・新吉原細見之圖 しんよしわらさいけんのづ 1999花咲(複写製本)

吉原細見享保13.031728.03新板・新吉原細見之圖しんぱんしんよしわらさいけんのづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-025

吉原細見享保131728.03新板・新吉原細見之圖しんよしわらさいけんのづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-028

吉原細見 享保十三年三月 1728.03 新板・新吉原細見之圖 しんよしわらさいけんのづ 1963澁井[国文学331-048-7] (澁井)−。

吉原細見 享保十三年板 1728.03 新板・新吉原細見の圖 しんよしわらさいけんのづ 1906大久保/續吉原107/185 (葩雪)新吉原細見の圖、一、享保十三年板。

吉原細見 享保十三年 1728.03 新板・新吉原細見之圖 しんよしわらさいけんのづ 1984野間/遊女評判記129-04 (野間)江戸相模屋與兵衛板。

吉原細見 享保十三年 1728.03 (吉原細見) よしわらさいけん 1990古典籍総合目録2-919

吉原細見 享保十三年七月 1728.07 菖蒲草 上下 あやめぐさ 1843加藤雀庵/新吉原細見55-2 [1916三田村鳶魚/鼠璞十種 全2、国書刊行会] [1978朝倉/鼠璞十種55]  △菖蒲草(割書)上下、同年秋七月発兌。此草紙のとびらにかいつけ置しを、又左に写す。(一行)まこも草あさかの浪にしげりあひていづれあやめとひきぞわづらふ。此歌は梶原景茂が詠にして、此歌によりて、頼朝公より菖蒲をたまはりたる事は、沙石集に詳なり。俗誤りて頼政が歌とす。近頃ある人の俳諧歌に、「頼政にあらねどけふは引かへてあやめを軒のつまと見る哉」とよめるも、是また伝聞の誤にぞある。そはとまれ、此歌五月端五の日の歌也。此細見キけふさつき五日に得たるものにして、書名見えざれば、そゞろに右の歌に因て、あやめ草と号す。なほ長き根の長く伝へんとてなり。又景茂の引あづらひし美女房は十人あり。又此書に、めづらかにも太夫十一人あり。こも亦いづれ引わづらひし梶原大尽ありけむかし。(割書)天保五年といふ年のあやめふく日。(一行)  △奇跡考四の巻に、「享保十三年印本細見の図、并に両巴巵言に、一本ともに高尾あり。享保十五年版本両巴巵言に高尾なし。此高尾、享保十三、十四両年の間に出廓なるべし」といへり。按るに、此書の奥書に申の月改とあれば、此細見記は享保十三年七月の印本なり。これに高尾なきをもて思ふに、此十代高尾出廓は、享保十三年七月已前なること明らかなり。  ○享保十一年姫の式に見えたる遊女若紫は、此書、江戸町二丁目丁子屋内わかいとなるべし。又同書に、同かほると見えしは、此書、江戸町一丁目巴屋内かほるなるべし。俳家奇人談にも、右姫の式に載たるカホルが発句を載す。同人なるべし。○おはぐろうり番人勘十郎、○(割書)湯島天神女坂下板元問屋相模屋与兵衛」とあり。

吉原細見享保十三年七月1728.07菖蒲草*あやめぐさ1995平木/江戸…吉原細見110-06

吉原細見 享保拾三年申七月改 1728.07 菖蒲草* あやめぐさ 1963澁井[国文学331-048-8] (澁井)雀庵旧藏 もとの名「菖蒲草」

吉原細見享保十四年1729.00(吉原細見)よしわらさいけん1995平木/江戸…吉原細見110-08

吉原細見享保141729.00吉原細見よしわらさいけん1996八木・丹羽/吉原細見年表005-029

吉原細見享保十四年頃1729c.00(吉原細見)よしわらさいけん1999花咲(複写製本)

吉原細見享保14?1729c.00吉原細見*よしわらさいけん1996八木・丹羽/吉原細見年表398-31e

吉原細見享保十五年1730.00艶詞・史林殘花えんししりんざんか1916東華樓/浮世絵14

吉原細見 享保十五年 1730.00 艶詞・史林殘花 えんししりんざんか 1916東華樓/浮世絵13   享保十五年 1730 艶詞/史林殘花 しりんざんか 1916東華樓/浮世絵14 享保十五年 1730 史林残花/洒落本大成 しりんざんか 1999花咲(複写製本)

吉原細見享保151730.00艶詞・史林残花えんししりんざんか1996八木・丹羽/吉原細見年表005-030

吉原細見 享保十六年 1731 (吉原細見) よしわらさいけん 1914東華樓/細見記考8-17-04   享保十六年 1731 (吉原細見)(横本) 無外題 1914東華樓/細見記考8-17-05 享保十六年 1731 (吉原細見) 無外題 1916東華樓/浮世絵13 享保十六年 1731 (吉原細見)(横本) 無外題 1916東華樓/浮世絵14 享保十六年 1731 (一枚摺細見圖) 無外題 1916東華樓/浮世

吉原細見享保十六年1731.00(吉原細見)よしわらさいけん1914東華樓/細見記考8-17-04

吉原細見享保十六年1731.00(吉原細見)(横本)よしわらさいけん1914東華樓/細見記考8-17-05

吉原細見享保十六年1731.00(吉原細見)よしわらさいけん1916東華樓/浮世絵13

吉原細見享保十六年1731.00(一枚摺細見圖)よしわらさいけんづ1916東華樓/浮世絵14

吉原細見享保十六年1731.00(吉原細見)(横本)よしわらさいけん1916東華樓/浮世絵14

吉原細見享保十六年1731.00(吉原細見)よしわらさいけん1970国書総目録7-448

吉原細見享保十六年1731.00(吉原細見)よしわらさいけん1990古典籍総合目録2-919

吉原細見享保十六年1731.00近藤助五良清春画 (吉原細見)よしわらさいけん1995平木/江戸…吉原細見110-09

吉原細見享保十六亥1731.00(吉原細見)清春筆よしわらさいけん1999花咲(複写製本)

吉原細見 享保十六年 1731.00 吉原細見 よしわらさいけん 1936澁井/吉原本085 (澁井)帝国図書館(二〇九、二二八)に正本。口絵は近藤助五郎清春筆である。

吉原細見享保161731.00吉原さいけんの繪圖よしわらさいけんのえづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-031

吉原細見 享保十六亥 1731.00 吉原さいけんの圖 よしわらさいけんのづ 1963澁井[国文学331-048-9] (雀庵)享保七年…。(堀江東華樓)享保六年。

吉原細見 享保十七年 1732 新吉原絵図 しんよしわらえづ 1843加藤雀庵/新吉原細見57-2     享保十七年 1732 (一枚摺細見圖) しんよしわらえづ 1916東華樓/浮世絵14

吉原細見 享保十七年 1732 涼しさや揚屋も茶屋も男女川 すずしさやあげやもちゃやもみなのがわ 1936澁井/吉原本086 (澁井)大阪梁江堂発売「古典と錦絵」十号に見ゆ。

吉原細見享保171732新吉原の繪圖しんよしわらのえづ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-032

吉原細見 享保17 1732 男女川 すずしさやあげやもちゃやもみなのかわ 1996八木・丹羽/吉原細見年表005-033 三もじ屋又四郎編

吉原細見 享保十七年 1732 凉しさや揚屋も茶屋も男女川 すずしさやあげやもちゃやもみなのかわ 1984野間/遊女評判記130-01 (野間)三文字屋又四郎編。江戸相模屋平介板。

吉原細見 享保十七年七月 1732 .07 男女川 みなのがわ(1732) 1995平木/江戸…吉原細見110-10

吉原細見享保十七年1732.00浮船草うきふねくさ1914東華樓/細見記考8-17-07

吉原細見 享保十七年 1732.00b 新吉原絵図 しんよしわらえづ 1843加藤雀庵/新吉原細見57-2 [1916三田村鳶魚/鼠璞十種 全2、国書刊行会] [1978朝倉治彦/鼠璞十種57] △新吉原絵図(割書)享保十七年。太夫二人。三浦四郎左衛門内小紫、同源次郎内三浦。○はいかししう月、あげや町の所にあり。あげや六軒。(一行)  松葉屋半左衛門の所に瀬川あり。上の説によれば、三代目なり。○(割書)へいぎわゑじだんごよし田や庄兵衛。(一行)と、角町がしの所にあり。同所に、○(割書)あだおとこ平七(一行)又中之町大門より右の所に、○(割書)あづま男まつや庄兵衛。○こぶくしやつるや平吉。(一行)と有。をかしくめづらしければ、書附おく。又、○此水道じりは、昔つぼね二十五けん有より、おしなべて天神がしとなづけてよぶ。いつの頃よりかして、ちや屋あきんどゝなる。(割書)大伝馬町三丁目鶴屋喜右衛門版。

吉原細見享保十七年1732.00c(一枚摺細見圖)しんよしわらえづ1916東華樓/浮世絵14

吉原細見享保十七年1732.00d両都妓品りょうとぎひん1914東華樓/細見記考8-17-06

吉原細見 享保十七年七月 1732.07 男女川(涼しさや…) すずしさやあげやもちゃやもみなのかわ 1995平木/江戸…吉原細見110-10 (雁註)略名、男女川。正記は「涼しさや・揚屋も茶屋も男女川」 (宮本)「涼しさや揚屋も茶屋も男女の川」

吉原細見 享保十八年(合刻) 1733 兩都妓品(兩巴巵言) りょうとぎひん 1906大久保/續吉原020/185 (葩雪)兩都妓品、一名、兩巴巵言、一、享保十八年「史林殘花」と共に之を合刻す。(雁註)一名、兩巴巵言

吉原細見享保181733新吉原細見しんよしわらさいけん17331996八木・丹羽/吉原細見年表005-034

吉原細見享保181733新板・うきふねくさしんぱんうきふねくさ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-035

吉原細見享保181733新板・浮舟草しんぱんうきふねくさ1996八木・丹羽/吉原細見年表005-036

吉原細見 享保十八年 1733 (吉原細見) よしわらさいけん 1990古典籍総合目録2-919   享保拾八歳癸丑 1733 (吉原細見) 無外題 1999花咲(複写製本) 享保十八丑年 1733 (吉原細見) 無外題 1999花咲(複写製本)(合本)

吉原細見享保十八丑年 1733 千本櫻せんぼんざくら 1999花咲(複写製本)

吉原細見享保十八年1733.00(吉原細見)よしわらさいけん1990古典籍総合目録2-919

吉原細見享保拾八歳癸丑1733.00(吉原細見)よしわらさいけん1999花咲(複写製本)

吉原細見 享保十八丑年 1733.00 (吉原細見) よしわらさいけん 1999花咲(複写製本)(合本) (木村三四吾)1979合本、解説あり (雁註)ただし、元題簽を逸す。

吉原細見 享保十八年秋 1733.07 浮舟草 うきふねくさ 1843加藤雀庵/新吉原細見56-1 [1916三田村鳶魚/鼠璞十種 全2、国書刊行会] [1978朝倉治彦/鼠璞十種56]  △浮舟草(割書)享保十八年。天保十四年に至、十一年に及ぶ。  中万字屋に二代目玉菊あり。あげや六軒。  此細見と同年版の一本、合刻両都妓品を合せ見るに、此本にある太夫四人のうち、一本には、三浦孫三郎内紅梅、又玉屋山三郎内若紫、此二太夫は位を下りて[格子]となり。又此本、山口屋七郎右衛門内白糸はさんちやなるに、位を上りて太夫たり。又此本、揚屋町あげや松葉屋善兵衛と見えたるは、一本には此家なくて、いさゝかその俤をのみ残せり。按るに、此松葉屋は、此年(割書)享保十八年(一行)夏の頃に、其家絶たるなるべし。此外大同小異あるに、一本癸丑の秋とあるによりて考れば、此本は享保十八年初春の発兌なることうたがひなし。よりて此本を春の巻とし、一本を秋の巻とするになむ。○第一丁に、妓女の紋六ツをしるしえ、下に発句あり。考るに、第一は大三浦内太夫小紫が紋、第二は三浦源三郎内三浦が紋、第三は同孫三郎内紅梅が紋、第四玉屋山三郎内若紫が紋、第五さんちや山口屋七郎右衛門内白糸が紋、第六同嘉衛門内きてうが紋也。○此本、五丁町の図中、あげ屋町の所に井戸初と記しゝは、紀文が此里に始て掘しといふ井なるべし。(割書)◎井戸掘リシハ紀文ニアラズ。奈良安ナリ。(一行)紀文は此細見の翌年、享保十九年四月廿四日、深川八幡一の鳥居の隠宅に終れり。○初丁、五十間道の所に、(割書)○はいかいてんじやしう月取次所。(一行)又ゑもん坂の辺に(割書)人形見世(一行)とあり。又割り書き江戸河東上るり一号河丈とあるは、元祖河東の門人也。○奥書に、「新吉原揚屋町三文字屋亦四郎、神田新石町相模屋原介、人形町平野屋小八、享保十八歳癸丑今月今日開版」とあり。 (花咲)雀庵の文中に三つの疑点があります。 1、三浦の紅梅と玉屋の若紫が太夫から格子に格下げになったのは享保十九年春版からではないか。 2、山口屋の白絲が太夫に昇格した、というのは、二人禿つき散茶(太夫散茶)をいうか。 3、揚屋の松葉屋が細見から姿を消すのは、享保二十年秋版、うろこ形屋の「弥新三紅鶯(さんかうどり)」からで、鶴喜版、享保二十年細見「花の錦」には、まだのっております。これは春版?

吉原細見享保十八年秋1733.07浮舟草うきふねくさ1916東華樓/浮世絵14

吉原細見享保十八年秋?1733.07新板・浮舟草 全しんぱんうきふねくさ1976花咲/享保末期細見1

吉原細見 享保十八歳癸丑今月今日 1733.07 浮舟草 うきふねくさ 1936澁井/吉原本088 (澁井)板元は新吉原揚屋町三文字屋亦四郎、神田新石町相模屋平介、人形町平野屋小八である。奥書に曰く「右細見、世上に多しいえとも、あるひは女郎の名、其外萩荻の違かそゆるにいとまなし。此度浮舟草とだいかふあらはし御らんに入申候。太夫かうしさんちやなみつぼね座

吉原細見 享保十八年 1733.07 浮舟草 うきふねくさ 1995向井/江戸文藝叢話333

吉原細見享保18秋1733.07両都妓品りょうとぎひん1996八木・丹羽/吉原細見年表005-037

吉原細見 享保十八年九月 1733.09 合刻・両都妓品 りょうとぎひん 1843加藤雀庵/新吉原細見57-1 [1916三田村鳶魚/鼠璞十種 全2、国書刊行会] [1978朝倉治彦/鼠璞十種57] 合刻両都妓品(割書)享保十八年秋九月。(一行)  此一冊は、新吉原(割書)附京島原(一行)細見記中の異本なり。さて発兌の年号を記さゞれど、序文のすゑに癸丑秋とあるによりて考ふるに、享保十八年秋九月の印本なる事明らけし。  ○此書始、島原の細見中に見えたる桔梗屋治助といへるは、かの浪花新町なる茨木屋幸齋が実子也。父幸齋奢によりて、享保三年三月牢居仰附られて、其上家地御取上げと成、父子とも大坂を御払になりし也。忰治助も京島原に来て、廓中の者に歎く。諸人治助をあはれみて、桔梗やと云潰れ株を興させしに、日を追て繁昌し、島原に名を得し上林、一文字や等の故家はおとろへ、桔梗屋はますます栄ゆ。もとより治助は風流の志ありて、俳名を呑鯨といふ。寛延の始に終る。呑鯨が甥呑獅、跡をつぎていよいよ栄え、家内二百人に余りしとぞ。此呑獅は、寶暦七年印本島原細見一目千軒にその名見えし。則その本撰者の一人たり。幸齋が盛になりし頃、家内の男女五百人に余りしと云へり。(割書)幸齋が事、傾城竃将軍と云冊子にも見えたり。(一行)  ○此本に見えたる松葉屋半右衛門抱の遊女瀬川は、三代目也。此瀬川は故有て、享保廿年卯十二月三日廿二にして自害す。(割書)◎寶暦八年三月廿五日、十九歳ニテ自殺ト、続談海ニアリ。(一行)法名心付き浄栄信女。(割書)寺は淺草寺中。(一行)「宵の間に置霜なれば朝ごとにきゆる此身と今ぞ知りぬる」。此瀬川は十九歳の暮より出たりといへば、此細見の前年、享保十七年より出たる也。遠見録といへるものに、「此瀬川を六代目とし、又此瀬川より三代已前の瀬川は、松葉屋にて夫の敵を討つ



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