浮世絵学04/外題(名数)源氏物語は五十三帖 源氏物語の底本、河内本とすべきこと 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/17259
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酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)

浮世絵学**     →御案内 酒井好古堂 http://www.uiyo-e.co.jp/16738
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1 源氏物語の古写本の内、もっとも勝れた(紫式部の原本に近い)写本は、河内本である。(尾州家河内本

定家本(いわゆる青表紙本)は、定家自身、猶狼藉未散不審である旨を嘆いている(明月記/元仁二年二月十六日の條)。奥入は、不整頓であったが方々で写されて、非難を蒙った。これに懲りて、巻々の奥に書き付けた注釈を切り出して別冊とした。

これは証本が盗まれ、たった一つの写本で校合したため、意味不明のまま、更に原文を改定して、追加した部分があるからである。原文を改定した写本は、採用できない

研究者(テキストの文字数)によると、定家本は、河内本よりも30%ほど増加している。

原文に書かれていない校異の傍書、仮名を漢字(歯+余)に(そして漢字を仮名に)、これらが竄入(ざんにゅう)したからと考えられる。

尾州家河内本の語句は、下記のサイトで(テキスト)検索できる。(秋山虔、池田利夫/尾州家河内本源氏物語)

http://www.genji.co.jp/kawachi-genji-srch.php

これまで、池田亀鑑の源氏学における権威が圧倒的であったため、定家本が底本として使われてきた。池田亀鑑は、かつて河内本を見る機会があり、稿本を作成した。しかし、この後、誰にも公開していない。もっとも、現在では影印本が刊行されている。

今後、河内本を優先すべきである。そして、一日も早く、河内本を底本として現代語訳を完成させるべきである。

影印本も手頃な価格で提供されている。

1934(1977)尾州家河内本・源氏物語(影印)全10。日本古典文学会

*源光行(1163-1244)、源親行の親子が二十一種の写本を基に校合を行った。能書家による品格のある文字である。定家本のように転写されることがなく、一カ所に大事に保管されていたため、一般に知られることがなかった。

1935(1977)山岸徳平/尾州家河内本・源氏物語開題。尾州徳川黎明会藏版(日本古典文学会)

第一章 序説

第二章 源氏物語の諸本と河内本

第三章 源光行の生涯

第四章 源親行の生涯

第五章 光行・親行父子の源氏物語本文研究

第六章 北條實時と来の好學及び愛書と蒐集

第七章 北條實時と源氏物語との関係

第八章 尾州家本の性状

第九章 尾州家本の内容及び来歴と容器ー文匣

第十章 尾州家本の落丁と補填の本文

第十一章 高松宮家御本の性質

第十二章 河内本と青表紙本の異同

第十三章 松風の巻の諸本

第十四章 尾州家河内本と湖月抄本の本文異同

第十五章 結論

1944山脇毅(はたす)/源氏物語の文献学的研究。創元社

*最初に尾州家河内本について言及した京都の国文学者

1 水原抄紫明抄の撰者

2 河内本源氏物語と其校訂者

3 源光行・親行年譜

4 平瀬本源氏物語

5 河海抄の系統について

6 曼殊院本源氏物語

7 仙源抄の二證本

8 長慶天皇と源氏物語

9 源光行一家年譜

10 三條西實隆と源氏物語

11 源氏物語聞書と弄花抄

12 源氏物語弄花抄と細流抄

13 實隆の源氏物語系譜

14 三條西家證本源氏物語

15 實隆の見た源氏物語註釋書

16 餘材小録

17 三條西實隆源氏物語關係年譜

18 源氏物語奥入について

19 源氏物語匂宮紅梅竹河について

索引

後記

◇1977池田利夫/河内本源氏物語成立年譜攷。貴重本刊行会(日本古典文学会)

*源光行の年譜攷として尤も詳細なもの。

(親行系列)源光行(1163−1244)–源親行−源義行(聖覚)−知行(行阿)

(孝行系列)源光行(1163-1244)–源孝行1207- *親行の校合に孝行が加担している。

1255源親行/源氏物語(校訂)吉川家本/源氏物語・夢の浮橋、奥書。 *1236以来の校合作業を終える。

*要約箇条書(池田利夫)

1 本文異同を二十一部の本を披見して不審を参じた。

2 伝本は、伊房本、朝隆本、俊成本、定家本。それぞれ自筆本

3 法性寺本

4 句点を切り、□(歯+余)字(振り漢字の意と解する) *漢字に書き直す

5 校合は数度に及ぶ

6 終了するまでに、火災で九帖が焼け、六帖が召し上げられた。

7 五十四帖の内、桐壺は行能卿の清書。夢の浮橋は、拙い筆であるが自分(親行)が清書した。

8 嘉禎二年(1236)二月三日より始まり、建長七年(1255)七月七日に終った。*20年間

9 (後の加筆)棘府の懇請により、再び老筆(親行)を執った。

10 行能(1179-?)卿の桐壺と釣り合いが取れるように、夢の浮橋は清範女禅尼(-1220s−)による清書が出来たので、自分の写した本は破り棄てるつもりであったが、素寂が持ち出してしまい、人の眼に触れて見苦しくなってしまった。

1258北條実時(1224-1276)/源氏物語(親行本)を書写せしめる。*実時の自筆 料紙は全て同一

1293素寂/紫明抄 十巻。 *将軍久明親王の召による。*素寂が誰であるか確定できない。

1364行阿/原中最秘抄・奥書 *光行は、水原抄(厖大な注釈書)を踏まえたが、加注は行わず、行阿へと引き継がれた。光行は、定家写本の脱行群の異同について科学的吟味を行っている。

1364c四辻善成(1326-1402)/河海抄 *足利二代将軍義詮の下命による *よつつじ

*善成は河内本の学統から出たが、ここでは定家(青表紙本)が採り上げられている。これ以降、定家本(青表紙本)が河内本を圧している。定家は二流の公家であるが、定家が歌道、書道で隠然たる実力を持っていたためである。

◇1978秋山虔、池田利夫/尾州家河内本・源氏物語(翻刻)全5冊、武藏野書院

下記のサイトはテキストで河内本の語句を検索できる。

http://www.genji.co.jp/kawachi-genji-srch.php

藤原定家(1162-1241)は、たった一つの写本だけで校合を行ったので、土台、無理であった。しかし、定家の名は、西京の公家の和歌世界では著名であったので、あちこち狼藉の多い(と定家自身が述べている)定家本が流布してしまった。

因みに、東の武家(公家でもある)源光行(1163-1244)は、定家より一つ年下であり、ほぼ同年代と考えて良い。また光行は、源氏物語の多くの疑問について、定家の父、俊成に師事していた。光行は武家で、鎌倉幕府の経済官僚としても重要であった。しかも、京都の公家、特に和歌でも重きを成していた。武家と公家の橋渡しもしていたと考えられる。承久の乱(1221)で、一時、処刑を宣告されるが、息子の親行の助命嘆願が効を奏し、助かった。他の関連した人々は、鎌倉に移送する途中で、処刑されている。後鳥羽上皇(1180-1239)は、北條義時(1163-1224)追討の院宣を下したが、敗れて、隠岐に流された。

源光行(1163-1244)は、1236、源氏物語の校合を初めた。その死後、息子の親行は1255.07.07、河内本(校合)を完成させた。

北條実時(1224-1276)は、1258(正嘉2).05、いわゆる河内本を能書家に転写させ、金沢文庫(称名寺)に納めた。このため、殆ど転写されることがなく、埋もれたままとなってしまった。秀次、秀吉を経て、家康、そして尾州徳川家に伝わった。その意味でも、尤も由緒ある底本とすべき、最重要な写本である。

◇1988池田利夫/源氏物語の文献学的研究方法序説/笠間叢書222。笠間書院

序 松尾聰

序章 文献学的研究法入門

第一章 三條西家・青表紙本証本の問題点

第二章 近衛家の源氏書写と所蔵諸本

第三章 山岸文庫・明融本の混態瞥見

第四章 中山家本・源氏物語の諸伝本

第五章 蓬左文庫蔵・古鈔本源氏物語四帖

第六章 蓬左文庫蔵・松風をめぐりて

第七章 御物本・各筆源氏物語総説

第八章 源氏物語所詠歌・本文異同とその計数処理

第九章 中山本・柏木と日本古典文学会本・付載奥入

第十章 伝二条爲明本・付載奥入と別本奥入諸本

第十一章 自筆本・奥入について

第十二章 三條西家・書写の奥入と源語古抄 新資料−公条筆・異本奥入

第十三章 永仁・書写源氏物語抄の成立年次と本文

第十四章 自筆本物語・二百番歌合について

第十五章 源氏物語歌合の成立と本文

第十六章 源氏物語研究の初期と蒙求

第十七章 漢籍受容と源氏物語(講演)

終章 源氏物語・本文系統論と整定−若紫と花宴と

本書所収論文発表要目

あとがき

*大著である、詳細について是非、ご熟覧願いたい。

2 河内本の最終巻「夢の浮橋」の末尾

源氏物語を未完であると考える人は、この名数(五十三)および最終巻「夢の浮橋」の末尾を確認する必要がある。

◇1955池田亀鑑/夢の浮橋/源氏物語/日本古典全書。朝日新聞社 *池田亀鑑(1896-1956)

(薫)すさまじく、なかなかなり、と、思すことさまざまにて、人の隠しすゑたるにやあらむ、と、わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、
落し置き給へりしならひに、とぞ。本に侍るめる。

*青表紙本を底本に使っていて「本に侍るめる」とあるが、河内本は「本に侍るめる」は無い。

(池田亀鑑の頭注)「もとの本にさう書いてある」の意。寫した人の註記で、鎌倉時代以後、古形を示す意圖から屢々慣用された。

(池田亀鑑の頭注、附記)作中人物の運命に決定的な結末をつけないで筆を擱く。五十四帖の巨編を終へるに適はしい筆致といふべきか。

(雁註)五十四帖でなく、五十四冊。册数は五十四であっても、帖名は五十三(帖名は五十三、若菜は一つの帖名)

(雁註)しかし、「…とぞ」で終る方が無理がない。紫式部が創作した以上「もとの本」などある訳がない。
この語句の有無で、私は青表紙本は混乱、河内本は紫式部の自筆本の意図を正確に伝えていると確信した。
ここで尾州家河内本の夢の浮橋(源氏物語の最終巻)の影印を御確認いただきたい。…とぞ。これで終っている。「本に侍るめる」の語句は無い。

3 名数は五十三帖で完結している。

紫式部は、仏典を含む漢籍に精通していた。人間の苦しみはブッダによって救われると考えた。善財童子は、善知識を求め、五十三カ所を巡り、悟りを開いたという。これに倣い、物語を五十三帖にした。若菜は尤も長い帖で二册に分けてあるが、帖名は一つ、若菜である。桐壺から数えれば、夢の浮橋で丁度、五十三になっている。江戸時代の廣重の東海道も五十三であり、五十四では妙なことになる。東海道は五十三次である。

浮世絵学04/外題(名数)(五十三)帖_源氏物語、善財童子、名数五十三の一致 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/3718

浮世絵学04/外題(名数)(53)源氏物語53帖、一致 1997SAKAI_gankow: The Tale of Genji by Lady Murasaki in 1,008AD has framed in 53 vols, not 54. 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/2764

記述の年月が多岐にわたり、統一を欠いていますが、結論として、源氏物語の底本は定家本でなく、河内本を優先すべきことを述べてあります。

酒井雁高(がんこう)学芸員 curator, professional adviser of ukiyo-e

浮世絵・酒井好古堂 [http://www.ukiyo-e.co.jp]

[浮世絵学]文化藝術懇話会  浮世絵鑑定家
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