浮世絵学01/人名(利休)1595無款(等伯画)/春屋宗園賛 利休遺影 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [ http://www.ukiyo-e.co.jp] 
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2017-12-23現在(2018-3-01更新)

酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)

昨年2017、知人から、1595等伯画/春屋宗園賛/利休遺影について、特に賛の読み方、その意味合いなど、調べて欲しいと連絡があった。

軽い気持ちで引き受けたが、これが思いのほか難航、悪戦苦闘した。

 

*この賛について、原文の翻刻が全く無く、従って読み意味などが分からなかった。道教の専門家、福永光司先生が何かに

書かれているようだが、見付けることが出来なかった。

*広い意味で頂相(ちんそう、ちんぞう)である。いわゆる禅人の画像で、この場合、遺影である。

*この画像は没後の遺影である。従って左から書いてある。右の最後に、自分の款印を施す。

*頂相は、師が弟子に印可の記しとして授けるものであるから、師の寿像である。通常、右から書き、左下に款印を施す。

1595(文禄4)春屋宗園賛*(圓鑑国師)(1529-1611) 七言絶句(七言四句)
利休没後、5年後 *大徳寺111世 絹本著色 縦80.6・横36.7

(翻刻)

頭上巾兼手中扇 儼然遺像
旧時姿趙州且坐 喫茶底若不
斯翁事得知
利休居士肖像 常随信男
宗慶照之請賛 伽侘一絶係
上充香供云
文禄第四乙未歳舎季龝念四日
三玄春屋叟宗園[印]

*賛の中に必ず人名が出てくる。つまり、利休の生き方をこれらの人物に擬えている。

詞書は別にして、七言絶句、つまり7×4=28文字で、人物の全人格を表す。

賛を施す人物も、絵師も、生前からの親密な交友関係が無ければ、不可能である。

*人物の生没年を編年順に表示し、前後関係の動きを把握した。

第一に、それらの記録の背後の吟味が、不可欠であることが分かった。

秀吉、三成、その他の記録は、都合の良い情報操作が行われて、事実を捩じ曲げている。

関白在世時は、本当のことが云えない。云えば、遠島になるか、酷い拷問を受け、耳、鼻を削がれ、死刑になる。

従って、秀吉没後、初めて事実が明らかにされた。

秀吉は利休の娘を手に入れようと、利休に難題を吹っかけ、窮地に追い込み、命乞いをさせようとした。

しかし、利休は、「命乞い」も、「娘の入内」も、ハッキリと拒否している。

秀吉は、利休の自決後、娘と母親(利休の妻)を暗闇の座敷牢に閉じ込め、蛇責めにして殺害したという(1988小松茂美/利休の手紙ほか)

高僧以上に「死と向き合い」、「死を恐れず」、「己の人としての生き方」を貫き通した。

詳細について、下記を御覧いただきたい。

春屋宗園賛 利休遺影_解説

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2017-12-07現在(2018-02-17更新)

◯利休の寿像

1584古溪宗陳/利休(寿像)

利休宗易…原文+

利休宗易禅人幻容+

(雁註)利休号は禁中茶会で正親町天皇より、一日だけ勅賜された。それ以前に、「利休」名は無い。それ以前に利休と名乗っていたことが明らかにならない限り、不可解である。

◯利休の遺影

1595無款(等伯画)/春屋宗園賛 利休遺影

利休書簡 春屋宗園賛 利休遺影_解説

(雁註)田中信男宗慶、「信ずる男」と考えたが、「信男」(のぶお)という本名、「宗慶」は宗名と考えた方が無理がない。 宗慶は宗園から得度を受けたか。ここで、訂正する。また田中の本姓が、何年何月、法姓「千」に改められたか。これも分からない。

誤認、誤記も多々あるかと思う。何かあれば、御教示ねがいたい。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator
浮世絵・酒井好古堂   [http://www.ukiyo-e.co.jp]
[浮世絵学]文化藝術懇話会  浮世絵鑑定家
100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14
電話03-3591-4678 Fax03-3591-4678



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