浮世絵学01/人名(利休)1584無款/古溪宗陳賛/利休宗易禅人玄容 利休寿像 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/18351 
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2018-1-12(2018-08-30更新)     http://www.ukiyo-e.co.jp/18351

酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

浮世絵学**     →御案内 酒井好古堂     

利休の画像は二つある。

一つは遺影(不審庵)、もう一つは寿像、本図である(正木美術館まさきびじゅつかん)。

1584.08(天正12癸未) 古溪宗陳賛 利休宗易画像  正木美術館

(翻刻)  *左向き、左から  *寿像は通常、右向きであるが、本図は何故か左向き
利休宗易禅人 幻容
禅人夫界浦好事風流之士
當世以茶術為務書因一絶句
充賛詞
喫茶人道是廬同面目依
然盡太空莫問老翁帰去
處天遊睡後一清風 咦
癸未之仲龝下浣日
前龍寶山 古溪老拙

(解説)1988高橋範子/正木美術館開館20周年記念名品図録
利休宗易禅人 幻容
禅人は夫(そ)れ界浦(カイホ、堺)好事 風流之士なり
當世、茶術を以って務と為す
一絶句を書して 賛詞に充つ
喫茶 人道 是れ 廬同
面目 依然 太空を盡くす
問ふこと莫(なか)れ 老翁の帰去する處を
天遊 睡後 一清風 咦
癸未之仲龝下浣日
前龍寶山 古溪老拙

*利休が秀吉の茶頭(さどう)となった記念の祝図か(*天正11.5.24、つまり前年)
*「利休」号 大林宗套(1480-1568)から、1568 以前に授与された。 *大林、「おおばやし」でなく、音読み(ダイリン)
大林宗套(1480-1568)→ 古溪宗陳(1532-1597)→春屋宗園(1529-1611)→千利休(1521-1591)
(雁註)何年何月何日、 大林宗套(ダイリンソウトウ)は利休号を授けたか、確認が取れない。

(雁註)絵師についても、土佐派との提案がある。これは奈良絵を考えれば、分かり易い。当時、奈良は荒廃していて、絵師の多くは経済力のあった堺で活躍した。宗易(1522-1591)は、茶人として武士以上に威厳、威圧感があった。柴田勝家(1522-1583)は、人前では物怖じをしなかったが、何故か宗易の前では、萎縮したと述べている。

詳細は下記を御覧下さい。

利休宗易禅人幻容+   (画像)

古溪宗陳賛 利休宗易寿像…原文+ (解説)

◯下記、1595無款(等伯画)/春屋宗園賛 遺影(不審庵)も御確認下さい。

浮世絵学01/人名(利休)1595無款(等伯画)/春屋宗園賛 利休遺影 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [ http://www.ukiyo-e.co.jp] 

春屋宗園賛 利休遺影_解説

*時衆(じしゅう)は、植物性の繊維を錘具で編んだ編布を使った固有の衣服を用いた。「阿弥(あみ)衣」という。 一遍(1239-1289)が修行中に藤の編布を着用して霊験をえたことから自らの法衣としたことが起源とされる。藤の衣は、古代から清貧の象徴であり、神仙の術を得る修行に必須の衣服とされていたことが「日本霊異記」や「今昔物語集」などで伝えられている。なお、織布の技術が発展していた中世には、編布は河原者など最下層の人々の衣料となっていた。 一遍が一般的な法衣である袈裟を用いず、最下層民が使っていた編布を使った衣服を使ったことは、当時の仏教界に対する批判の意味もあった。

誤認、誤記が多々あるものと思う。何か御気付きの点があれば、御教示下さい。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator
浮世絵・酒井好古堂   [http://www.ukiyo-e.co.jp]
[浮世絵学]文化藝術懇話会  浮世絵鑑定家
100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14
電話03-3591-4678 Fax03-3591-4678



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