浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会)(18b)(再度)*九州王朝 玉虫厨子 制作年月? 原典史料? 推古天皇? 聖徳太子? 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/26755
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浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会)(18b)(再度)*九州王朝 玉虫厨子 制作年月? 原典史料? 推古天皇? 聖徳太子? 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/26755

2015-05-31現在(2019-04-22更新)
   
酒井雁高(酒井好古堂主人)SAKAI_gankow,    
curator,  professional adviser of ukiyo-e, sakai koukodou gallery    
2014-11-13[ukiyo-e.co.jp]  *You might also see [japan-ukiyoe-musem.com]    

◯浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会)支那學・研究一覧(邪馬台国、帰結)三國志(魏志)と隋書 古田武彦 九州王朝* 帰結、ずばり九州(阿蘇山と書かれている)(古田武彦/九州王朝*)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/37595

◯玉虫厨子 *このサイト、誤って大部分を消してしまった。リビジョンで、何とか復活? コピーをしたが、二重枠線が表示されて、見難くなった。 九州王朝の提唱者、古田武彦先生の論文、著書を熟読ください。 古田武彦 http://www.furutasigaku.jp/

   
*以下の項目が不明のまま。    
1 制作年月?    
推古天皇が愛用した。    
聖徳太子一族は全員、殺されている。聖徳太子が隼人出身だからであろう。    
隼人の楯、S字、逆S字文様の楯。これは海人の恐れる竜巻、台風の象形。(上條耿之介案)    
聖徳太子が一度に何人もの話を聴くことが出来たという伝承は、彼方此方の言語、何カ国語も理解できた意。海人の必須条件。    
法隆寺金堂釈迦三尊光背銘により、聖徳太子は(以下、消えてしまったらしい)    
2 宮殿(くでん)、上部 この内部はどうなっているのか。画像は、どこにも無い。    
阿弥陀仏があったのか。    
<a href=”http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-content/themes/standard_black_cmspro/img/IMG_0093-1.jpg”><img class=”aligncenter size-large wp-image-3475″ src=”http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-content/themes/standard_black_cmspro/img/IMG_0093-1-710×1252.jpg” alt=”IMG_0093 (1)” width=”710″ height=”1252″></a>    
この内部に玉虫が装飾されていた?    
<a href=”http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-content/themes/standard_black_cmspro/img/IMG_0021-1.jpg”><img class=”aligncenter size-large wp-image-3477″ src=”http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-content/themes/standard_black_cmspro/img/IMG_0021-1-328×2048.jpg” alt=”IMG_0021 (1)” width=”328″ height=”2048″></a>    
何とか一枚だけ、玉虫と唐草透彫金具を見つけた。    
2.1 金泥押出千仏の画像を確認のため、見たい。どこにも無い。    
2.2 玉虫は、どこにあるのか。宮殿の唐草透彫金具は、どこで確認できるのか。    
3 須弥座(しゅみざ)、下部 この内部はどうなっているのか    
回りは、捨虎飼虎など、仏典から題材にしている。敦煌岩窟に、その原図がある。    
4 法隆寺金堂釈迦三尊光背銘    
618(推古26)随、滅びる、唐の高祖が長安に即位する。    
621.12.21癸酉(推古29)「鬼前太妃」は穴穂部間人(はしひと)太后    
(用明天皇の后、太子の母后)が崩ずる。    
太子、「(干食)王妃」(膳妃)(かしわで)が病臥する。    
*癸酉は12.20 12.01甲寅(50)12.21日は甲戌(10)    
癸酉(9)&nbsp; :12.20    
甲戌(10):12.21    
*日付か干支か、どちらが正しいのか(現代では、曜日か日付か)    
聖徳太子の妃一覧    
正妃 敏達天皇が父、推古天皇が母   莵道貝鮹(うじかいだこ)皇女 *海人を思わせる妙な名前    
父は蘇我馬子、子は山背大兄皇子 刀自古郎女(とじこのいらつめ)    
父は尾治王           位奈部橘(いなべのたちばな)王    
父は膳部加多夫古臣       菩岐々美郎女(ほききみいらつめ)    
622.02.21(推古30)「(干食)王妃」(膳妃)妃は逝く。    
622.02.22甲戌(推古30)「上宮法皇」(太子)も薨去(49歳)(法隆寺金堂釈迦像銘)    
02.01朔日の干支、癸丑(25)、22日は甲戌(10)    
「推古三十年二月二十二日」は太子薨日は正確    
*日本書紀の推古二十九年二月五日は事実ではない    
(古田武彦)三人(「鬼前太妃」「王妃」「上宮法皇」)が死んでいる。日本書紀に全く記録がない。    
しかも推古天皇が光背銘に全く刻記されていない。全く不可解である。 (雁註)つまり、これらの九州王朝の事跡。    
(藤枝晃)聖徳太子伝説は、梁・萧衍(武帝)(464-549)(しょうえん)の事績を手本にしていて、信用できるものは一つもない。萧衍は南朝・梁(502-557)の初代皇帝で、近隣諸国から菩薩天子と礼賛されていた。 (雁註)藤枝晃先生の指摘は、具体的である。聖徳太子が伝説であったと断定している。 (古田)薬師佛の光背銘、歳時丙午年(586)の銘文「池辺の大宮に天の下を治(し)らす天皇(天皇は天子(九州王朝)に対する第二王者)」「小治田大宮治天下天王及び東宮聖王」は聖徳太子。(古代は輝いていたIII)    
天皇系譜    
継体(26) &nbsp; 安閑(27)    
宣化(28)    
欽明(29)   &nbsp; 敏達(30)        舒明(34)…  天智(38)    
用明(31)        聖徳太子    
推古*(33)    
穴穂部間人皇女(聖徳太子の母)    
崇峻(32)    
*釈迦三尊光背銘は「法興元卅一」が示すように九州王朝、多利思北狐(たりしひこ? 〜ほこ?)を上宮法皇と考えると理解できる    
623.03(推古31)司馬鞍作首止利仏師が釈迦三尊を造り終える(法隆寺金堂銘)    
推古女帝は、三月、「間人(はしひと)太后と膳妃(かしわで)と太子」のために造らせた。    
*奈良王朝に、「法興卅一」の年号はない。「推古卅一」と年数が一致しているのは何故か。    
推古朝は、九州王朝を簒奪し、その事績を奈良王朝の業績としている。720日本書紀編纂の時、奈良王朝に都合の良い事実を編纂した。636隋書、662白村江は、九州王朝の事績であり、奈良朝は未だ存在しなかった。    
(上條耿之介)聖徳太子は隼人、呪術を司る。S字、逆S字の楯(隼人の楯) *竜巻、台風    
ミミという名前。聖徳太子一族、全員が抹殺されている。    

何か、確かな原典史料を御存知の方は、御教示ねがいたい。

◎三国志/魏志/邪馬台国/参照一覧

http://www.ukiyo-e.co.jp/37595

   
酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator    
浮世絵・酒井好古堂 &nbsp;   http://www.ukiyo-e.co.jp/3472    
文化藝術懇話会    
100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14    
電話03-3591-4678 Fax03-3591-4678


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