浮世絵学11/文化藝術懇話会*(15)モンゴル、シナ、チベット(1900s-1930s) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp] 2014-10-17(金)
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浮世絵学11/文化藝術懇話会*(15)モンゴル、シナ、チベット(1900s-1930s) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp] 2014-10-17(金)

  2014-10-17(金)

◇文化藝術懇話会(15)

題:モンゴル、シナ、チベットの踏査・探検(100年程前)

人:酒井 雁高

時:2014-10-17(金)18.30-20.00

所:淡路町ワテラス2011号(パーティルーム)

*出席の方は三日ほど前までに、ご連絡を

砂漠の舟、つまりラクダで隊列を組み行進。夜間、野盗、盗賊

などが襲ってくる。歩哨を立て、こちらも戦闘態勢。水が無い

砂漠の行進なので、死を覚悟で前進、オアシスへ。


多岐にわたる天候、地域、人名を生没年順で、整理。

読破している。その一部を紹介する。

2014-10-17

*主要な大著は、東洋文庫(国会図書館分館)のアーカイブで公開しているので、ブラウズできる。

◯リヒトホーフェン、フェルディナント(1833-1905)

初めて、Seidenstraßen(絹の道、「道」は幾つもあるので、複数形)と名付けて、東西交流史を提唱。

シナ 全5  *スウエン・ヘディン(1865-1952)の師匠。

◯プルジェワルスキー(1839-1888)

1966-西域探検紀行全集 全15別1。白水社

◯コズロフ、ピョートル(1863-1935)

スモレンスク県スロボータ村の酒造工場に就職。

プルジェワルスキーに師事。

モンゴルとカム 全5

エツィン・ゴル下流域で発見した西夏のカラホト(黒い城)遺跡

◯スウエン・ヘディン(1865-1952)

1964-ヘディン中央アジア探検紀行全集 全11。白水社

◯エリノア・ラティモア(Eleanor Holgate Lattimore、1895年 – 1970年)

1927-1928新疆紀行

はしがき、序文

1 夫に出會ふために出發する、西比利亜横断鐵道と支線、セミパラチンスクでは夫に會へず、コズロフ夫妻を探す、キタイスキーと十四臺のマッチの荷と共に十七日の橇(そり)旅行に出る

2 強風と悪道路と雪に埋もれたカザク人小屋の生活、吹雪の中を橇を馭す、キタイスキーがマッチ隊商の連れから救ひ出す、六日後れに楚古査克[チュクチャク]に着く、髯をのばした夫に會ふ

3 楚古査克[チュクチャク]における生活、モーゼスについて、覆馬車で出發する、老風口越え、遊牧蒙古人とカザク人の早春移動隊に出會ふ

4 覆馬車に乗って楽しい冒険、天津人と天津旅宿、烏魯木斉[ウルムチ]の春

5 馬で吐魯蕃[トルファン]へ、海面舌の土地で廃墟になった町が無数にある、我々は考古學者ではなかつた、トルキスタンの最も古い都市の一つの忙しい生活と交易を見る、葡萄の谷へピクニック

6 首都烏魯木斉[ウルムチ]、どうして支那商館の客となつたか、トルキスタンの馬、どうして買ったか

7 克里雅[クルジャ]までの天山北路、イスカンダーとミーンダー、樹にのぼつてゐ盗賊、月光下の砂漠の羊と揺れる砂海の奇怪な物の形と影

8 四十の旅宿と天候が起る湖、綏定[スヰチン]にて旅券を輿へられる、帯刀の護衛を得る

9 克里雅、ロシア貴族とドイツ人牧師と支那官僚の響宴、芝居のための支払、蒙古の王女との邂逅

10 天山山脈の中へ、フィドーとサヂーと小馬、遊牧カザクと馬酒を汲み羊肉を分つ

11 危険な徒渉と製革所での滞在、阿片常用者シボー、カザク人の歓待と支那帝國主義

12 最後の包(パオ)を離れて哥克蘇[コクス]河に沿って行く、夫の遭難、カザク人、夫の狩猟を妨ぐ

13 イスカンダーの悲しい死、馬大仁[マタージン]と彼の贈物の小馬、シーボーとバルドロフを善い案内者にかへられて喜ぶ、サヂーの妻、物凄い麻札他[マツアルト]を越えて狂人に會ふ、阿克蘇[アクス]から客什噶爾[カシュガル]までの旅行、再び月光下の砂漠と泥小屋の旅宿、巫女踊りと逃亡の人妻と美しい道連れ

15 歴史に名高い客什噶爾[カシュガル]の町とイギリス領事館の快適、サヒブにメム・サヒブ、アクサカルとの折衝、世界で最も高く最も困難な通商ルート、タシと彼の小馬を連れて五つの峠に出発する

16 一層、物凄い山々、犛(やく)牛と海抜一萬八千三百呎にある感動

17 パナミクの殺人、白人としての夫の行動、レーにて旅行家に會ふ、旅行家となる悲しみ

◯スミグノフ、ステファン(1898-1924)

1919-1924 アルタイ紀行、コンロン紀行、新疆紀行 *日記を訳した(須田正継)*息も継がせぬ面白さ

アルタイ紀行(天山紀行)

*ボルシェヴィキと戦うためにでなく、トルキスタン、アルタイ地方を旅行したかった

 二度と母国へ戻れなくなった。

待望のイリ市へ:南京虫が襲来。

・イリ市、ロシア人、シナ人、サルト人、タランチ人、キルギス人、シベ人、ソロン人、モンゴル人、トルグート人、トウンガン人、タタール人。羊肉にハエがたかる。

喧噪と悪臭の町:ムアジン(時報僧)が礼拝の時、大声で信徒に知らせる。

靴泥棒を捕らえる:住民の多くが図々しい。金のためなら人殺しなど朝飯前。サルト人

鍛冶屋を開業:絵の看板を拵え、一目で分かるようにした

再び綏定(すいねい)へ逆戻り:いよいよ仕事開始、

ドウトフ頭目倒る:去りゆく仲間、日曜日には狩猟、

イリ川の漁猟へ:コミュニスト! それはペストと同様の恐怖と脅威を与える。

襲撃者を生け捕る:三人を捕まえる。ボルシェヴィキの密偵。亡命ロシア人を多数、殺した。

ついに魚の餌食:発砲して脅すと、シャツの襟に縫い付けたあったボルシェビキの証明書を取り出した。

イリ川の性質:半日に漁獲3000尾、氷を三カ所、割ると、魚が口を空けて集まってきた。

ダツウクの悲哀:ダツウクの死、イノシシに噛み付かれ、血だらけで人事不省。故人の遺志で、イリ河畔に葬る。

・ものすごいネズミの来襲、長靴を食い荒らされた。ラスカ(小さな黄色の動物)がネズミの天敵。

マラリアにかかる:ハマダラ蚊に食われ、三ヶ月間、悪寒の苦しみ。トウンガン人が細い青い薬草をくれる。

・薬草の御蔭で、マラリアの発作は起きなかった。サルト人の薬屋で売っている。

・ドイツに送って分析して貰う。

山中の別荘へ:千仏廟の会式、

洞窟の仏像見物:華奢な梯子で110メールも登る。いたずら心、信仰心が厚い。四時間も掛かる。

メロンで酒造り、貧乏なサルト人、タランチ人に木の葉の茶を売っていた。

別荘から工場へ:

1923単調を破る三事件、

クリコフと仲たがい:一緒にキジ、カモを撃ちに行く。俺を撃ったな!と、聞き入れなかった。

ローマへの旅立ち:宣教師から依頼されて、ユルト(遊牧民のテント)を運搬。官費で行けると喜ぶ。

いよいよ万里の旅へ:当時の旅行日記を見ると…イスラム教徒の御者はイノシシの薫製は汚れているから捨てろと。

・仕方ないので、私たちの御者に渡して捨てるようなふりをして、私たちの手元に。

砂漠を超えて:シホ、アニヅイハイイ、ウラン・ウス。汚らしい感じ。

マナスからウルムチ:排水溝を設置していないので、泥濘。

再びウルムチを後に:蚊の群れが猛烈に襲撃してくる。

1924いよいよ砂漠地帯へ:キルギスが多数居住し、羽毛を飾った耳おおいのある毛皮帽を被っている。

いよいよ純砂漠地へ:斑色の毒トカゲ

オアシス・ハミ:アラビア式、金の礼拝堂。

ハミを後に:笞刑(ちけい)、太さ4.5cmで重量があり、打たれると不具者となる。

・ハミ人はサルト人と異なる。モンゴル化したらしい。

砂漠中に滞留:蜃気楼をながめる。

甘粛省に入る:山犬(赤いオオカミ)が附近に多くいる。

砂漠地を終わって:ユー・メン・シャンの町、タングート族。

・シナ人と顔貌が全く違う。顔は青銅色、頬骨が高く、鼻が大きく、眼が澄んでいる。

万里の長城に接す:4000キロの長城。世紀前4世紀から16世紀末に建設された。

ローマ行きを断念:亡命ロシア人のため、宣教師が便宜を与えなかった。

粛州を後にして:121年に建設された古い町。汚水、汚物が混じり、悪臭。

・宣教師の態度にバカバカしくなった。荷物を守り続けて持ってきたのに、運送を止める。

ついに匪賊にあう:タングート族は夜間に略奪するから警戒するようにと。

甘州の町に入る:通訳のワンは、匪賊捕縛に参加して武勇を誇ったように云うので、マケーエフと見合って笑った。

トウンガン族のリンチ:トウンガン族は自分の子供を売らない。シナ人は平気で売る。シナ農民の家は乞食の住処。

野生馬の調教失敗:馬が果樹園に飛び込み、樹木に衝突。18時間も人事不省。涼州はトウンガン族の勢力地。

・シナ農民はアヘンで奴隷になり、乞食のようであった。乞食の連続が20キロに及ぶ。

目前に黄河の流れ:桃、スイカが美味。

蘭州での奇遇:旧部隊長のアンネンコフに再会。

・宣教師がローマ行きの荷物を運搬してくれと。少し考えさせてくれと応える。二日経って、拒絶。

蘭州を後に:医師のヤンコフスキーは、蘭州に滞在して、白系ロシア人の動きを探査していた。

北京、天津へ:包頭を立ち、天津へ。トマトと思ったら、カキ。

コンロン紀行(ツアイダム) *冒険的な探検を好む

1927発端:出発(スミグノフ、マケーエフ、キルギス人のムカシバイ)*ラサ・ウイグル(トルコ系)の生活調査

*雪道を馬車で通過するのに、馬車に太い丸太を付けて橇(そり)のようにした。

無人境へ:マイナス25度、クマの皮を敷いて寝た。カザックが通行者から略奪する。ウルムチからハミまで16日かかる。

山犬の襲撃:猟銃で三匹を倒す。仲間を呼び、山犬が二十五、二十六匹ほど突進。二時間以上の死闘。火を焚き、撃退。

*全身、びっしょり汗をかく。山犬が一方から攻撃したので撃退できた。

敦煌:アヘンの集散地。ラクダを雇う。テイジ・ノールまで10日間の予定が、26日もかかる。

ツアイダム、豪雨、そして雹(ひょう)が降り出す。ラクダが狂気のように鳴き続ける。

砂漠の強風:散乱する空き缶などから、ソ連邦の調査隊と。

・馬の舌をコニャックで拭いてやる(アルタイ処方) モンゴル人はキジを撃つな。天に属している。

テイジ・ノール:ツアイダムの塩沼地帯は多量の硝石が含有。ラクダや馬は直ぐ、10分ほどで倒れて死ぬ。火薬の原料。

・ツアイダム人の印象、愚劣で、狡猾、不作法。モンゴル帽は四方に四個の耳たれ。護符の小箱(金、銀製)を首から下げる。

商売がたき:羊毛とラクダは4-5月、羊牛馬は5-6月、皮革、毛皮は冬。獣毛が豊富。キツネ、オオカミ。

・モンゴルの習慣で、地を掘ることを禁じられ、工場用建物が建てられない。

不幸な旅人:パテー商会のマルト氏の暴行が激昂を買って、チベット族の居住地ゴロで鏖殺(おうさつ)された>

気候・風土・野獣:高山病に効く薬、チベットのイギ(樟脳のような香り)を貰った。

・クラン(野驢)の肉を食べる。ヤクの肉、チベット人は好んで食す。オロンゴ(野生の羊)は60センチの角。

新疆との連絡:王公にハタック(進呈する白絹)

ポカリック;モンゴル人がチェトケールザム(鬼の道路)と呼ぶ危険な道。

毛皮の収集:クラン、オロンゴを射止めても、皮や肉は処分できない。

・プルジェワルスキーが、この山をシャプPカモノアフと命名。古武士の帽子のような感じ。

イシク・パクテ:狩猟するトルコ人。カモシカ、クラン、ヤクを捕獲。獣皮が目的で、肉は食べない。

・ヤクは撃ち損じると猛然と反撃してくる。命が危ないと、案内人が制止。風下から近づく、耳が発達して、物音に敏感。

地獄の金山:チェルチェンは賭博の巣窟。サルト人は賭博好き。

・イスラム教のアホン(教長)が借金のサルト人を金鉱採掘人に仕立てる。

テイジ・ノール帰着:ムカアバシーがラクダの傷口を洗い、針と糸で他の皮を縫い付けた。

旅の王公たち:1928高原での新年、

遅過ぎる帰り:希薄な空気で呼吸が困難となる。

マケーエフの訃報:3月7日、タシ・ダワン峡谷(チャルクリク)で、大雪が二日降り続き、凍死(ムカバシーも一緒に)。

・12メートルの雪の下から死体を発見。「マケーエフよ、なぜ死んだ!」

・ツアイダム(モンゴル人)と新疆(サルト人)

・サルトはペルシャ、ロシア語で、中央アジアに定住民で、特定の民族でない。商人の意。他の土人は穴居生活。

遭難の模様:ロプP・ノールの人々は無知文盲、外人は、お医者?

ロプ・ノール:海抜790メートル 魚族が豊富に住む。野禽で埋まるほど。

・人々は背丈が高く、1.8m、亜麻色、赤色の髪。湖は淡水、岸近くの水は塩辛い。

・魚油を使う(灯火用)、その臭気でロプノール人と分かる。馬アブ、蚊が多い。

・一説にスカンジナビアから。言語はイスラム、モンゴル、ロシアの何れでもない。特有の言語。

・サルト語のチャカ(車輪)からチャクリク。チャルクリクでなく、チャクリクが正しい。

湖に沿って、夜道に迷う、不思議な道行:コルラ、カラシャール モンゴル馬

驟雨(しゅうう)を逃れて:南京虫に一晩中、悩まされた。トルファン産のマクワウリを食べる。

1925ウルムチへ:トクスン、坎井(かんせい、西アジアのイラン、カナート)

・上等の果物が安い、ブドウ、ナシ、リンゴ、イチゴ、メロン、

民族の博物館:カシュガル市場(絨毯)コータン市場(絹製品)、トルファン、クチャール市場(乾かした果物)

・イスラム教徒 ムアジンが奇異な声を発して叫ぶ。

・サルト族、タランチ(国境地帯で農業)、トウンガン(シナ人、イスラム教徒、精悍)、マンシュウ(烏蘇ウス、索倫族ソロン)、ロシア・タタール、キルギス(遊牧)、モンゴル(トルグート)

・馬乳(クミーズ)、シャシリック(羊肉の串焼き)、ピラーフ(羊肉入りの焼き飯)、マンティン(大型饅頭)ハエが集る

楊省長暗殺、帰路への旅だち、

路上の珍事:止痛にナーシャ(アヘンに似た麻薬)サルト人が悪習に耽る。

砂漠の中の廃墟、行く手をこばむ石門:ヘディン隊は北方からのみ、ロプノール地方を調査 ロバの忍耐強さ

略奪者の洞窟、ロバも疲れて:動けなくなったロバはオオカミの餌。ロバの舌が乾いているのでウオッカを拭く。

懐かしの包(パオ)に帰る:猟師を募集 32名の猟師

1928二度目の正月:ヤク、クマを撃つ時の弾丸は炸裂するもの

猟師たちに会う:マイナス20-25度 高層地帯で寒さ元気がない。カラ・ノール湖 海抜3,800メートル

素晴らしい獲物:ヤマネコ、キツネ、ヒョウ、テン、オオカミ、コルサク(ダッタンキツネ)。コルサクを除いて730枚

・猟師は御礼(17頭のラクダに満載した麦粉、米、衣類などをあげた)に、罠で取れた毛皮をくれる。断崖にアルガリ(野生羊)

チベット人の襲撃:セエク・スウィギル族(性質が悪いチベット族)

敦煌に向かう、廃墟を見る:野生の大きいラクダがいる。モンゴル人は平和な動物を殺す必要はないとラクダを撃たない

長物語を聞く、敦煌へ着く:古墳に興味があったが、道具もない。

・モンゴルの先祖がクウラスタイの南20キロに落ち着いた。聖なる地。

・ラクダが脱毛すると、アブ、蚊の襲撃を防げない。

凶悪な道連れ、ラマの祭典:アラキ(モンゴル酒)

またも出猟、クマと一夜を:猟師アリムは、洞窟の中で、クマと一緒になり、砂を掴み投げる。

・猟師一人に馬2-3頭、天幕、寝具、罠など30余人で7-80頭の馬、あとから17頭のラクダ。

烈風の襲来:オオカミのため、馬2頭が犠牲になる。獲物は47頭のオオカミ。寒さが厳しい。血液が頭部に充満、それを瀉血。

ヒョウを仕止む:長い尾を捕らえて引き寄せる。猟師はヒョウを嫌がる。手を掛ける。断崖の方へ逃げる。

西寧に向かう:青海湖の付近、土匪(どひ)が多い。小銃2丁、機関銃1丁。12名、ラクダ50頭。

チベット人の襲撃:夜営している時、襲う。馬を撃て!

危機を脱す:一行5名の内、3名は棒を持ち、鉄砲と思わせた。ラクダは駆け足はしないが、大股に歩くので揺れが激しい。

・塩の沼沢地で、至るところアシが生えている。

憧れの青海湖(ココノール):3180メートル。竜巻が伝説、神が怒って湖水の水を天に吹き上げたと。

クムブム廟:ラクダが苦しんでいる。ホルウン・オウエセンという毒草。開いた口を塞がないよう、酸乳を口に注ぎ込む。

・ラマ僧は裸足。古代ローマ人を思わせる。磚茶(せんちゃ、丸い瓦のように固めた茶)。

金で葺いた屋根:

・廟の土地を取り上げ、シナの管轄下にしようとした。反対した八人の活仏がシナ人により殺された。八個の記念塔を建てた。

ラマ廟の花祭り:祭りは夜間 バターで造られた仏像 修道僧は、この期間、好む婦人を選び出せる。

・青海、甘粛の民族 トウンガン族(アラビアの後裔と称す)が多い。サラル族(ロシア領、トルコ語と似ている)

・ドジャ・シファン シナとチベットの混血、独特の暦 ・フウム・モオ族(チベットの別派、青海湖の南方で牧畜)

・他のチベット族、アムチョフ、カンジャ、ミシュウ、ドオウ、ナワ、ヌウラ、チェクウ

チベット天幕を訪う、チベット人の奇習、チベット人の襲撃、ついに略奪さる、無事に帰る、

とつぜん襲撃さる、チベット族の女王、チベット人の習俗、今度はコータンへ、またも狩猟へ、略奪にあう、

痛快なクマ狩り、道に迷う、旅行中の発病、ウルムチへ移住、イスラム教徒の動乱、馬仲英の蹶起(けつき)、

ウルムチのクーデター、馬仲英軍退却、ダワンチェンの戦闘、またもウルムチ襲撃、馬仲英軍敗退、赤軍部隊出現、

馬仲英の敗走、ようやく平穏になる、新疆省の赤化、失われた新疆省、ウルムチで結婚する、トルファンの町、

トルファン出発、楽しい新婚の旅、イスラム教徒の狼藉、危機は迫る、ついに捕縛さる、命は旦夕に、

イスラム教徒になる、ようやく危機を脱す、逃走を企つ、トウンガン兵の追つ手、追跡者を撃退、テイジ・ノール、

悪疫の流行、聡明な新王公、危険な宣誓式、ノーリン博士救援、活仏の捺印、競馬に参加大勝、ココ・ノール目ざして、

クマに出会う、天幕に毒虫、みごと猟銃の腕前、タングート族、それ土匪(どひ)の襲来、盆地に遊ぶカモシカ、

チベット人の結婚、王公との別れ、タンガルの町へ、米宣教師の招待、西寧市に入る、さようなら西寧、激流を下る筏、

蘭州で隊列解散、悪路を衝いて、自動車の難行、平涼に入る、目指した西安入り。

新疆紀行 出版されなかった

◯ラティモア、オーウエン(1900-1989)アメリカ、天津で育つ、エレノアは妻

1929-1930砂漠の蒙疆路 大陸叢書

1942イギリス王立地理学会より金メダル(中央アジアの探検)

◯キニ。エラ・マイヤール(1903- )Genevecで生まれた

1932Parmi la jeunes russe, De Moscou au Caucase.

1934Des monts célestes aux sables rouges.

1934Turkestan Solo.  Eng. ed.

1937Oasis interdites, De Pekin au Cachemire. 婦人記者の大陸潜行記(多賀善彦・訳)

—-Forbidden Journey.  From Peking to Kashmire.  Eng. ed.   新疆で何が起こっているかを見定める。

1942Gipsy Afloat. 船に乗ったジプシー

1942Cruises and Caravans.  航海とキャラバン

1947TheCruel Way.  残虐な道

1951Himalayan Journal.  ゴザインクンドの山地。 *二週間の費用140ルピー  身軽な旅の仕方

1955The Land of Sherpas.  シェルパの国

◯フレミング、P (1907- ) P. FLEMING Oxford Univ.  Times  傅勒銘 中国の表記

1933Brazilian Adventure

1934One’s Company

1936News from Tartary。  韃靼通信(川上芳信・訳)

1939-1945 戦争に従軍

1940Invasion 1940.

1941Travels in Tartary

1952Forgotten Journey

1959The Siege at Peking. 北京の包囲攻撃  北清事変について

1961Bayonettes to Lhasa. ラサへ向けた銃剣   *1904ヤングハズバンドがラサへ進駐した時の経緯

—-The Fate of

admiral Kolchak. コルチャック提督の運命

◯西川一三(1918-2008)かずみ

山口県阿武郡地福村(現山口市)に生まれる。1936年、福岡県中学修猷館を卒業後、南満州鉄道(満鉄)大連本社に入社する。1941年、「西北」への憧れから満鉄を退社し、駐蒙古大使館が主宰する情報部員養成機関である興亜義塾に入塾する。

1943年、同塾を卒業後、駐蒙古大使館調査部情報部員となるや、東條英機首相より、「西北支那(中国)に潜入し、支那辺境民族の友となり、永住せよ」との特命を受ける。背景には、満州、モンゴル、トルキスタン、チベットと手を結び、中国を背後から包囲する「ツラン民族圏」構想があったとされる。そのため、チベットに潜入を計るが、当時チベットは外国人の入国を禁じていたため、チベットに巡礼に行くモンゴル僧「ロブサン・サンボー」(チベット語で「美しい心」の意、誠意を忘れぬよう自戒の念を込め西川自らが命名した)と身を偽って内蒙古を発ち、寧夏、甘粛、青海を巡って、1年10ヶ月に及ぶ単独行の後、1945年にチベットの都ラサに潜入することに成功する。この潜行の間、外務省への報告は、当初現地の協力者に靴に縫い込むなどして運ばせていたが、現地人に迷惑を掛けたくないとの思いからこの方法を途中で止め、その後は、日本に帰国するまでの膨大な地理情報・見聞・行動記録を、全て自分の頭に記憶していった。

その後、日本の敗戦を知るも、地誌と地図を作成する任務を放棄せず、外務省からは送金も援助も無い孤立無援のまま続行する。モンゴル僧としてデプン寺に入り、1年間にわたって本格的な仏教修行と、猛烈な語学の学習を行い、蒙古人ラマとしての信頼を獲得し、ようやく平穏な時を持つ。しかし、興亜義塾の先輩である情報部員木村肥佐生と、秘境西康省踏査の協力を約し、ラサを発ち、再び修行僧や商人と身を偽って、ブータン、西康、シッキム、インド、ネパール各地を潜行する。その後、ビルマに潜入する計画であったが、1949年、インドで日本人の密告により逮捕され、翌年帰国する。その頃、西川は潜行を始めた1943年の時点で、行方不明者として戸籍から抹消されていたため、生家では既に死んだものと諦めていたという。

帰国して1ヶ月も経たない頃、西川はGHQから不意の出頭命令を受ける。しかし、東京に到着した西川は、GHQに向かわず、先に外務省を訪れた。各地域の調査報告を求められたら協力するつもりであったからである。ところが、外務省は情報の宝庫のような西川に無関心で相手にしなかった。それに対し、GHQは西川からの情報収集のために一部屋をあてがい、1年間にわたって、西川から西域潜行での情報を詳細に聴取している。その聴取は凄まじいもので、日曜以外毎日午前9時から午後4時まで、日系通訳と部屋にこもり、質疑応答が繰り返され記録されていった。昼食も部屋で食べ、用便以外はここから出ることも、通訳とむだ口を交わすこともなかった。この見返りとして、GHQは当時の金額で一日当り千円を支払っている(この年の大卒初任給は5千円程である)。

また、登山家西堀栄三郎は、1952年に初めてネパールに入国するにあたり、数度に渡って西川を自宅に招き、チベットやネパールなどの現地情報を収集している。その後、盛岡市で理美容材卸業を営み、亡くなるまで元旦以外は休まず働き続けたという。

2008年2月7日、肺炎のため盛岡市内の病院において死去。享年89。この日は奇しくもチベット暦の元日であった。

秘境西域八年の潜行 全3

◯木村肥佐生(1922-1989) チベット名、ダワ・サンポ

亜細亜大学アジア研究所教授

1940年: 興亜院モンゴル語研修生

1942年: 大東亜省内蒙古張家口大使館調査課

1943年: チベットに潜行し諜報活動に従事

1950年: インド経由で日本に帰国

1951年: 駐日アメリカ大使館勤務

1977年: 亜細亜大学アジア研究所教授

1958チベット潜行十年、毎日新聞社 全1

1 テンゲリ砂漠

 昭和14- 四年間、蒙古生活 その遊牧生活に愛着をもつ

 トルゴート蒙古人(ボルガ川下流、新疆天山、ツアイダム蒙古)

 昭和18-12-15 旗ホショー、蒙古語の行政単位

 張家口 内蒙古西

 風葬(ふうそう)仏壇も墓もない。死者を草原に捨てる。前世からの運命(ラマ教)

 チベットのラサ、青海省のクムブム(塔爾) 一個の木椀を懐(ふところ)

 ムチをパオ(包)の屋根の上において厚いフェルトを撥ね除けて入る(ムチを持ったまま入ると、家人を家畜とみなし侮辱)

 フーログ(嗅ぎタバコ入れの陶器)

 洞窟に観音像、ネズミの死骸は病気に効く?高く売れる

 回教徒は、異教徒と同じ井戸の水を飲まない。

 ハエの一種で、動物の眼に卵を生む。眼球、失明。牛、馬、羊。馬のシッポで小さな輪を作り、ウジをつり上げる。

 山の名前を口にしない。山の神を怒らせ、良くないことがおこる。

 ラクダ、白いアブクを吹きながら、噛みつき、足で蹴倒し、巨大な胸で押し潰す。

 丸い穴、家畜入れの倉庫。貧しい人も住む。

 ラクダがポロポロと糞をする。子供が争って拾っていく。乾かして燃料。

 ラクダは水が苦手。浅い川、人間の後からなら、だくだくと付いて行く。

 ラクダに蹴られたら、人間の大腿骨など簡単に折れる。

 雌ラクダは、子供が亡くなった場所を覚えていて、悲しそうな声で鳴く。

 王侯の墓で、毎年、子ラクダを殺した。母ラクダが覚えていて、その場所を教える。

 タンガット人(チベット系アムド人)。女性は美人。

 回教徒、赤茶色のアゴヒゲ、白い帽子。トルコ系。

 お寺では、金の力が露骨にものをいう。

 クムブム寺

 僧房に便所がない。無数の野犬が排泄物を直ぐ食べる。

 男女共に、右肩肌を脱ぐ習慣。女は豊満な右胸を出して歩く

 蒙古、シナ、トルコ(回教徒)、チベット(タンガット、ゴロク族)

 コサック(回教徒)

2 遊牧の民と共に

 青海湖、塩辛くて飲めない。下痢をする。

 内外蒙古のラマが、ツアイダム娘に引っかかる。

 蒙古人、タンガット人は、魚や魚を食わない(ラマ教で禁止)

 蒙古人は、羊の肩甲骨を焼いて、占う。

 蒙古人の主食、ザンバ(大麦こがし)

 山中のチャガン・オス川。岩ハナに、注連縄のようなものが張ってある。

 馬乳の酒が最高級品。牛、羊は少し落ちる。

 性生活はルーズ。貞操観念は薄い。私生児。制帽。淋病、梅毒(テンポー)、水銀と硫黄の丸薬。

 ラマ僧は男色。内股を使う。蒙古式は稚児を仰向け、チベット式は俯(うつむ)け。

 焦らず、当分バカになって暮らしていた。

 赤ん坊、産湯を使わず、羊毛やボロ布で拭く。

 冠婚葬祭、すべてラマに搾取されるような仕組みになっている。

3 ラサへの旅

 見渡す限り、家畜(馬、ヤク、ラバ、ラクダ、羊)

 キャラバンがチベットへ持って行く商品。馬およびラバ。

 ジョロー・モリ(蒙古人)、走馬(中国人)、ドウマ(チベット人)。

 *走る時、同じ側の前後肢が同時に動く馬のこと。上下動はあるが、水平動

 キャラバンは三つのグループ。1 御用商人、2 寺院商人など馬やラバ群、ヤク軍。3 蒙古人のラクダ群。

 ラクダは高度が高い(5,000メートル)ので、口からアワを吹いて喉をガラガラ鳴らして登らなくなる。

  乾燥した牛糞に火を付け、煙を鼻に入るようにすると、少し元気になる。

 キャラバンの連中。オボに上がり、香を焚き、供物をそなえ、鉄砲を一斉に発射。

 日中は暑いが、夜は凄く冷える。

 チョムチン峠(5,000メートル)。山酔いする。卵の腐ったガスの臭い。火山ガス。

 ドンブレ峠。ボホ・シャラガ、非常に硬い草。

 マッチが湿気を帯びると、火打道具に頼る。

  馬糞の上に艾(もぐさ)に火を付け、消し炭で囲み、ホーログ(チベット語でプパ、ふいご)で火を熾(おこ)す。

 一晩中、動物をつないだ場所に見張りを付ける。

 ヤク群を追う連中は、ドウグル(蒙古語、石投げ用ひも)

 蒙古人、チベット人は、泳ぐことを知らず、水を恐れる。

 南無阿弥陀仏(オムマニペメフム)

 ディ・チュウ川(亡霊の川の意)。実質的な国境(シナ青海省とチベット)

 タンラ峠(5,500メートル)

 ヤクなど遺棄された動物が多い。ヤクの尾は高く売れる。ワシ、タカが舞い降りて、ヤクの目玉を突く。鳥の餌食。

 リムボBチェ(レティン)。周囲の人々は帽子をとり、胸にあて、顔をうつむき、舌を出し、小腰をかがめる。

  舌を出すことが最上の敬意。レティンは謀略により、ポタラ宮殿の牢獄で毒殺された。

 カシミール系のチベット人回教徒(黒いアゴヒゲ、ワシ鼻、赤いトルコ帽)

 パゴルの道路の真中を、叩頭礼拝。

 レポン寺(蒙古人)、セラ寺(日本人)、ガンデン寺(誰でも入れる)。

 夏は屋上で寝る。

 蚊帳の出入り口はコイの吹き流しのようになって、紐で縛る。

 戦時中、チベット人の日本びいきは大変なものだった。

 日本は負けました。

4 最初のヒマラヤ越え

 チベット人は魚、卵、にわとりを食わない。魚を食う地域は限られていた。

 喉(のど)が大きく膨れる病気(チベット人はバーホ、バーと呼ぶ)人が多い。水が原因か。

 ゴワ舟(楊柳の枝の骨組み、縫い合わせたヤクの皮を貼る、種油を塗ってある)

  船頭(ゴボ)、鍛冶屋(ガラ)、屠殺屋、最下級の階級。

 カロラ峠のオボ、日本の注連縄

 チベット軍がイギリス軍に抵抗。その後、中国軍に惨敗。国土を奪われる。

 ジャンゼ。ラサ、シガゼに次ぐ、都会。

 タンラ峠。雪眼になる。チョモラリ(7300メートル)。パーリ(豚の丘の意)

 ブータン人は刀を一本、腰に手挟んでいて、凶暴。東チベット人も相手にしたがらない。

 ブータンはインドの影響で、赤い汁の出る物を噛んで、ペッペッと吐く。

 チュムビー渓谷。温暖な気候。色白で、美人が多い。

 ゼラブ峠(チベット人は、ザリーラ峠)4800メートル。インド、チベットの分水嶺。

 凍傷の恐れがあるから、火の傍に寄るな! 熱い御茶を飲んで、手足、頬を摩擦する。

 カンチェンジュンガ。

 ヒマラヤ越え。馬に予備の蹄鉄、釘、金槌を携行する。蛭(ひる)が多い。馬は眼球を吸われると失明。

 主食は米で、陸稲。建物は廂(ひさし)が長く突き出ていて、縁側が広い。

 日本が負けたことを知り、一週間ほど、ぼんやりして、腑抜けのようになった。

 ツレンツオー、ダンザンハイロブ夫婦をインドの仏跡参拝(ブッダガヤ)に連れて行く。

  ツ「つまらない蒙古人の女である私が、こんな有り難いお釈迦様の遺跡にお参りできたのも、あなたの御蔭です。

   もう何時、どこでしんでも思い残すことはありません」と感謝され、何と応えてよいか戸惑った。

 お守り箱(仏像)を見ると笑いかけてくる。

 チベット人は博打と酒が大好き。

 シッキム。もともとチベット人。中国人に対する制限を厳しくしている。

 白系ロシア人、コサック(ロシア語のカザク、放浪者の意)、ウズベク人、

5 東チベットを探る

 大型の針を買い込む。東チベットの偵察。中国側がチベット国境に軍隊を集結させている。

 象牙の粉、止血剤として役に立つ。

 カムバ(東チベットをカムといい、その住民をカムバという)

 ラバの一列縦隊。ラバの首に、チャク(糧秣用大豆)の袋を吊るす。午前中だけ動く、午後は強い風が吹き、不可。

 旅なれるほど、荷物が少なくなる。巡礼用の背負子(しょいこ)。

 金目のものは見せてはいけない。お守り箱を下げる。左手首に数珠。

 東チベット出身のカムバは恐い。

 ・野宿して眠っている巡礼に、大きな石を抱えてきて頭の上の落とす。

 ・蒙古人は一心不乱脇目も振らず念仏を唱える。

 ・ラサのチベット人は、念仏を唱えながら、盗みを働く。

 ・タンガット人(青海甘粛のチベット人、アムド人)は、念仏を唱えながら、盗みを働く。

 ・カムバは念仏を唱えながら、人を子として物を盗る。

 ナムツオクラ峠(おだやかなれ!)全く険しい山岳地帯。

 チャムドオは、東チベットの政治、貿易、交通の中心地。異常なし。

  チベット政府の兵隊が威張り、踏ん反り返っていた。

 1951、中共軍がチベットへ進撃。

 ジェクンドオ(玉樹)

 チベットとシナ、両方の官憲が諜報活動。

 チベットの僧兵は、護符を持っていて弾丸が当たっても死なないと信じていた。バタバタと倒れた。

 チベット政府の役人、兵隊はカム地方で、神様みたいなものだ。酒と女に日夜、溺れる。

 カムバの服装をしているが、中国人。(便衣兵)

 チベットの封建制度の腐敗、末期的症状。チベット政府は無闇に税金を取り立てる。

 ダライラマの名において…命令する。

6 チベット・インド商売往来

 堕落しきったチベットの貴族特権階級の専横、貧し過ぎるチベット民衆。

 試験。作文、算数、馬術、弓術。

 厳しい国際情勢下で、チベット社会が今後、現状を維持できるとは、とうてい考えられなかった。

 銀塊の中に鉄を入れている

7 政治・宗教・酒・女

 ダライラマは成人に達する前後に毒殺された。九世(10歳)、十世(21歳)、十一世(17歳)、十二世(19歳)

 チベット領土。1 政府直轄の国領 2 貴族および寺院の私有地 3 一般人の私有地

 税金は物納。

 ボン教(シャーマン教の一種)。オボ(山頂、岐路、河畔)、注連縄、ダルチョク(経文を書いた旗を屋上、道路に)

  ラマ教以前から民俗信仰としてあった。天、地、山、川、火、水、草、木、土、金、石。

 モンゴルの風葬、

 チベットのチャトル(鳥葬)ラサの西北。隠亡部落(ドンドンバ)

  ガンダン(人間の大腿骨で作った笛) 頭蓋骨の頭頂部の盃(仏教儀式で使用)

 黄色は聖なる色。ラマだけが使用できる。

 カムバ、アムド、ホル族のチベット人は身体についたシラミを食べる。

 婦人は前掛け(バンデン、だんだら模様。垢、白、黄、黒、緑)

 チベット語 単音 人(ミ)、火(メ)、水(チュウ)、石(ド)、土(サ)、父(パ)、母(マ)、男(ボ)、女(モ)

 チベットの数字、チク、ニ、スム、シ、ンア、ルク、ドウン、ギエ、グ、チュウ

 熱い飯にバター、白黒佐藤をかけて食べる。

 ハラホト(黒い都)ダンズンというラマ崩れのモンゴル人。

8 追放・刑務所・帰国

 中国人全部のチベット退去を命じた

 チュムビのチベット人は、日本人そっくり。屋根の形も日本式、板葺きで石塊を置く。

 カルカッタのプレトリア街。英国植民地

酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂  [HP: ukiyo-e.co.jp]

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