浮世絵学(支那學・九州年号)日本書紀・編纂者の造作(ツジツマ合わせ) 卑弥呼、応神王朝、仁徳王朝、筑紫磐井君、継体王朝、欽明王朝、多利思北孤)酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂主人 http://www.ukiyo-e.co.jp/38857
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1982-05-24現在(2019-08-19更新) ☑️浮世絵学 検索  http://www.ukiyo-e.co.jp/38857

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂   

文化藝術懇話会    浮世絵鑑定家

◯浮世絵学13/中国古典文学(金文)青銅器_酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/11374

◯古墳成立年代の科学的計測が不可欠である。史書は、為政者により大義名分上、都合良く書かれている。考古学の科学的測定は、これらの誤謬(ごびゅう)を正してくれる。なお、宮内庁(明治以降)の陵墓比定は、全く科学的根拠が無い。考古学では否定(比定ではなく)されている。

1924(大正13)、津田左右吉(東京帝国大学教授)は、「古事記及日本書紀の研究」(岩波書店)で、日本書紀・編纂官の造作を指摘している。このため、当時、不敬罪となった。

◯浮世絵学・日本書紀・編纂者の造作_酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)(2019-08-15)

*これまでの古代支那史書、考古遺物の史料批判の結果、次のような結論が明らかになった。

57(建武中元二)「委奴」(ゐど)國へ金印を印綬(後漢書)日本書紀編纂者は、神武天皇を造作(増作か)し、古代支那史書と整合性(ツジツマ合わせ)を図った。*委奴の「委」、本来、「曲がる」意。つまり御辞儀をして朝貢する人々。

(雁註)九州から石硯が発掘されているので、文字があったと判断できる。これは木簡(また竹簡)に書いた。まだ紙は無かった。委奴國は、紀元前から朝貢しているので、紀元前にも文字を使っていたと考えるのが自然である。

107帥升(永初元)(すいしょう)(後漢書) 倭國王とあるが、本来は「委奴國」である。「倭は元、委」(経籍籑詁)とある。委の人々という意味で、イ篇を付けて、「倭」とした。委が先で、倭は後である。「帥升」、王國の官職名か。

238(景初二)「親魏倭王卑弥呼」に制詔(せいしょう)(三国志・魏志) *「制詔」は天子からの最上位の辞令(命令)

247(正始八)卑弥呼*(-239-247-)(三国志・魏志)「ひめか」と読むのが正しい(古田武彦)卑弥呼墳墓 100歩 1里=300歩であるから、75m/300=0.25 m、つまり25cm。100歩は、25cm x 100=25 m前後ということになり、当時の墓制との整合性がある。日本書紀では、卑弥呼と書けないので、神功皇后を捏造している。しかし年代は、どうしてもズレる。

421(永初二)倭王「讃」、南朝劉宋に入貢(宋書) *倭の五王は九州王朝。難波、奈良には、何も実体が無かったことを裏付けている。

420s誉田山古墳(ほむだ)(大阪市羽曳野市、425m)応神王朝?(?-?) 十五代 河内王朝、騎馬民族の王朝か。しかし、500s継体王朝が越前から移動してきた頃、既に既存勢力は失われていた。宋書の倭の五王と整合性がない。倭の五王は全て九州王朝。古代支那式に一字名で名乗り、上表文に署名している。

420s-450s大山(だいせん)古墳(大阪府堺市、486m)仁徳王朝?(?-?) 十六代 河内王朝。しかし、500s継体王朝が越前から移動してきた頃、既に既存勢力は失われていた。ただ古墳があっただけで、大きな武力勢力は無かった。「銅鐸文化圏」で、九州の「銅矛、銅戈(どうか)文化圏」とは全く別の集団。宋書の「倭の五王」とは全く別。倭は九州。やはり大陸の騎馬民族である。

*(雁註)厚葬は、かなり後代の墳墓の可能性がある。考古学、科学で、客観的な根拠を解明する必要がある。

*一刻も早く、内部、外部の科学的計測を行い、年代を特定して欲しい。

478(昇明二)倭王「武」、遣使上表(宋書)使持節都督、六國諸軍事、安東大将軍、倭王に除せられる。

528岩戸山前方後円墳(福岡県八女市、135m)筑紫磐井君(?-528) 九州王朝の磐井君 衙頭(がとう)部分に石人、石馬群。これは賠償を意味する裁判所。つまり、国家があったことを示している。日本で唯一、埋葬者が判明している古墳。

530s今城塚古墳(大阪府高槻市、190m)継体王朝?(?-531?) *いましろづか 二十六代 520s越前から登場。近江云々ともあるが、広域で近江は殆ど越前と一緒である。生没年が不明確。日本書紀では、悪逆非道の武烈王は跡継ぎがいなかった。武烈王、これほど酷い悪役の天皇も珍しい。今城塚古墳内部の壁面は幾何学模様になっているので、文様学(上條耿之介)から大陸からの人物と判定できる。恐らく蒙古、高句麗系の強力な騎馬民族であろう。あっという間に、列島を支配した。527、「継体が東半分、物部麤鹿火が西半分で山分けしよう」と、九州磐井(菩薩天子)を殺戮し、血の海になった(日本書紀)。これまでの列島の殺戮方法と全く違うので、これは大陸からの異民族(移民族か)と考えるのも一理ある。江上波夫/騎馬民族征服説を含めて、大陸からの強力な武力により、列島の呪力(鬼道、銅鐸文化圏)国家は滅ぼされた。その勝敗を決めた武器は、大陸の鉄器と列島の青銅器。これでは全く勝ち目はない。

*古田武彦の精査によると、継体王朝以前は二年倍暦。

580s丸山古墳(奈良県橿原市、全長318m)欽明王朝?(510-571) 二十九代・欽明が比定されている。明治初期、ゴーランドが古墳内部に入り、計測している。列島最大の石棺と記録している。朝鮮半島の百済と交流していたのは九州王朝であって、奈良の欽明王朝ではない。日本書紀・欽明王朝の記事は、八割が百済の史書からである。即ち、これ以前、既存の王朝が無かったことを露呈している。

600(開皇二十)倭王、遣隋遣使、入朝する(隋書・俀伝)*俀(たい)、大なる委、つまり大委。

(雁註)610s三経義疏(ぎしょ)の付箋、「此是・大委國上宮王□集非海彼本」。大委、大いなる委。

607(大業3)遣隋使 国書を上表している。

618多利思北孤(-600-607-618-)(たりしほこ)隋書・俀(たい)傳

618(推古26)18年間に5回以上、朝貢している。

聞、海西菩薩天子、重興佛法、故遣朝拜兼沙門數十人來學佛法、其國書曰、日出處天子致書、日沒處天子、無恙云云

俀王、姓阿毎、字多利思北孤、號阿輩雞彌(隋書・俀傳)

*有阿蘇山、其石無故火起、接天者俗以爲異、因行祷祭とあり。阿蘇山があり、理由なく火を噴き天に接し、祷祭する。

*倭(この隋書では俀)の王朝交替、移動は認められない。しかも、阿蘇山とあるので、邪馬壹國(博多湾)は九州ということになる。

*日本書紀では多利思北孤の名前を出せないので、聖徳太子を捏造した。多利思北孤は男、推古天皇は女。

*海行かば …大伴家持(718- 785) *多利思北孤より遥かに時代は下がるが…古万葉集も、その淵源は支那の文選(もんぜん)、四書五経にある。支那古典から、暗示を受けて、後代に作られたことも考えられる。奈良に、海はない。

うみかば かばね
やまかば くさかばね
おほきみにこそなめ
かへりみはせじ

ひょっとして家持は古万葉集から、菩薩天子(九州王朝)への憧憬を紡ぎ出したか。

662(天智元年)白村江の戦い。「倭(九州王朝)、百済連合軍」と「唐、新羅連合軍」との戦い。九州王朝は急速に滅亡へと向かう。朝鮮半島で戦ったのは九州王朝で、奈良ではない。


浮世絵学(支那學・金印「漢委奴國王」)2019酒井雁高/「委奴」の新解釈(真解明) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/39091

浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会64a)1971古田武彦/「邪馬台国」はなかった 魏志(影印)九州王朝* 帰結、ずばり「邪馬台國」は九州(阿蘇山があるので確定) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
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浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会65)1971古田武彦/失われた九州王朝* 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
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世絵学(支那學・文化藝術懇話会66)1975古田武彦/盗まれた神話 九州王朝* 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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浮世絵学(支那學・九州年号:卑弥呼、応神王朝、仁徳王朝、筑紫磐井君、継体王朝、欽明王朝、多利思北孤)酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂主人 
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浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会)280s陳寿(233-297)/三国志 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
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浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会64b)280s陳寿(233-297)/魏志(三國志) 656魏徴(580-643)/隋書 邪馬台国 帰結、ずばり九州(阿蘇山と書かれている)(古田武彦/九州王朝*)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
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浮世絵学(支那學・原字)(げんじ)、甲骨文、金文、石鼓文の原文字の意 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)
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浮世絵学13/中国古典文学(金文)青銅器_酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)
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酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator 

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