#浮世絵学04/外題(キリシタンの世紀)1993高瀬弘一郎(1936- )/キリシタンの世紀、岩波書店 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jjp/42188
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⚪1993高瀬弘一郎(1936- )/キリシタンの世紀、岩波書店

基本的に下記の要領で纏める。

*時:西暦(和暦) *和暦の月日は、ほぼ西暦の月日と一致する

*所:地域を限定する

*人また事件:基本的に人物、

キリスト教は、宣教師を尖兵として、布教し、他国の軍事力を探りながら、徐々に他国を植民地、奴隷化していった。IHS(IN HOC SIGNO、VINCES)はローマ皇帝・コンスタンチヌスII(317-361)が掲げた、「この標章(キリスト教のクロス)で、征服せよ」という意味である。ヴァチカン文書などに、その生々しい記録があるが、ヴァチカンは具合が悪いので、現在、非公開としている。

1585.03.03、コエリョがアントニオ・セデーニョ(イエズス会布教長)に宛てた手紙の抜粋[p100-101] 
コエリョ、イエズス会日本準管区長
「国王の義務、及び国王がシナを征服するために望んでいる日本貿易に大いに関係することだからである。…総督閣下に兵隊・弾薬・大砲、及び兵隊のための必要な食料、1、2年食料を買うためのかねを充分搭載した3、4隻の符ラガータフ船を日本のこの地に派遣していただきたい。…当地のキリスト教徒の領主の支援を得て、この海岸全体を支配し、服従しようとしない敵に脅威を与えることが出来るのは疑いない。この国王の援軍が派遣されることにより、…異教徒とは…脅威を抱き、…改宗を望む者に対する妨害をしようとはしなくなるであろう。第三に、異教徒はキリスト教徒が国王から援助を受けるのを見て、…改宗するであろう。もしも国王の援助で日本66カ国凡てが改宗するに至れば、フェリペ国王は日本人のように好戦的で怜悧な兵隊をえて、一層容易にシナを征服することが出来るであろう。」 
(コエリョは軍の派兵を要請しています。実質的に日本征服と言っているのと同じです。再度日本兵を用いて明を征服すると言っています。)

1587(天正15)コエリョは、博多の秀吉にフスタ船で武力を見せ付けた *フスタ船、小型の戦艦、三門の大砲、左右に十づつ鉄炮を装備

博多に下り秀吉に自ら作らせた平底の軍艦に乗って、大提督のような格好をして出迎えた。日本にはまったくない軍艦なので、秀吉の軍をおおいに驚かせたという。(投稿者注:その前に秀吉は、神社仏閣大量破壊、神官僧侶に対する迫害、ポルトガル商人が日本人を奴隷として海外に輸出していたことに対し激怒していた) 秀吉は軍事力を誇示するコエリョに、キリシタンの野望が事実であると確信し、その日のうちに宣教師追放令を出した。コエリョはただちに、有馬晴信のもとに走り、キリシタン大名達を結集して秀吉に敵対するよう働きかけた。そして自分は、金と武器弾薬を提供すると約束し、軍需品を準備した。しかし、この企ては有馬晴信が応じずに実現されなかった。コエリョは次の策として、2、3百人のスペイン兵の派兵があれば、要塞を築いて、秀吉の武力から教界を守れるとフィリピンに要請したが、その能力がないと断られた。コエリョの集めた武器弾薬は秘密裏に売却され、これらの企ては秀吉に知られずに済んだ。
(以下、原文)関白殿の布告や彼(投稿者注:コエリョ)が屢々(しばしば)語った言葉の中には、この迫害を始めた原因として、われわれイエズス会士が、神、仏、及び日本古来の法と習慣を破壊する悪法を説教したからと言っているに過ぎないが、しかし彼(コエリョ)は、イエズス会士は改宗を口実に当地に渡来して、大坂の仏僧(注:石山本願寺)と同じことを行って日本王国の支配者になろうとしている、という自分の考えを屢々(しばしば)明らかにしたのである。」
(コエリョは、「イエズス会が日本を支配する」とはっきりと言っています。ローマカトリックが真実を隠し続けても、この一次史料がくっきりと示しています。島原の乱(1637年)では、キリシタンは「偶像崇拝者を殺せ」の号令の元、至る所で代官、僧侶ばかりか非信者の一般人にも襲い掛かり、民家を焼き払いました。)

長崎は侵略に加担した26人(うち4名は外国人宣教師)が処刑された地。雲仙でも同様に処刑されました。そして島原の乱。隠れキリシタンと宣教師による侵略と縁の深い地です。

⚪1587.06.20(天正15.6.18)、秀吉がバテレン追放令を発する(6.18付け) *1939(昭和14)渡辺世祐(1874 – 1957)が紹介 *よすけ (p.153)

   覺

一、伴天連門徒之儀ハ、其者之可為心次第事。

一、國郡在所を御符被ニ被遣候を、其知行之寺庵百姓以下を心ざしも無之所、押而給人伴天連門徒可成申、理不盡成候曲事候事。

一、其國郡知行之義、給人被下候事ハ當座之義ニ候、給人ハかはり候といへ共、百姓ハ不替もの(ニ)候條、理不盡之義何かに付て於有之ハ、給人を曲事可被仰出、候間、可成其意候事。

一、貮百町二三千貫より上之者、伴天連ニ成候ニおゐてハ、奉得、公儀御意次第(ニ)成可申候事。

一、右之知行より下を取候者ハ、八宗九宗之義候條、其主一人宛ハ心次第可成事。

一、伴天連門徒之儀ハ一向衆よりも外ニ申合候由、被聞召候、一向宗其國郡ニ寺内をして給人へ年貢を不成并加賀一國門徒ニ成候而國主之富樫を追出、一向衆之坊主もとへ令知行、其上越前迄取候而、天下之さはりニ成候儀、無其隠候事。

一、本願寺門徒其坊主、天満ニ寺を立させ、雖免置候、寺内ニ如前ニは不被仰付事、

一、國郡又ハ在所を持候大名、其家中之者共を伴天連門徒押付成候事ハ、本願寺門徒之寺打ちをたて候よりも不可然義候間、天下之さわり可成候條、其分別無之者ハ可被加御成候事、

一、伴天連門徒心ざし次第に下〃成候義ハ、八宗九宗之儀候間不苦事、

一、大唐南蛮高麗へ日本仁を賣候事可為曲事、付日本ニをいてハ人之賣買停止之事、

一、牛馬を賣買殺し食事、是又可為曲事事。

 右條〃堅停止畢、若違反之族有之は忽可被處厳科者也、

天正十五年六月十八日       [朱印]  

(平井誠二/御朱印師職古格と山田三法ー豊臣秀吉のキリシタン禁令をめぐって/古文書研究25)

⚪1587.06.20(天正15.6.19)、秀吉がバテレン追放令を発する(6.19付け)( p.154)

          定

一、日本ハ神國たる處きりしたん國より邪法を授候儀、太以不可然候事、

一、其國郡之者を近付門徒になし、神社佛閣を打破らせ前代未聞候、國郡在所知行等給人に被下候儀者、當座之事候、天下よりの御法度を相守、諸事可得其意處、下〃として猥義曲事事、

一、伴天連其知恵之法を以、心ざし次第ニ檀那を持候と被思召候へバ、如右日域之佛法を相破事曲事候條、伴天連儀日本之地ニハおかせられ間敷候間、今日より廿日之間ニ用意仕可歸國候、其中に下〃伴天連に不謂族申懸もの在之ハ曲事たるべき事、

一、黒船之儀ハ商賈之事候間各別候之條、年月を經諸事賣買いたすべき事、

一、自今以後佛法のさまたげを不成輩ハ、商人之儀ハ不及申、いづれにてもきりしたん國より往還くるしからず候條、可成其意事、

    已上

 天正十五年六月十九日         (朱印)

(高瀬)キリシタン教会と一部熱狂的信徒の領主の行動を規制して、その本願寺的性格をのぞき、国内の安定を図ることに主眼があり、その危険がない限り、キリシタン信仰そのものを否定する意図はなかった、と言ってよい。

(高瀬)幾世紀にもわたり、アンゴラの司教やカトリック諸機関は、奴隷貿易の利益を財源としていた。大航海時代、ローマ教皇はポルトガル国王に対し、異教徒の奴隷化を公認した。  (p.152)

信長はイエズス会によって暗殺されたという説もあります。

1590.10.14、ヴァリニャーノ、イエズス会総会長宛てに宛てた書簡の要約[p109-116]

九州平定後、豊臣秀吉がバテレン追放令を発した理由として、日本準管区長コエリョに責任がある

1599.02.25、ペドロ・デ・ラ・クルス(Sp)がイエズス会総会長に宛てた書翰
「…日本の分割は次のようにするのが良い。即ちポルトガル人はこの下(例えば上述の志岐または他の適当な港)に基地を得、一方スペイン人の方はヌエバ・エスパーニャに渡ったり、フィリピンを発ったナウ船が寄港したりするのに適した四国または関東といった…地域に基地を置くと良い。」(p.154)

ペドロ・デ・ラ・クルスが指摘したような、良港を手に入れて軍事と貿易の拠点として、布教を進めて領土を拡大する手法は、スペインやポルトガルが世界の植民地化を進めてきた常套手段ではなかったか。

1599.02.25、宣教師ペドロ・デ・ラ・クルス(15年滞在)がイエズス会総会長へ出した手紙の抜粋[p147-150] 

「日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこで、もしも国王が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主としてその内の一島、即ち九州又は四国を包囲することは容易であろう。そして敵対する者に対して海上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他、日本人の生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろう。…このような軍隊を送る以前に、誰かキリスト教の領主と協定を結び、その領海内の港を艦隊の基地に使用出来るようにする。このためには、天草島、即ち志岐が非常に適している。なぜなら、その島は小さく、軽快な船でそこを取り囲んで守るのが容易であり、また艦隊の航海にとって格好な位置にある。… 
(日本国内に防備を固めたスペイン人の占領都市を建設することの利点について) 日本人は、教俗(教会と政治と)共にキリスト教的な統治を経験することになる。…多くの日本の貴人はスペイン人と生活を共にし、子弟をスペイン人の間で育てることになるだろう。…スペイン人はその征服事業、殊に機会あり次第、敢行すべきシナ征服のために、非常にそれに向いた兵隊を安価に日本から調達する(奴隷)ことが出来る。」 

(日本を侵略征服する方法が具体的に述べられています。そして、日本征服の後、日本兵(奴隷)を使って明を侵略するとあります。また、日本人の子供をスペイン人が育て、教俗(キリスト教と政治)一致した植民地支配をするとあります。カトリック(特にイエズス会)とスペイン、ポルトガルは一蓮托生です。) *典拠が不明確のまま引用してある。

シャビエル(1506-1552)*シャビエルは時代も古く、キリスト教の布教を専らとして活躍した。当時、日本国内が混乱していたので、布教活動はうまくいかなかった。

コレリョ、ガスパール(1530-1590)博多でフスタ軍船を秀吉に見せて威圧した。日本人奴隷は、「売る商人がいるので、買った」と弁明した。秀吉は、すぐバテンレン禁止令を発布。マカオで没。殺されたと推定できる。

フロイス(1532-1597) *コレリョと一緒に、スペイン艦隊による日本征服の軍事行動を計画していた。

ヴァリニャーノ(1539-1606) *コレリョによる日本征服の軍事行動反対した。

*ヴァンチカン文書の一次史料は、現在、非公開になっている。高瀬弘一郎は、嘗(かつ)て、これらを詳細に調べ、整理し、「キリシタン宣教師の軍事計画」を史学に発表した。

1970.02高瀬弘一郎/史学42-3、三田史学会

AN00100104-19700200-0041-2

1972.04高瀬弘一郎/史学44-4、三田史学会

1977高瀬弘一郎/キリシタン時代の研究、岩波書店 *本書で詳細に述べている。

1993高瀬弘一郎/キリシタンの世紀、ザビエル渡日から鎖国まで 岩波書店

目次を表示する。

序論 

第一章 布教保護権

第二章 ザビエルによる日本開教

第三章 初期キリシタン布教

第四章 キリシタン教会の布教政策(1)原住民聖職者養成の問題

第五章 キリシタン教会の経済活動その一 理念と現実

第六章 キリシタン教会の経済活動その二 布教政策との関わり

第七章 キリシタン教会の布教政策(2)教会と政治権力

第八章 キリシタン教会の布教政策(3)いわゆる適応主義 その一

第九章 キリシタン教会の布教政策(4)いわゆる適応主義 その二

第十章 キリシタン大名

第十一章 二度の遣欧使節

第十二章 キリシタン教会の文化的活動

第十三章 豊臣政権とキリシタン

第十四章 キリシタン邪教の思想

第十五章 江戸幕府とキリシタン

第十六章 長崎教会

第十七章 布教聖省の設置と日本

第十八章 江戸幕府の禁教令

第十九章 禁教 国家理性

第二十章 鎖国

基本文献

あとがき

*本書は、1977高瀬弘一郎/キリシタン時代の研究、を踏まえ、更に詳細な事項を纏めた。

表紙は、1585アウグスブルグの木版、天正遣欧使節の上部を表示してある。

足掛け8-9年、長崎からローマ、ローマからマカオ、長崎の長途であった。

年長の千々石ミゲルは、キリシタンの人権無視、植民地支配を実体験として、帰国後、すぐ棄教している。

 

浮世絵学/キリシタン関連 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 

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何か御気付きの点があれば御教示ください。
酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator 
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