#浮世絵学(文化藝術懇話会68) 吉川幸次郎/三国志実録 酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂 http://www.ukiyo-e.co.jp/46123
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1 1962 吉川幸次郎(1904-1980)/三国志実録 *書名は演義と間違えるが、これは三国志正史である。

◯前漢の高祖・劉邦(BC256-BC202-BC195)(62)は、儒者の冠に小便を引っ掛けた。*BC202-BC195 (初代皇帝の在位) *劉邦は、前漢の初代皇帝。沛県の亭長であったが、反秦連合に参加した後に秦の都・咸陽を陥落さ せ、一時は関中を支配下に入れた。 その後、楚の項羽(BC232-BC202)(31)によって西方の漢中へ左遷され漢王となるも、東進して垓 下に項羽を討ち、前漢を興した。 項羽は礼儀正しいが、功臣に褒賞をやるのを渋った。これが項羽の敗北の遠因と言われている。垓 下の戦い(夜中、楚歌が流れてくるのを聞き、郷里の楚兵も敵軍に加わったことを知り、武運も尽 きたことを覚った(四面楚歌の故事)。愛姫・虞美人を傍らに、最後の盃を掲げ、敵陣の中へ散って いった。この辞世の歌が、垓下の歌として知られている。 正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。

◯曹氏父子傳(曹操、曹丕、曹植) *賦(ふ)が廃れ、楽府(歌謡曲)の五言詩が起こる。 曹操(155-220)三国魏の武帝 *民衆の間で、評判の悪い人物、悪玉。蜀の劉備が善玉。羅貫中/ 三国志演義。 三国志演義:前半は劉備、関羽、張飛の三兄弟の武勇。後半は諸葛孔明の智謀を中心に、陳寿/三 国志を基づきつつ、七分の事実、三分の虚構を交えて敷衍(縁起)した小説。

1)1689(元禄2)/通俗三国志(日本語訳)明治期、帝国文庫。大正期、有朋堂文庫。

2)曹操は対立者を次々に武力により、倒す。河北の袁紹(?-202)(えんじょう)、湖北の劉表(142-208)。 ただ劉備(161-223)の蜀、孫権(182-252)の呉が残っていた。元曲(げんきょく)の芝居で、「好 (はお)好(はお)」の掛け声。 三曹(曹操、曹丕、曹植)は、陶淵明(365-427)杜甫(712-770)以前の大詩人。曹操がいなけれ ば、淵明、甫も生まれなかった。 曹丕(220-226)三國魏の初代皇帝(文帝) 曹植(192-232)曹丕の弟で、思想家。後、曹丕により、地方へ幽閉される

3)漢末魏初、黄巾の乱の張角(?-184)、董卓(?-192)の叛乱 1926 魯迅(1881-1936)/魏晋の風土と文章、その薬と酒の関係(廣州の夏季講習会) ・楽府(がふ)、いわゆる歌謡曲。曹操は楽府(がふ)の作詞を自らした。五言詩(ごごんし)を築 く。建安の七子。 ・賦(ふ)、長大な韻文。こちらは下り坂となり廃れる。

 

4)曹操は、208(建安13 年11 月15 日)、赤壁で「槊(ほこ)をもって自ら船の首に立ち出で、酒 を取って江を奠(まつ)り、三盃飲みつくして槊(ほこ)を横たえ、諸将に向かって申しけるは、 我、この槊をもって、天下の内に縦横す、これまことに大丈夫の志なり。いわんや、今、この景に 対して、甚だ慷慨の心あり、我、自ら歌を作らん、なんじら、これに和せよ。」(短歌行) 「酒を対(まえ)にしては當(まさ)に歌うべし。人生、幾何。譬(たと)えば、朝の露の如し。 去りゆく日の苦(あや)しくも多き」 2 ・208 赤壁(湖北省嘉魚県の西)の戦い、結果、呉の若い将軍・周瑜の火攻、孫権の武将・黄蓋こ うがい、火攻めの計を案出し、鎖でつないだ曹操の軍艦に火を掛け、焼き払った。この計で、曹操 は大敗を吃(きっ)する *槊(ほこ)を横たえ、この歌を作ったというのは、小説の作為である。 ・1082(宋・元豊5)蘇東坡(蘇軾)(1036-1101)/赤壁の賦、小説と同じ認識にたっている。辻 講釈の影響のもとにあった。 ・曹操が、人材の招致と登用に、異常な熱意をもっていた(三国志・武帝紀) ・陳寿、「太祖(曹操)の性は忌」。文化人を嫌悪し、殺した。

5)曹操は、緻密な計算をもつ戦略家。奇計を巡らし、敵を欺いて、勝ちを収め、変化自在なること 神のごとくであった。 ・河北の強敵・袁紹(? -202)と戦い、敵の名将・文醜と顔良を関羽が斬った。関羽は捕虜の将軍 で、曹操のもとに、身を寄せていた。 ・政治もまた、効果、能率を優先した。官吏に対する体刑も、紳士に対する侮辱と考えず、法律に よる綱紀の粛清を宣言した。 ・計算のために、感情を抑えた。実際の曹操は、小男で風采は上がらなかった。 ・後漢では、儒学による非能率、窮屈さを生んでいた。曹操は、それらを吹き飛ばした。 ・曹操は、宦者*(かんじゃ)の養い孫であり、堅気の家ではなかった。 6)曹操の祖父・曹騰(そうとう)は、後漢の宮廷に仕えた宦者。宦官は字が読めないのが普通であ ったが、皇太子の学友として急就章(漢字のいろは)、孝経、論語などを儒者から教わったので、例 外となり得た。*通常、宦官(かんがん)と称している。 ・同郷の夏侯(かこう)氏の子を迎えて養子とし、曹嵩(そうすう)と名乗らせた。この曹嵩が曹 操を生んだ。 ・後漢の光武帝・劉秀(BC5-AD57)は儒学好きの青白いインテリであった。野性味は無い。 ・つまり外戚と宦官が政治の実権を握っていた。後、明の時代も宦官が影響力をもつ。 ・後漢200 年の時代、有力な官吏、文化人を最も多く出したのは、河南、洛陽の南・潁川(えいせ ん)、その南・南陽の地域。河南の東南・汝南の平野。後漢書列伝の半ばは、河南人の伝記。 ・宦官の養子も、封爵を世襲できる。このころ、曹騰は、曹嵩を養子に迎えた。 ・桓帝を擁立した首謀者・大将軍梁冀(りょうき)が皇太后の意思と称して実権を握り、曹操の同 盟者となった。擁立された桓帝は、次第に梁冀の専横を憎み、一族を皆殺しにした。皇帝を助けた 宦官五人は、五常侍と呼ばれ、地方長官として、農民を虐めて、私腹を肥やした。 ・文化人・黨人は不逞の輩であるとして宣告されて、投獄されて、終身の追放が宣言された。いわ ゆる黨錮(とうこ)である。 ・184 黄巾(こうきん)の乱が勃発。大規模な農民運動で、新興宗教の太平道と結び付き、中国全 土に広がった。 ・189 参謀・袁紹は、混乱を利用し、後宮に踏み込み、宦官を2000 余人、大虐殺した。宦官勢力の 崩壊は、大漢帝国の崩壊でもあった。 ・袁紹の秘書・陳琳が書いた檄文(げきぶん)。曹操は宦官の味方をせず、宦官と対立していた。

7)曹丕、長句長篇の開山で、後の鮑照(414-466)と李白(701-762)の源であった。しかし弟の曹 植は遥かに優れていた。 ・曹植(陳思王)野田黄雀(やでんこうじゃく)の行(うた)、 3 ◯曹植兄弟 曹丕と曹植 1)詩の神、陳思王・曹植 ・中国の詩の神は杜甫。それ以前、五言詩の神は魏の陳思王・曹植であった。 ・曹操は、息子・曹丕(文帝)に「学問は、思考を集中し得る若い時期にこそなすべきだ」。(曹丕 /自序) ・賦(ふ)、頌(しょう)、詩(し)、銘(めい)、雑論 2)210(建安15)、人材の推薦、下令 ・曹操(155-220)は黄巾の賊・三十万人を降参させた。袁術(?-199)、袁紹(?-202)、劉表(142-208) を叩き潰した。 ・曹操は、不仁不孝なりとも、治国用兵の術ある者を採用した。(橋本循/中国文学思想論考)

 

・曹操は実力尊重主義であった。曹丕、曹植兄弟に競争させた。文士が徒党を組み、対立した。

 

3)曹丕が選んだ七子、建安の七子(曹丕/典論、論文) ・孔融(153-208)(魯国)父は孔宙、漢碑に弟子62 人の名前が刻まれている。皇后の兄・何進は孔 融を自分の書記官にした。 曹操は劉表を征討するため、南方に兵を進めた。孔融は、その軍に従って、殺された。曹操と肌合 いが合わなかった。(後漢書・孔融傳) ・陳琳(?-217)(廣陵)州里の才子・陳琳は、執政・何進(かしん)の書記官となる。宦官を除去 しようとしたが、何進は殺される。189(中平6)袁紹(?-202)は、混乱を利用して、宦官の大虐 殺を行った。曹操に対する檄文(文選)。戦争をするには檄文が必要。 ・王粲(177-217)おうさん(山陽) ・徐幹(171-218)(北海) ・阮.(?-212)(陳留) ・應.(?-217)おうとう(汝南) ・劉.(186-217)(東平)

4)盧弼/三国志集解 陳寿/王粲傳を書いている。その付記として陳琳。 5)阮. 曹操のために、軍国の書檄を書いた。賦(ふ、ながうた) 6)徐幹 建安 22、徐幹、陳琳、應.、劉.とともに疫病に倒れる 7)七子は如才なく、兄弟の何方にも等しく交わっている。兄の曹丕はソツが無い。弟の曹植は、馳 道(ちどう)の中に馬車を走らせ、司馬門を開かせ、外出した。 ・曹丕は、父・曹操が亡くなると、傀儡であった漢の天子を帝位から引きずり下ろし、みずから皇 帝を称した。 ・弟・曹植を事実上、幽閉した。(伊藤正文/曹植、中国詩人選集) ・洛神の賦 敵将・袁紹の息子の嫁、美女を曹操、そして兄弟間で争い。兄・曹丕により殺される。

何か御気付きの点があれば御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂 浮世絵鑑定家 [浮世絵学]

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SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e



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