浮世絵学01/落款(ちょうき)長喜 2020-10-14長喜(ちょうき)/総目録 468項目 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) http://www.ukiyo-e.co.jp/50160
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1982-04-29現在(2020-10-15更新) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定:judge
SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e
酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員  *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員        *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 日本最古の浮世絵専門店

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 *The BEST Japanese Traditional Woodblock Prints, Handmade reproduction (adm. by JUM) 

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご支援を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints   


長喜(ちょうき)/類考_

 

 

長喜は俳諧も嗜(たしな)む。子興と同人

(雁註)1750s寶暦の俳書は未見である。版本の刊年の確かなるものを整理すると

1789(寛政1) 天下一面鏡梅鉢  *黄表紙

*この時点で、40歳と考えると、1749ころ、生まれたか 

(雁註)黄表紙は40歳過ぎでないと書けない

1809(文化6) 勿来關  *読本

長喜(1750s-1809)  *1740s 生まれ(推定)

石燕の弟子と云われているが確証はない。

石燕(1712-1788)(77) *せきえん 鳥山~ 

素外(1734-1823)(90) *そがい  谷~ 

喜三二(1735-1813) *きさんじ てがらおかもち 秋田藩江戸留守居役 黄表紙

*1777(安永6)親敵打腹□ 黄表紙、初作 42歳

重政(1739-1820)(82) *しげまさ 北尾~ 浮世絵の長老

春町(1744-1789) *恋川〜 はるまち 酒上不埒(ふらち)

*1775(安永4)金々先生栄花夢 洒落本を草双紙化 黄表紙の祖と称される のち、自殺

参和(1744-1810)(67) *さんな  唐来~    

楚満人(1749ー1807)(59) *そまひと)南杣笑~   

谷峨(1750-1821)(54) *こくが  梅暮里~ 

重三郎(じゅうざぶろう) 蔦屋 1750-1797(48)

哥麿(1750s-1806)(50s) *53歳の享年、典拠不確定 本姓は「北川」 

清長(1752-1815)(64) (きよなが) 鳥居~

俊満(1757-1820)(64) (しゅんまん)窪~ *哥麿の遊仲間、

一九(1765-1831)(67) *いっく  十返舎~    じっぺんしゃ

馬琴(1767-1848)(82) *ばきん  曲亭~ 

虚呂利(1770s-1794-1803-)

和樽(1770s-1795-1822)

*大橋長喜、これは別人

長喜(ちょうき)/総目録 *子興を含む

無外題、無内題の作品もあり、全体を把握し難い。同版元から外題、内題を推定して、全体を把握したい。

*石燕門とすると、哥麿と同門ということになり、同年代、つまり1750s前後に生まれている。

1794(寛政6)長喜/柱絵(高島ひさ) 團扇に(四世松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛)の反転した図を描いている。他の絵師が冩樂を図柄を引用した例は、僅かに一九だけである。

*つまり、実際に売り出された團扇ではなく、意図的に反転した図を描いている。長喜は、何を意図したか。長喜は、俳人・子興と同人である。長喜は、冩樂、実ハ俳人・谷素外を知っていたことの証かも知れない。ただ、俳諧の巨匠なので、誰も何も言及しなかった。

*長喜は、大坂新町の藝子など多く描いている。むろん、江戸では売れない。上方(大坂)の藝子屋などから、依頼されて描いたに違いない。大坂出身であることを裏付けている。大首の黄潰しなど、実に鮮やかな美人画である。

*蒹葭堂(1736-1802)(67) (けんかどう)木村~

蒹葭堂(1736-1802)は、耳鳥齋(1740s-1780-1803-)(にちょうさい)について言及している。「あまりに真を描こうとして」云々。確か、冩樂と同様の鑑賞批評をしている。蜀山人(1749-1823)は、これら(あまりに真を描こうとして云々)を引用したか。

*忠臣藏の役者は、耳鳥齋(にちょうさい)(1750s-1780-1803-)、そして冩樂を思わせる顔の表情を描いている。大坂新町の美人画を描いているので、長喜は大坂出身であることは間違いない。

*江戸の人は、「佃」(つくだ)と書き、「佃田」とは書かない。地名は固有ものものが多く、根生(ねお)いの人でないと、読み書きを間違える。

*「白木屋」で、「白機屋」ではない。これも江戸出身でないことを示している。

*大坂鰻谷出身の素外(1734-1823)は蔦屋重三郎(1750-1797)を支援するため、130枚余の役者絵を描き、蔦屋に与えた。蔦屋は身上半減になって苦しんでいた。蔦屋も、俳諧では素外門下、末端の弟子であった。

*近松など、上方浄瑠理、心中もので、女性が積極的である。長喜の絵にも、それらが見てとれる。

*闘鶏(とうけい)、これは江戸になく、上方の伝統である。

*柱絵、(無外題)・おかる 由良之助  *芝居では、お軽・勘平である。史実では、お軽は由良之助の愛人であった。これは、ひょっとすると上方(かみがた)大坂・京の人の常識であったのだろう。「おかると由良之助」の取り合わせは、めったにない。

⚪子興(しこう)/総目録

*歳旦の春興帖など、連名で書かれているので、特定し難い。毎年、年賀として制作されている。いわば、仲間内の儀礼。

1760s 寶暦の俳書も、実ハ歳旦帖。とすると、子興は1750s 以前に生まれていなければならない。

何か御気付きの点があれば御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator 

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