浮世絵学04/東海道五十三次 ○○ 番号 中1(絵本駅路鈴*)○○は宿駅 えきろのすず 1805-1806(文化2-3)北齋/中1_東海道五十三次(絵本駅路鈴*)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/66060  
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浮世絵学04/東海道五十三次 ○○ 番号 中1(絵本駅路鈴*)○○は宿駅 えきろのすず 1805-1806(文化2-3)北齋/中1_東海道五十三次(絵本駅路鈴*)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/66060  

1982-04-29現在(2020-09-25更新) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定:judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員        *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 日本最古の浮世絵専門店

日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご支援を御願い致します。

○1804-1806(文化1-3)北齋*/東海道五十三次 番号 ○○ *宿駅 (絵本駅路鈴*) 

京都が見開きの右で五十五、左に大内山があり、全56点。

「東海道五十三次 五十五 日本橋」
「東海道五十三次 五十五 京都」

(雁註)京都が五十五、大内山が五十六で大横、二丁掛けで刊行した。絵入狂歌本に似ているが、未裁断の作品は見たことがない。

恐らく、最初から、裁断して販売したものか。廣重の東海道と違って、宿駅の特徴が全くない。

1814(文化11)北齋漫画(北齋落款)を刊行。この前年、北齋は名古屋へ出掛けて墨僊宅に逗留。

1815(文化12)戴斗落款の時、いわゆる名古屋へ出掛け、北齋漫画二編(戴斗落款)、三編(戴斗落款)などを描いている。

○書名および序 「東海道五十三次 乾坤」「序、見開き二丁)

幸い国立国会図書館が序を所蔵していたので、転載する。末尾に刊記、版元は見当たらない。外題、もと題簽?に「東海道五十三次 乾坤」とあり、何処にも「驛路鈴」と書かれていない。書誌学では、これらを精確に記録して欲しい。

浮世絵学では精細な記録に心掛けている。

国書総目録をみると、「駅路鈴」、1784(天明4)伊勢貞丈/駅路鈴考を刊行している。

○駅路鈴(えきろのすず)、駅鈴(えきれい)は、650s-950s律令制で、官命により旅行する者に中央官庁と地方(国衙、こくが)から下付された鈴。駅馬の供与を受ける資格を証明し、これを鳴らしながら、呂刻した。えきろのすず、むまやのすず。四角の立法体、また六角の立法体、恐らく青銅製か。紐があり、紐を通すようになっている。通常の丸い鈴(すず)ではない。

駅鈴(えきれい)

○駅路之鈴 *他にも地誌であるに違いない。

1709(寶永6)/東海道駅路之鈴 

1823(文政6)春扇(しゅんせん)田舎通信・駅路の鈴 上下

○別件であるが、浮世絵を見ると、馬の後ろに鈴が着けられている。これは飾り、いわゆる、ちゃぐちゃぐ馬っ子は、南部地方などで、日頃の労苦を労うため、馬を飾り、行進させた。

○宿駅の「駅」、これは「つぎうま」の意。馬の乗り継ぎを意味している。それにしても序の大人、難しい名前を引っ張ってきたものだ。

○路(ろ)は駅路(えきろ)、もと馬で乗り継ぎをした路線。現在は電車、バスなどでも、路線と称している。

北齋は当初、題名など考えていなかったに違いない。とにかく、浮世絵の東海道ものでは、もっとも古いものか。

東海道五十三次 何処にも「驛路鈴」と刻記されていない

雁註)原題簽か判断できないが、恐らく後から制作したものであろう。大横を中1の二丁掛で摺った。絵入狂歌本で胡蝶装の体裁。(袋綴じではないようだ)しかし狂歌はない。ノドに丁数も見当たらない。巻末(乾坤)の坤に、全く刊記、版元が無い。

一九(1765-1831)の東海道・膝栗毛(1802-1809)の影響と言われているが、その情景とは全く関係がないように見える。すると、享和、文化でなく、寛政期に成立した可能性もある。

1801享和の次の改元は文化であるから、1804-1806まで、数年、掛かって刊行されたと考えている。享和4(文化1)であるから、実際1805-1806に刊行か。

(雁註)欠落の部分もあり、また判読し難い文字もある。

序 東海道の名を唱へそめてよりこなた何かしの紀行くれかしの日記

出るは繪巻物あるハ画草紙のたぐひ。世におほかる中にも。すくれて

さとひたりし道中雙六といふめる。一枚の摺物をミれは。画工□

例のそらことのいとをかしきまゝに。驛路(えきろ)の鈴(すず)の振出しより。賽の目の一ツ

二ツを拾ひ出れは。程谷の泊りにやありけん。圓(まどか)なる中にふじの人穴と書しハ

旅舎の招牌めきて。居風呂に浴する旅人の肩にかたれり。又長櫃擔たる前

の夫濱松の辺にあるを後荷に男は未だ見附のワたしを歩□□

大礒鹿羽虎石おもいはゝといへバ草津の姥が餅うまいぞ

と食ふ。早や脚力のはいはいは庄野亀山を股にかけて走り傀儡

婦のとまらんせは御油赤坂にテをひろげて呼ぶ。戸塚の六部殿

藤澤の馬士殿に煙草の火を借らんとす禮は。府中の處□

は鞠子の宿のとろゝ汁を吸はんとす。白須賀□…

人も上京の常言に似て振出より上りを臨へ□….

あらいといへるも宜なり。函嶺八里て越え□…

大井川藤枝に□裸体…□…





(雁註)坂は照るてる鈴鹿は曇る。間(あひ)の土山阪の下。十條ばかり□…

降らして水口の合羽を濡す。なへて鎗持のお鎗はあとの

宿に續き。茶店のお茗(ちゃ)はさきの宿へ運ぶのたくひ。

枚擧べからず。あるは日阪のワらび餅。掛川の八挺鉦。簷(のき)

を竝べて名物名所。奥津膏薬焼蛤。安倍川餅よ十

團粉とゲコも上戸もワか禮ては。往も返も道中雙六。

繪草紙鹿羽。彼雙六の模様を寫して。驛路の光景

を。視るかごとく歩むが如く耳筆とりて。婦美

鬻(ひさ)ぐ何かしが需をふさぎ。命(なづけ)て繪本驛路鈴と

かうふらしむるのミ

浮世繪師何かしにかハりて 楚れかし翁かし

(雁註)「繪本驛路鈴」と命(なづけ)たとあるが、原本の題簽は「東海道五十三次」とあり、不審。これは版元の意向で、後から外題を付したものであろう。「浮世絵師何がしにかハりて 楚れかし翁かし」とある。この浮世絵師が北齋であることは画風から判断している。繪入り狂歌本と同様、大横に中2で刊行。もっとも狂歌はない。中1、法量は22.5x17.0cm。見開きで左右が綱がっている図柄もある。しかし、胡蝶装ではない。

何か御気付きの点があれば、御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 

浮世絵・酒井好古堂   日本最古の浮世絵専門店

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[浮世絵学]文化藝術懇話会  浮世絵鑑定家
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電話03-3591-4678  携帯090-8171-7668



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