浮世絵学04/外題(懇話会79)2020-10-24(土)17.00-17.40 夏目漱石(1867-1916)すべて 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) http://www.ukiyo-e.co.jp/66344
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1982-04-29現在(2020-10-19更新) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定:judge
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酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員  *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員        *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 日本最古の浮世絵専門店

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご支援、ご鞭撻を御願い致します。

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2018 夏 酒井雁高

◎2020-10-24(土)17.00-17.40 懇話会79 夏目漱石(1867-1916)を取り上げる。

○浮世絵学04/外題(懇話会79)2020-10-24(土)17.00-17.40 夏目漱石(1867-1916)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 

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○浮世絵学04/外題(吾輩ハ猫デアル)1905(明治38)漱石/吾輩ハ猫デアル 

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○浮世絵学04/外題(漾虚集 1906(明治39)漱石/漾虚集(ようきょしゅう) 単行本 

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○浮世絵学04/外題(鶉籠うずらかご)1907漱石/鶉籠(うずらかご)、春陽堂 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

*坊ちゃん、二百十日、草枕が収められている。従って、坊ちゃんなどの単行本は無い。

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○浮世絵学04/外題(虞美人草)1907漱石/虞美人草、春陽堂 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 

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○浮世絵学04/外題(門)1911(明治44)漱石/門(もん)、春陽堂 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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○浮世絵学04/外題(行人)1914(大正3.01)漱石/行人(こうじん)、大倉書店 

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○浮世絵学04/外題(明暗)1916(大正5)漱石/明暗(めいあん)、岩波書店

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○浮世絵学04/外題(漱石の思い出)1928(昭和3)夏目鏡子/漱石の思い出、改造社 

橋口貢(五葉の兄)が支那から石鼓文(せっこぶん)を贈ってきた。

漱石は、当初、五葉に装丁。浅井忠、中村不折に挿絵を依頼していたが、以後、この石鼓文を装丁に使うこととした。全集も石鼓文の装丁。

妻・鏡子が見た漱石の思い出。漱石、イギリス留学中、そして帰国後、かなり神経をやられていた。官費留学生で、倫敦の物価高に悩まされた。しかし、食費を節約して、書籍を買い込んだ。自転車を走らせ、酸素呼吸を活発にし、水分を呑んで、イライラの神経は安定した。倫敦の下宿でも、いつも、自分の悪口を云われている、誰かが後を付けてくると誇大妄想に嘖(さいなや)まれていた。これは、ある種のウツ病で、鏡子は屡々、また「あたまが、おかしくなった」と書いている。虚子に勧められて、吾輩ハ猫デアル、を書いてから少しづつ元気になる。

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○浮世絵学04/漱石と十弟子 1948(1974)津田青楓/漱石と十弟子 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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鷗外(1862-1922)と同様、漱石は教科書などで必ず紹介されている。鷗外より、5歳、年下。

鷗外は完璧主義、もっとも医者だから、あやふやにやれば、患者は死ぬ。弟子は木下杢太郎(太田正雄)。

漱石は教師という職業がら、弟子が多い。漱石山脈を形成している。

漱石は、恐らく明治以後の近代文学で最も親しみがある作家である。英文学者であるが、子供の頃からの漢文、学生時代の俳句の素養が作家の道を開いた。

(雁註)1904(明治37)吾輩ハ猫デアル。この上編を読んだ。文庫本でなく、当時、トップ・ギルト、エッジ・アンカット、フラット・カバー。自分で、エッジ(サイド、ボトム)をペーパーナイフでカットし、装丁する。西欧の装丁、書籍のように作成した書籍(複製)を読んだ。もともと、「ホトトギス」に連載したもので、通(とお)しで世みたい人のために、このようにしたらしい。

1900(明治33)英語研究のため、二年間、英国留学を命ぜられる。

*漱石、ロンドンで、誰から自分を監視している。悪口を云っている。後を付けてくる。ある種の神経症、精神病になったようだ。それが、漱石、発狂とまで日本に伝えられた。精神病だから、日本へ帰ってきても、ぷりぷり怒り散らし、八つ当たり、癇癪を起していた。神経性の胃潰瘍になっていく。何回か、かなりの量の吐血をしている。

1903(明治36)イギリスから帰国した漱石、かなり神経をやられていたのを見兼ねた高浜虚子(1874-1959)が気晴らしに小説でも書いたらと勧めた。当初、「猫伝」…やはり漢文、四書五経の素読を受けていたからである。虚子は、それではいけないと相談の結果「吾輩ハ猫デアル」に改めた。俳句雑誌「ほととぎす」に連載されて好評であった。

誰だか、漱石(1867-1916)に逢った印象を中江兆民(1847-1901)のような感じだと言っている。つまり、ただの物書き、売文家とは違ったのであろう。

*中江兆民、フランス革命、思想研究 弟子に幸徳伝次郎(1871-1911)(秋水)がいる。秋水は1911.01.25大逆事件で処刑された。

大学教授も商売、新聞記者も商売なら、新聞記者になっても良いと述べている。しかし、大学教授並みの給与であることが条件であった。朝日新聞社の村山龍平(1850-1933)、池辺三山(1864-1912)らも、苦慮したが、言い出したことだから仕方ない。鳥居素川が漱石の草枕を読み、感激して、漱石を招聘したいと思った。

漱石(1867-1916)が三四郎を書いている時、鷗外(1862-1922)は三四郎を読み、技癢(ぎよう、うずうず)を感じていた。

*鷗外は漱石より5歳、年長。

逍遥(1859-1935)

柳浪(1861-1928)

鷗外(1862-1922)

漱石(1867-1916)

紅葉(1867-1903)

露伴(1867-1947)

一葉(1872-1896)

1988江藤淳/新潮日本文学辞典 *要領よく、簡潔にまとめられている。作品の紹介は6点。

(雁註)江藤淳(1933-1999)の解説、詳しく知りたい方は

1970-1999漱石とその時代 全5、新潮選書

漱石(1867-1916) 子規(1867-1902)

*子規は脊椎(せきつい)カリエスで、止むを得ないが、漱石も50歳で没している。今日からみると、若死にである。

漱石、第一高等学校での落第ののち、心を入れ替えて勉強した。

1891(明治24) ディクソンの依頼で、方丈記を英訳。鴨長明の孤独感、疎外感(厭世観)に深く分け入って共感した。

(雁註)英語の読解力、英作文も、飛び抜けたものである。つまり、漱石が漢学、和学(俳諧)を基礎とした日本語能力に奥深いものがあったと言える。

1892(明治25.05)東京専門学校への出講

1895(明治28.04)松山中学に赴任

1896-1900(明治29.04-明治33.09)熊本で生活

1900(明治33.10)文部省留学生としてイギリス

1903(明治36.01)東京着

(雁註)漱石の本、文庫本で読むのも良いが、当時の初版の本(復刻)で読んで欲しい。復刻本が安く入手できる。

ここで紹介しているものも、すべて当時の初版を復刻したものである。

1904(明治37.10)吾輩ハ猫デアル 高浜虚子(1874-1959)に勧められて書く。

浮世絵学04/外題(吾輩ハ猫デアル)1905(明治38)漱石/吾輩ハ猫デアル 

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1906(明治39.04)坊ちゃん、ほととぎす

1906(明治39.05)漾虚集(ようきょしゅう) *イギリス留学時の翻訳、短編

浮世絵学04/外題(漾虚集 1906(明治39)漱石/漾虚集 単行本 

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倫敦塔
カーライル博物館

1906(明治39.09)草枕、新小説 (春陽堂)

幻影盾
琴のそら音(ね)
一夜
薤露行(かいろこう) 薤の葉の上の露、果無い
趣味之遺伝

袖珍本、縮刷版 読者が一気に増えた。文庫本

1906(明治39.04)漱石/坊ちゃん ほととぎす





1906(明治39.09)草枕 新小説

*山路やまみちを登りながら、こう考えた。
に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。

(鏡子)漱石を朝日に迎えようといふ抑々の発議者は、鳥居さんが「草枕」を御読みになって、この人ならばと傾倒されたのがおこりだといふことでございます。

1906(明治39.10)二百十日、中央公論

1907(明治40.01) 鶉籠(うずらかご) 春陽堂 

*「坊ちゃん」、「草枕」、「二百十日」が収められている。従って、坊ちゃんなどの単行本は無い。

浮世絵学04/外題(鶉籠うずらかご)1907漱石/鶉籠、春陽堂 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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*朝日新聞社が、大学教授並の給与で漱石を招聘した。これ以前、漱石は猫、坊ちゃんなどで、圧倒的な人気があった。

1907(明治40.06.23)虞美人草 *漱石の年齢と明治の年度が同じ。つまり40歳の時。朝日新聞に連載

浮世絵学04/外題(虞美人草)1907漱石/虞美人草、春陽堂 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 

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*虞美人草は、ひなげし *文庫本で読むより、復刻本で当時の感じ、漢字を味わって欲しい。

漱石、虞美人草を書いている時、西園寺公望から文士を招いて雅宴を開くの招待。

時鳥、厠(かわや)なかばに出かねたり

と葉書に書いて投函。第一番に面倒くさい。時の宰相に招かれたからといって、それを一ぱし名誉か何かのやうに心得てる方々が面白くない。

1908(明治41.09.01) 三四郎         前期三部作(1) *前期三部作は、恋愛、三角関係

(雁註)鷗外は、漱石の三四郎を見て、うずうずしていたという。

1908(明治41.07)  夢十夜   *作者の生への怖れ。

1909(明治42)  文学評論 (谷川恵一) *漱石の翻訳、もう少し評価しても良い

1909(明治42.03.05)、数え43歳の漱石(1867-1916)は、大阪朝日新聞の鳥居素川(1867-1928)からの依頼に応え、原稿を書こうとしていた。漱石と素川は同(おな)い年。

永日小品(えいじつしょうひん)(この年の始めから新聞紙上に発表してきた読み切り連作)の続きで、もう1篇何か書いてほしいという注文を受けていた。確か、素川は漱石/草枕を読み、感動したと何かに書かれていた。

1909(明治42.05.31)それから        前期三部作(2)

○1910(明治43.06.05*)門(もん)  *脱稿  前期三部作(3)

浮世絵学04/外題(門、もん)1911(明治44)漱石/門、春陽堂 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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実にモダンな装丁。色彩、趣向も気品がある。背文字、背の意匠も簡潔。

1911(明治44) 文学博士号授与、辞退

1912(明治45.1.01) 彼岸過迄(東西朝日新聞) 後期三部作(1) *後期三部作は、葛藤、苦悩

1913(大正2)    行人(こうじん)     後期三部作(2)

浮世絵学04/外題(行人)1914(大正3.01)漱石/行人(こうじん)、大倉書店 

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*(小林敏明)漱石自身による自己解剖、「死ぬか、気が違うか、夫れでなければ宗教に入るか」

1914(大正3.04.20) こころ、岩波書店 *先生の遺書   後期三部作(3)

*上「先生と私」中「両親と私」下「先生と遺書」の三部構成。

エゴイズム(利己主義)と人間の心の機微、犯した罪との葛藤が描かれている。

1914(大正3.06.03)道草、岩波書店

1915(大正4)硝子戸の中(うち)、岩波書店

1916(大正5.05.26)明暗(めいあん)、岩波書店 *漱石、心身をすり減らしている。

浮世絵学04/外題(明暗)1916(大正5)漱石/明暗、岩波書店

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これも文庫本で読むより、復刻本で読んで欲しい。未完。途中で漱石、死んでしまう。

(雁註)漱石遺著とある。装丁S.Tは、津田青楓か

漱石の著作は、朝日新聞社の紙上に連載される以前から、既に人気があった。

朝日新聞紙上に発表された後、纏めて春陽堂、また岩波書店から発刊。

最後、「こゝろ」、「硝子戸の中(うち)」、「道草」。これらは岩波書店

○1917(大正6)漱石/こころ(縮刷版 袖珍本)

袖珍本(縮刷版) いわゆる文庫本で読者が増えた

○1928(昭和3)夏目鏡子/漱石の思い出、改造社 *夏目鏡子述、松岡譲*(1891-1969)筆録

*松岡譲は漱石の長女・筆子の夫。筆子を巡り、松岡は久米正雄(1891- 1952)と一悶着あった。実は鏡子は、漱石なき後、男手が欲しいので筆子に久米との婚約を強要したと言われている。筆子は松岡を選んだ。

*鏡子は、常に漱石の傍にいたので、漱石が極度な精神緊張の持続で、胃潰瘍になったり、吐血したりするのを見ていた。臓器の機能障害を示していて、ある種の心身症になっていた。軽いウツ病ないし、神経症であったことは間違いない。イギリスから帰国直後、八つ当たりしたい、いきなり怒ったり、始末に終えない時も多々あったようだ。

吾輩ハ猫デアル、漾虚集(ようきょしゅう)、坊ちゃん、二百十日、草枕を書いてから、徐々に調子がよくなってきた。

1896(明治29) 漱石の年齢と明治の年号が一致している。明治29、つまり漱石29歳。WPに画像を掲載すると、何故か細長くなる。

漱石山房という自分専用の400字詰め原稿用紙を使っている。現在では原稿用紙は使わない。すべてワープロで印刷する。

20x10=200字詰め原稿用紙 これも懐かしい思い出になる。現在、新聞記者でも、原稿用紙は使わず、ワープロで入力。

養父・塩原昌之助

*塩原家に子供がなかったので、養子に出された。昌之助と妻やす、同年の29歳。

(雁註)晩年の子規をイメージしがちであるが、若い頃の子規、素晴らしい表情。

1892(明治25)25歳の漱石、秀才である。後、英文ではイギリス人の業績を凌駕できないと覚り、漢文、和文で小説を書く。

1906(明治39)39歳の漱石。

1906(明治39)英文学者というより、39歳の漢学者

池辺三山(1864-1912) 漱石より4歳、年上。三山が東京朝日新聞・主筆をやめた時、漱石も退社の意向を伝えた。
三山が慰留したので、撤回した。このような漱石の言動が、皆から愛されたのであろう。
1908(明治41)41歳の漱石

1912(明治45=大正1) *この顔は尤も漱石に似付かわしい肖像だ。45歳の漱石

1914(大正3)

1915(大正4)

(田中保隆)漱石は烈しい精神で文学をやってみたいという決意をかためた。

1974再々刊

木曜会(午後3時)で、多くの弟子が集まった。

○浮世絵学04/漱石と十弟子 1948(1958)津田青楓/漱石と十弟子 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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青楓、釈迦と十大弟子を模倣したもの。弟子の姿が、肖像と同時に再現されている。

最後、「青楓は、この手紙を読んで、まぶたのうらに涙がにじみ出るやうな気がした。翌年の十二月九日、漱石先生は早稲田南町の寓居で、永遠のたびに出立された。津田は、その枕頭で、大勢の人目もかまわずに声をあげて慟哭した」「漱石は永遠に往きてゐるが、先生には永遠に会はれぬのだ。」

(雁註)津田の漱石に対する熱い思いが伝わってくる。

津田青楓(1880-1978) 京都の日本画家

1907(明治40)から1910(明治43)までパリに留学。帰国後、漱石に油絵を教えた。1914(大正3)二科会の創立に参加。

木曜会の十弟子 

左から時計回りで、大明神(漱石)

大明神・漱石(1867-1916)

寅彦(1878-1935) 寺田〜

能成(1883-1966) 安倍〜

東洋城(1878-1964) 松根〜

臼川(1883-1950) 野上〜 *豊一郎 英文学者、能研究者

三重吉(1882-1936) 鈴木〜

岩波茂雄(1881-1946) 

赤木桁平(1891-1949) 評論家、政治家

白兎園

草平(1881-1949) 森田〜

次郎(1883-1959) 阿部〜

豊隆(1884-1966) 小宮〜 ドイツ文学者、文芸評論、演劇評論

*青楓(1880-1978) 津田〜 日本画家 豊隆に連れられて漱石山房を訪問。漱石45歳、青楓32歳。

○1967-1971(昭和42-46)夏目伸六/父・漱石とその周辺 正続、芳賀書店

○浮世絵学04/外題(私の漱石) 2018私の漱石、「漱石全集」月報精選、岩波書店 

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何か御気付きの点があれば、御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 

浮世絵・酒井好古堂   日本最古の浮世絵専門店

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[浮世絵学]文化藝術懇話会  浮世絵鑑定家
100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14

電話03-3591-4678  携帯090-8171-7668



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