浮世絵学04/外題(懇話会80)樋口一葉(1872-1896) 1912(明治45)一葉全集 前編(日記及文範)、博文館 http://www.ukiyo-e.co.jp/68928
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1982-04-29現在(2020-11-28) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定:judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員  *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員        *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 日本最古の浮世絵専門店

http://www.ukiyo-e.co.jp/41940 ◀ 浮世絵学_reproduction_複製A0+/復刻 手摺木版

 *The BEST Japanese Traditional Woodblock Prints, Handmade reproduction (adm. by JUM) 

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http://www.ukiyo-e.co.jp/69501◀ 浮世絵学01/落款(えし)ひらがな五十音順 伝記集成+総目録 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 

日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導、ご鞭撻を切に御願い致します。

http://www.ukiyo-e.co.jp/56701 ◀ ◀ 浮世絵学_guide0_情報/御案内 浮世絵・酒井好古堂 

 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints   

 

現在、ファックスは使えません。

2015 酒井雁高(がんこう)

天:2020-11-28(土)17.00-17.40 インターネットによる懇話会

地:インターネット 西島勉さんが、開始宣言。これ以前にzoom をダウンロードを御願いします。

[ネット懇話会参加方法]

・事前にパソコンまたはスマホでzoomをダウンロードします(ダウンロード済の方は不要です)。

 以下のURLをクリックして、「ミーティング用Zoomクライアント」を「ダウンロード」します。

https://zoom.us/download#client_4meeting

・当日、開始時間になりましたら、以下のURLをクリックしてパスコードを入力します(今後も同じです)。

https://us04web.zoom.us/j/2123771748?pwd=V0d4U2lhalJYUVJaRW9kbGo1UFlPZz09

 パスコード: 12345

 または、zoomで参加をクリックして、ミーティングID、パスコードを入力します。

 ミーティングID: 212 377 1748

 パスコード: 12345

人:樋口一葉(1872-1896)

先日、西島勉さん、一葉記念館を尋ねた。そのパンフレット、2020の発行

表紙の闇桜、これは一葉の最初の小説、師の桃水に提出。あまりの達筆の和文に驚く。小説の場合、もう少し、短い文体が良いと桃水は考えを述べている。

このチラシの一葉さん、少し、怖い。やはり清方(1878-1972)(94)先生の肖像画が一番良いか。(下の画)
六人づつ、二組になり、関連の場所を散策 是非、皆さんも機会があれば、立ち寄って下さい。
1940(昭和15)清方(画)/樋口一葉 この肖像画、尤も一葉の気質を捕らえている。最高! 雨の夜、調べたが解らない。何方か御存知の方、教えて下さい。

参考となる本を添付します。

○1988塩田良平(解説)/増補改訂・新潮日本文学辞典

これがコンパクトに良く纏まっています。一葉研究の第一人者・塩田良平先生の解説です。

(塩田)一葉日記、読者を予想せず赤裸々に自己を綴った日記。このためか、一葉は遺言で「日記を焼きなさい」と。

半井桃水(1861-1926) *一葉の師、もと朝日新聞記者

森 鷗外(1862-1922)

星野天知(1862-1950) *てんち

幸田露伴(1867-1947) *ろはん 一葉の全文を校訂をする

齋藤緑雨(1867-1904) *鷗外、露伴、緑雨の三人、めざまし草で一葉を称賛。もっとも、めざまし草は匿名。

頭取・第二のひいき=鷗外、ひいき=露伴、むだ口=緑雨

(鷗外)われはたとえ世の人に一葉崇拝の嘲りを受けんまでも、この人にまことの詩人という稱をおくることを惜しまざるなり。

馬場孤蝶( 1869- 1940) *一葉全集の末で、一葉を詳細に紹介 *一葉は「人から侮られまい」「負けず嫌い」という気持ちが強いと、その人柄を見抜いている。

樋口一葉(1872-1896)

平田禿木(1873-1943)

1912(明治45)樋口夏子/一葉全集、前編、博文館 22.5x15cm 825頁 大部の書物

生前、単行本で刊行された唯一の本。あとは全て、雑誌の連載でした。

この本にも、日記、明治24.04 若葉かげ これが巻頭にあり、身のふる衣はなし

幸田露伴((1867-1947)/序(一葉全集、前編、博文館) 

1922(大正11)一葉全集(縮刷版)、博文館 19.5x12 1256頁

この本に全ての一葉が収められている。縮刷版

といっても、明治20年 身のふる衣は掲載されていない

(雁註)1922(大正11)一葉全集、博文館。19.5x12cm
装丁が素晴らしい。誰の装丁だろう。

1922(大正11)一葉全集、博文館 (雁註)ヒナゲシ、一葉を表現している。

馬場孤蝶(1869-1940)/一葉全集の末に

幸田露伴(1867-1947)/序

露伴(校訂)が一葉の誤認、誤記を最小限、訂正して刊行した。

○日記 明治24.4.11-6.23 p.3-518 *一葉、20-25歳まで日記。一葉の読者を意識しない文体になっている。

明治29.7.15-22 みづの上

・明治20/身のふる衣 まきのいち。これが掲載されていない。萩の舎(はぎのや)の発会で、着るものがなく、寂しい思いをしたことが書かれている。

萩の舎(はぎのや)の生徒は、明治期の上流階級。千人以上も生徒を抱えていたこともあった。下町の生徒は、それほど多くなかった。

明治20.02.21萩の舎(はぎのや)発会 
後列左から3人目、一葉(16歳)、一葉の前、田辺龍子。一葉の右、伊東夏子。
龍子の右、中嶋歌子。龍子の前、田中みの子。

(雁註)樋口なつ、ひなっチャン。伊東夏子、いなっチャンと呼び区別していた。

(雁註)一葉全集、これ(明治20/身のふる衣)が無く、いきなり明治24/若葉かげ が掲載されている。

「身のふる衣 まきのいち」、なつ(一葉)16歳。これは作家の自伝22、日本図書センターに掲載されている。

*十六歳の少女が書いたとは、思えぬほどの描写力で、記録と同時に、勝れた感情の動きが表現されている。

萩の舎(はぎのや)の生徒は、みな、上流家庭の子女。この頃、(樋口)家は貧に、身はつたなし。自分は着る着物もなく、目とどめて、み侍れば、とん子(緞子、どんす)の帯一筋、八丈のなへばみたる衣一重、いつこよりか置給ひぬ、いかで人々の召物は、ととのひ給ふに事しかじかと申出侍れば、母君…

明治20 萩の舎(はぎのや)発会 着るものがなくて、肩身の狭い思いが綴られている。

明治22 父の死 

明治23 家の崩壊 

明治24.04 半井桃水との恋の物語 その1 出会い  二十歳の少女の文章である。なるほど、作家になる素養がある。

*むろん、この表題は日記の原文にない。解説者が附記した。この日の思いを「雪の日」として文学界に発表(明治26.03)。

1892(明治25)一葉の桃水宛の直筆(師之きみに、夏子)、また(御兄上様、なつ子)

これだけの手紙をさらさらと書ける夏子(一葉)、ただものではない。

○書簡文範 p.519-716 *この文範を書くため、無理をして、生命を縮めた

新年の部

春の部

夏の部

秋の部

冬の部

雜の部

唯いさゝか

○小説 p.717-1192

にごりえ 明治28.7

われから

ゆく雲

やみ夜

大つごもり

經つくゑ

曉月夜

うもれ木

闇桜

たま襷(たすき)

五月雨

別れ霜

雪の日

琴の音

花ごもり

軒のる月

うつせみ

この子

十三夜

わかれ道

うらむらさき

たけくらべ 明治28.12

かれ尾花

□ □

棚なし小舟

○随筆 p.1193-1231

森のした草

随感録

流水園雑記

ほととぎす

そぞろごと

棹のしづく

○一葉全集の末に 馬場孤蝶

明治27.02.12、私(孤蝶)は初めて会った。

(一)樋口夏子君の小伝

良家(りょうか)の娘さん

(二)父・則義君は漢学の素養があった。一葉君、話は確かに上手であった。挙作(きょさ)は如何にも、しとやかであった。

一葉君の日記は人間の心の記録として不朽の価値がある。一葉君は、決して他人を非難するやうな話を為無かった

一葉君は負けぬ気性の婦人であった。落魄したと自ら思って居た。侮られまい、欺かれまいとは、他人に対する時の一葉君の態度であった。

日記は斯ういふ婦人の心中の記録なのだ

(三)下谷瀧泉寺町、大音寺前、の家は三百六十八番地。

(四)二十四、五年頃の作物(さくぶつ)…

たけくらべ、の人物は大抵、実在のものであったさうだ。大音寺前の商売が子供相手…田中の正太のモデルは美しい少年であった。祭りの時の姿は見せたかったと一葉君自身が云って居た。

(五)一葉君は「日記を焼けと遺言した。

文章の稽古、習字の稽古として、日記を書いていた。

○浮世絵学04/外題(懇話会80)樋口一葉(1872-1896) 1912(明治45)一葉全集 前編(日記及文範)、博文館 

これらを御覧下さい。一葉、数え25歳で亡くなっています。

1886(明治19.08.00)15の時、中島歌子の萩の舎に入門。萩の舎は小石川安藤坂にあり、千余人の門弟を擁していた。

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(雁註)なつ(一葉)は杢太郎の三姉たけと一緒に萩の舎(はぎのや、中島歌子の歌塾)に通っていた。恐らく15歳のころ。下げ髪が一段と美しい。

なつ、たけ、それぞれ仲良しだったのだろう。日記にも、たけの名が出てくる。(この二枚の写真は、西島勉さんが、伊東の杢太郎記念館で撮影)

木下杢太郎(太田正雄)の出身地、伊東です。

1887(明治20)16の時、身のふる衣(最初の日記、まきのいち)

1889(明治22)18の時、神田淡路町二丁目に転居。

1890(明治23)19の時、萩の舎の内弟子となるが、約五ヶ月で止める。

1890(明治23.09) 本郷菊坂町70番地へ転居(母瀧子、妹邦子同居) 

      

菊坂 1966(昭和41)

1891(明治24)20の時、朝日新聞記者の半井桃水(1861- 1926)に師事する。

和歌、書道だけでは小説は書けないから、図書館で勉強するよう諭される。

1891(明治24.06.10)上野図書館を訪れる、以後、しばしば訪れ小説の勉強をするようになる。

伊勢物語、源氏物語、太平記などを読み、筋の展開などを学ぶ。太平記は二度も読んだ。

1891(明治24.10.30)  桃水を訪れ、釈明を聴く。再び、通い始めた。

お銭(おあし)がないという洒落から、達磨が乗ってきたという蘆の葉に因み、

 一葉(いちよう)というペンネームを使い始めたらしい。

1892(明治25)21の時、闇桜を起案、脱稿。桃水宅に「闇桜」を持参する。雑誌「武蔵野」に発表。

雪の日(雑誌文学界)発表。

(雁註)夏子(一葉)の桃水に対する恋しい思いが、悲しいほどに綴られている。

1893(明治26)22の時、下谷瀧泉寺へ転居。荒物屋を開店。再び、上野図書館へ通い始める。

瀧泉寺町にいる頃、一葉は誰にも逢わないようにした。向こうに見えるのが吉原遊廓。

       大つごもり(文学界)発表

一葉は、図書館で勉強を摘んだ。

1894(明治27)23の時、向かい側の同業者が開店。商売不振となる。萩の舎の代稽古。月二円を支給される。

       にごりゑ(文藝倶楽部)発表

1895(明治28)24の時、川上眉山(1869-1908)が、孤蝶(1869-1940)と禿木(173-1943)に伴われ、はじめて来訪。のち、小説に専念することを勧める

       この暮、一葉の文名が高くなる。今、喜楽館といふ活動小屋の角を曲がった所などは、その当時、抜け裏と云って宜い程の狭さであったが…

       たけくらべ、一括して文藝倶楽部に発表。

1896(明治29.04)三人冗語/めざまし草、で一葉/「たけくらべ」を絶賛。匿名であるが、これは鷗外、露伴、緑雨。

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1907(明治40)半井桃水/一葉女史

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1908(明治41)三宅花圃/女文豪が活躍の面影

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裏の豆腐屋のお爺さん、怒っていたよ。豆腐屋で悪かったな

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1941(昭和16)伊東夏子/わが友・樋口一葉のこと

1896(明治29.05)たけくらべ、激賞さる(三人冗語、めざまし艸)

鷗外 1862-1922 三人冗語の一人

天知 1862-1950 *てんち

露伴 1867-1947 三人冗語の一人

緑雨 1867-1904 三人冗語の一人

透谷 1868-1894

孤蝶 1869-1940

秋骨 1870-1939

一葉 1872-1896

禿木 1873-1943

敏 1874-1946 *びん

1896(明治29)25の時、

    4月 一葉君の病、咽喉が太(ひど)く腫れた。肺結核が進行し始める。

 1896(明治29.06)周辺のうごめき・齋藤緑雨 *緑雨、一葉が面の皮をひんむきぬと…

   6月、鏡花(1873-1939)、来訪。鏡花は一葉より一つ下であったが、一葉を最大のライバルと考えていた。

    8月、大分、重くなる

    中旬、病床に着く。肺結核で、絶望。

    11.23午前、死去。

    11.24、眉山、秋骨(1871- 1939)、緑雨などで艶(誤字であるが、なつチャンには相応しいかも)。

    11.25、荼毘に付す。

つまり、5年間で、これらの日記、書簡文範、小説、随筆を書いた。

現在では結核、ストレプトマイシンなどがあり、死の病ではなくなっているが、当時は殆ど、結核で亡くなっている。

では

雁高

1966塩田良平/樋口一葉、明治書院 27x19 160頁、附録

塩田良平(1899-1971)東京の下町の医師の家庭に育った生粋の江戸っ子であり、和服の愛好者で、ほとんど着流し姿であった。

1995山田勇策/樋口一葉 作家の自伝22、日本図書センター 21.5x15 218頁

これは自伝に相応しい、一葉の日記を掲載している。また一葉が桃水を尋ねた「雪の日」も一部、掲載してある。

1995山田有策+木村荘八(1893-1958)/樋口一葉/たけくらべ 芸術_夢紀行シリーズ2、芳賀書店

これ一番、お勧め! 荘八(しょうはち)の絵がとても良い。

(明治29.04)三人冗語…鷗外、露伴、緑雨 たけくらべ 

*この文で、たけくらべを絶賛

3月ころ、一葉の身体は肺結核が進行し、絶望的となる。

11.23午前、一葉、死去。

半井桃水/一葉女史

三宅花鋪/女文豪が活躍の面影

伊東夏子/わが友樋口一葉のこと

幸田弘子/天駆ける一葉 *中村真一郎、一葉の文体は西洋翻訳文に近い。

猿谷要/永遠のマドンナ

などのエッセイも分かり易い

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 浮世絵鑑定家

浮世絵・酒井好古堂     http://www.ukiyo-e.co.jp/56701  ご案内

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14

電話03-3591-4678 携帯090-8171-7668 

▷浮世絵学 すべて(浮世絵・酒井好古堂) 



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