浮世絵学04/1984山本七平(1921-1991)/旧約聖書物語、三省堂(1988徳間文庫) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)   http://www.ukiyo-e.co.jp/73509
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浮世絵学04/1984山本七平(1921-1991)/旧約聖書物語、三省堂(1988徳間文庫) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)   http://www.ukiyo-e.co.jp/73509

1982-04-29現在(2021-08-18更新) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 日本最古の浮世絵専門店

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 *The BEST Japanese Traditional Woodblock Prints, Handmade reproduction (adm. by JUM) 

日本浮世絵博物館・監修 *原画から忠実に複製・復刻現していて、尤も信頼の置けるもの。

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*浮世絵学 復刻・複製の紹介を含む1017の記事、画像が表示されている

*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1002項目であろうか。全知全能を傾けて、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

 

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

*現在、ファックスは使えません。

 

http://www.ukiyo-e.co.jp/69501  ◀ 浮世絵学01/落款(えし)ひらがな五十音順 伝記集成+総目録 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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★★1984山本七平/旧約聖書物語、三省堂 *こちらが初版

1980山本七平/聖書の常識、講談社 http://www.ukiyo-e.co.jp/73988

さすがに専門家で、西暦年代を踏まえながら、所論を展開している。

1984.09三省堂より刊行

(山本七平)裏表紙

聖書は裏替えして読めば、非聖書である。なぜならそれは、人間がいかに聖なる者でないかを証明している書だから。聖なるものは、神のみであり、登場人物は始祖アダム以来、すべて欠点多き人間である。これらの弱い人間がイスラエルという一民族の生成、発展、そして亡国、再生の劇的歴史を通して、何を学んでいくか、旧約聖書は、人類が遺(のこ)した尤も勝れた世界文学でもある。

 旧約聖書を文庫本と同じ体裁にすると、約2,000ページになる。岩波文庫本(文語訳)では1800ページほど

452pp 律法(五書)創世記、出エジプト記、レビ記、民数紀略、申命記  

 

615pp  歴史 ヨシュア記… 王国分裂 北イスラエル、南ユダ

 

 

305pp  諸書(ヨブ記、詩篇、箴言、伝道之書、雅歌)488

 

 

488pp  預言(イザヤ書…マラキ書)

 

(雁註)新約聖書、これはイエスの信仰書

イスラエル史の枠組みのなかで、彼らが何を信じ、どのように行動し、どのように思想を形成し、それによって、いかなる歴史的試練に耐えて来たかを摘記して行こうと勤めた。

(雁註)ここで、旧約、新約の全体の一覧表が便利である。

1937(昭和12)日本聖書協会 ヂ、エチ、ヴァイナル 宮地藤四郎   神戸

律法(五書)       1-304    304pp

歴史書 ヨシュア記ほか  305-722      418pp 

教訓書 ヨブ記      723-924            202pp

預言書 イザヤ書ほか   925-1258          334pp

 

1989和田幹男/聖書年表、聖書地図、女子パウロ会

旧約聖書続偏

 

前1250 モーセ五書、J、E、D、Pの諸史料の編纂により成立。

I   イスラエルの誕生

・太初(はじめ)に神、天地をつくりたまえり 12

 

最古の伝承写本レニングラード写本の冒頭部分

・法規と物語の成立ち 22 

五書を分類、整理して、法規と説話。

後220 ミシュナ(農業、祝祭、婚姻、家族法、民法、刑法、祭儀規定)

旧約聖書:ヘブライ語聖書、新約聖書:ギリシア語聖書

過越祭物語(ペサハ・ハガダー) 物語化

死海文書・外典創世記

 

 

・創世記のアナクロニズム 31

前1150 ペリシテ人が、パレスチナ内陸に出現  *ペリシテ人はギリシャ系

ペリシテ人のパレスチナの内陸の出現は、前1150ころ

 

・ヤコブとイスラエル 40

前1550s  ヤコブ 第三族長

 

前1219 メルネプタハ

ファラオ・メルネプタハ第五年の碑

前1550s ヨセフ

・ヨセフとその兄弟たち 51

前1400 エキソダス 61    *現代ギリシャ語の意は、単なる「出口」 飛行場に書かれている

(雁註)五書は、ユダヤ人の立場で書かれている。すると、エジプトは貴重な必須の労働力であったユダヤ人を解放することは

在りえない。つまり、別の理由があったと考えられる。当時、彼方此方で疫病が蔓延していた。モーゼの手が白くなった云々の記述があり、懐にいれると元に戻った。これはレプラ(癩病)を暗示したものか。当時、怖れられていた感染病のため、エジプトはユダヤ人を追い出した。これが真相である。追い出されたと云われては格好が付かないので、奴隷の身から解放して、エジプトを脱出したという記述にした。

前1290-前1224 ラメセス二世 モーセは、この頃の人物であることが分かる。

ベドウイン、水と牧草地を死守しなければならない。

井戸に手を付けること。勝手に水を汲んで飲むこと。これらをすれば、殺されるかも知れない。

ノマディズム(遊牧民、放浪者)

 

前1250s   モー 70

法典神授の図

(雁註)神から法典を授けられた。カナンの地を与えられた。これらは、ユダヤ人の都合の良いように勝手に記録したもの。

実際に、そのような事実があるなら、何年何月何日、何処で、誰から、その受けた石碑を証拠とて提示しなければならない。

既にカナンに別の人々がいた。つまりユダヤ人は、侵入者で、加害者であった。

・出エジプトの旅程表 79 

(雁註)一説に、モーセの手が白くなって、懐にいれたら、元通りになったと。奴隷の身分を解放して、エジプトから脱出したと記述している。しかし、熟慮すれば、分かるように、エジプトにとって、ユダヤ人は農業に欠かせない貴重な労働力である。そのエジプトがユダヤ人を手放すことは考え難い。つまり、別の理由でエジプトから追い出した。一説に、モーセらは、レプラ(癩病らいびょう)に罹っていた。だから、エジプト人は恐れて、ユダヤ人らを追い出したと考えれば、分かり易い。

1543、南蛮人が九州へ来て、癩病が流行した。しかし、らい病は感染率が弱く、蔓延しない。その症状が似ているので、間違えたので、実ハ、性病であったようだ。だから、瞬く間に蔓延した。広東(かんとん)病と云われていた。

(雁註)また、モーセが十戒(じっかい)を受けたとされるのは、シナイ山ではない。情景も違うし、考古遺物も発見されない。モーセが十戒を受けたと言われる山は、ラウズ山、2500m、アカバ湾の対岸、アラビア側である。ここに考古遺物の金の牛の線刻、多くの足跡が遺されている。むろん、岩から泉が吹き出て、水を確保できた。

 

シナイの岩山

水の無い、このような場所では多くのユダヤ人が住むことは出来ない。

(山本)山羊皮(やぎかわ)の水袋を二つ、ロバに積んでオアシスからオアシスへ行ける行程は、三日が限度。

前1250s  ヨシュア モーセの後継者

ヨシュアと士師(しし)たち 90 *士師(しし)指導者の意

(山本)(ヨシュア紀は)少年時代に、血沸き、肉踊るの思いで読んだ一種の講談のように思い出される。

(山本)ヤーウェを信ずる一つの契約集団として一民族を形成した。

 

ハゾルの遺跡

(雁註)イスラエル北部、メギドはある。ハゾルも、その周辺か。

・ペリシテとイスラエル 100

ラメセス三世の神殿の浮彫り(上)

ペリシテ人の石棺の顔(下)

前1250s-前1150s ペリシテ人

(雁註)ペリシテ人 前1250s-前1150s、東地中海で活躍した海の民(海洋民族)。エーゲ海からカナーン(パレスチナ)に侵入し、交通通商の要所ガザからカルメル山南方のドルに至る沿岸南部に定住して五大都市を建て、北方フェニキア諸都市と地中海交易を競った。始めて、カナーンに鉄製武器を導入した。セム人の神々を拝していた。カナーンに侵入してきたイスラエル人の最大の敵であった。前750s、アッシリアに朝貢。前550エジプトに朝貢。前332、アレクサンドロス大王に攻略され、歴史上から姿を消す。 

 

前1196-1164 ラメセス三世

(山本)エジプトのラメセス三世、ペリシテ人をシリアとエジプトで撃退した。

ペリシテ人は、ヒッタイトから鉄を手にいれて、強大になった。鉄のスキなど農具で耕地を開拓した。

貯水槽も開発。N史料(遊牧民)

怪力サムソンは、ペリシテ人と対抗しつつ、ペリシテ人の女に惹かれ、ペリシテに捕らえられた。(士師記シシキ)

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II  王と預言者の時代

前1040- サムエル(預言者)

・サムエルとサウル 110

 

戦闘斧を振るペリシテの勇士

(雁註)ペリシテ人の画像、他にないのだろうか。そして、大きな斧、これを如何に身に付けていたのだろう。この戦闘員は左利き。右手に持っている棒状のものは何か。

(山本)前1130s、牛車と船を利用して、小アジアから東地中海一帯へと、つまり北から南下した。ペリシテ人は、鉄の武器と戦車をもつ戦闘集団として南下し、おそらくエジプトの傭兵(ようへい)となった。職業的戦士であった。

(山本)主の箱が、陣営に届いた時、イスラエル人は大声で叫んだ。ペリシテ人は、怖れた。

鉄器時代は、ラクダが家畜化された時代。大きな行動半径をもつ遊牧民。

サムエルは預言者的指導者。サウルはサムエルに見出され、王となり、終身、士師(シシ)、つまり軍事的指導者。

軍事と祭儀は裏表、祭儀権は、どちらにあったのか。

・サウルとダビデ 119

前1030-1010 サウル イスラエル最初の王

後のノブの祭司団… 122

燔祭(はんさい)、牧畜民が天にいる神に、全てを焼いて捧げる動物の供犠。

油を注がれて、王となる。戦士ダビデは魅力ある青年で、サウルが気に入り、武器持ちとなった。

(雁註)油を注がれるというのは、実際にどのような油か

南ユダの荒野 

サウルは、南ユダの荒野へ逃げたダビデを追跡した

前132 パル・コホバ、ローマ軍に対してゲリラ戦をした要害。ワディ、岩窟、横穴、絶壁、断崖。)

ダビデは、牧畜民を保護し、貢ぎ物をとって、四百人の集団を維持していた。

水のありかを知らなければ、命を落とす。

ダビデは、宿敵ペリシテ人ガテの王アキシのもとへ奔った。ここでペリシテ人の戦技を身に付けた。

・ダビデの登位 128

前1010-前970 ダビデ王国

イスラエルは彼らの自称で、ヘブル(イーブリ)びととは別か。

ハビルは、牧畜民で、農民と契約を結び、農産物の提供を受ける。

その反対給付として、畜産品の供給、労務の提供、交通、運輸、通商の媒介、情報の提供を行った。

時に傭兵として別の遊牧民からの襲撃から農村を守った。

サウルは、自分が追放した口寄せの女にサムエルを呼び出して貰った。

サウルは、地にひれ伏した。旧約に、来世はない。人は死ねばシェオールに下っていく。

それは墓を象徴するような場所、神も関与しない場所だとされる。

宗教とは、現世に神の支配下にあることで、来世の幸福を保証してくれるところではない

ダビデはユダのヘブロンに移駐し、ユダの人々から 油を注がれて王となった。

ダビデはペリシテを撃破した。ペリシテ人は歴史の舞台から消えていった。

前135、ローマ皇帝ハドリアヌスは、エルサレムをアエリア・カピトリーナと変え、

シリアを併合し、シリア・パレスチナ州とした。

 

エズレルの野

・聖都エルサレムのはじまり 138

エブスびとの要塞都市エルサレム。要害(ギリシャ語読みで、シオン)。

かってのイスラエルの中心は、シロの聖所であり、これが宗教連合体制の統合の中心であった。

聖所とは、主の契約の箱が安置される場所である。

ギホンの泉

ダビデの女性関係は乱脈であった。

いまのシリアのハマから、シナイの中央を北に流れるワディ・エル・アリシュまで広げた。

ダビデは、卑劣な手段で、誠実なウリヤを殺して、その妻・バテシバを後宮に入れた。

前970-前931 ソロモン王の治世

バテシバの生んだ第二子が、後のソロモンである。ダビデは、史官、書記官の制度を造った。

ソロモンは神殿を建てた。後にネブカドネザル王により破壊された。捕囚帰還後、再建。

ヘロデ王の時、拡張されて大神殿となった。

これも、後70、ローマ軍により破壊された。その台地と聖岩は残っている。

前1,000から、聖岩とギホンの泉は、変わらない。

モスクの中の聖岩

・アブサロムの物語 148

(山本)聖なるものは神のみで、登場人物は始祖アダム以来、すべて欠点多き人間である。従って、聖人は登場しない。殺人、強姦、裏切り、兄妹相姦、兄弟殺し、子を殺して食う話、あらゆる残虐行為…すべてある。

アブサロム、ダビデ王の子。 

 

エフライムの山地

(雁註)エフライム 北はメクメタテ、南はベテ・ホロンゲゼルに及ぶ中央パレスチナの丘陵地帯であり、パレスチナの中で、もっとも豊かな地域の一つである。聖書の中でエフライムは重要な位置を占めて、シロとベテルが礼拝の中心地になった。

ヨシュアとエルアザルの墓はエフライムの山地にあった。

ソロモンの王国 163

ソロモンの神殿平面図

ソロモン時代、エジプト、アッシリアの二強大国は衰退していた。

前961 王位継承は血腥(ちなまぐさ)いものであった。

シバ(シェバ)の女王、南方から来た。

当時のイスラエルは、後進国。先進国のフェニキア、エジプトから技術、制度、文物を輸入していた。いわゆる通婚政策。

妻700人、側妾300人。

北10部族の離反

前945-前725 2)南北二王国時代  *エジプト第22王朝

前931-前910 ヤロブアム 北王国イスラエル

・王国分裂、アハブ王とエリヤ 172

レハベアムは、事態を理解できず、徴募の監督アドラムを派遣した。民はアドラムを石で撃ち殺した。レハベアム王は、急いで車に乘ってシケムを後にし、エルサレムに逃げ帰った。北の10部族を纏めるため、ペテルとダンに聖所を造り、金の子牛を造った。

北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂した。

前931-914 レハブアム 南王国ユダ

アハブ(オムリ王の息子)とイゼベル(フェニキア)の結婚は、フェニキアのバアル神の導入となった。イゼベルから見ると、イスラエルは後進国であった。

サマリアのアハブ時代の城壁(上)

バアル崇拝を示す多産の女神像(下) 

(雁註)多産の女神は、性病(梅毒)を蔓延させた原因であったかも知れない。日本でも1543以降、ポルトガル人など南蛮人が来るようになり、癩病が増えたと記録されている。しかし、実際は癩病でなく性病(梅毒)であったから、あっと云う間に拡がったに違いない。

前850s エリア

預言者エリヤが現われ。旱魃(かんばつ)で飢饉の時、雨乞の競争をした。バアルの預言者450人を相手に、エリヤの勝ちとなった。バアルの預言者を捕らえ、全員を殺した。イゼベルは復讐を決心し、エリヤに通告。彼はシナイに逃れた。

イスラエルの王は、専制君主ではあり得なかった。彼の上に全能の神がいた。従って預言者の糾弾を受けたとき、ダビデであれ、アハブであれ、改悛(かいしゅん)の情を示す以外に方法がなかった。この頃、罪は子に及ぶと信じられていた。後に罪は個人に属するとされるの申命記(しんめいき)の時代。異教との闘争、神の意志に叛いた王への糾弾。ヤアウエ主義の王朝は、バアル主義者(イゼベル)を一掃した。

分裂前のイスラエル(右)

分裂後のイスラエル(左)

 

・アモスとホセア 183

モアブの王メシヤの碑文

前885-前874 メシヤ:モアブの王

サマリアは、ソロモン時代のような栄華を謳歌するようになった。外部から流入する富は貧富の懸隔を拡大し、社会的不義が横行するようになった。

救済は現世で行われねばならない。祭儀的祈祷、聖職者の勤行では達成できない。社会正義を実現して達成する。申命記による革命に帰結する考え方で、他の宗教に類例がない。

神は絶対的な愛である。従ってイスラエルも全身、全霊をつくして主なる神をを愛さなければならない。

前775-前750 アモス 最初の預言者

前730s-前743 ホセア

アモス、ホセアは記述預言者。聖書の思想を貫いている。

以前のエリヤ、エリシヤらの預言者は自ら記述したのではない。

・北王国イスラエルの滅亡 192

黒色のオベリスク

オムリの子エヒウが、シャルマネセル三世の前に跪(ひざまず)き、家臣が貢ぎ物を運んでいる。これは事実か

アッシリアのサハルマネセル三世が建てた戦勝碑

前926 ソロモンの死後、分裂した。200余年しか続かなかった

前885-前874 オムリ

前875 サマリア遷都

前874-前853 アハブ

前853 アッシリヤイスラエル12の小国家連合軍(アハブ王)との闘い エジプトは弱体化

*朝貢の重荷に耐えられなくなったか

前722-前721 北王国イスラエルは、アッシリアのサルゴン二世により滅ぼされた。

アッシリヤは、サマリア占領地で、他の民を移住させ、民を混交させ、新旧を反目させ、宗教混交、文化混交政策をとった。

このため、北は純粋なヤハウエ信仰を持っていないと、南から見られた。後、決定的分裂となり、ユダヤ教団とサマリヤ教団となった。サマリヤ教徒は400人ほどいて、ゲリジムの山(881m)で古い過越祭りをしている。

アッシリア帝国とヒゼキヤ王 201

前750s-前650s

包囲される前に、水を確保。地下水道。勾配は1 mで4 mm。排気、照明は?

前701 セナケリブが大軍で進撃してきた。小国同盟は降伏。ユダ王国だけ、ラキシで、投石索、弓で防戦して戦った。 火の付いた松明を投げて、敵の攻城機を焼き払う

トンネルの完成を記した碑文

 

ラキシ包囲戦の壁面彫刻

 

ヒゼキヤの築いた城壁

 

前716-前987在位 ヒゼキヤ 第13代ユダ王

・預言者イザヤとミカ 212

ヒゼキヤは、アッシリアの異教、偶像崇拝を除去した。

アッシリヤのラブシャケは、居丈高に優位を述べた。

預言者イザヤ 一つの霊をアッシリアに送り、一つの噂を効かせ、自分の国へ帰らせて、つるぎに倒される。

エルサレム不滅の強い自主独立の信仰があった。ユダ王国が頼むものは、主なる神だけである。

アッシリアの陣営で、185,000人が皆、死体となっていた。疫病ペストと考えられる。セナケリブは、ニネベに帰っていたが、神殿で息子らに殺された。ユダの部族体制は壊滅した。

イスラエルの捕虜(右)とアッシリア兵(左)

・最初の革命 221

1 現在の体制を絶対化。

2 現在の体制を破壊して、新しい社会を創立。

3 新しい社会は、義を確立する。

前621 ユダのヨシヤ王、申命記革命

前444 エズラによるトーラーによる革命(革命的再建)

衣を裂いた 最大の嘆きの表現

王といえども、契約を守らねばならない。専制君主では在りえない。

律法の写し、第二の律法。申命記(しんめいき)。神が命ずるすべての事を守って行わねばならない。これに付け加えてはならない。また減らしてはならない。勝手に改訂することは許されない。

・ヨシア王と申命(しんめい)典記者 229

地の民(ハム・ハーレツ、独立自営農民)が社会の中心を形成しつつあった。

アッシリアの異教の器、偶像崇拝のアシラの像を焼き、祭壇を毀した。

過ぎ越し祭は、ヨシヤ王の時からで、モーセやヨシュアの時代ではない。

口寄せ、占い師、テラピム(家神、家にある小偶像)と偶像を取り除いた。

プラトン(ディオン)と申命典記者の共通点、

法を王の上に置く どのような法を政治の上に置くべきかが問われる

ヨシヤ王の革命は、実際と理想の間で振り子のように動き、最期、メギドでエジプトのパロ(ファラオ)ネコとの闘いで戦死、そして終わった。

旧約聖書は、占いを禁じている

・聖書の社会保障 237 

(山本)社会保障、相互扶助宗教的、法的義務としたのは聖書が始めてであろう。

ベドウインの主食・種なしパン

・ユダ最期の日々 247

エルサレム占領にふれたバビロニア年代記

 

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III 亡国の民 

・バビロンの捕囚 258

前721 アッシリアによる北イスラエル十部族の捕囚 

*指導者階級の逮捕、移送。捕囚三回を合計しても4,000人ほど。成人男子。家族を含めると15,000人ほど

*ユダヤの人口、25万人。

*エゼキエル 預言者の活動 神殿、祭儀、祭司制度は失われたので、祝祭日の祭儀的祝祭より安息日礼拝が主体

*集会所(シナゴーグ)で、律法の朗読、祈祷(きとう)が宗教の中心となった キリスト教の日曜礼拝の起源となった

前600 アッシリア帝国の崩壊 バビロニア帝国の勃興

ユダ、ユダヤ人総督ゲダリヤが統治していたが、過激派のイシマエルにより暗殺された。

前586-前538 第二次バビロン捕囚 神殿破壊

前583 第三次バビロン捕囚 ユダをサマリヤ(バビロニアが任命)総督の統治下。自治権を奪われた。

前549 ペルシャのキュロスがメディア、リュディアを征服。バビロニア帝国の衰退。

前539 バビロンに迫り

前538 旧バビロニアを支配下とした。寛容政策で、全捕囚民の解放、帰還許可をした。

*ゼルバベル(ダビデ王家、政治的指導者)、ヨシュア(司祭、宗教的指導者) 42,360人が逐次(ちくじ)帰還。

前522 ペルシャ王カンピュセスの死。

前516 捕囚帰還、神殿再建(預言者ハガイ、ゼカリヤらの激励) バビロン捕囚の七十年は「七」と特殊な数とする伝統

バビロン捕囚は民族が悉く移住されたのではない。

*申命典・記者 申命記(しんめいき)、サムエル記、列王記を編纂

苦難の僕(しもべ)が後代のキリスト教に影響を与えている。エゼキエル、第二イザヤ(キリスト?)

前445 エネミアがエルサレムに帰還し、城壁を修復、都市の整備 エズラも五書を公布 宗教共同体のユダヤが成立

*書物の民 書物の宗教 農業と牧畜から、商業と金融へ進出 ムラシュ(一種の財閥)

*エレミヤ、捕囚の地の預言者・エゼキエル

前538 キュロス王

エルサレム帰還を許可したキュロス王の円筒印章

 

・エゼキエル 268

・謎の詩、謎の詩人  277

・旧約、新約ー旧い契約と新しい契約 296

旧約 契約書(神との契約)

新約 契約書の抜書(改訂、再認、付加) *どうして契約なのか理解できない(政治学者、小室直樹)

*新しい契約とは、新約聖書のことを予言しているのでなく、エズラとネヘミヤによるトーラー(律法)に基づき共同体のことを意味している。

・エズラとネヘミヤ 306

 捕囚の民の信仰 バビロニアは滅び、ペルシャのキュロス王は捕囚の民を解放した

 前520 神殿再建 ペルシャ帝国の一自治体に過ぎない 律法を守るものが神の民、守らないものは神の民ではない

 前444 エズラとネヘミヤ共同で改革を行った エルサレムの支配階級はサマリアと密接な関係があり、ネヘミヤを殺害しようとした。

 城壁は52日を経て、エルルの月の25日に完成した 独立の宗教共同体

 神の律法を守るか守らないか 異教徒と結婚している者は、離婚して、妻を追い出さねばならなかった

 アアメン、アアメン 頭を垂れ、地にひれ伏して主を拝した

 総督であるネヘミヤ、祭司・学者であるエズラ、民を教えるレビびとは、すべての人々に、あなた方の神、主の聖なる日。すべての民は律法の言葉を聞いて泣いた。

 律法の教師(ラビ) 神殿とは切り離した形、青空の下で行った。後に建物の中で行い、会堂(シナゴーグ)となった。

 神殿の祭司より、教師ラビが宗教的権威となった。

 宗教が個人的なものとなった。

1 個人の意志で律法を守る マカバイ時代に強靭となり、指導者を捕囚しても、他は従わなくなった。

2 律法主義 ただし、律法が神ではない。

3 律法を守っていれば報われる。貧しく不孝なものは、律法を守っていないからだという世俗的智恵が助長されてくる

4 預言者の声は消える。

当時のパレスチナ

 

・旧約聖書のはじめにコトバあり 316

(雁註)コトバは、何時、何処に、如何ように刻まれ、また書かれていたのだろうか。

(山本)新約聖書はギリシャ語で書かれている。

前250s  旧約聖書のギリシャ語古代訳(七十人訳)

はじめに、神、天と地を造りたまえり。(創世記)

はじめに、神、智恵(賢きもの)を造りたまえり。

コトバ(ロゴス)が居られた。コトバ(ロゴス)は神であった。一切のものは、この方によって出来た。

*人格的対象であった

(雁註)神? が一切のものを造ったという。支那でも、日本でも、それでは神は誰が造ったと詰問している。宣教師は答えられなかった。ユダヤ教(キリスト教)では、無から有を造ったという立場であるが、これは物理学では在りえない。

 

・聖書と医術 326

・ヨブと神とサタン 335

前400 ヨブ記 

(サタン)神を信じるのは御利益があるから…    神そのものを絶対視していない

ヨブは全身に腫れ物が生じ(伝染病)町の外の「ごみ溜」のようなところにいた。

聖書は、因果応報を否定している。ヨブ記は文学。

神との契約は、個々の人のもので、自ずからの宗教を死をもって守り抜ける状態になっていた。

・マカバイ王朝の成立 344

前334 アレクサンドロス大王は東征、前323、バビロンで没す、

旧約から新約の間、200年間を繋ぐもの、外典(マカバイ記)

前168 シリア軍と戦った。五人の子の三男が尤も勇敢で鉄槌(マカビー)と渾名を付けられた。

前167.12.07 アンティオコス四世エピファネース。ユダの町の彼方此方に、ゼウス像を立てヘレニズムを強要した。

ユダヤの律法を持っているものを死刑にした。ユダヤの宗教を棄てさせるために、迫害、弾圧、虐殺した。

七人の息子と母親の殉教

律法で禁じられている豚を食べろと強要された。先祖の律法に背くくらいなら死を選ぶ

律法と義の道を守る。父祖の契約によって歩む。しかし、後、ユダ・マカバイ王朝は専制君主となっていった。

前6-後70 イエス誕生 ヘロデ時代、紀元70のイスラエル滅亡(ヨセフスの二著)

・黙示文学ダニエル書 353 旧約の終り、新約の始まり 

前168-前164 ダニエル書、成る

それぞれの獣 アッシリア、バビロニア、ペルシャ(メディア)、アレクサンドロス、セレウコス(シリア)、

前3000-前610 アッシリア チグリス・ユーフラテス川の北の地域 交易、通商、好戦的民族

バビロニア 農耕・定住民族

前1830-前1530 バビロン第一王朝 西セム系のアムル人(アッカド語)

 

前550s-前330 キュロス アケネメス王朝

 ペルシャ(メディア)

前356-前323 アレクサンドロス

前358-前280-前63 セレウコス(シリア) 首都アンチオキア(シリア) 最期、ローマ軍により滅亡

前247-後226 パルティア ササン朝ペルシャにより滅亡

後226-651 ササン朝ペルシャ(ゾロアスター) イスラムにより滅亡

・旧約聖書のキリスト 367

イエス ヨシュア(ヘブライ語) イエスース(ギリシャ語) (雁註)IHS 

イエスース・ホ・ナザレーノス ナザレのイエス

キリスト クリオー(塗油する、ギリシャ語)クリーストス(ギリシャ語) マーシャ(ヘブライ語)、メシア(アラム語)

前250s ギリシャ語古代訳 クリーストス 

シナイ半島では、水のみ注意報 咽喉が乾いたと感ずる前に脱水症状を起こす 

前63 ポンペイウス エルサレム攻略 マカバイ朝末期の内紛、弾圧、政争

後132 第二次ユダヤ叛乱

(解説)矢代精一

(写真)善養寺康之

 

何か御気付きの点があれば、御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 浮世絵鑑定家

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電話03-3591-4678  携帯090-8171-7668

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