浮世絵学04/誠忠義士傳 1847國芳/誠忠義士傳 全51 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) http://www.ukiyo-e.co.jp/84044
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1982-04-29現在(2021-12-25更新) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

*浮世絵学 記事一覧 *検索  ↓ここをクリック 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 

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[落款][らっかん][外題][げだい][内題][ないだい] *検索できる

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 日本最古の浮世絵専門店

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 *The BEST Japanese Traditional Woodblock Prints, Handmade reproduction (adm. by JUM) 

日本浮世絵博物館・監修 *原画から忠実に複製・復刻現していて、尤も信頼の置けるもの。


*浮世絵学 記事一覧 *検索 ↓ここをクリック 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,114項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

 

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

*現在、ファックスは使えません。

 

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◎1847(弘化4)國芳/誠忠義士傳 全51 四十七士+塩谷判官+高野師直+早野勘平+家僕塵三郎 
 
2021-12-10國芳/誠忠義士傳_全51  [〇△▢] *実名と違うものもある。
 
赤穂義士 四十七名、実名 五十音 全47 [國芳/誠忠義士傳] 数字(享年)
*講談の泉岳寺書上は、皆、嘘ばかりで、全く信用できない。(三田村鳶魚)
*義人録というものによて、赤穂浪士四十六人というものは、ほとんど偶像化されてしまった。(室 鳩巣/義人録/三田村鳶魚全集(16)181.pp)
*寺坂は足軽で、除外されているので、四十六名

赤埴源藏重賢(七)[阪垣源藏正堅]35 あかはに

赤埴源藏重賢(七)

 

磯貝十郎左衛門正久(十)[礒貝重郎右衛門正久]25

磯貝十郎左衛門正久(十)

 

潮田又之丞高教(廿八)[潮田正之丞高教]35

潮田又之丞高教(廿八)

 

大石内藏助良雄(一)[大星由良之助藤原良雄]45

大石内藏助良雄(一) 

木造の壽像があり、丸い顔をしている。 

この後、丸い顔に改めている。

 良雄ハ父由良之助の名跡を嗣し也 母ハ備前家 伊毛田氏の女にて母方の親戚なりといふ 良雄 播州赤尾に在て 長臣たる故に國政を司執 民百姓を憐ミ慈愛す ゆゑに帰伏して親の如くにうやまひ随へり 主家(しゅか)不慮に滅亡し 一城悉く離散すといへども 敵の安穏なる事 遺恨に絶ず 自其首長となり志し金鉄の如き武士 四十余人盟約を堅(かため)不意に敵邸に夜討して 敵師直の首級を申請(もうしうけ)主君の墓前に備て 日頃の鬱憤をはらし 本懐を遂たり 其苦身反問の智計 古今未聞の忠誠 義膽(ぎたん)人口に膾炙(かいしゃ)して世に知る所なり 良雄 武術に秀 軍學ハ甲州流にして 山鹿甚五右衛門素行の高弟なり 奥儀を極めて 士卒の係引に妙を得たり 其子十六才 良金(よしかね)父に随て背(そむか)ず 妻も貞節を守て義に死す 忠孝貞 全きハ實に勇士の鑑といふべし 

 万山不重君命重 髭不輕我命輕 應需 一筆葊誌 

*なかなかの遊び人だったとの記録もある。お軽は、芝居では勘平の恋人である。実際のお軽は、大石の愛人である。

大石瀬左衛門信清(三十二)[大星清左衛門信清]27

大石瀬左衛門信清(三十二)

 

大石主税良金(二)[大星力彌良兼]16

大石主税良金(二)

大高源五忠雄(十四)[大鷹玄吾忠雄]32

大高源五忠雄(十四)

 

岡嶋八十右衛門常樹(十七)[岡島弥惣右衛門常樹]38

岡嶋八十右衛門常樹(十七)

岡野金右衛門包秀(十一)[岡野銀右衛門包秀]24

岡野金右衛門包秀(十一)

奥田貞右衛門行高(二十)[徳田貞右衛門行高]26

奥田貞右衛門行高(二十)

奥田孫太夫重盛(三十七)[徳田孫太夫重盛]57

奥田孫太夫重盛(三十七)

小野寺幸右衛門秀富(三十)[小野寺藤右衛門秀留]28

小野寺幸右衛門秀富(三十)

小野寺十内秀和(九)[小野寺重内秀知]61

小野寺十内秀和(九)

 

貝賀弥左衛門友信(四十八)[甲斐田弥太右衛門友信]54  かいが

貝賀弥左衛門友信(四十八)

片岡源五左衛門(十五)[片岡傳五右衛門高房]37

片岡源五左衛門(十五)

勝田新左衛門武尭(廿三)[勝多真右衛門武尭]24

勝田新左衛門武尭(廿三)

神崎与五郎則休(十二)[千嵜矢五郎則休]38

神崎与五郎則休(十二)

木村岡右衛門貞行(廿二)[木浦岡右衛門貞行]46

木村岡右衛門貞行(廿二)

倉橋伝助武幸(廿五)[倉橋傳助武幸]34

倉橋伝助武幸(廿五)

菅谷半之丞政利(三十三)[菅谷三之丞正利]44 すがや

菅谷半之丞政利(三十三)

杉野十兵次次房(四十五)[杉野重平次次房]28

杉野十兵次次房(四十五)

千馬三郎兵衛光忠(三十一)[千葉三郎平満忠]51

千葉三郎兵衛光忠(三十一)

竹林唯七隆重(廿四)[武林定七隆重]32

竹林唯七隆重(廿四)

近松勘六行重(五)[近松諌六行重]34

近松勘六行重(五)

茅野和助常成(三十五)[茅野輪助常成]37 かやの

茅野和助常成(三十五)

寺坂吉右衛門信行(十八)[寺岡平右衛門信行]35 *処分されなかった

寺坂吉右衛門信行(十八)

富森助右衛門正因(廿七)[富守祐右衛門正周]34 とみのもり

富森助右衛門正因(廿七)

中村勘助正辰(十六)[中村諌助匡辰]48

中村勘助正辰(十六)

間喜兵衛光延(四十三)[矢間喜平光延]69

間喜兵衛光延(四十三)

間重治郎光興(十三)[矢間重治郎元興]26

間重治郎光興(十三)

間新六光風(四十)[矢間真六光風]23

間新六光風(四十)

早水藤左衛門満尭(廿九)[早水総左衛門満尭]40

早水藤左衛門満尭(廿九)

原惣右衛門元辰(四十六)[原郷右衛門元辰]56

原惣右衛門元辰(四十六)

不破数右衛門正種(四)[不羽勝右衛門正種]34

不破数右衛門正種(四)

堀部安兵衛武庸(三十四)[織部易兵衛武庸]34 たけつね

織部易兵衛武庸(34)

 

堀部弥兵衛金丸(廿一)[織部弥兵衛金丸]77

堀部弥兵衛金丸(廿一)

間瀬久太夫正明(四十四)[間瀬宙太夫正明]63

間瀬久太夫正明(四十四)

間瀬孫九郎正辰(四十一)[間瀬孫四郎正辰]23

間瀬孫九郎正辰(四十一)

前原伊助定房(廿六)[前原江助宗房]40

前原伊助定房(廿六)

三村次郎左衛門包常(四十九)[三浦治郎右衛門包常]37

三村次郎左衛門包常(四十九)

村松喜兵衛秀直(十九)[村松半太夫高直]64

村松喜兵衛秀直(十九)

村松三太夫高直(四十二)[浦松喜兵衛秀直入道隆圓]27

村松三太夫高直(四十二)

矢田五郎右衛門助武(三十六)[矢多五郎右衛門祐武]29

矢田五郎右衛門助武(三十六)

矢頭右衛門七教兼(三)[矢頭與茂七教兼]18 やとう 美童

矢頭右衛門七教兼(三)

横川勘平宗利(八)[横川三平宗則]37

横川勘平宗利(八)

吉田定右衛門兼貞(六)[吉田定右衛門兼貞]29

吉田沢右衛門兼貞(六)

吉田忠左衛門兼亮(五十)[芳田忠左衛門兼亮]64

吉田忠左衛門兼亮(五十)

(四十七士以外)全4

塩谷判官高貞(三十九) [浅野長矩](1667-1701)(33) ながのり 義央より26歳年下

*長矩は、吝(しわ)くなり、大判一枚(小判10枚)の禮物にまで、干渉した。後で渡せば良いと判断した。しかし、これは吉良側から見ると、慣例の付け届けを拒否したように受け取られた。

*モダンな勘定高の大名

塩谷判官高貞(三十九)[浅野長矩]

 塩谷高貞ハ 文武に長し 代々其家声 連綿として近国に仁慈を施す聞へ有て 謹素温柔の生質也 常に家士(かし)を寵育し慈愛を加へ仁徳を重じ 疎暴の行ひ有事なし 然バ其心深く下に入にあらずんバ 誰か其恩を顧(かえり)ミ 亡君の為に死を殉(との)ふる義士有べき 斯る忠臣を得る事かたし 主君の明徳あきらかにして 仁慈厚き所以なり 高貞の遺恨に忍(しのび)ず 時日 場所柄を弁(わきまへ)ず刃傷に及し事 暗昧の君と謂べからず 必中心忍に堪ず 曾て當時ハ未戦国を去る事 遠からず 治世の化(くわ) 猶浅けれバ 風俗自ずから質撲にして 禮譲を以て 人に下る事を[よハ]しとし 動もすれバ闘争に及び 武を尚(たつと)び 文をうとんずる心よりして 短慮のなす所にあらず 師直 数(しばしば)高貞を辱(はづか)しめ罵(ののし)り 大使饗應の日に當て指揮を違へ 数度の恥辱を受ても再度應 心を取直せど 其怒六腑を貫き 鬱憤散じがたく 止事を得ず 槙の廊下に於て 師直に切付けしに 勝川に抱留られ 奮脱(いかりふりはな)さんとせしに大勢に隔(へだて)られ 師直を討留ず 騒動静りて 高貞にハ死を給へども 師直 存命にして 塩谷の領地没収せられ 家 断絶す 斯において 日頃 恩顧の家臣遺憾に不堪 国乱て忠臣顕るゝの祥 是より起り 大星以下四十余人 義を金鉄よりも堅く同盟誓約して亡君の遺命を継 墓前に敵の首級を備へて 禮を祀るに至れり 義士誠忠の志し神明感應有て 本懐を遂 勇名四海にとゞろき 忠臣の鑑となすこと武門の譽れと謂(いひ)つべきなり 

                             應需 一筆葊誌 

 

*天和三年の二月に勅使が下りました時に、御馳走役をつとめておりますから、元禄十四年につとめましたのは、二度目であります。(二度目の御馳走役/三田村鳶魚全集(16)185.pp)

*御馳走役の大名は、いろいろ打ち合わせしたり、指図を受けたりする。御世話をかけるというので、大概、金馬代一枚、金一枚づつ付け届けする例になっております。(二度目の御馳走役/三田村鳶魚全集(16)185.pp)

*付け届けは、こういうものですから、賄賂じゃない、挨拶なのであります。江戸時代には、大名でなくても、手ぶらで人の家へ行くものじゃない。といって、下々の者まで、僅かなものでも持って行く習慣がありました。(当世風な殿様/三田村鳶魚全集(16)186.pp)

*うまれつき至極、短慮にして、すぐれて吝嗇(りんしょく)強くして、人の云ふ事を少も聞入れぬ性質なり(当世風な殿様/三田村鳶魚全集(16)186.pp)

*浅野長矩は、饗応について倹約したことから起こっている。禮物の金一枚、大判一枚というものは、小判十両で、それをさきに持って行くことをよせ、あとで持って行けばいい、といったのは、まず頼みに行く時に一枚贈り、事が済んでからその禮に一枚贈る、都合二枚になるので、はじめに贈らなくもいいと言ったので、つまるところで、金一枚…(小宮山南梁/秋の田面)*多少、意味の判り難い文章である。(当世風な殿様/三田村鳶魚全集(16)188.pp)

*赤穂の浅野家が潰れて、ところの者はかえって悪政がやんだといって喜んだ。(菅茶山/亡国弊政・筆のすさび/三田村鳶魚全集(16)189.pp))

*赤穂の政務は大野氏が上席で万事を取り計らっておったので、民は収斂(しゅうれん)に堪えないで弱っていた。家が潰れたので、人民は大喜びで、餅を搗いて賑わした。(伴蒿蹊/閑田次筆/三田村鳶魚全集(16)189.pp)

*長矩に用いられた大野九郎兵衛は、算盤の人間で、勘定高い、配分を争って金、五万石の大名で二、三万両お納戸金があったと言われている。

*長矩、軽率、短慮でお方であったと、書かれている。(長矩の軽率/当世風な殿様/三田村鳶魚全集(16)192.pp)

 

高野武藏守師直(三十八) [吉良義央](1641-1702)(60) *よしひさ(この読みが正しい)

 不義にして 富貴ハ 浮雲の如し 一人 貪戻(たんれい)なれバ 一国 乱を起す 高野師直 強欲無慙(むざん)にして 権威を恣(ほしひまゝ)にし 利に走り財を貪り 終に其身を殺し 其家を失ひ 汚名を千載に流布傳演(でんえん)す 豈(あに)傷(いたま)しからずや 是皆己が分限を知らず 役義を頼て列侯を凌ぎ 不義の財を掠奪するによれり 抑(そもそも)寉が岡 奉幣使 参向ハ毎歳に在りて 饗應司を命ぜられ 例年の格式を以て 相勤る事なり 今度 塩谷 桃井両侯 厳命を蒙り 其作法故実の指揮ハ 高野師直老幼に依て承(うけたまわ)る所なり 両侯 退出有て 桃井若狭之助ハ家隷(けらい)加古川本藏に其旨を傳へいれしに 兼て師直の強慾の生質を捜(さぐ)り知れけれバ 音進(いんしん)の賄賂丁寧を盡し 其指揮を乞けれども 塩谷判官高貞の家隷 粕井藤江ハ生徳 吝嗇(りんしょく)にして臨機應変の術を志らず 其事を用ざれバ 師直 深く塩谷の疎畧 等閑(なほざり)なるを憤り 再應満座の中にて 高貞に恥辱を与へ 猶遅参を咎め 其職に在て 役儀に怠るハ不忠なりと罵りけるに 高貞 殆當惑赤面して 師直の奸曲邪智の振舞を憤り 鎌倉営中といへども 堪忍に及びがたく 刃傷(にんじょう)に至る 惜(おしい)かな 数代有職(ゆうしょく)の家として 殿中故老と称せられ 大国の諸侯も 敢て師直に杭禮するものなきに超過し 驕慢に長じて滅亡の所以となること 武門の道を忘れ 禄を盗 人面獣心 天道 其罪を糺(ただ)し給ふことの 明かなる恐れ 謹むべきハ 奸悪非道の行ひなり 

                           應需 一筆葊誌

*かなり事実と違う。吉良義央(よしひさ)は三河幡豆郡(はずごおり)の名君であった。淨瑠璃、歌舞妓、講談などで、歪曲化され、虚構が一般化してしまった。様々な悪口が言われているが、しっかりしたものは何もない。

*この画像は、如何にも悪人そのもののように描かれている。

 

 

早野勘平常世(四十七)(1675-1702)(26) 実在の人物は、萱野 重実 かやの しげざね

 

早野勘平常世 

既に亡くなっているいるので、顔が青白く彩られている

鹿松諌六家僕塵三郎(大尾)

鹿松諌六家僕塵三郎(大尾)

 

典拠)鳶魚は、史料を博捜し、吉良義央(よしひさ)の実像を書いている。歌舞伎その他は虚構。

1909(明治42.12)福本日南/元禄快挙録、啓成社   *歌舞伎その他から影響されていて、史実と違っている

1910(明治43.05)三田村鳶魚/元禄快挙別録、啓成社 225ページ

1910(明治43.05.01)三田村鳶魚/赤穂義士遺聞*/公弁法親王と赤穂義徒処分/日本及日本人

1913(大正2.12.15)三田村鳶魚/赤穂義士遺聞*/当夜の小林平八郎/日本及日本人

1930(昭和5.06)三田村鳶魚/横から見た・赤穂義士、民友社 358 ページ 口述筆記(柴田宵曲)

1978(昭和53)田原嗣郎(1924- )/赤穂四十六士論、吉川弘文館

*將軍と大名、大名と家臣 二重構造で、武士の義理の構造を捉えている。天皇と將軍(征夷大将軍の称号を受ける)

赤穂浪士が吉良邸を襲った直後から、喧々諤々の論争があった。しかし、かなりの論者は義士と認めていない。主君の無念を晴らすと言いながら、吉良の首級を取って、直ぐに自決していない。大目付に自首して、あわよくば、切腹を免れ、再士官しようという魂胆も見えている。

浮世絵学04/誠忠義士傳 1847國芳/誠忠義士傳 全51 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 
 
浮世絵学04/忠臣義心傳 1847-1848國芳/忠臣義心傳_全18 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 
 
浮世絵学04/忠雄義臣録 1846-1849豊國3/忠雄義臣録_12項目 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
 
浮世絵学04/元禄快挙録 1909福本日南/元禄快挙録、啓成社 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)
 
浮世絵学04/元禄快挙別録 1975三田村鳶魚/三田村鳶魚全集(16)、中央公論社 
 
浮世絵学04/赤穂四十六士論 1977田原嗣郎(1924- )/赤穂四十六士論、吉川弘文館 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) http://www.ukiyo-e.co.jp/840808
 

何か御気付きの点があれば、御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 浮世絵鑑定家

1982-04-29現在(2021-03-03) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

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酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員 *浮世絵鑑定家  Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前)

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