浮世絵学04/1780(安永9)紀 上太郎(1747-1799)/碁太平記白石噺(ごたいへいき しらいしばなし) 全11 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/97177
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1982-04-29現在(2023-02-20更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/88211

 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,256項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
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江戸薩摩座演の人形浄瑠璃。紀 上太郎(1747-1799)等作。慶安太平記へ、この一件を書き入れたもの。楠正成の血統、宇治兵部之助常悦は、奥州岩手山で南朝の遺臣・金井谷五郎に会し、北朝覆滅を計る…姉妹仇討の筋は當時珍しく、ことに、大福屋の塲で、信夫に奥州詞を使わせる趣向があたり、今は、その一塲のみ残っている。
*きの  じょうたろう
全十一段を見付けたが、淨瑠璃文字で読めない文字がある。

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1780(安永9)紀 上太郎(1747-1799)/碁太平記白石噺(ごたいへいき しらいしばなし)

淨瑠璃作者連名  *紀 上太郎(きの じょうたろう)は、浄瑠璃作者,狂歌師。. 大坂の三井南家の 嫡子 で,本名三井治郎右衛門。. 狂歌では仙果亭嘉栗(かりつ)と号する。. 紀海音に師事し,幕府の為替御用を務めていた江戸在住中に浄瑠璃を執筆した …

第壹 堂上地下(ぢげ)の主従ハ縄目に引かるゝ 大内能鶏合   紀 上太郎

第二 仇と誠の朋友ハ義心に別るゝ       一ツ国の首塚  容揚黛

第三 お主と家来の妹と背ハ相図に隠るゝ    名鏡の奇特   焉馬 旭

第四 孝と実義の伯父姪ハ愁に乱るゝ      血筋の植付   紀 上太郎

第五 娑婆と冥途の聟舅余所に見らるゝ    一樹の岩契*    紀 上太郎  *宿賃

第六 江戸と田舎の姉妹ハ我身に賣るゝ    軍用の品玉   烏亭 焉馬

第七 通と野暮との客と客ハ異見に志らるゝ  曾我物がたり  烏亭 焉馬

第八 白と黒との敵味方ハ位牌に紛るゝ    幻術の仇討   三津 環

第九 道行                 いかぬ い路き絹 紀 上太郎

第十 色と情の娘と下女ハ智略にもつるゝ      井手の山吹   紀 上太郎

第十一 仁と禮との南北朝ハ武威に顕ハるゝ    和睦の勝鬨   紀 上太郎

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右之本頌句音節墨譜等令加筆候

師若針弟子如縷▢吾儕所傳呏先師

之源幸甚     筆士 小川路夕

     名代 薩摩座小平太

     座本 豊竹新太夫

大阪*       佐々井治郎右衛門版  *この字は江戸期に使われていない

堂島新治中三町目 榎並屋  久藏版

江戸       西宮   新六版

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奥州白石(福島県)の姉妹が亡父の敵である剣術指南の侍を討ち果した事件を劇化し、江戸幕府に反抗を企てた由比正雪ゆいしょうせつをモデルとした兵法家の活躍を軸とした物語です。このたび、第一部(11時開演)に奥州篇において事件の発端から、宇治兵部助常悦うじひょうぶのすけじょうえつ(由比正雪)の登場に至る「逆井村さかいむらの段」を上演いたしますが、これは実に51年ぶりの上演となります。第二部(午後2時15分開演)の江戸篇につなげます。通し狂言の上演、稀曲ききょくの伝承を目的としてきた国立劇場ならではの企画です。

奥州白坂宿(福島県)近郷の逆井村で、百姓が悪代官に手討ちにされた事件が勃発。貧しくも手を携え精いっぱい生きてきた家族は、大きな悲しみに打ちひしがれます。そうした血涙を絞る前半から、後半に剣豪と兵法家が肝胆、相照らす勇壮な場面へと移る「逆井村」のみごとな展開、幻の名作の登場にどうぞご期待ください。

『碁太平記白石噺』逆井村の段

『碁太平記白石噺』逆井村の段

第二部の江戸篇では、逆井村で殺された父の仇討ちへの決意を気丈に示した娘おのぶが、吉原のくるわ宮城野みやぎのと名乗り傾城けいせいとなっている姉に再会します。宮城野は父の非業の最期を知り、嘆き悲しみ、姉妹手を携えての仇討ちに向かおうとするのですが・・・。盛り場、浅草雷門での珍騒動、絢爛けんらんたる吉原揚屋、そして悲嘆にくれる宮城野の哀感、姉妹を見守る揚屋の亭主の心配りと、洒落しゃれた劇的展開とさまざまな情感が織り込まれた名作です。


文楽 「碁太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)」 大阪国立文楽劇場

この演し物は大抵「浅草雷門の段」「新吉原揚屋の段」が上演されるのみで、「生き別れになっていた姉妹が父の敵討ちを誓う」という内容であると理解している方が多いことと思います。
では題名の「碁太平記」とはどういうことなのでしょうか?

太平記の世界
原作では天皇家が北朝と南朝に分かれ、全国の武士がそれぞれの側に味方して争った、室町時代初め頃のお話という設定になっています。
第一段では楠正成(くすのきまさしげ)が吉野内裏に参上し、帝の命を受けて湊川へ出陣します。
場所と時が変わり、山城(やましろ。現在の京都府南部)の浪人、宇治兵部助は奥州白坂(現・福島県白河市)近くの森で夢を見て、正成の霊が宿って生まれた前世を知ります。同じ森で河内の浪人、金江(かなえ)谷五郎と出会い、二人は南朝のために尽くすことを誓い合います。
兵部助は旅の途中に岩手石堂家の剣術稽古の場に寄り、同家の剣術指南をしている、旧師の楠原普伝と再会。普伝は家中の志賀台七に天眼鏡を、兵部助に妖術を伝え、彼らとともにお家乗っ取り、天下掌握を企みますが、兵部助は綸旨(りんじ。天皇の命令を伝達する公文書)を奪って逃げ、普伝は台七に殺されます。台七は白坂城下、逆井村の百姓、与茂作の田に天眼鏡を隠しますが、見つけられたため、与茂作を殺します。
与茂作の娘おきのの許婚、谷五郎と兵部助は、与茂作の娘おきの・おのぶ姉妹の敵討ちを助けることを約束し、兵部助は常悦正之、谷五郎は勘兵衛正国と名を改めます。おきのは、吉原に身を売り、傾城(けいせい)宮城野となります。
その後、母を亡くした、おのぶは江戸吉原に姉を訪ね、再会。常悦と浪人、鞠ヶ瀬秋夜(まりがせしゅうや)は碁の勝負に寄せて、自分が兵器の秘法を聞き出すまでは父の敵、台七を討つのを待ってくれるよう、姉妹を諭します。
最後には正成の子である常悦が新田義興(にったよしおき)を助け、高師泰(こおのもろやす)を攻め滅ぼし、南北朝は和睦します。
このように、楠正成、新田義興、高師泰など南北朝時代の人物が登場し、太平記の世界のお話であるということで、題名に「太平記」がついています。


「太平記」とともに題名にある「碁」は、これまた普段上演されない場面で登場します。「新吉原揚屋の段」より後の場面で、常悦と鞠ヶ瀬秋夜が碁の勝負に寄せて、父の敵討ちを待つよう、与茂作の娘姉妹を諭すところからきています。
常悦と鞠ヶ瀬秋夜の碁の勝負では、「これなんめりと差し覗く。秋夜が石をはねかける。…そこをしきつて追ひ詰める。…この白石の敵討ち。…北朝に渡らせぬ運びが見たいなア。ヤ小賢しい黒石殿。どう逃げたうても、この白石。ムヽ、持(せき)か劫(こふ)かとこのよし見も。」と白石で姉妹の敵討ち、黒石で姉妹の敵、鵜羽黒右衛門(うのはくろえもん)(台七)が暗示され、「覗く」「ハネ」「切る」「セキ」「コウ」など囲碁用語を鏤(ちりば)めて攻守を描きつつ、姉妹は仇討ちを待つよう諭されています。

ここまで見てきたように、このお芝居には「碁」が重要な役割を果たす場面があり、「太平記」の世界の物語であるため、題に「碁太平記」とついていることが分かりました。さてここからは、囲碁が日本へはどのように伝わり、受け入れられてきたのかを考えます。

日本への伝来
日本における囲碁の最も古い記録は600年頃の『隋書倭国伝(ずいしょわこくでん)』に「囲碁・すごろく・ばくちが好まれる」と書かれたことです。囲碁の起源、日本への伝来については詳しい資料がなく、不明ですが、中国か朝鮮かインド・チベットで始まり、海を渡って日本へ伝わったと思われます。
囲碁は中国では初めは陰陽道などと関係し、占いの道具として使われ、後には三国志の英雄にも好まれ、戦術の研究などにも生かされたようです。唐代からは「琴棋書画」という語も使われるようになり、風流人や学問・人格の優れた人の嗜(たしな)みの一つとなりました。

日本での普及  

■文学と囲碁
聖武天皇遺愛の品や東大寺の寺宝・文書などからなる正倉院の宝物の中には囲碁に関連するものが11あり、その中でも人気が高いのは「木画紫檀棊局(もくがしたんのききょく)」という、華麗な装飾を施された碁盤です。『枕草子』にも囲碁についての記述があり、『源氏物語』には「宿木」の帝と薫の君など、囲碁の対局をする場面がたびたび見られ、平安時代には紫式部・清少納言を始めとした宮廷の女性の間でも囲碁が流行したようです。

『小栗判官』には小栗判官が馬に乗りながら碁盤乗りを見せる場面があり、『祇園祭礼信仰記』「金閣寺」では松永大膳と此下東吉が対局しています。このように、多くの文学作品やお芝居に囲描かれることから、囲碁が普及していった様子がうかがえます。

正倉院宝物「木画紫檀棊局」

(雁註)琴棋書画の長谷川勉さんが入手した和本・絵本・碁太平記白石噺 上下、これは合羽摺(かっぱすり)で、浪花・綿喜板。国書総目録にも出ていない。また全十一段の明細が解らないので、困った。

現在では、「浅草雷門の段」「新吉原揚屋の段」が残っているだけである。今回、何とか、全十一段の明細を調査した。誤謬(ごびゅう)もあるかと思う。

1)1730s紀 上太郎(1747-1799)/碁太平記白石噺  上下  *淨瑠璃 

 

残念なことに、画像が小さくて、段・切、塲などの文字を判読できない。

 

 

合羽摺の淨瑠璃は、さらに古いので、段・切、塲などが違っている。

2)1798(安永9)碁太平記白石噺  *歌舞伎 全11(段)

外題をK-FINAL(歌舞音曲)で検索して見る
 
これ以上、古い台本は見付けられない。
全11(段)が書かれている。
淨瑠璃は更に古く、違っている。
 
 
3)1856(安政3)芳虎/碁太平記白石噺 全8(段)
 
*芳虎は、何処で全8(段)を確認したのだろうか。
 
 
 
 
長谷川勉さまが、下記のように整理している。
 
1 明神下の森の段
2 田植の段
3 境村の段
4 奥山の段
5 吉原の段 *奥に囲碁、将棋、双六の盤が重られているのが見える
6 稽古の段
7 碁立の段
8 敵討の段
 
淨瑠璃・歌舞伎の内題(段・切、塲)とかなり違っている。
 

か御気付きの点があれば、御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 浮世絵鑑定家

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員 *浮世絵鑑定家  Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前)

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