浮世絵学04/V. フランクル/夜と霧 1959V. FRANKL(1905-1997)/MAN’S SEARCH FOR MEANING, an introduction for logo therapy www.ukiyo-e.co.jp/
ホーム > 浮世絵学04/V. フランクル/夜と霧 1959V. FRANKL(1905-1997)/MAN’S SEARCH FOR MEANING, an introduction for logo therapy www.ukiyo-e.co.jp/

浮世絵学04/V. フランクル/夜と霧 1959V. FRANKL(1905-1997)/MAN’S SEARCH FOR MEANING, an introduction for logo therapy www.ukiyo-e.co.jp/

1982-04-29現在(2023-05-24更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge1

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


ALL浮世絵学 記事一覧    All articles and images of Ukiyo-eGaku

http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit.php       記事一覧

————————————————————————————————————————

G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/post.php?post=88214&action=edit&classic-editor

———————————————————————————————————————–

R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/88211

———————————————————————————————————————–

V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

http://www.ukiyo-e.co.jp/92533     浮世絵学 ミニ動画 各種 


*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,293項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

—————————————————————————————————————————–

日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit.php       記事一覧

 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

2018 SAKAI gankow

 

 

2020 SAKAI kunio

 
*ファックス、使えません。
————————————————————————————————————————————
日本語訳「夜と霧」、この書名では内容が全く把握できず、通常の小説かと思ってしまう。
*横山實先生から、過日、感動した一冊として紹介されました。
 
 
 
 
 
 
フランクル(1905-1997)は、社会心理学を提唱したオーストリアの学者である。アウシュヴィッツに送られたが、奇跡的に生還した。
フロイト(1856-1939)は性欲の欲求不満から把握しようとした。しかし、何でも性欲に結び付けるのは可笑しい。

———————————————————————————————————————————————-

「古典の息吹」から引用 *年月日、著者が表示されていない

1905年、フランクルはにオーストリアの首都・ウィーンに生まれました。彼はとても優秀な学生であり、有名な心理学者のフロイトやアドラーに教えを受けています。

実はフランクル、高校時代にフロイトへ心理学の論文を書いて送ったことがあるそうです。フロイトと言えば、誰もが知っている心理学会の偉大な学者。当時から評価は高かったので、彼に高校生が論文を送り付けるとはなんとも挑戦的…。

もしかしたら、彼はかなりの自信家、野心家だったのかもしれません。

しかし、論文の出来が良かったのでしょうか。フロイトはその論文を捨てるどころか学会に提出し、フランクルにもきっちり返事を書いています。フランクルは大した学生でしたが、フロイトも流石。

その後、彼はウィーン大学で医学を学び、卒業後は心理学者・精神科医として順調なキャリアを築いていきました。

1941年には病院の同僚であった看護婦と結婚。そして自らクリニックを開業して独立するなど、理想の生活を手に入れたフランクル。

しかし、ナチスは彼から順風満帆な暮らしを奪います。

第二次世界大戦の開戦により、彼の祖国・オーストリアはドイツに征服されてしまったのです。結婚の翌年である1942年、フランクルは「ユダヤ人である」というだけの理由でナチスに捕らえられ、強制収容所に送られてしまいました。

彼は収容所生活を耐え抜き、1945年4月の戦争終結によってようやく解放され、再び自由を得ることができました。およそ2年7ヶ月の間、地獄と言ってもまだ足りない、凄惨な状況のなかで辛うじて生き延びたフランクル。

しかし、解放された彼を待っていたのは「強制収容所でバラバラにされた妻や両親の死」という辛い知らせ。

失意のどん底にありながら、彼は「強制収容所を経験した心理学者」として精力的な活動を始めます。まさに、並外れた精神力の持ち主。本作をはじめ、多くの本を出版しました。

その後も精神科医として人々を癒す傍ら、世界各地を飛び回って多くの人と交流。ウィーン大学教授、ハーバード大学客員教授の職について思想の普及に努め、1997年に92歳で天寿を全うしました。

世界中で多くの人に励ましや希望を与え続け、多くの人に愛された。彼の人柄を一言で表せば「聖人」と表現できるかもしれません。

とはいえ、フランクルが「我々と別世界に住む雲の上の人」であったかというと、必ずしもそうは言いきれない側面も。

実は彼、タバコとコーヒー好きすぎるあまり、片時も手放せなかったそうです。

分かりやすくいってしまえば、強度のニコチン中毒かつカフェイン中毒。

こう聞くと、人並み外れた鋼鉄の意志の持ち主にしか見えなかった彼も、案外身近に思えてきませんか?

わずか9日間で執筆された作品だが、世界中で高く評価される

本作は、世界17カ国語に翻訳され、1000万部以上の大ベストセラーとして世界中の人に愛されている一作。

また、日本では

・読売新聞主催「読者が選ぶ21世紀に伝えるあの1冊」アンケートで第3位

・アメリカ国会図書館「私の人生に最も影響を与えた本」の調査で第9位、各国でも絶大な支持を集めているようです。

世界中で愛され続けるこの作品ですが、フランクルは強制収容所を解放された後、わずか9日間足らずで書き上げたといいます。

「辛い収容所生活の中で、どれほど強くこの本の完成を願っていたことか…。強い使命感に突き動かされ、文章も覚えてしまうほど何度も何度も想い続けたに違いない」

—————————————————————————————————————————————-
(Study Language   名言) 年月日、著者、不明

愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰を つうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること! 人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。

被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった。

人間の苦悩は気体の塊のようなもの、ある空間に注入された一定量の気体のようなものだ。空間の大きさにかかわらず、気体は均一にいきわたる。それと同じように、苦悩は大きくても小さくても人間の魂に、人間の意識にいきわたる。人間の苦悩の「大きさ」はとことんどうでもよく、だから逆に、ほんの小さなことも大きな喜びとなりうるのだ。

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。

仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。

そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。

被収容者は、生きしのぐこと以外をとてつもない贅沢とするしかなかった。あらゆる精神的な問題は影をひそめ、あらゆる高次の関心は引っこんだ。文化の冬眠が収容所を支配した。

わたしたちにとって、「どれだけでも苦しみ尽くさねばならない」ことはあった。ものごとを、つまり横溢する苦しみを直視することは避けられなかった。気持ちが萎え、ときには涙す ることもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。

だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代りになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。

旧版には、「ユダヤ」という言葉が一度も使われていないのだ。「ユダヤ人」も「ユダヤ教」 も、ただの一度も出てこない。かつて何度か読んだときには、このような重大なことにまったく気づかなかった。

まずなにより、フランクルはこの記録に普遍性を持たせたかったから、そうしたのだろう。一民族の悲劇ではなく、人類そのものの悲劇として、自己の体験を提示したかったのだろう。さらにフ ランクルは、ナチの強制収容所にはユダヤ人だけでなく、ジプシー (ロマ)、同性愛者、社会主義 者といったさまざまな人びとが入れられていた、ということを踏まえていたのではないだろうか。 このことに気づいたときは、思わず姿勢を正したくなるような厳粛な衝撃を受けた。

何か御気付きの点があれば、御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 浮世絵鑑定家

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員 *浮世絵鑑定家  Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前)

日本最古の浮世絵専門店

 


アーカイブ

最近の投稿

最近の投稿

コレクション

新着情報・新着コレクション