浮世絵学 写楽の伝言展 しゃらく 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)https://www.ukiyo-e.co.jp/115326
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2025-07-19(土)写楽の伝言展 反省、提案、新見解など

[1790s南畝/本文[1941]20-2]

[1941大曲駒村/浮世繪類考20-2]

    寫 樂     

是また哥舞伎役者の似顔を寫せしが、あまりに眞を畫んとてあらぬさまにかきなせしかば、長く世に行はれず。一兩年にして止む。

三馬按、寫樂號東洲齋、江戸八丁堀ニ住ス。僅ニ半年餘行ハルゝノミ。

[1941駒村頭註]○冩樂。俗稱は十郎兵衛。寛政頃の人。

[1997雁註]写楽は谷素外(1734-1824)。重政、政演、政美、豊國の俳諧の師。

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1844月岑/増補浮世絵類考46-3[1891]

[1891岸上操/温知叢書4-46-3]

○冩樂(住居江戸八町堀)俗稱□□ 號東洲齋

[頭注]新類考に俗稱齋藤十郎兵衛とあり。

 歌舞妓役者の似顔を冩せしに、あまりに眞を畫んとて、あらぬさまに書なせしかば、長く世に行はれず。一兩年にして止む(類考)

 三馬云、僅に半年餘行はるゝのみ 五代目白猿 幸四郎(後宗十郎と改)半四郎 菊之丞(富十郎)廣治 助五郎 鬼治 仲藏の類を半身に畫きたるを出せり。

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1844月岑/浮世絵類考・自筆本2-08b

[1844齋藤月岑/増補浮世繪類考2-08b]

[1964板坂+棚町/近世文芸・資料と考証3/26c]

○冩樂 天明 寛政年中ノ人

  俗稱 齋藤十郎兵衛 居江戸八丁堀ニ住す 阿波侯の能役者也

  号 東洲齋

 哥舞妓役者の似顔を写せしが あまりに真を画んとて あらぬさまに 書なせしかハ 長く世に行れず 一両年にして止む[類考]

 三馬云 僅に半年餘 行るゝのミ

 五代目白猿 幸四郎[后京十郎と改]半四郎 菊之丞 冨十郎 廣治 助五郎 鬼治 仲藏の類を半身に画 廻りに雲母を摺たるもの多し。

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1987(1999)

西野春雄+羽田昶(ひさし)/新訂増補・能・狂言事典、平凡社

*総索引に「能役者」という術語は無い。能楽師はある。つまり、能役者は漢語で、役者(絵)を能(よ)くする意であり、写楽は全く能楽(古くは猿楽、申楽)・謡と関係がない。(2025-07-08酒井雁高・識)

写楽(-1794-1795-は貴人であったという説が、以前からある。(森清太郎)

寛政6.05-寛政6.01 閏月があるので、10ヶ月。

・これまでにない人物の喜怒哀楽の瞬間の美、見得(みえ)を切った表情を眼、眉、口、腕、指などで最大限に表現している。

・しかも、通常の絵師は板元に遠慮するが、写楽は蔦屋の[商標]上に落款を載せている。これは、やはり只者(ただもの)ではない。

  pastedGraphic.png *本図は、世界で一枚だけ確認されている。(日本浮世絵博物館)

写楽の役者絵の系譜

上方(かみがた)出身であれば、当然、下記の諸画譜を見て、学んでいたに違いない。

読み下しは、まだ。

A  *1780(安永9)耳鳥齋(1751-1803)/繪本水や空(みずやそら) *にちょうさい 大坂の芝居通、戯画

*浮世絵学04/外題(水や空)デジタル *影印で全頁掲載  1780耳鳥齋/水也空 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) https://www.ukiyo-e.co.jp/28549

B  1782(天明2)翠釜亭(1750s-1780-)/翠釜亭戯画譜 *半身図が多い。流光齋も影響を受けていた。

*浮世絵学04/外題(翠釜亭戯画譜)すいふてい 1782(天明2)翠釜亭(1750s-1790s -)/翠釜亭戯画譜 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)https://www.ukiyo-e.co.jp/80646

C  1783(天明3)流光齋(1750s -1784-1805-)/旦生言語備(やくしゃ ものいはひ) *如圭

*浮世絵学04/外題(旦生言語備 上下) 1783(天明3)流光齋[如圭]/やくしゃものいはひ 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)https://www.ukiyo-e.co.jp/80364

上方出身ならば、これらを見て、学び、咀嚼する体験があって、後に写楽が出現した。写楽は、その集大成と考えると解り易い。旦は女形、生は男役。これはシナ演劇の術語。つまり、流光齋は、シナ人である。シナの宋元明清、肖像画の詳細について、私は残念ながら知らない。どなたか御存知の方がいれば、ご教示願いたい。

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〇写楽(しゃらく)/総目録_158項目

1965吉田暎二*/浮世絵事典02-047(写楽総目録)141項目         *てるじ

写楽作品の刊年、外題、板元、内題を特定したのは歌舞伎の専門家、吉田暎二*氏である。

番号は図版と一致している。図版は、かなり小さいが、図柄を特定できる。

全158 (141版画、8版下、9草稿)

役者絵の場合、「役名(役者)」が刻記されている場合は外題を特定できることがある。

しかし、殆どの作品は、役名(役者)が全く書かれていない。写楽、複製(アダチ版)第一集、41点

写楽(-1794-1795-は貴人であったという説が、以前からある。(森清太郎)

寛政6.05-寛政6.01 閏月があるので、10ヶ月。

・これまでにない人物の喜怒哀楽の瞬間の美、見得(*みへ)を切った表情を眼、眉、口、腕、指などで最大限に表現している。

*1776(安永5)/濱松歌國(1776-1827) *上方の劇作家・浮世絵師

・しかも、通常の絵師は板元に遠慮するが、写楽は蔦屋の[商標]上に落款を載せている。これは、やはり只者(ただもの)ではない。

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写楽、これはキャラクター、蔦屋重三郎が仕組んだか(田中昭・説)。

従って、落款も微妙に違っている(大胡真人・説)

1975、オークションで新発見された写楽/二鬼を木槌で退治する図。これは偽筆(大胡真人・説)

言われてみると、二鬼に空間構図に破綻がある。木槌も造形的に不自然(田中昭・説)

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Julius KURTH(1870-1949)   牧師、蒐集家、シナ、日本版画に精通した美術史学者 

ベルリン・ジム・ツム・グラウエン・クロスターに通う 学長の息子

1896 ハイデルベルグ大学で、芸術学部博士号

1897-1898 エルサレム、コンスタンティノープル、イタリア、ギリシャへの旅行

1910-1935 ベルリン・ホーエンシェーンハウゼンタボル教会

       1907UTAMARO    1910HARUNOBU   1910SHARAKU



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