浮世絵学 懇話会129 2025-09-27(土)18.00-20.00 峰崎博次/大田南畝 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)https://www.ukiyo-e.co.jp/
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1982-04-29現在(2025-08-18更新

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。https://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,491項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。6今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

2018 SAKAI gankow

 

 

2020 SAKAI kunio

 
*ファックス、使えません。
 
 
 

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***浮世絵学/投稿一覧_1,489項目 ukiyo-e(woodblock prints) Best and oldest gallery 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)https://www.ukiyo-e.co.jp/113626


**R浮世絵学00/複製・復刻 All 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

*R浮世絵学01 複製01/復刻 Standard sizeうたまろ他 手摺木版  03-3591-4678(東京・有楽町)The BEST Japanese Traditional Woodblock Prints, Handmade reproduction (adm. by JUM) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)

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*R浮世絵学02 複製02/各種   Standard size  いろいろ    03-3591-4678(東京・有楽町)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) *画像が表示されない。他のサイトで表示されている。

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*R浮世絵学03*_複製03*/しゃらく_Standard size  役者絵(表情)最高峰 冩樂(1734-1823) Phone 03-3591-4678(東京・有楽町) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) *時代的に素外とすると、最年長で、重政、政演、政美の師匠にあたる

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*R浮世絵学03a_複製03a/哥麿、歌麿_Thumbnail サムネール(小さい)歌麿/浮世絵美人絵の最高峰  03-3591-4678(東京・有楽町) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)

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*R浮世絵学03b_複製03b/うたまろ Standard size. 哥麿、歌麿_1795.05(寛政6.05)歌撰恋之部(紅キララ) Phone 03-3591-4678(東京・有楽町) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)

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*R浮世絵学04_複製04/北齋爲一 Thumbnail  (小さい画像) ほくさゐ ゐいつ_爲一/冨嶽三十六景 爲一(ゐいつ)期の世界で尤も有名な作品  03-3591-4678(東京・有楽町)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)

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*R浮世絵学05_複製05/廣重 Thumbnail (小さい画像)ひろしげ_廣重/東海道五十三次 全55枚 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)

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*R浮世絵学06_複製06/短冊など   Standard size   酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)  03-3591-4678

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*R浮世絵学08_複製08/美人(哥麿) Standard size     酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学09_複製09/美人(哥麿)大横 Standard  size    酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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R浮世絵学10_複製10/美人ほか   Standard size   酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学13_複製13/清廣 きよひろ   Stanard size(お部屋に浮世絵を)! 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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R浮世絵学14_複製14/廣重 ひろしげ_Stamdard size    廣重/名所江戸百景 色々  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学15_複製15/廣重 ひろしげ_廣重/名所江戸百景・淺草田甫酉の町詣  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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R浮世絵学16_複製16/廣重_ひろしげ 箱根(浮世絵を飾ろう) …SAKAI_gankow 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学17_複製17/廣重 ひろしげ_廣重/富士三十六景 最晩年の遺稿作品 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学18_複製18/廣重 ひろしげ 廣重/名所江戸百景・隅田川水神の森真崎 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)Phone 03-3591-4678

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R浮世絵学19_複製19/二代廣重(1826-1869)/諸國名所百景・周防岩國錦帯橋 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学21_複製21/廣重_ひろしげ_廣重/名所江戸百景・亀戸天神 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学23_複製23/カラーシート   Standard size  浮世絵の三枚続、お風呂、文明開化絵を縮小 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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R浮世絵学24_複製24/國芳_くによし  Standard size    1842c(天保13頃)/短冊 花鳥(魚介)鮎、緋鯉…酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) phone 03-3591-4678

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順序摺  Process,  each color – different woodblock  

*R浮世絵学07_複製07/歌麿 うたまろ_婦人相學十躰・(ぽっぴん) 順序摺  Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学12_複製12/廣重 ひろしげ_東海道五十三次・日本橋 順序摺  Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学01/落款(はるのぶ)春信 順序摺_1760s春信/雪中相合傘(鷺と烏)_酒井好古堂復刻_酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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*R浮世絵学04/順序摺 1939帆船(A junk boat print order by YOSHIDA hiroshi 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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一筆箋

*R浮世絵学10a_複製10/ 一筆箋 (大揃、単品) 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)Phone 03-3591-4678

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*R浮世絵学10b_複製10/一筆箋 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)phone 03-3591-4678

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(検索方法)

A   浮世絵学 ◯◯◯◯ 総目録 

*うたまろ えいざん えいせん(英泉) がくてい(岳亭) きよなが くにさだ1 くによし  たいと1(戴斗1) とよくに1 とよくに2 とよくに3 とよはる とよひろ はるのぶ ひろしげ1 ほくさゐ ほっけい(北溪) よしいく よしとし ゐいつ 

*入力すれば、直ぐ総目録、伝記などが表示されます

B 浮世絵学 吉原遊廓

*吉原細見

C 浮世絵学 歌舞音曲

*外題(げだい) 読め難いので、code順に整理

*役名(やくめい) 役名(役者) ある程度、検索できる

*歌舞伎年表 テキストで入力 ある程度、検索できる

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時:2025-09-27(土)18.00-20.00

所:ワテラス・パーティルーム 

 レジデンス3Fから、200を押し、受付を呼び出し、懇話会に参加、解錠されます。

人:峰崎博次/大田南畝 これは一回では終わらないか。

南畝は、江戸の天明期を代表する狂歌の文化人。御徒(おかち)で、前半が狂歌。後半は、喜三二と同様、武家のため、方向転換をしている。

大田南畝

 
大田 南畝(おおた なんぽ、寛延2年3月3日〈1749年4月19日〉- 文政6年4月6日〈1823年5月16日〉)は、天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 名は覃(ふかし)、字は子耕、南畝は号である。 通称、直次郎、のちに七左衛門と改める。 別号、蜀山人(しょくさんじん)、玉川漁翁、石楠齋、杏花園、遠櫻主人、巴人亭、風鈴山人、四方山人など。 山手馬鹿人(やまのてのばかひと)、も別名とする説がある。 狂名、四方赤良(よものあから)。 また狂詩には寝惚(ねとぼけ)先生と称した。 法名は杏花園心逸日休。
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Wikipediaを転載 

大田 南畝(おおた なんぽ、寛延2年3月3日〈1749年4月19日〉- 文政6年4月6日〈1823年5月16日〉[1])は、天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。

名はふかし、字は子耕、南畝は号である[1]。通称、直次郎、のちに七左衛門と改める。別号、蜀山人しょくさんじん、玉川漁翁、石楠齋、杏花園、遠櫻主人[2]、巴人亭、風鈴山人、四方山人など。山手馬鹿人やまのてのばかひと、も別名とする説がある。狂名、四方赤良よものあから。また狂詩には寝惚ねとぼけ先生と称した。法名は杏花園心逸日休。

勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら[3]、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲・朱楽菅江と共に狂歌三大家と言われる。南畝を中心にした狂歌師グループは、山手連(四方側)と称された。

生涯

寛延2年(1749年)、江戸の牛込中御徒町(現在の東京都新宿区中町)で、御徒の大田正智[4](吉左衛門)[5]、母利世の嫡男として生まれた[6]。下級武士の貧しい家だったが、幼少より学問や文筆に秀でたため[3]、15歳で江戸六歌仙の1人でもあった内山賀邸(後の内山椿軒)に入門し[6]、札差から借金をしつつ国学や漢学の他、漢詩、狂詩などを学んだ。狂歌三大家の1人、朱楽菅江とはここで同門になっている。17歳に父に倣い御徒見習いとして幕臣となるが学問を続け、18歳の頃には荻生徂徠派の漢学者松崎観海に師事した。また、作業用語辞典『明詩擢材』五巻を刊行した[6][7]

19歳の頃、それまでに書き溜めた狂歌が同門の平秩東作に見出され、明和4年(1767年)狂詩集『寝惚先生文集』として刊行。これが評判となった[注 1][8]

この後数点の黄表紙を発表するも当たり作はなかったというが、内山賀邸私塾の唐衣橘洲の歌会に参加した明和6年(1769年)頃より自身を「四方赤良[注 2]」と号し、自身もそれまでは捨て歌であった狂歌を主とした狂歌会を開催し「四方連」と称し活動しはじめた。それまで主に上方が中心であった狂歌が江戸で大流行となる『天明狂歌[注 3]のきっかけを作り、自身も名声を得ることになった。

当時は田沼時代と言われ、潤沢な資金を背景に商人文化が花開いていた時代であり、南畝は時流に乗ったとも言えるが、南畝の作品は自らが学んだ国学や漢学の知識を背景にした作風[注 4]であり、これが当時の知識人たちに受け、また交流を深めるきっかけにもなっていった。安永5年(1776年)には、落合村(現新宿)周辺で観月会を催し[9]、さらに安永8年(1779年)、高田馬場の茶屋「信濃屋」で70名余りを集め、5夜連続の大規模な観月会も催している[注 5]。翌安永9年には、この年に黄表紙などの出版業を本格化した蔦屋重三郎を版元として『嘘言八百万八伝』を出版、山東京伝などは、この頃に南畝が出会って見出された才能とも言われている。

天明3年(1783年)、朱楽菅江と共に『万載狂歌集』を編む。この頃から田沼政権下の勘定組頭土山宗次郎に経済的な援助を得るようになり、吉原にも通い出すようになった[注 6]。天明6年(1786年)ころには、吉原の松葉屋の遊女三保崎を身請けし妾とし自宅の離れに住まわせるなどしていた。

松平定信により、田沼政治の重商主義の否定と、緊縮財政、風紀取締りによる幕府財政の安定化を目指し、天明7年(1787年)寛政の改革が始まると、田沼寄りの幕臣たちは「賄賂政治」の下手人として悉く粛清されていき、南畝の経済的支柱であった土山宗次郎も横領の罪で斬首されてしまう。さらに「処士横断の禁(処士は学があるのに官に仕えず民間にいる者。幕府批判を防ぐための策)」が発せられて風紀に関する取り締まりが厳しくなり、版元の重三郎や同僚の京伝も処罰を受けた。幸い南畝には咎めがなかったものの、周囲が断罪されていくなかで風評も絶えなかった。政治批判の狂歌「世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶといひて夜もねられず[注 7]」の作者[10]と目されたことや[注 8]、田沼意次の腹心だった土山宗次郎と親しかったことで目を付けられたという話[11]は有名になっている。これを機に、南畝は狂歌の筆を置いてしまい、幕臣としての職務に励みながら、随筆などを執筆するようになった。天明7年(1787年)には横井也有の俳文集『鶉衣』を編纂、出版する。しかし翌年(1788年)には重三郎の元で喜多川歌麿『画本虫撰』として狂歌集を出している[注 9]

寛政4年(1792年)、46歳の南畝は「学問吟味登科済」が創設されたのを機にこれを受験し、当時小姓組番士だった遠山景晋[12]とともに甲科及第首席合格となる。世間では狂歌の有名人であった南畝は出世できないと揶揄していたが[注 10]、及第の2年後の寛政8年(1796年)には、支配勘定に任用された。

享和元年(1801年)、大坂銅座に赴任。この頃から中国で銅山を「蜀山」といったのに因み「蜀山人」の号で再び狂歌を細々と再開する。大坂滞在中、物産学者の木村蒹葭堂や国学者の上田秋成らと交流していた。

文化4年(1807年)8月、隅田川に架かる永代橋が崩落するという事故を偶然に目の当たりにし[注 11]、自ら取材して証言集『夢の憂橋』を出版。

文化9年(1812年)、息子の定吉が支配勘定見習として召しだされる[注 12]も、心気を患って失職。自身の隠居を諦め働き続けた。

文政6年(1823年)、登城の道での転倒が元で死去。75歳。辞世の歌は「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」と伝わる[注 13]。墓は小石川の本念寺(文京区白山)にある。

公職

  • 1794年(寛政6年)、幕府の人材登用試験である学問吟味で御目見得以下の首席で合格する[13]
  • 支配勘定を命ぜられる。
  • 寛政8年(1796年)、支配勘定に就く。
  • 1799年(寛政11年)、孝行奇特者取調御用を命ぜられる。
  • 1800年(寛政12年)、御勘定所諸帳面取調御用を命ぜられる。江戸城内の竹橋の倉庫に保管されていた勘定所の書類を整理する役で、整理しても次から次に出てくる書類の山に対して、南畝は「五月雨の日もたけ橋の反故しらべ今日もふる帳あすもふる帳」と詠んでいる。
  • 1801年(享和元年)、大坂銅座に約一年間赴任[注 14]
  • 1804年(文化元年)、長崎奉行所へ赴任する。
  • 1808年(文化5年)、堤防の状態などを調査する玉川巡視の役目に就く。

著作

上野公園の「蜀山人の碑」
方広寺大仏(京の大仏)は寛政10年(1798年)に落雷による火災で焼失したが、『半日閑話』に焼失の経過が詳述されている。画像はエンゲルベルト・ケンペルによる方広寺大仏のスケッチ[14]
半日閑話(随筆)
市井の見聞雑事を記したものであり、全25巻の内、12巻から16巻までの300余条の記事は「街談録」の名で流布していた[15]。当時の世相を窺い知ることのできる史料として史料価値が高い。例を挙げると京都の方広寺大仏(京の大仏)の焼失についての記述がある。方広寺大仏は当時大仏として日本一の高さを誇っていたが、寛政10年(1798年)に落雷のため焼失してしまった。その時何があり、どのような経過を辿って焼失したかについて、風聞に基づくものと思われるが詳細な記述がある[16]「(大仏は)御鼻より火燃出、誠に入滅の心地にて京中の貴賎、老若、其外火消のもの駆け付け、此時に至りいたし方なく感涙を催し、ただ合掌十念唱えしばかり也[17]という一文が著名である。なお「半日閑話」の作者について、すべて南畝の手によって書かれたものではなく、南畝作のものをベースに他の者が次々と記事を加筆していき、現在残るような形(大著)になったとする説もある。
寝惚先生文集
19歳で著した狂詩集で、平賀源内が序文を寄せている。江戸の狂歌流行のきっかけを作ったとも言われる。
万載狂歌集(狂歌集)
四方赤良(南畝)と朱楽菅江の共編。題名から知られるように『千載和歌集』のパロディであり、200人以上の詠んだ狂歌を集めたもの。
甲駅新話(洒落本)
馬糞中咲菖蒲の作(南畝の変名とされる)。「甲駅」とは甲州街道の宿場で内藤新宿のこと。
浮世絵類考
写本で伝わったもので、浮世絵研究の基礎資料。
瓊浦又綴けいほゆうてつ(随筆)(1804年)
コーヒーを飲んだ体験が書かれており[18]、日本でもっとも初期の頃のコーヒー飲用記である[注 15]
調布日記
文字通り、調布あたりの散策記。「野暮天」の語源となった狂歌が収録されている(参考「谷保天満宮」)。
四方のあか
近世における個人の狂文集め最初のもの。戯作精神にあふれている。
夢の憂橋
1807年(文化4年)の永代橋崩落事故に関する様々な記事や風聞を集めたもの。
一話一言(随筆)
全56巻。
蘆の若葉
1801年作。大坂銅座御用として大坂赴任中の日記。『摂津名所図会』を参考に市中を歩きまわり、当時の大阪の風物を描写した。
放歌集
1812年(文化9年)出版の狂歌集。
刊行著作
  • 『大田南畝全集』 全20巻・別巻1、岩波書店、1985年-2000年完結 エラー: 日付が正しく記入されていません。(説明)
「全集」編集委員は浜田義一郎と下記3者。別巻は新資料、書名・人名索引ほか
  • 『寝惚先生文集 狂歌才蔵集 四方のあか 新日本古典文学大系84』中野三敏・日野龍夫・揖斐高 校注、岩波書店、1993年
  • 『万載狂歌集 江戸の機知とユーモア』宇田敏彦校注、角川ソフィア文庫、2024年


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