!!!2026浮世絵学01/落款(えし)かみがたえ なにわ 上方絵 模式図(編年)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)https://www.ukiyo-e.co.jp/80961
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1982-04-29現在(2026-10-04更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) Copy and Handmade reproduction 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

https://www.ukiyo-e.co.jp/92533     浮世絵学 ミニ動画 各種 

 


*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。https://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,593項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
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2026-10-04 [浮世絵学]

*浮世絵学は、何時でも、何処でも、誰でも、自由に、浮世絵の情報を検索、確認、活用できるよう設計されています。

*浮世絵学(落款らっかん、版型形態、外題げだい、版元、内題ないだい、出典、原文)

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〇上方絵(かみがたえ) 模式図(編年) 2021-11-14酒井雁高・試案
 
 
command + f    *[役名]二文字ほど入力すれば、結果が解る。しかし、義經 義経 義つね 表記は、いろいろあるので、注意深く検索することが大事。
⚫上方 テキストにしたので、これを利用、活用して戴きたい。 
 
・稲垣進一さんより、上方絵 系譜よりも、上方絵 模式図あたりが解り易いだろうとの助言を得た。
また、江戸は江戸、上方は上方と、全く別々であったとの認識も誤りであることが解った。
・何故なら、上方の翠釜亭戯画譜の序文に、江戸の舞台扇が引用、制作した経緯がある。また、上方の「水や空」も参考にしたとある。その後、旦生言語備(やくしゃ ものいわい)などへも応用されている。
・そして、集大成として、江戸で写楽。「目(め)二つに 魂入れつ 月と花」(素外の還暦自画賛)
・濱松歌國によると、「流光齋は、見へ(見得)」の瞬間を描いたと喝破している。
 
1835(天保3)友鳴松旭(画)/浪華名所独案内

友鳴松旭図 上が東になっている

 

1830s(天保)暁鐘成図(画)/浪華名所独案内

[構図]東を上に描かれており、海から眺めた大坂のまちの姿になっています。
 図の上部の左寄りに、御城が大きく描かれ、そこから右方向に森ノ宮・イナリ社・高津宮・生玉社・キヨミズ・四天王寺・一心寺などの上町台地の寺社が、図の右端には、今宮村、戎社、天下茶屋、住吉の文字が見えます。背景には、左から生駒山、二上山、葛城山、金剛山が描かれています。

[水の都]

図の横方向(南北)に水色で、上から東横堀、西横堀、木津川が、縦方向(東西)に、左から大川、長堀、道頓堀が描かれています。大川は、土佐堀川、堂島川と、蜆川(明治の北の大火の後埋められ現在は無い)に分かれています。
 西横堀から西へ木津川との間には、江戸堀、京町堀、阿波座堀、立売堀が並んでいます。
 多くの橋の名称も記されており、水の都の様相がよく現れています。

浪華名所獨案内に見る、水の都

東横堀と西横堀の間が中心市街地で、長堀よりも北側(左側)の大川までが「船場」、南側の道頓堀までが「島之内」と呼ばれていました。東横堀より東側は「上町」、西横堀より西側は「西船場」「堀江」と呼ばれていました。
 長堀と西横堀が十字にクロスする所に橋が4つ架かっていて「四ツ橋」と呼ばれ、夕涼みの名所だったそうです。
 4つの橋にはそれぞれ名前があり、
上繋橋(かみつなぎばし)西横堀川に架かる北の橋。
下繋橋(しもつなぎばし)西横堀川に架かる南の橋。
炭屋橋(すみやばし)長堀川に架かる東の橋。島之内西端の旧町名「炭屋町」に由来。
吉野屋橋(よしのやばし)長堀川に架かる西の橋。北堀江東端の旧町名「吉野屋町」に由来。
となっていました。
 江戸時代中期の俳人小西来山の句「涼しさに 四ツ橋を四ツ わたりけり」が有名で、長堀通の中央部に句碑が建っています。
 現在では、大川、土佐堀川、堂島川、木津川、道頓堀、東横堀(いわゆるロの字の水路)を残して、ほとんどの堀が埋立てられています。

【まちの姿】
 道路を見ると、図の中央部南北(横方向)に、堺筋通り、心斎橋通りが描かれ、長堀橋、日本橋、心斎橋、戎橋の名前も見えます。この2本の道が、船場、島之内を突き抜けるメインストリートになっていた様子がよくわかります。(この図では、南北の道も「通り」と表記されています。東西の「スジ」もいくつか見られ、当時は、東西は通り、南北は筋という明確な使い分けは無かったようです。)

 東西(縦方向)の通りを見ると、伏見町、道修町、淡路町、安土町、本町、久宝寺町、順ケイ町などの名前が見えます。通り名は入っていませんが、今バシ、カウライバシ(高麗橋)、シアンバシ、ノウニンバシ、安堂寺バシ、九ノ介バシ、瓦ヤバシといった橋の名前が書かれています。

船場・島之内周辺

【天下の台所】
 名所・名店についてみると、
赤いラベルで、御城と銅吹屋、平五・天五・鴻池・加嶋屋といった両替商。
茶色のラベルで、スルガヤ、玉露堂、虎屋饅頭、ウルユス店、コシヤウシ円、古梅園などの名店。
黄色のラベルに赤い紋章入りで、升屋岩城呉服店、三井呉服店(後の三越)、小橋屋呉服店、松屋呉服店(現在の大丸)が目立っています。
現在も残っている名店も多くあります。
 黄色のラベルはたくさんありますが、ざっと見ると、東御奉行所・西御奉行所、天満宮、四天王寺、住吉、西御堂・東御堂(方角では北・南ですが)、川沿いに八ケン家、青物市場・雑喉場魚市場、金相場、御蔵、道頓堀に沿って竹田・若太夫・角・中・筑後の浪花五座、周辺部には曽根崎新地・高津新地・難波新地など、多数の名所や地名が記されています。
 中之島や西天満には蔵屋敷多し、堂島には米市場の文字が見えます。
 堀川の水運に支えられ、天下の台所として栄えた商都大坂のにぎわいが伝わってきます。
 この地図で、西御堂、東御堂となっているのは、西本願寺別院(津村御堂)、東本願寺別院(難波御堂)だからのようです。方角による位置関係よりも建物の由来からそのように呼ばれていたようです。この地図では東が上に描かれていますから、ちょうど京都の西本願寺、東本願寺と同じような並びになっています。御堂筋の名前は西本願寺派の「北御堂」と、東本願寺派の「南御堂」が沿道にある事から名付けられています。この地図の当時の御堂筋は、淀屋橋筋とは西に少しずれており、どちらも幅6mほどの狭い道に過ぎなかったのですが、1920年に市長となった關一によって、地下鉄の建設とセットで44mと大幅な道路拡張がほどこされ、一躍大阪を代表する道路へと様変わりしました。

【雑誌「大阪人」の最終号での紹介】
 『浪華名所独案内』については、本渡章さんが一冊丸ごと編集を担当された古地図の大特集、雑誌「大阪人」の最終号「古地図で歴史をあるく」のP24,25に 《古地図入門-3【名所図】名所めぐりモデルコース付き、必携!浪華観光ガイドマップ。》 として紹介されています。

 

島之内付近

【難波付近】
 高津新地の南には御蔵跡があります。かつてはこちらに御蔵がありました。千日、難波新地、日本橋通長町ト云などの文字が見えます。
 今宮村が大きく描かれています。今宮村から左(北)へ、戎社、廣田、御蔵とあります。江戸時代の幕府の御蔵は、その後大正時代には煙草専売局、昭和には大阪球場、平成にはなんばパークスになっています。
 御蔵に荷物を運んでいた水路(難波入堀川・新川)は、今は埋め立てられ高速道路となっています。それでも、やっぱり人や物を運んでいます。今宮戎は、昔も今も同じ場所で変わりません。

 

難波付近

【上町台地】
 上町台地は大阪のルーツともいえるところです。かつては、上町半島という形でせり出し、西は大阪湾、東は河内湖となっていました。半島の先端部には難波の宮があり、同じ場所に中世には大坂本願寺(石山御坊)が立地していました。織田信長に攻められて撤退し、その後、豊臣秀吉が大坂城を築城しました。夏の陣の後、徳川氏によって豊臣大坂城は埋め立てられ、その上に徳川大坂城が建てられました。現在の天守閣は、徳川大坂城の天守台の上に、豊臣大坂城をモデルにした鉄筋コンクリート造の天守閣が昭和6年に市民の寄付によって再建されたものです。

 半島の中央部には、古くから住吉大社が立地。水運の神様として、遣隋使、遣唐使を送り出しました。難波の宮と住吉大社の中間には、聖徳太子が四天王寺を建立。瀬戸内海から都を目指す船からは、五重塔が目標としてそびえていたと思われます。

 

上町台地南

 

上町台地北

上町台地の地形は、国土地理院の標高地形図を見れば一目瞭然です。かつて半島のようになっていたことがよくわかります。昔からの陸地なので地盤は固く、東側に比べ西側が急斜面になっています。

 浪華名所獨案内からは少し脱線しますが、この標高地形図は大坂の歴史と地形の関係を調べる際に役に立ちます。

 例えば、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の舞台を例に挙げてみると
・「真田丸」はなぜ大坂城の南側に作られたのか?、
・なぜ長原~平野や道明寺が大坂冬の陣の戦場になったのか?、
・徳川方の本陣はなぜ茶臼山と岡山(現在の勝山)に置かれたのか?、
・夏の陣の際になぜ茶臼山が幸村最期の地になったのか?、
すべてこの地図にその謎が隠されています。
 ヒントは、現在の大和川は江戸時代になって開削されたもので、それ以前は河内平野を北上して大坂城の北側を流れていたことです。

・古代難波宮が上町台地に置かれ、奈良・飛鳥への道は東ではなく南東へ向かっていたこと、
・大坂本願寺(石山御坊)が上町台地の北端に置かれ、織田信長が本願寺攻めに執拗にこだわったこと、
・豊臣秀吉が信長の遺志を引き継いでここに大坂城を築いたこと、
といったこともこの地図からわかります。

 

 
2026現在の大阪・船場(せんば)のイラストである。
 
A1
1770(明和7)春章(1743-1792)(50*)+文調(1748c-1768-1773-1790s)/絵本舞台扇
   *1770(明和7)春章+文調/絵本舞台扇 
1780(安永9)耳鳥齋(1751-1802c)/水や空(みずやそら)
   *1780(安永9)耳鳥齋/水也空 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) 
 
1782(天明2)翠釜亭(1750s-1790s-)/翠釜亭画譜(すいふていぎがふ)
   *1782(天明2)翠釜亭(1750s-1790s -)/翠釜亭戯画譜 
    
1783(天明3)流光齋如圭(1750s-1809-)/旦生言語備(やくしゃ ものいわい)
   *1783(天明3)流光齋[如圭]/やくしゃ ものいはひ 
   *旦生、支那語であり、日本人は使わない。つまり、流光齋は支那人である。
 
1795.05(寛政6.05)-1796.01(寛政7.01)冩樂(1734-1823)*しゃらく、写楽 役者浮世絵の最高峰
           *写楽は、突然、現われたのではなく、その土壌が培われていた。
   つまり、上方(かみがた)役者絵本を知悉していた人物
   上方の関連のある人物でなければならない。
   素外(1734-1823)は、俳諧の弟子である蔦屋を支援のため、10ヶ月で130枚余の板下画稿を与えた。 
   キラ摺の役者絵は、豪華に見えるが、原価は極く安価なもの。身上半減の蔦屋を助けた 
 
A2  流光齋(1750s-1809-)ー
  松好齋半兵衛(1770s-1807-)ー
  春好齋北洲(1790s-1832-)ー *半兵衛の弟子、後に北齋に師事
  春梅齋北英(1810s-1834-1837-
 
 流光齋[如圭](りゅうこうさい)(1750s-1809-)/伝記集成 総目録  316項目   
 
     松好齋(しょうこうさい)(1770s-1807-)枩好 半兵衛 伝記集成13項目 総目録 197項目                                                   
 
    春好齋北洲(ほくしゅう) (1790s-1802-1832-) 2021伝記集成7項目 総目録236項目 
 
  1970松平進/上方の役者絵  1 春好齋北洲。
 
A3  葛飾北齋(1760-1849)ー
  春好齋北洲(1790s-1832-)ー
  春梅齋北英(1810s-1834-1837-)
 
      春好齋北洲(ほくしゅう)(1790s-1802-1832-) 2021伝記集成7項目 総目録 236項目 
 
      北英(ほくえい)(1800s-1827-1828-1836)/伝記集成10項目 総目録 125項目 
   1970松平進/上方の役者絵  3 春梅齋北英。  
 
B   カッパ摺 雪抗齋 長秀など
雪抗齋 (1730s-1760s-) せっこうさい 彩色画選 全3 耕耘収 
 *やはり上方(かみがた)、つまり浪花、京から新しい技法が起こっている。
 長崎絵なども、カッパ摺のものがあり、これらの影響もある。
 光悦謡本も、長崎のキリシタン版から影響を受けて、作成した。
 
長秀(1770s-1836-) *ながひで      有樂齋(うらくさい)~ 京 カッパ摺 祇園祭礼練りもの
 
        有楽齋長秀(ながひで)(1780s-1836-)/総目録 216項目 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)
   *長秀は京出身であるから、大坂絵ではなく、京も含む上方(かみがた)絵が妥当
 
C1  豊國1(1769-1825)(57)ー
  丸丈齋國廣(1790s-1835-)  
 
        丸丈齋國廣(くにひろ)(1790s-1813-1836-) 総目録 128項目
  1970松平進/上方の役者絵  4 丸丈齋國廣。  
 
C2    豊國1(1769-1825)(57)ー
  國重改重春・柳齋重春  (1802-1852)(51) *國重改重春
 
        重春(しげはる)/伝記集成 総目録 196項目 くにしげ國重は前名 
  難波で、唯一、錦絵を生業とした長崎出身の浮世絵師。
  日本浮世絵博物館に、重春の作品が大量にあるが、未整理
  番号を付して、デジタル撮影し、浮世絵学に沿って、データ化することが肝要
  恐らく、500-600枚以上あるか
 
D  戯画堂芦國(1790s -1816-1817-)(あしくに)- 
  寿好堂よし國(1790s-1830-)ー
  芦ゆき(1790s-1816-1833-) 
   
        戯画堂芦國(あしくに)(1770s-1801-1820) 伝記集成17項目 総目録 88項目 
      1970松平進/上方の役者絵  2 戯画堂芦國。
 
        壽好堂よし國(よしくに)(1790s-1813-1832-) 伝記集成16項目 総目録 123項目 
  1970松平進/上方の役者絵  5 寿好堂よし國。  
 
       戯画堂芦ゆき(あしゆき)(1790s-1816-1833-) 総目録 215項目 
 
E   國貞1(1786-1864)(79)ー
       貞信1(1809-1879)(71) 
       貞升1改國升(1820s-1848-1850s-)  総目録 
     廣貞(1830s-1847-1863-)
    
    貞信1(1809- 1823-1839-1879)(さだのぶ1)/伝記集成19項目 総目録 570項目 
 
    五蝶斎貞升1(さだます1)改國升(1820s-1832-1848-) 上方絵  
 
    廣貞(ひろさだ)(1830s-1847-1863-)上方絵 中版 大首 
   
  
F   國芳(1797-1861)ー
     ・芳梅(1819-1879)ー
    ・芳雪(1820s-1860s)ー
     ・芳瀧(1841-1899)  
  
 ・芳梅(よしむめ) 2020芳梅/総目録_114項目 
 
  ・芳雪(よしゆき) 2020総目録_84項目 
 
  ・芳瀧(よしたき) 2021-01-09芳瀧(よしたき)/総目録_213項目 
 
G   芳國(1855-1903) 上方(京) よし國(役者絵)とは別
 芳國(よしくに)(1855-1903)(49) 京坂名所圖絵 17点、判明
 
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上方の初期絵師

〇祐信(1671-1751)(81)*すけのぶ 西川~  *京、版本専門 肉筆はない

〇守國(1679-1748)(70) *精細な版本
 
〇春卜(1680-1763)(84)*しゅんぼく 大岡~ *カッパ摺 
 
〇雪鼎(1710-1786)(77)*せってい) 月岡~  
 
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〇上方絵図録
1 浜松歌國(1776 – 1827)
1827(文政10)浜松歌國(1776 – 1827)(編)/許多脚色帖(あまた きゃくしょく じょう) [吉野五運(四世、五世)依頼]  https://www.ukiyo-e.co.jp/80171
 *芝翫(しかん)1778 – 1838   贔屓、芝翫中心に役者絵、番付など年代別に集大成した。
[*璃寛(りかん)1769-1821。その俳名から「大璃寛」(おおりかん)
  芝翫のライバル 嵐橘三郎、吉三郎]
 

2 小林一三(1873-1957)

阪急学園池田文庫編 逸翁美術館 公益財団法人阪急文化財団 小林一三(1873-1957) 

 *いちぞう 茶人 阪急電鉄の創設者、宝塚

*阪急財団アーカイブ 

http://www.hankyu-bunka.or.jp/archive/?app=shiryo&mode=list&list_id=5967&act_type=list_type&list_type=2#rst-pos

浮世絵・番付検索結果 | 阪急文化アーカイブズ | 阪急文化財団

浮世絵 約30,743 ここに落款、刊年、判型形態、外題、板元、内題など記載されている。ただし、原画は無外題も多い、板元、役名、役者など。役名(役者)が原則であるが、財団では逆に、役者(役名)と配置している。原画に刻記されていない文字は( )で区別することが肝要で、実際の検索に役立つ。上方絵の第一級、最大のコレクション  学芸員: 太壽堂素子(2021現在)

・あしくに 芦國 43件

・あしゆき 芦ゆき 229件

・くにさだ 國貞 3415

・えんじゃく 猿雀

・くにかず 國員 

・くにひろ 國廣 129件

・くによし 國芳 1136

・さだのぶ 貞信 269件

・さだます 貞升 102件

・しげはる 重春 145件 *専業の絵師で、総数は更に多くなる

・しゅんこう 春好 291 *別の絵師も含んでいる

・しょうこうさい 松好 1件

・とよくに 豊國 5307件 *初代、二代、三代を含むか

・ながひで 長秀 51件 カッパ摺

・ひろさだ 廣貞 1108件

・ひろのぶ 廣信

・ほくえい 北英 248件

・ほくしゅう 北洲 280件

・むねひろ 宗宏 

・よしくに よし國 179件

・よしたき 芳瀧 1463件

・よしゆき 芳雪

・りゅうこうさい 流光齋 2件  *流光齋の作品、極めて少ない 贔屓に配った記念

1983松平 進/北洲と豊國 上方江戸役者絵名匠展 池田文庫

1997(平成9)上方役者絵集成1 阪急学園池田文庫編 

 *春好斎北洲をはじめ、戯画堂芦ゆき、寿好堂よし国などの作品を中心に704枚、439点を収録

1998(平成10)上方役者絵集成2 阪急学園池田文庫編 

 *丸丈斎国広、春梅斎北英、柳斎重春等爛熟期の役者絵699枚、444点を収録

2001(平成13)上方役者絵集成3 阪急学園池田文庫編 

 *初代長谷川貞信、初代歌川貞升、長谷川宗宏、五葉亭広信など、大判期と中判期の作品、865枚、589枚

2002(平成14)合羽摺の世界 逸翁美術館 46点

2003(平成15)上方役者絵集成4 阪急学園池田文庫編 

 *五粽亭広貞、猿雀や歌川国員、六花園芳雪らの作品、全1,534枚、701点を収録

2005(平成17)上方役者絵集成5 阪急学園池田文庫編 

 *芳滝の作品のみ1,380枚、592作品

 
3 黒田源次(1886- 1957)
1927(昭和4)黒田源次(1886- 1957)/上方絵一覧、佐藤章太郎商店 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) https://www.ukiyo-e.co.jp/80131
 

4 池長 孟*(1891-1955)

神戸市立博物館 池長 孟*(1891-1955) *はじめ 

南蛮美術が中心であるが、多くの上方絵、洋風版画も所蔵

旧南蛮美術館(池長 孟・収集品)図録も多く刊行している。

1934池長 孟/邦彩蛮華 *豪華本

5 甲南女子大学図書館

1997 上方錦絵図録 715点 総目録 総図録 

2021 上方浮世絵名品展 

何か御気付きの点があれば、御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 浮世絵鑑定家

1982-04-29現在(2021-03-03) 浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) *学芸員 *浮世絵鑑定家  Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前)

日本最古の浮世絵専門店

[投稿一覧] 2025-09-12 1497項目

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