浮世絵学04/1787(天明7)上田秋成/金印考 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/21593
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浮世絵学04/1787(天明7)上田秋成/金印考 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/21593

1982-04-29現在(2022-05-23更新) 

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人) 

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

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御案内

G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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複製・復刻

R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,172項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

 

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

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◯浮世絵学(支那學・文化藝術懇話会)支那學・研究一覧(邪馬台国、帰結)三國志(魏志)と隋書 古田武彦 九州王朝* 帰結、ずばり九州(「阿蘇山」と書かれている)(古田武彦/九州王朝*)酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/37595

1787上田秋成/金印考 57金印(漢委奴國王)

1787(天明4)、金印(漢委奴國王)が志加島(しかのしま)で、発見されると同時に、上田秋成は五文字の漢印であることを証明している。また委奴(ヰド)國と読み、北九州に地名があることも述べている。博多は那の津であるが、57年、光武帝(劉秀)(BC6-57)は、この金印を北九州のヰト國に与えたものである。 これ以前、イト國は後漢に朝貢していたからである。しかし、当時、まだ国家と呼ぶほどの規模でなかった。委奴(ヰド)國は、未だ卑弥呼*(ひみか)の女王國・邪馬壹國の以前の段階で、極く小さい共同体と見做される。

(古田)卑弥呼、読み「ひみか」。「呼」の読み「か」

 

 

(解説)漢委奴國王金印考一巻

230s年前後、女王國、邪馬壹國(ヤマイッコク)の存在が確認される。

偽印説もあるが、全く同じ大きさの金印、四川省から滇(テン)印(BC278-BC85)が発見されたので、真印であることは明らかである。漢隷などにも精通していた秋成の博識に驚く。

(古田)漢委奴國王印 当時の漢印、印譜を調べた結果、二重の形容はなく、必ず「どこ」の王に授与したとなっている。AがBに授与、AがBのCに授与の例は無い。つまり、この読み方は、漢の「わ」の「な」の国王ではなく、漢の「ゐど」国王と読む。

(雁註)篆書の象形文字で判読すると、「委奴(ゐど)國王」となる。「委」(ゐ)は、稲穂が頭を垂れる、つまり御辞儀をする人々である。委の人々ということで、後から人偏を付して、「倭」を作字した。音も変化して、「わ」となった。

*浮世絵学(支那學・金印「漢委奴國王」)2019酒井雁高/「委奴(ゐど)」の真解釈  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) http://www.ukiyo-e.co.jp/39091

何かあれば、御教示下さい。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator [浮世絵学**]

浮世絵・酒井好古堂

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[浮世絵学]文化藝術懇話会  浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14

電話03-3591-4678 



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