浮世絵学04/外題編(奈良絵巻・奈良絵本)2015奈良(絵巻・絵本)たけとり(竹取の翁)かぐや姫 2015-11-2現在 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)   [HP: ukiyo-e.co.jp]
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2015-11-27現在 

酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂   [HP: ukiyo-e.co.jp]

酒井好古堂主人 SAKAI_gankow,  curator,  professional adviser

2015-05-22現在

酒井雁高(酒井好古堂主人)SAKAI_gankow,  curator,  

浮世絵・酒井好古堂   [HP: ukiyo-e.co.jp]

professional adviser of ukiyo-e, sakai koukodou gallery  

2015-05-22[ukiyo-e.co.jp]  *You might also see [japan-ukiyoe-musem.com]

◯奈良絵巻、奈良絵本(御伽草子)の術語の定義 *平安期の絵巻、その他、絵入版本も含む

奈良絵巻・奈良絵本は、画者*(「画ハ」の意、画の模写)、筆者*(「筆ハ」の意。これは画でなく詞書の書写)、制作年、版元(元締め)が書かれていないので、判型、肉筆また版本(古活字、整版)などを勘案して、年代を推測している。

*画者、「えハ」の意であるが、術語として定着していない。絵者、画者の術語は、私の造語であり、混乱を避けるための便法である。[筆者、筆写、書写、清書、筆耕]などに対する絵師の意。

*筆者、「ふでハ」と読み、親王級の人物が詞書を書いた。斐紙(雁皮紙)で、下敷きの罫線が透けて見えるので、副本に沿って、墨継ぎをして連綿でサラサラと書いた。「筆者」に対する、「画者」(ゑハ」という術語が無いので、敢えて画者として使った。絵、絵師は、かなり下位の人物が担当していた。筆も画も、副本があって、それを転写、模写したのである。

1937-1977絵巻物/総目録

1937東京帝国大学/絵巻物目録

1968SORIMACHI:NPL_W.Spencer

1971吉田/丹緑本ほか

1971吉田小五郎/丹緑本

1979SORIMACHI:ChesterBeatty

1979反町茂雄/奈良絵本私考

1984吉田小五郎/丹緑本

2003石川透/奈良絵巻、奈良絵本 のコピー

2014絵巻物 2015絵巻物総目録

2015丹緑本/総目録

2015奈良(絵巻、絵本)/概観、術語

2015奈良(絵巻、絵本)/総目録

2015奈良(絵巻、絵本)/総目録ほか

2015奈良絵巻/総目録

2015奈良絵本・絵巻・丹緑本

2015奈良絵本・絵巻

2015奈良絵本/総目録

2015奈良(絵巻、絵本)/総目録ほか *概観、術語 404項目 *書名以外も含む

*全体を概括するため、竪横の一覧表にまとめた。典拠は、奈良絵本・奈良絵巻の参考書、反町茂雄、石川透ほか、諸先生方の諸本を参考にした。更に、一覧表にして、個々、全体が分かるように整理したい。

奈良絵巻、奈良絵本は、古い平安の大型絵巻物、中世の絵巻物に記録されていない。つまり1615元和偃武(げんなえんぶ)以降、堺あたりで制作されたものと考えられる。「ころう丁」の「丁」は、家康が整備した堺に特有のものである。鼓楼(ころう)、つまり、真宗の寺院に固有の施設である。奈良絵巻は、奈良、春日大社あたりで制作されていたという仮設は、どうも妥当性を欠くようだ。また京の「城殿」(きどの)は製作者というより、販売者と考えるべきであろう。紙背文書(奈良絵本の表紙裏の反故紙)「反故紙の書目」から推定すると1,000種類以上の作品があり、「京にて売る」と記述があり、販売は京であるが、制作は別の地域、堺あたりかと推定しておく。

1979反町茂雄/チェスタービーティー図書館蔵 日本の絵入本および絵本目録

1979反町茂雄/奈良絵本私考

1982奈良絵本国際研究会議/御伽草子の世界。

1992沢井耐三/室町時代複製翻刻目録/新日本古典文学大系55

1998市古貞次/中世文学年表 小説・軍記・幸若舞

2003石川透/奈良絵本・絵巻の生成。

◯奈良(絵巻、絵本)/総目録 五十音

2015奈良(絵巻、絵本)/総目録 494点

*絵巻、絵本を区別しない書誌学者もいるが、やはり絵巻、そして絵本として区別した方が理解しやすい。

ただ分類で検索する時、「奈良」と入力すれば、両方とも検索できる。判型記号で、それぞれ絵巻、奈良絵巻、奈良絵本で検索できる。絵本は一般的な分類で、絵入また挿絵入の版本の意。

◯2015奈良絵巻/総目録

*奈良絵巻は1520s以前。1520s以降、1660s寛文頃まで奈良絵巻は制作され、1690s−1700s元禄末に消滅した。これは大名家が没落、改易などの理由で、需要が減ったからである。

2015奈良絵巻/総目録 134点

*奈良絵巻は、室町末期から江戸初期に、制作された。1520s大永頃より、絵巻は次第に奈良絵本(冊子)になる。絵巻物は、僧侶らによる副業もあったが、次第に需要に応ずるため、京の扇屋、絵草子屋が量産の仕込絵として制作していった。しかし、絵の画格も、ばらつきがある。すべて無款のため、画流は広く大和絵、土佐絵、狩野派ということになろうか。

 

(絵)以下、「たけとり」全3巻(日本・個人)を紹介する。

*1.1×1.6尺の基準の楮(こうぞ)を使っている。絵は倍尺もある

IMG_0033 - バージョン 2

日本・個人 *無断複写を禁ず

*(詞書)平安期、詞書き(筆、ふで)は天皇、親王階層が書いた。室町-江戸初期、公家衆、武家また僧侶が担当した。ある程度、書流を習得した人物であろうか。その意味で、一人で一気に書き込んでいる。墨継ぎなどに面白みがある。しかし書流にも、上下、かなりバラツキがある。

本絵巻は、「極メ」があり、「明之言様御筆」と書かれている。これは例外であって、一般に画者、筆者の名前は書かれていない。書かれているものは、古筆家が便宜的に有名人に宛てて、鑑定と称して、その実、営利を目的としていた。学術的には、殆ど無意味なものである。

つまり奈良絵は、奈良(実ハ堺)また京都の専業筆耕、専業絵師、また僧侶、公家、連歌師らの完全な分業である。

1600s-1620s慶長元和頃まで、註文生産。1620s−1630s寛永以後、商品化され、大量化する。

その後、奈良絵から暗示を受けて、大津絵が生まれた。

◯大津絵

1543年、ポルトガル、スペインによるキリスト教が九州を中心として、西日本全域に布教された。キリシタン大名なども多く輩出した。しかし、その後、キリスト教を布教しながら、奴隷貿易を行っていることが明らかとなり、弾圧された。大津で盛んに仕込み描かれた大津絵は、一気に日本全国へ広まった。これは大津絵を掛けることにより、自分は仏教徒であることを示し、キリシタン容疑の拷問、迫害を避けるためであった。

 

 

IMG_0036 - バージョン 2

 

日本・個人 *無断複写を禁ず

*本絵巻は「極メ」があり、「土佐光隆筆」とある。しかし、本来、「筆」は書跡の意である。筆者、これは「ふでハ」で、「ひっしゃ」ではない。平安期、「絵」は(絵者か)五位程度のものが担当、「筆」は親王以上が担当する。「筆者(ふでハ)」の方が遥かに位が高いのである。公家、武家、僧侶が、手分けして物語の筋を書き、専業絵師が絵を描いた。絵も上下のバラツキがあるが、奈良、大坂(堺)、京などで、生業とした専門職であろう。素人ではない。

*かぐや姫は、必ず「柔らかい丸い柳行李」に入っている。丸いことが基本である。後に事実を知らぬ絵師らが、黒漆など四角い箱に入れて平気な顔をしている。これは。全く認識不足である。

*月宮殿からの迎えで昇天する情景。他の絵巻に平安期の網代車(あじろぐるま)のような大きな車輪が描かれているが、宇宙からの迎えとしては合点がいかない。やはり神輿、鳳輦(ほうれん)で四人以上で担ぐのが古来の常法であろう。

*たけとり絵巻、これまでの登録から、1660s寛文ころ、制作されたことが分かる。これまでの作品の昇天の画像を点検してみると、かなり雑に描かれていることが判明した。筆者に関しても、名もない筆写、筆耕であろうことは想像できる。その点、本絵巻の筆者、画者は、極めて優秀な人物であることが理解できる。

2015カグヤ姫昇天

絵3-5左

日本・個人  *無断複写を禁ず(恐らく、最も豪華絢爛の五彩の雲、昇天図)

*竹取り、つまり竹は南方の熱帯原産であって、南方から伝わった物語である。子供の頃、絵本に孟宗竹の節(ふし)に描かれたカグヤ姫を見たことがあるが、これも事実誤認である。

*南方の熱帯では竹矢来(たけやらい)で御産をする。竹(矢来)で生まれたのが、何時の間にか竹から生まれたに誤認されたのである。太陰太陽暦では、月明りが頼りであった。月の明り以外、全く明りはない。満月の度に見る、輝かしい月に未知の世界があると渇望したのである。カグヤ姫は、異界からの女神である。従って、地上の王権も、あっさりと拒否できたのである。

 

◯2015奈良絵本/総目録

2015奈良絵本/総目録

2015初期絵本/総目録 *奈良絵本と重複するものもある

*奈良絵本は、室町末期から江戸初期に、制作された。大永(1520s)頃より、絵巻は次第に奈良絵本(冊子)になる。通常、冊子本は二、三冊である。

・大型は1×0.75尺、

・中型は0.75×0.55尺、

・横本は0.6×0.7尺、これが一般的な冊子

当時の紙の判型は、尺寸で把握すると分かり易い。

小絵(こゑ)と称されている紙の判型は、0.55-0.6尺である。

鳥の子(楮、こうぞ)を使っているが、横本になると泥入り間似合紙(まにあいがみ)を使う。

平安朝の貴族向けの豪華な絵巻物と全く別に、庶民が楽しめるような平易な文章で、寺社縁起、お伽草子(昔咄)、出世譚、異界異類、謡曲(申楽)、などを題材とした。絵師は、寺社の絵所預かりの絵仏師、また下請け僧侶などだけに限定できず、量産化と同時に町衆の草紙屋、扇屋など専業職が主流となったことは想像に難くない。室町期は世阿弥(1363?-1443?)の申楽(さるがく、明治期に能楽))からも暗示を受けている。申楽は神男女狂鬼の五番、いずれも冥界の畏敬の対象としての死霊である。

需要層は武士であった。都で造られた品物を購入していったものと考えられる。

奈良絵本(奈良絵巻を含めて)は堺、京、奈良で描かれた。当初、註文生産であったが、次第に量産化した。一番歴史の古い奈良は戦乱などで疲弊した。京周辺も、戦国武家らによる寇掠、戦火で焼失している。堺が安土桃山期では、活気があった。

*実際の奈良絵本(奈良絵巻)を売買し、記録した書誌学者の反町茂雄氏の1979奈良絵本私考、弘文荘は、288の目録が書誌学を踏まえて記録されている。また、先学の意見を取り入れ、独自の歴史的背景などで奈良絵本(絵巻も)を製作者、制作年代、需要者らの詳細を記録している。現在でも、奈良絵本について、最も信頼できる見解である。

 

◯2015丹祿本*/総目録    *これは版本、部分的に丹緑黄の筆彩色を施している

1971吉田/丹緑本ほか

1971吉田小五郎/丹緑本

丹緑本(たんろくぼん)と称する筆彩色の版本は、古く元和期(1610s-1620s)の古活字本、寛永期(1630s)が全盛で、寛文期(1660s)、明暦、万治期(1650s)で終る。奈良絵本を版本化して、丹、緑、黄の三色ほどで、筆彩色を施して需要に応えた。

 

◯絵画、歌舞音曲、国文

2015奈良絵本・絵巻・丹緑本 *絵画+歌舞音曲+国文 これらを一括して総合的に把握

肉筆[の奈良絵本、奈良絵巻]と版本[歌舞音曲、丹緑本]を区別する必要があるが、全体の動きを把握するため一括した。

1983-1988横山+松本/室町時代物語大成 御伽草子 476点 奈良絵本+奈良絵巻を含むが、大半は版本

2015奈良絵本・絵巻 *五十音順

2015奈良絵本・絵巻 *版本も含んでいる。純粋な絵巻の総数は、かなり少ない。

 

これまで国内では、奈良絵本・絵巻の評価が低く、殆どの作品は海外へ流出してしまった。

海外の作品なども含めて、今後、更に補っていきたい。

*この項、吉田小五郎、赤井達郎両先生の多くの所見を取り入れた。

何かお気づきの点があれば、御教示ねがいたい。

酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator

浮世絵・酒井好古堂   [HP: ukiyo-e.co.jp]

文化藝術懇話会

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電話03-3591-4678 Fax03-3591-4678

 



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