浮世絵学11/文化藝術懇話会*(18)魏志東夷倭人条、隋書、法隆寺金堂釈迦三尊光背銘 天寿国繍帳 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) [HP: ukiyo-e.co.jp]
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2015-06-22現在 酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂   [HP: ukiyo-e.co.jp]

酒井好古堂主人 SAKAI_gankow,  curator,  professional adviser

2015-05-20現在 *中国正史倭人伝(1)(2)など原本を忠実に翻刻した便利な文庫本が刊行されている。

はがき/懇話会(18)2015-01-22

編年順に記録を整理してみると

57漢倭奴國王(一覧表)

240s魏史東夷伝倭人条

290s陳寿(233-279)/魏志東夷倭人条

307随書

414広開土王 421-478宋書/讃、珍、済、興、武、 *奈良王朝は、622白村江の後。

570福岡・元岡古墳の鉄剣.rtfd

607随書/俀国伝 *阿蘇山が記述されている。

622.02.22聖徳太子薨去/法隆寺金堂釈迦三尊

*日本書紀の記述、誤り。太子の母、妃、太子が死んでいるのに記述がない。

622天寿国繍帳(中宮寺).rtfd

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623癸未(推古31)釈迦三尊光背銘

IMG_0005 - バージョン 4

 

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(雁註)光背銘の文字は、中国北朝の通用文字であり、これらは中国人が九州に渡来していたことを示すものである。

例えば、右から左へ文章が刻まれているが、左から二行目、上から二文字目、彼岸(ひがん)の「岸」。これは楷書と違う通用字体で、北朝では正字であった。羅振玉の増訂碑別字字典に漢隷から楷書へ定着するまでの変遷文字が掲載されている。

詳細について、西川寧先生(1983大英図書館収蔵 敦煌・楼蘭古文書展)、藤枝晃(1991トウルファン古写本展)先生の文字の釈文、同定を参照されたい。

聖徳太子の法華経義疏(きしょ)の文字も同様である。つまり九州王朝を土台に再度、歴史を見直すと、よく理解できる。662白村江の戦い以前、既に大陸から多くの渡来人が九州に定住していたのである。因みに九州は、博多、熊本の意ではなく、総ての国、つまり全世界を表す秦の始皇帝が定めた地域概念である。

1998石田/玉虫厨子

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(雁註)玉虫の厨子、当時、この名称は記録されていない。明治以降の造語である。玉虫は殆ど、失われているので、当時の状況を把握できない。

 



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