浮世絵学04/シーボルト・ゼミナール 2021-11-15(月)18:30-20.00 大胡真人おおご まひと ドイツ文化協会 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/   
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浮世絵学04/シーボルト・ゼミナール 2021-11-15(月)18:30-20.00 大胡真人おおご まひと ドイツ文化協会 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/   

1982-04-29現在(2022-10-15更新)

浮世絵学:ukiyo-e study  浮世絵鑑定(肉筆浮世絵、錦絵):judge

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

酒井 雁高(がんこう)(浮世絵・酒井好古堂主人)

*学芸員 *浮世絵鑑定家 📞 Phone 03-3591-4678(東京・有楽町)

酒井 邦男(くにお)  酒井好古堂・副代表    *学芸員     *浮世絵鑑定家

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14(東京・有楽町 帝国ホテルタワー前) 

日本最古の浮世絵専門店

1803葵衛(齋藤秋圃)/葵氏艶譜


ALL浮世絵学 記事一覧    All articles and images of Ukiyo-eGaku

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G浮世絵学00 御案内 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)  Guide

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R浮世絵学00/複製・復刻 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) Copy and Handmade reproduction 

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V浮世絵学 ミニ動画     Mini-film, about 5 minutes 

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*1946、私、酒井雁高(がんこう)、(戸籍名、信夫のぶお)は、酒井藤吉、酒井十九子の次男として生まれた。生まれた時から、浮世絵に囲まれ、浮世絵博物館に組み込まれていたように思う。1966、兄・正一(しょういち)が冬山のスキー事故で死亡。いきなり、私に役目が廻ってきた。それにしても、子供が先に亡くなるとは、両親の悲しみは察して、余りある。母は、閉じこもったきり、黙ったままの父に、何も話すことが出来なかったという。

*1967、私は大学の経済学部を卒業し、すぐ文学部国文科へ学士入学。何とか、源氏物語など、各種日本文学、江戸文学も多少、学ぶことが出来、変体仮名なども読めるようになった。http://www.ukiyo-e.co.jp/wp-admin/edit-comments.php

*1982年以来、浮世絵博物館と一緒に過ごしてきた。博物館が女房替わりをしてくれたのかも知れない。

*それでは子供、というと、これら浮世絵学、1,213項目であろうか。一所(浮世絵学)懸命、学問としての浮世絵学を成長させてきたつもりである。今後も、御支援、御指導を賜りたい。2021-06-20酒井雁高・識

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日本で最古の浮世絵専門店。幕末の開明思想家・佐久間象山(1811-1864)(しょうざん)が、酒井義好(1810-1869)*よしたか の書齋を「好古堂」と命名しました。1982、酒井藤吉(とうきち)・十九子(とくこ)、酒井貞助(ていすけ)・富美江(ふみえ)、酒井泉三郎(せんざぶろう)・美代子(みよこ)らは、好古堂蒐集品を基として、父祖の地、松本市郊外に、日本浮世絵博物館を創立しました。

父・藤吉が亡くなってから、酒井信夫・雁高(がんこう)、そして酒井邦男が継承し、世界各地で65回の浮世絵展覧会を開催して今日に至っています。皆様のご指導ご鞭撻を御願い致します。

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 *Sakai Kohkodou Gallery  酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人) Japanese Traditional Woodblock Prints  

SAKAI_gankow, curator, professional adviser of ukiyo-e

2022 SAKAI, gankow   酒井雁高

 

2018 SAKAI gankow

 

2020 SAKAI kunio

 

 
*ファックス、使えません。
 
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2021-11-15(月)18:30-20:00  大胡真人 OAGオーアーゲー、ドイツ東洋文化研究協会 

シーボルト・ゼミナールを再開します。三密を回避したレセプシォンを行います。よろしく。大胡

各  位                            2021年10月22日

公益社団法人 OAGドイツ東洋文化研究協会                  

                      シーボルト・ゼミナール

日独修好160年記念

  『 シーボルト・ゼミナールのご案内 』

 OAGドイツ東洋文化研究協会は、1873年、在日ドイツ外交官、学者、貿易商による設立以来、伝統の研究会を開催しています。シーボルト・ゼミナールは毎月一回(原則第2月曜日、7-8月休会)開催され、どなたも随時参加できます。161回を数える、幕末・明治にわたるシーボルトが研究した様々なマターをテーマとする講座に成長し、世界で唯一のシーボルト・ゼミナールといわれ、その存在はドイツでも知られています。

講 演: 「澁澤栄一とアレキサンダー・フォン・シーボルトのパリ万博と欧州旅行」

 OAGシーボルト・ゼミナール コーディネーター 大 胡 真 人

と き:  2021年11月15日(月)18:30―20:00

ところ :OAGドイツ文化会館 1階ホール(港区赤坂7-5-56 青山一丁目駅下車7分)

 *赤坂見附と青山一丁目の間、草月会館と高橋是清記念館の間の道を行くと50mほど

かいひ :無料(申込は会場にて受付、マスク使用、検温、アルコール消毒、人数制限有)

1867年、徳川幕府は、パリ万博に、将軍慶喜の弟徳川昭武(1853-1910)を名代とした大使節団を派遣した。もう一つの目的は、条約締結国への親善訪問だった。澁澤栄一は庶務・会計係として、Ph,Fr. フォン・シーボルトの息子アレキサンダー・フォン・シーボルト(1846-1911)は利害を異にする列強公使たちの総意で通訳として派遣された:(彼の回想から)

1867年の1月中旬だった ― 私の家の入口は板が十文字に釘打ちされ、窓と扉は目張りされていた。私は、天然痘で寝ていたが起き上がったばかりだった。とても危険で,ゆでたカニの様に赤く、だるく、そして 顔は腫れ穴と瘡蓋に覆われていた ― 外は日が照り、向いの寺院のみどりの木々の梢は朝風に揺れていた。医者と二人の召使だけが、一カ月来話をした人たちだった。感染を恐れて、私が顔を出すだけで皆引き込んでしまっていた。

ガラス戸を叩いて、サトウとミッドフォード(両者英国大使館員)が私に眼で合図していた。「大君の弟が2月15日出発する、そしてお前は同行するのだ」と云っている。「公使たちが今日協議した。元気で ! さよなら」。私は明日、見張り役と共に、公使(パークス)が天皇に拝謁する準備のため大阪に派遣されることになっている。それは良いニュースだったが、ただ、この旅にでるに当たって、十分健康であることだ。問題は、自分自身が健康だけではなく、他の人にとっても、最早、危険でないということだ(Vera Schmidt, ACTA SIEBOLDIANA Ⅶ P. 12)。

講師は、シーボルとの日記その他からトピックスをひろい所見を述べます。

ハリー・パークス(1828-1885)Sir Harry Smith Parkes, GCMG, KCB 

サー・ ハリー・スミス・パークス  英国 の 外交官 。幕末 から 明治 初期にかけ18年間 駐日英国公使 を務めた。.

ミッドフォード(1837-1916)Mitford, Algernon Bertram Freeman M.

イギリスの外交官。
1837年2月24日生まれ。慶応2年(1866)来日し,公使パークスのもとでサトー,アストンとともに書記官として勤務。明治3年帰国,のち下院議員。39年イギリス王室使節に随行して再来日した。日本に関する著作がおおく,邦訳に「英国貴族の見た明治日本」など。1916年8月17日死去。79歳。ロンドン出身。オックスフォード大卒。
ウィリアム・ジョージ・アストン (1841 – 1911) William George Aston

アストン、英国の外交官、日本学者で朝鮮語の研究者でもある 。アストンは、19世紀当時、始まったばかりの日本語および日本の朝鮮語の研究者でもある。アストンは、19世紀当時、始まったばかりの日本語および日本の歴史の研究に大きな貢献をした。アーネスト・サトウ、バジル・ホール・チェンバレンと並び、初期の著名な日本研究者である。フリーメーソン。

アーネスト・サトウ(1843- 1929) Sir Ernest Mason Satow 枢密顧問官、GCMG

イギリスの外交官。イギリス公使館の通訳、駐日公使、駐清公使を務め、イギリスにおける日本学の基礎を築いた。日本名は佐藤 愛之助(または 薩道愛之助)。雅号に薩道静山[2]。日本滞在は1862年から1883年(一時帰国を含む)と、駐日公使としての1895年から1900年までの間を併せると、計25年間になる。植物学者の武田久吉は次男。

バジル・ホール・チェンバレン(1850 – 1935) Basil Hall Chamberlain

イギリスの日本研究家。東京帝国大学文学部名誉教師。明治時代の38年間(1873年-1911年)日本に滞在した。アーネスト・サトウやウィリアム・ジョージ・アストン(William George Aston)とともに、19世紀後半から20世紀初頭の最も有名な日本研究家の一人。彼は俳句を英訳した最初の人物の一人であり、日本についての事典“Things Japanese”(『日本事物誌』)や『口語日本語ハンドブック』などといった著作、『古事記』などの英訳、アイヌ[1]や琉球[2]の研究で知られる。「王堂」と号して、署名には「チャンブレン」と書いた。


拝復

大胡真人(おおご まひと)さまより、シーボルトゼミナール再開の知らせがきました。

各位に転送します。御参加をお待ちしております。

と き: 2021年11月15日(月)18:30―20:00   

ところ :    OAGドイツ文化会館 1階ホール(港区赤坂7-5-56 青山一丁目駅下車7分) 

かいひ :    無料(申込は会場にて受付、マスク使用、検温、アルコール消毒、人数制限有) 

大胡さまの講演で、

「澁澤栄一とアレキサンダー・フォン・シーボルトのパリ万博と欧州旅行」

シーボルト(1796-1866)

渋沢栄一(1840-1931)

1867(慶應3)徳川幕府・昭武の遣欧使節に随行 采配を振るい、ヨーロッパ列強の各国の産業設備、経済制度などを視察、見聞を広めた。

1869(明治2)大蔵省官吏に登用され、貨幣、金融、財政制度の改革を行う

1873   退官し、第一国立銀行(第一銀行の前身、第一勧業銀行、みずほ)を創立。皇子製紙、大坂紡績、東京海上、日本鉄道など創立

アレクサンダー・フォン・シーボルト(1846- 1911) Alexander George Gustav von Siebold、

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男で、幕末に在日英国公使館の通訳を務めた後、明治政府にお雇い外国人として40年間雇用された。 不平等条約の最たるものとして知られる日墺修好通商航海条約協力の功によりオーストリア=ハンガリー帝国の男爵となった。 1828年にシーボルト事件のために日本を追放された父フィリップは、48歳となった1845年にヘレーネ・フォン・ガーゲルンと結婚、ライデンに居を構えた。 

ハインリヒ・フォン・シーボルト( 1852- 1908) ドイツ語: Heinrich von Siebold

オーストリアの外交官・考古学者。 父はフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトで、研究分野において父との区別のため「小シーボルト」とも呼ばれる。

兄は外交官で、井上馨外務卿の秘書となったアレクサンダー・フォン・シーボルト、異母姉に日本人女性として初の産婦人科医となる楠本イネがいる。ドイツ出身であるが、後に外交官としての功績が認められ、オーストリア=ハンガリー帝国の国籍を得る。

徳川昭武(1853-1910)   *渋沢栄一が昭武の使節に随行

万国博覧会

開催地 開催会期 特記事項
 【1800年代】  
ロンドン 1851.05.01-1851.11.11 国際博覧会の始まり
ニューヨーク 1853.07.14-1854.11.01 米国初の国際博覧会
パリ 1855.05.15-1855.11.15 仏初の国際博覧会 始めて万国博覧会と称す
      
ロンドン 1862.05.01-1862.11.1 日本の遣欧使節団が視察
パリ 1867.04.01-1867.11.03 日本初出品「幕府」「薩摩」「鍋島」が参加
      
ウィーン 1873.05.01-1873.10.31 日本政府としての公式参加
フィラデルフィア 1876.05.10-1876.11.10 米国独立100周年
パリ 1878.05.01-1878.11.10 エジソンの蓄音機、自動車、冷蔵庫等出展
      
メルボルン 1880.10.01-1881.04.30   
バルセロナ 1888.04.08-1888.12.10   
パリ 1889.05.05-1889.10.31 フランス革命100周年 エッフェル塔建設
(エジソンの白熱電球で初の夜間照明)
      
シカゴ 1893.05.01-1893.10.30 コロンブスの新大陸発見400年 空中観覧車
ブリュッセル 1897.05.10-1897-11.08   
      
 【1900年代】  
パリ 1900.04.15-1900.11.12 クジ付き入場券を発売 地下鉄、動く歩道
セントルイス 1904.04.30-1904.12.01 ルイジアナ買収100周年
リエージュ 1905.04.27-1905.11.06 ベルギー独立75周年
ミラノ 1906.04.28-1906.10.31   
      
ブリュッセル 1910.04.23-1910.11   
ゲント 1913.04.26-1913.12   
サンフランシスコ 1915.02.20-1915.12.04 パナマ運河開通記念 第1次大戦勃発
  1928.11.22 国際博覧会条約採択(施行は1931.1.17)
バルセロナ 1929.05.19-1930.01.15   
      
シカゴ 1933.05.27-1933.11.12
1934.05.26-1934.10.31
はじめて「テーマ」登場 「進歩の世紀」
ブリュッセル 1935.04.27-1935.11.06 「民族を通じての平和」条約による最初の第1種一般博
パリ 1937.05.25-1937.11.25 「現代生活の中の芸術と技術」ピカソのゲルニカ出展
ニューヨーク 1939.04.30-1939.10.31
1940.05.11-1940.10.27
「明日の世界と建設」ワシントン大統領就任150周年
ナイロン、プラスチック、テレビなど出展
    第二次世界大戦
ブリュッセル 1958.04.17-1958.10.19 「科学文明とヒューマニズム」
(第二次大戦後第1回の万博)
シアトル 1962.04.21-1962.10.21 「宇宙時代の人類」
ニューヨーク 1964.04.22-1964.10.18
1965.04.21-1965.10.17
「理解を通じての平和」(BIE非公認)
モントリオール 1967.04.28-1967.10.29 「人間とその世界」カナダ連邦100周年
      
大阪 1970.03.15-1970.09.13 人類の進歩と調和」日本初の万博
スポーケン 1974.05.04-1974.11.03 「汚染なき進歩」
沖縄 1975.07.17-1976.01.18 「海-その望ましい未来」
      
ノックスビル 1982.05.01-1982.10.31 「エネルギーは世界の原動力」
ニューオリンズ 1984.05.12-1984.11.11 「河の世界-水は命の源」
筑波 1985.03.17-1985.09.16 「人間、居住、環境と科学技術」
バンクーバー 1986.05.02-1986.10.13 「動く世界、ふれあう世界」
ブリスベン 1988.04.30-1988.10.30 「技術時代のレジャー」豪州建国200周年
      
大阪(国際園芸博) 1990.04.01-1990.09.30 「花と緑と生活の係わりを捉え 21世紀へ 向けて潤いのある社会の創造を目指す」
      
セビリア 1992.04.20-1992.10.12 「発見の時代」コロンブス米大陸発見500周年
ジェノア 1992.05.15-1992.08.15 「グリストファー・コロンブス-船と海」
テジョン(韓国) 1993.08.07-1993.11.07 「発展のための新しい道への挑戦」
リスボン 1998.05.22-1998.09.30 「海洋-未来への遺産」
      
 【2000年代】
ハノーバー 2000.06.01-2000.10.31 「人間-自然-技術」
愛知 2005.03.25-2005.09.25 「自然の叡智」
サラゴサ 2008.06.14-2008.09.14 「Water and Sustainable Development」
上海 2010.05.01-2010.10.31 「Better City, Better Life」

誰でも参加できます。退出も自由です。

終了後、有志で、歩いて青山地下街で、会食をします。

2000円前後ですが、不足分は、OAGドイツ文化会館が決済してくれています。

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大胡真人→酒井雁高

酒井雁高様 ご無沙汰しています。大英博物館の北斎では頑張っていますね。貴殿のいわれるように世界の北斎ですからね。しかし、1901年ごろは、外国人の方が世界一の画家と云っているのに対し、日本では高く評価していなかった

そうですね(ブリタニカ11版)。シーボルト・ゼミナールを再開します。3密を回避したレセプシォンを行います。よろしく。大胡

拝復

森鷗外(1862-1922)日本の軍医として赴任。多くの日記を書いている
1884「航西日乗」 ドイツへと向かう船旅の様子を記録した、
1884-1888(明治17-21)「独逸日記」 ライプチッヒ ドイツ留学中の生活を記録した、 *当初、在徳日記 漢文 原文の漢文は失われた
1885-1886(明治18-19)ドレスデン
1887(明治20)     ミュンヘン 一番、ドイツを楽しんだ時代 カーニバルに参加
1888(明治21)   ベルリン
1888「隊務日記」 ドイツでの生活のうちベルリンでの最後の日々を記録した、
1888「還東日乗」 そして日本へ帰る船旅を記録した

権田保之助(1887-1951)
1915-1916  玩具絵(おもちゃえ)の研究(連載、分類)/好古堂版浮世絵
1924-1925 渡欧 ベルリンなど
横光 利一(1898- 1947) *小説家 こみつ りいち 本名としかず
1936  渡欧日記  ベルリン・オリンピックを取材
レーニ・リーフェンシュタール(1902-2003)ドイツの映画監督 世界最年長のスクーバダイバー
1925 一連の山岳映画に出演,
1932 監督になる
1936  ベルリン・オリンピック 
・前畑がんばれ、水泳 動画があります。
・民族の祭典 動画
・レニ・リーフェンシュタール 多くのカメラをレールで移動させて撮影。当時、画期的な技術。
 
では
雁高 
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西島勉→酒井雁高、大胡真人

こんばんは、西島です。

ご連絡ありがとうございます。

是非参加させてください。

私は大正から昭和初期に活躍した娯楽研究者(主に活動写真)でありドイツ語学者であった權田保之助に興味を持ち、いろいろと調べています。

權田保之助は1924年(大正13年)9月から1925年(大正14年)10月まで渡欧(主にベルリン)しており、昔の欧州旅行がどんなものだったのか、とても興味があります。

シーボルトに関してもいろいろと知りたいです。

どうぞよろしくお願いします。

西島勉


酒井 雁高(がんこう) 学芸員 curator 浮世絵鑑定家

浮世絵・酒井好古堂 http://www.ukiyo-e.co.jp/ ご案内

100-0006東京都千代田区有楽町1-2-14

電話03-3591-4678 携帯090-8171-7668 

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