浮世絵学04/外題(鐘聲抄)1836(天保7申)廣重(画)/狂歌鐘聲抄 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂) http://www.ukiyo-e.co.jp/45228
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酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂主人)   http://www.ukiyo-e.co.jp

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1836(天保7)篶垣眞葛(撰)廣重(画)/狂歌鐘聲抄(きょうかしょうせいしょう)

*三十六人の歌仙で、百人一首ではない。〈序〉ひのえさるのとしさつき 1836(天保7) 梅園遊叟序。

1936菅 竹浦*/狂歌書目集成の狂歌鐘聲抄、

「野崎氏目録の中、刊年未詳の部に、鐘聲百人一首 一冊 篶垣眞葛撰 廣重畫 天保年間 四方側藏」と称するものは茲に掲ぐるものと内容同一なるが如く考へらるゝも、

家蔵書には、ドコにも百人一首といへる名目がない。画像は柳櫻亭花也を筆頭に、次に梅廼屋眞門をあげ最後に真顔の烏帽子水干姿の畫像があり、凡て真顔社中のものを集めたもので、歌よりも廣重の略畫に見どころがある。跋に天保七年丙申五月竹内眞葛」と記してゐる。

(雁註)同一ではない。竹浦の家蔵書、外題が不審。また廣重の略画、および跋の天保七年丙申五月竹内眞葛も不審。

1829*真顔/鐘聲抄 烏帽子水干姿(竹浦の家蔵書の画像)がある。本書は廣重画ではない。 

*真顔(1853-1829)の生前と考えると、1829以前。しかも外題は不審。国書総目録でも検索できない。

1836眞葛/鐘聲抄、本書(廣重の略畫)である。

両者は別であることを再確認する必要がある。

1836一立齋廣重(画)篶垣(すずがき)眞葛(撰)/狂歌鐘聲抄。三十六人歌仙狂歌である。本書は四方側、真顔社中の狂歌書ではない。

*菅野楯彦、大阪の医師。菅野竹浦(ちくほ)を支那式に三文字として、菅 竹浦。

*誤認され誤記されている。この二つ(1929*眞顔撰/鐘聲抄と1936*眞葛撰/鐘聲抄)は、全く別のものである。また、眞顔撰/鐘聲抄、国書総目録で検索しても、確認できない。本書(1936眞葛撰/鐘聲抄)を確認して、比較し、同定を確実にして欲しい。

1926野崎左文/狂歌集目録ほか 酒井雁高(浮世絵・酒井好古堂)http://www.ukiyo-e.co.jp/30083

*外題ほか、正確に記録してある。

◎浮世絵学01/落款(狂歌*)狂歌師*、狂歌書目* DB Kyouka poets & poems 酒井雁高 浮世絵・酒井好古堂 http://www.ukiyo-e.co.jp/19592

関連する二項目について述べる。

1 1836.05*(天保7)廣重画 篶垣眞葛(撰)/鐘聲抄 *1836*(天保7) **篶垣(すずがき、こもがき)

私の五代前の酒井義好(1810-1869)・松園千鶴(まつぞのちづる)が「信 松本 酒井氏」として描かれている。

 百人一首と称しているが、歌仙、つまり三十六首だけである。何故、百人一首と称しているのか不明。

2 英泉(1790-1848)+廣重(1797-1858)/木曾街道の出版経過を知る手掛かりとなる。

1780s(天明)期、狂歌は最高水準に達する。その後は、点取り狂歌となり次第に衰退していく。

1831(天保2)以降、余りに多くの浮世絵出版を行ったため、資金繰りが厳しくなり、1837(天保8)閉業に追い込まれた。

1831.01(天保2)東海道五十三次は、大当たりした。これは1830(文政13)前年、廣重は伊勢大々神楽を描くため、伊勢まで出掛けている。その往還で、東海道の各宿駅を描いた。従って、宮から伊勢へ出掛けたため、宮から京師(けいし)までの鈴鹿越えはしておらず、名所図絵を模写、敷衍した作品である。

1835(天保6)英泉が木曾街道を描いたが、保永堂と折り合いが不調となり、途中で降りる。錦樹堂は、廣重に依頼し、その残り46図を描くため、木曾街道へ出掛けた。

1836.05(天保7申)/鐘聲抄 真葛(撰)廣重(画)

*江戸および信州の名家の狂歌を集め、廣重が画像を描いている。その前年、1835.12(天保4末)までに描かれた。

錦樹堂の意向により、廣重は信州を中心とした三十六人の狂名の肖像画を描き、狂歌を背景に散らして描いた。本書により、錦樹堂は、木曾街道出版の資金を得た。

1837(天保8)保永堂は倒産し、版権は錦樹堂へ移る。

(雁註)保永堂の刊記、1837(天保8)以降、見当たらない。

保永堂は質屋で資金はあったが、出版は素人であった。

鐘聲抄に、松園千鶴(まつぞのちづる)が描かれている。この人物は私の五代前、信州松本の紙問屋、酒井義好(よしたか)である。一歳年下の佐久間象山*(1811-1864)*しょうざん が酒井家の堂号を「好古堂」と命名した。

篶垣(すずがき)のぬしミつからのと四方歌垣の翁の長点か氣られし

誹諧歌あつめたりといふ草紙をとうてゝこれにさる

畫き名つけてよと古はるゝまゝにひらき見るに作

者のかたちをさへゑかたしめたり こは浮の京極(殿)の

御詞に裳見えて ふるきミやひわさになん かくて歌の

数をかそふるに百あまりハうたな無ありける これに

よりて鐘聲抄と題さ無と須 かたはらに人ありていはく

鐘は佛の調度にして音の数 煩悩にへうしたりとか

ふミの名には不さハしから須とや 人かたふくらんは い

かにといへり おのれこたへけるやう此もの もろこしに ほ

 

とけのミち いまたつたはらさるさきよりありて

久しき樂のうつはなりき 其うへ月と節と□□

なそらへたる数なりとかきけり かゝれは其難ある

へうもなしといひて つひに名を定めつ さて此抄の

歌や繪のめてたさは誰見てもしるへき事なれは

於のれさらに詞をくはふへきかは かく志る須ものハ梅園樵叟

頃は ひのえさるのとし さつきとをかふつかになん

(雁註)ひのえさる(天保七)五月十二日 文面は解り難い。狂歌の数は百八か、三十六か。

誰かが「天保八酉歳」と書いているが、「さる」とあるので、前年、つまり天保七年である。しかも五月十二日。

 

その後、酒井藤兵衛、酒井庄吉、酒井藤吉、そして私(酒井雁高)と繫がっている。

何か御気付きの点があれば御教示ください。

酒井 雁高(がんこう) 浮世絵・酒井好古堂主人 学芸員 curator 

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